星を追いかけて
夜空を、無数の流れ星が世話しなく駆け抜けていく。まるで飴がたっぷり詰まったキャンディージャーを思いっきりひっくり返した様な騒がしさだ。
流星群を眺めるために外に出たらしいファミリーの、幼い子どもがあげる歓声が聴こえてくる。
あの歓声をあげる子どもと同じくらいに小さな頃に、少し前を歩く兄の丸い後頭部に向けて問いかけた言葉がふいに頭を掠めていった。
「ねえ、あのお星さまはどこへ行くの?」
兄はそこでやっと空を駆ける星々に気づいた様で、はたと足をとめ空を仰いだ。やっと兄に追いついた僕も、兄と同じように空を見上げる。
夏の間は沈まぬ太陽に照らされていた空も、気付けばもう夜の闇を取り戻していた。これからどんどんと闇が深くなり、やがて太陽はしばらくこの島を留守にする。
まるで、そんな太陽の様にふと僕を置いてどこかへ行ってしまうことのある兄を引き留めたくてモコモコの兄の上着の裾を掴む。行かないでよと、言えない代わりに。
あの時、結局兄は僕の質問になんと答えたのだったかすっかりと忘れてしまったけれど、兄を追いかけられない僕の代わりに兄の元へと向かってくれたらいいなと、思った。
真昼の夢
ぼんやりと意識が浮上する。
随分と、懐かしい夢を見ていた気がする。分厚い遮光カーテンの隙間を見逃さず、暗い暗い部屋に差し込む真夏の日差しに起こされたらしい。たった数ミリの隙間から部屋のほとんどを明るく照らす憎たらしい光をにらみあげると、ほろりと両目から涙が零れた。
暖かい、優しい夢だった気がするのにいつの間に泣いていたんだろうか。
「……お兄ちゃん」
エアコンのタイマーが切れてから随分と経つらしい、酷く蒸し暑くて酷く籠った部屋に掠れた自分の声が落ちていく。そういえば、こんな声だったっけ。夢の中の自分は、もう少しだけ……。
カーテンを締めようと立ち上がるとぐにゃりと何か生暖かい液体の様なものを踏んだ感触がした。遠い遠いいつか感じたことのあった様なその不快な感触に、視線を落とす。
真夏の強い日差しを浴びて、酷く鮮やかに光る血溜まりがそこにあった。この色を、この感触を、この光景を、僕は覚えている。
目の前には、あの頃の僕よりずっと大きくて今の僕よりずっと小さい兄の背中が見える。兄の綺麗な色素の薄い柔らかな髪も、白い頬も服も足も全部がどす黒い血の色に染まっていた。
今の僕より少し高い、喉が潰れて掠れたあの日の僕の声で兄を呼ぶ。そうすると目の前に背を向けて立っていた兄が振り向いて僕を安心させるみたいに笑うのだ。
暖かくて優しくて柔らかくて幸せなあの日の夢をみたんだったっけ。もう一度見下ろした床にもうあの血溜まりは見当たらない。夢に引っ張られて幻覚を見ていたらしい。くだらない、とあの時よりずっと成長した足で血溜まりのあたりを踏み抜いてカーテンをぴっちりとしめなおした。
special day
"手を繋いで"
君と見た景色
記憶
二人だけの。
そのうち書きます
"大好き"
「あの、これ」
控えめなノックの音に答えると、苦々しげな顔をした部下が顔をだして、まるで汚物でも触るかのように隅をつまんで手紙を差し出した。
テーブルのうえに置かれた、白いレースの装飾がされた封筒の差出人は不明で、ただ真ん中にパソコンの初期フォントで私の名前だけが記されている。
こんな不審な手紙、普通であれば私の手元に届く前に不審物として処分されてもおかしくないだろうに、こうしてイヤイヤながらも律儀に届くのは、この手紙が毎年毎年こうして送られてきて、そして毎年私が受け取っているからだろう。
最初こそ、今すぐ破り捨てようと身を乗り出していた部下も数年経つうちに苦々しげな顔で睨む程度にはこの手紙に慣れたらしい。いつもありがとう、と手元にあったチョコレートの包みを手渡して労ってやるといくらかその顔からは険しさが抜けたようにみえる。
「……では、失礼します」
渋々、といった顔でチョコレートをしまった部下は部屋をでていく。最後の最後まで、手紙を睨みつけることは忘れていなかった部下の姿に思わず一人笑ってしまう。
随分と、嫌われているなお前。差出人の名前を書いても書かなくっても、どちらにしてもあの部下の表情は変わらないだろうといつかこの差出人に伝えてやりたいものだ。
封筒の中には揃いの便箋が2枚、どちらもまっさらなままに入っている。これも毎年のことだ。今となっては透かしてみることもせず軽く覗いてみるだけだ。
どうせ炙ったって濡らしたって、透かしたって塗ったっとこの便箋にはなにも綴られてはいないのだ。唯一の情報といえば、切手の上におされた郵便局の消印くらいか。今回は随分と近くから発送されている。
つい先日その辺りで会ったばかりの古い知り合いの澄ました顔を思いだす。いつも通りの癇に障る澄まし顔でいつも通りの口喧嘩をして、そして相変わらずだなと不愉快な捨て台詞を吐いて返っていったその足で、この手紙をだしに郵便局に立ち寄ったのかと思うと笑えてくる。
「……ばかなやつ」
思わず漏れた言葉は自分でもぎょっとするほど柔らかくて、ああばかなのは自分もかと思い知る。
" "の代わりに手紙を
"君を探して"
そのうち書きたいので保留