“お祭り”
久々に、みんなで集まらないか。唐突に届いた先輩からのメッセージに乗せられて顔を出した俺は、ニコニコ胡散臭い顔を浮かべたその先輩に肩を組まれてあれよあれよと言う間に夏祭りの屋台に連れ込まれラムネの売り子をさせられていた。
夜の花火大会のオマケだと思っていたこのお祭りも、年々来訪者が増えている様でまだ昼過ぎだというのにかなりの盛り上がりを見せている。
お前はラムネ持って突っ立ってりゃいいんだよと、せめて裏方に回ろうとした俺の背中を押す先輩の圧に押し負けて屋台の前面でぼんやりとしていると次から次に浴衣姿の女の子がやってくる。
人と話すのは、苦手だ。なぜか執拗に連絡先だとか名前だとかツーショットだとかを強請ってくる着飾った女の子たちになんと返事をしていいのかわからず困惑しているうちに日が傾いてきていた。
屋台の後ろ側に置いてあったラムネの入っていた段ボールは全て畳まれていて、残りは数え切れるくらいだ。
無理矢理に掴まされた、顔も覚えていない誰かの連絡先の書いてある紙を握り潰す俺の横で先輩はやけにすっきりした顔をして額の汗を拭っていた。
「いやあ、持つべきは顔の良い後輩だわ」
「……みんなで集まろうって話じゃなかったんですか」
じとりと睨みつけても先輩は悪びれる様子もなく笑っている。一発殴っても俺は悪くないだろ、とせめての優しさとして左の拳を振り上げたところでコロン、と下駄の音がした。
「なんだ、もうラムネないの?」
「お、結構早かったな。他の奴らは?」
「知らない。変な男に話しかけられて不愉快だったから先に来た」
むっつりと口をへの字に結んだ彼女は、いつもよりしっかりと化粧をしているうえ見慣れない浴衣姿になっている。密かに想いを寄せている相手の物珍しい姿に頭が真っ白になった。固まった俺の横で、元々来ることがわかっていたらしい先輩は普通に会話をしている。
「俺は後片付けがあるからさ、ナンパ避けにコイツ持っていけよ」
「……はっ?」
先輩と話をしている彼女の浴衣姿をさり気なさを装ってチラチラ見ていた背中が急に押されて、体制を崩しながら先輩を振り返ると、清々しい顔でサムズアップをしていた。
こいつ、最初からこれを狙っていたのか。というか彼女への気持ちはずっと隠していたはずなのに、いつから気づかれていたんだ?どっと背中に汗が吹き出す。というか彼女が嫌なのでは?と恐る恐るその顔を覗き込んだ。
「……何?」
「いや……俺と二人は、嫌かなって……」
化粧のことは全くわからないけれど、普段よりずっと大きく見える猫目には想像していたほど不機嫌な色はなかった。知らないやつにナンパされるよりずっとマシだから、と言って踵を返す彼女を追いかけようとする俺を引き止めて先輩がラムネを二つ押し付けてきた。
「バイト代、な。楽しめよ」
「……いつから気づいてたんすか」
「ナイショ」
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滑り込み
安定の尻切れトンボ
“神様が舞い降りてきて、こう言った”
寂れた場末の酒場の一角。カウンターの隅にあるその席は、朝から晩まで入りびたる金払いだけはいい素性不明なアルコールホリックの為の特等席になっていた。そして今日も朝から酒を浴びるように摂取している哀れなアルコール中毒の男の目の前には頬杖をついて男を眺める神様の様にキレイな顔をした男が座っていた。
「いいご身分じゃあないか。こんな良い店で昼間っから酒に溺れているなんて」
「贅沢をしてて、悪いね。昼間どころか、朝からアルコール飲み放題だよ」
彼はペットボトルに入ったミネラルウォーターをチャプチャプと揺らしながら、ペットボトル越しにアルコールホリックの男を、つまりは俺を覗き見ている。その青空を写した様な目は昔と変わらない真っ直ぐで純粋な色をしている。アルコールで濁りきった俺の目にはあんまりにも眩しくて温かくて、思わず逸らした目線の先に彼の細くて白くて傷だらけの腕が映る。
少しだけ、傷が増えただろうか。じわじわと傷が減ってきた己の腕が情けなくて忘れる様に酒を呷る。目の前の神様は何が楽しいのか青空色の目を少し細めてやっぱりペットボトル越しに俺を見ている。
「平和な生活には馴染めないんだろう?」
「……じきに馴染むさ」
「お前が一番わかっているくせに」
「君にはわからないよ」
「お前のことは、俺が一番よくわかってる」
お前以上にな。身を乗り出して囁いた彼はそのまま俺の手にあるグラスに口をつけて顔をしかめた。匂いでわかっていただろうに、馬鹿なやつだなあと残った酒をいっきに呑み干す。これだけ呑んでも酔えない身体が恨めしい。酔えたら全てを忘れられるのに。目の前の彼のことだって。
少し水が減ったペットボトルを、やっぱりチャプチャプ揺すっている彼は最後にあったときより幾分伸びた横髪を耳にかけて微笑んだ。俺が初めて見た時からずっと苦手なその神々しいとも言うべき綺麗な笑顔を貼り付けて、俺の神様は傍若無人にこう言った。
「戻ってこい、俺のところに」
俺の答えを聴く気もなく立ち上がった彼の後ろを追いかけた。
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長めのお題は難しい、、、ので少しだけ改変しちゃいました
誰かのことを神聖化してみてる人が好きです
“友情”
友人とキスをした。正確にいえば、友人にキスをしたとなるのだろうか。放課後の教室はまだ柔らかい陽の光が差し込んでいて暖かかった。教室には俺と彼の二人以外に誰もいなかったけれど部室棟からは吹奏楽部の楽器の音がしていて、グラウンドからは運動部、廊下からもまだ帰宅していない生徒たちの話し声がひっきりなしに聞こえてきていてなんだか騒がしかった。
彼は日直日誌を書いていて、俺は前のイスを跨ぐ様に座ってそれを眺めていた。彼は外の騒がしさに少しイライラしていたみたいで、形の良い爪でカツカツとシャーペンを叩いていた。たかが日直日誌一つに放課後の貴重な時間を割いている生真面目さと、すぐにイライラして物にあたる短気さとを併せ持った彼の不機嫌まるだしの顔を眺めるのが好きだった。
センターまであと80日という、昨日の日直の書き残したコメントがふと目に入ってきてなんとも言い難いもやっとした気持ちになる。早々に推薦入学を決めていた彼を見ていてもあまり実感のなかった、最終学年という言葉が脳裏を掠めた。
この人が卒業したら、もう二度と会う機会はないんだろうなと思う。専攻が全然違うから大学や就職先が重なることもないだろうし、彼にとって俺はただの"たまたまそこにいたいけ好かない後輩"でしかなくて大学で新しい交友関係ができれば思い出されることもなくなるだろう。
チクリと胸が痛んで、その痛みが思いの外深いことに動揺した。この痛みは本当に友情の延長線の先にあるものなのだろうか。動揺したままに動かした足が、椅子の脚にぶつかった音に彼の視線が日誌から俺の方へと移動した。訝しげにこちらを見る上目遣いの彼と目が合った途端、衝動的にその唇にキスをしていた。
この衝動は流石に友情の延長線上ではないのかもしれない。
“遠い日の記憶”
人工的な青い空。空に見立てたスクリーンにぽかりと浮かぶやっぱり人工的な雲の映像。ほんのりと温かい太陽の光もゆるりと頬を撫でていく風も、本物を知った今となってはまるで別物だとわかるけれど、あの頃の私にとっては本物だった。
初夏の晴れた日に設定されたあの日の昼下がり。私は"友人"と呼ぶには少し隔たりのある顔見知りの男に呼び出されて、街が良く見える丘の上にきていた。
もう少ししたら夕方になって、少し雨が降る様にプログラムされていたのに、こんな時にこんなところに呼び出してなんなんだ、と少しイライラしていた。呼び出した男は私がイライラしているのに気付いていない訳がないのにいつもと同じ澄ました顔をしていて、その姿が余計に私の神経を逆なでしていた。
温くて湿っぽい風が、目の前の男の鬱陶しい重たい前髪を揺らしていた。人を呼び出しておいて、来てくれてありがとうの一言も言えないほど致命的に気が利かないこの男になんでこの私が振り回されなければならないのか。合わせた視線を逸らすのは負けたみたいで癪だったから、絶対にそらしてやるもんかと睨みつけてやった。
結局アイツは澄ました顔の割にいつまでも口をもごもごさせるだけで、何も言わないままプログラムにはなかったはずの急な雨で有耶無耶になってしまった。てっきり告白でもされるのかと、どうやって一番惨めに振ってやろうと考えていた私は肩透かしを食らった気分で帰宅した。
その翌日、アイツは地球に引っ越したのだと聞いた。どうやってからかってやろうとほくそ笑みながら学校に向かった私はやっぱり肩透かしを食らった気分だった。わざわざ引っ越しする報告をあんなところでしようなんて、思わせぶりにも程がある。何より、思わせぶりだとショックを受けた自分が不愉快だった。
地球に降り立つ度、遠い日のあの記憶が鮮明に蘇る。地球に降り立つ度なんだかんだ理由をつけて必ず私を迎えに来る男の相変わらず澄ました顔を睨みつける。少しだけ、気が利く様になった男が差し出す手の意味に気づかないふりをしてその手に荷物を押し付けてやった。
“終わりにしよう”
終わりにしようとは思ってるんだ、この関係。聞き慣れた声がそう呟くのが、扉越しに聴こえてギクリと肩を震わせる。リビングに続く扉の前に立ち尽くしながら中の様子を伺うと、どうやら声の主は電話をしているみたいだった。彼女は扉に背を向けているため、ここからでは微かな頬の膨らみしかみえないけれどそれでも彼女が緊張をしているのを感じてしまう。
何の関係を終わらせようとしているのか。そんなの俺との、この関係性以外に何があるというのだ。無意識に握りしめていた手のひらに短く切りそろえた爪が食い込んでいく。
彼女とは学生時代からずっと、喧嘩するほどなんとやらな友人関係だった。その関係は、アルコールの神様のいたずらによって数年前に少しだけ形が変わってしまった。それからは月に数回、気が向いた時に俺の家にふらりとやってきては朝を共に迎える様な、そんな曖昧な関係になってしまっている。
恋愛感情なんて1ミリもなかったはずだった。ただ完璧主義で負けず嫌いで親しい人間以外は寄せ付けない、そんな"高嶺の花"的な彼女に、誰よりも近い場所にいることを許されているという優越感がいつの間にか独占欲に、そして今は多分恋愛感情と言わざるを得ないものに変化していた。
自分の感情の変化に気付いたのはつい最近のことだった。気付いてしまえばもう戻ることはできず、だからといって進むこともできないまま現状維持というぬるま湯で満足しようとしていた矢先のこの状況にガツンと頭を殴られたみたいな気持ちだ。
この扉は栓だ。この扉を開けたら、今まで浸かっていたぬるま湯が抜けていって最後にはがらんどうなリビングに俺一人が残される。ならいっそ、彼女に気付かれない様に家を出れば良いんじゃないか。何の解決にもならないその場しのぎの考えが頭をよぎる。もうそれしかない気がして踵を返そうとした途端、ちょうど通話が終わったらしい彼女が振り向いて目があってしまった。
終わってしまった。こぼれ落ちるんじゃないかってくらい見開かれた彼女の目がスッと覚悟を決めた目になっていくのがスローモーションみたいに見えた。
彼女のその覚悟を決めた、据わった目に俺はどれほど情けなく映っているんだろうか。
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尻切れトンボ