色野おと

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テーマ/ずっとこのまま


2018年5月。
生きていてくれてさえいれば、それでいいって思った。


私の人生最後の恋人は、子宮頸がん末期でステージ4Bまで進行。薬物療法も改善の見通しが困難で、本人の希望で自宅療養に切り替わった。

限られた時間を過ごすなか、その彼女にとって人生最後になるだろう子供の日に、彼女のお母さんの実家がある加茂市の《加茂川の鯉の吹き流し》をどうしても見に行きたいと彼女は言った。

看護師同伴で、彼女のお母さんと私を入れて4人一緒に加茂川までドライブをした。
河原の水際の近くまで彼女の車椅子を押してあげた。自分の体よりも大きな鯉のぼりが、川にそって流れる風に乗って、青空に向かって泳いでいた。彼女は私の撮る写真が好きだと言って、いろいろと注文をしてくる。そのとき彼女が私に注文したのは……

「あたしも写真撮ってみたい。おと君のそのカメラで」

そのとき私が愛用していたのはキャノンのEOS7D MarkIIというデジタル一眼レフカメラだった。今の真由子には少し重いかもしれないと思った。それでも久しぶりに無邪気な彼女の笑顔を見たら、仕方ないなあという気にもなって。

彼女の首にストラップを掛けてやって、カメラの絞りとピントだけは私が調整してあげた。カメラのファインダーを覗く彼女の後ろから、カメラを持つ彼女の手を包むように支えてあげた。近くで彼女の静かな息づかいが伝わってくる。

これからもずっと、こうやって一緒に写真を撮って生きてゆけたらいいなあ……泣きそうになった。溢れそうになる涙をごまかすために、もう一枚撮ってみようと元気な声で促した。

ふと後ろを振り向くと、彼女のお母さんがそっと泣いているのが見えた。呼吸が乱れそうになる。吐き出そうとする息づかいが震えそう。彼女に気づかれたくないので、深呼吸をしてみせた。

「すごく澄んで気持ちのいい空気だよね」
と無邪気そうに彼女は言った。堪えるので精いっぱいだったから「うん」としか答えられなかった。

こんなにも悲しいのは、今まで彼女と過ごしてきた時間がとても愛おしいからだ。楽しかったことばかりがいっぱい浮かんでくる。


もうずっとこのまま、時間が止まって欲しいと願った。

1/12/2024, 11:07:17 AM