テーマ/優しさ
学生のとき、ちょっとしたモデルの仕事をさせてもらっていたことがある。いわゆる読モではなくて、公共物のパンフだとか、電車等の中吊り広告に起用されるもので、ザックリ言ってしまえば〝素人感〟とか〝フツーの人っぽさ〟が演じられるモデル。
そんなアルバイト的な仕事をしていたときに、同じくモデルの仕事をしている女性と知り合った。歳は2月の早生まれで学年的には私と同学年。1年近く友達づきあいをさせてもらった。
小田急線で、私の大学は玉川学園前、彼女の短大は本厚木だったので、ときどき、町田駅にある東急百貨店町田店の中にあるアイスクリーム屋さんで仕事の入ってない日の学校帰りに待ち合わせて、30分か小一時間おしゃべりをするだけのことだったけれど、油絵を描く趣味が同じであったりとか話が合って楽しかった。
その程度の友達づきあいでしかなかった彼女に、郷里の新潟で当時中学三年の美樹の話をしてあげたことがあった。美樹は早生まれで2月6日が誕生日だと話したら、彼女が驚いた。実は彼女も美樹と同じ2月6日生まれだということを初めて教えてくれた。
不思議な縁だなあと思って、彼女に美樹の写真を見せてやったら、どことなく雰囲気が似ていると言って親近感を抱いたらしい。
そう言われてみれば、私は仕事上で表情を作っている彼女を見ていたせいか、それが彼女の素顔のように錯覚していたけれど、目の前でアイスを食べながら微笑んでいる彼女をよく見ていたら、確かに目元と口元が美樹と同じように思えた。
その後、松女短大を卒業した彼女はOLを経て本格的にモデル業に携わって、歌を歌う仕事に転身した。
1992年、美樹は玉女短大を卒業した後、何も理由の言葉も残さず姿を消した。実家のご両親に執拗いほど訊ねてみても本当のことを話してはくれなかった。
ショックが大きすぎて、どうしようもなく歌手デビューしたばかりで多忙なはずの彼女に聞いてほしくなった。
仕事の環境がガラッと変わった彼女に果たして繋がるかどうか分からない電話番号に、繋がってほしいと祈るように電話を掛けてみた。
「おと君、まだこの番号覚えていたんだね。社長から解約するように言われていたから、その前に繋がって良かったあ。でも……この電話に掛けてくるなんて、よほどのことがあったんじゃない?」
忙しいはずなのに、かつてのような優しい声が返ってきた。胸に溜まった苦しみがもう爆発しそうで、ダムが決壊したように美樹の失踪のことを彼女に打ち明けた。
「おと君。美樹ちゃんのことは写真も見せてもらったり、二人のそれまでの8年間の付き合いのことを話してもらったりしていたから、私なりによく分かっているつもり。だから言うね。美樹ちゃんはその理由を言ったら、おと君がもっと苦しむと思ったから何も言えなかったんだと思うの。それは美樹ちゃんなりの自分で選んだ優しさだったんだよ、多分……」
「そんなの……いなくなるほうが、どんな優しさであっても俺には辛すぎるよ。もう美樹の隣を歩けないって……そこには俺はいないんだって、そんなことを思うだけでも呼吸が変になって、苦しいよ」
と、私は涙ぐみながら安定しない声で返事をした。
彼女は一緒に泣いてくれた。そして
「今は泣くしかないよね。息もできないくらい泣いて泣いて、もっと目が腫れるまで泣いたっていいから。ひとの優しさってさ、いろんなカタチがあるけど、ひとりの人間が持っている優しさでも時にはカタチを変えるものだと思うの。美樹ちゃんの最後にみせた優しさはきっと、覚悟の優しさであって、おと君に優しくすることで自分を痛めつけるものだったんだよ。私にもそんな経験あるよ……その道しか選べなかったんだよ。おと君にそれを悟られたら嫌だったんじゃないかなあ。なにかの理由でその選択が一番いいことだって、美樹ちゃんは判断したんじゃないかな……だから、この先どんな結果になるとしても美樹ちゃんを恨まないでやってね」
それが、彼女から最後にもらった言葉で、最後にもらった優しさだった。その翌年、彼女は『君がいない』というタイトルで曲をリリースした。明るめの曲調で歌詞の最後に「切なく good-bye」と終わらせている。
その優しさ、ありがとう。
自分の人生、気持ち切り替えていこうって思ったんだ。
1/27/2024, 1:36:54 PM