まだ言葉を知らない僕に、
ずっと語りかける外からの声はぼんやりと聞こえる。
水槽で1人、足を抱えこんで唯一の管を頼りに時を待っていた。
天地が返り浮力に体を預けてプカプカと、まだここにいたいななんて夢心地を堪能していると、
突然水槽にヒビが入り水が漏れ出した。
警報ブザーが鳴る。
外のけたたましい音が鮮明に聞こえる。
外に出る時間が来たらしい。
僕は地球へ降り立つ。
【ココロオドル】2024/10/10
ここまで冷徹な奴だとは思わなかった。
本当に人の血が通っているのだろうか。
これ以上、コイツの言葉を聞きたくない。
プラスドライバーを置く余裕もなくコイツの口を塞いだ。
工具だらけの窓のない部屋で、熱気を帯びながら肩を抑えつけた。
抵抗されないよう上に跨り、滴る汗に目もくれず必死に次の言葉をせき止めた。
─────あぁ、頭のネジなかったのか。
そりゃ仕方ないか。だからと言って許さないけど。
固い床から動かず、流石に何も言わなくなったコイツを一瞥してタバコを手に取る。
うっすら滲む涙をみてコイツにも一応感情はあるのだなと冷めた目で見下ろした。
転がるドライバーを拾い、先が錆びないよう布切れで拭きとる。
床のシミ、落ちるだろうか。
一服終わったらすぐ取り掛かった方が良さそうだ。
「やっぱ頭蓋骨って固いんだな」
【束の間の休息】2024/10/09
見下すような目に苛立ち、
思わず奥歯をギリッと噛み締めた。
ボロボロになった体を奮い立たせ、なんとか立ち上がる。
プルプルと震える脚。
痛みの走る肩。
使い物にならない左腕。
とてもじゃないが圧倒的に不利だ。
しかし眼光は鋭く、耳を劈くように声を響かせる。
──────まだやれる。
まだ、終わってない。
やっと立っていた程度の足で大地を蹴る。
ヒーローになり損なった僕が、這い上がるチャンスはココしかない。
弟に言った、『にいちゃんはヒーローなんだぞ』という言葉を本当にするんだ。
お前を守るために。
【力を込めて】2024/10/07
ノートを開くと架空の植物が1ページに1つ描いてあった。
ご丁寧に細かく設定も書いている。
咥えていたアイスの棒にグッと力が入る。
苦手だった祖父の部屋の小さな押し入れの奥。
そこに架空の植物ノートはあった。
2日前、祖父の葬儀が終わり
あまり寄り付かなかったこの部屋で、母と2人寝泊まりした。
厳格で無口で現実主義。
それが祖父だと思っていた。
「あら、見つかっちゃったのね。」
暑いでしょう、と僕に麦茶差し出して祖母は言った。
まだ暑さが残る昼間。
溢れんばかりの氷を唇で受け止めながら麦茶を一気に流し込んだ。
「…ばあちゃん。これ、誰のノート?」
「そりゃここにあるんだからおじいちゃんのに決まってるでしょうに。」
「でも、内容が。」
「ああ、礼央君からすれば意外かもしれないねえ。」
魔法瓶から麦茶を足しながら、ふふふと祖母は笑う。
「おじいちゃんはねえ、夢追い人だったのよ。」
エッと大きな声が出た。
「そんなふうには見えなかったでしょう。
礼央君たちは多様性を認めるようになった世代だろうし、
テレビでそう言ってるのもよく見ているけどね。
この田舎ではまだ、偏見は根強いのよ。
私たちはここを出たことがないからね、
この村社会で生きるには地味に質素にが鉄則。
そんな町でおじいちゃんは変わり者だったの。」
カランと氷が動く。
「架空植物図鑑、そんな馬鹿馬鹿しい絵を描く奇人。出会った頃、あの人はそう呼ばれてたの。
おばあちゃんはそんな想像力に惹かれたのだけど、
この町はそれを許さなかったのよね。
でも無口で言い返しもしない。
ただ自分の好きなものを貫いてた。」
「じゃあいつから…」
「礼央君のお母さんがおばあちゃんのお腹にいる頃。
娘が自分のせいであれこれ言われるのは我慢ならないからって。
そのノート、本当はもっとあったのよ。
でも妊娠がわかった年の分以外すべて捨てちゃったのよ。
良くも悪くも頑固でね。」
最初のページに“決意の石の木“という石のなる木が描かれていたのを思い出した。
“その木を育てている人間の決意の数だけ石がなる。
石の硬度は決意の度合いによって変化する。
私の決意の石はきっと中の種をみせることはないだろう。”
祖父の性格がしっかり反映されている。
僕がもう一度ノートを読み返しはじめると祖母はそっとその場を離れた。
どのページも隅に日付と星が振ってある。
日付は飛び飛びで、母の誕生日、結婚10周年、母の成人式…と大切な節目に描いていたことが僕でもわかった。
星は基準こそわからないが、評価点数らしい。
MAX5個で評価されているようだ。お気に入りレベルだろうか。
そしてそれは僕の誕生日にもあった。
“スターサイン・レオ“
聞いたことがある。
獅子座から僕の名前を考えたということを。
3月生まれなのに、と疑問に思っていたがその答えはここにあった。
“冬の終わり、春の始まり頃に夜空に現れる獅子座と共に咲く夜の花。
発光する花弁は獅子座を形取り、ほんのり辺りを照らす。
星のように道標となり、獅子のように力強く己の道を行く者が産まれると花としての役目を終え、その者を守るエネルギーへと変わる。”
星はMAX5個ついていた。
【星座】2024/10/06
振り返った彼女の輪郭はぼんやりとして見えづらい。
あっという間に落ちていく夕日に、
この時間に、彼女がスゥッと溶けていくようだった。
「ごめんね」
そう一言だけ呟き、彼女は電灯のない方へ歩き出した。
僕の瞳は簡単に彼女の姿を捉え損ね、
次の言葉を出す前に彼女は見えなくなった。
仲間だと思っていた。味方だと思っていた。
大切な人だと思っていた。
そうではなかったのだと知って、
クラクラと衝撃を受けている間に僕の前から消えてしまった。
前から彼女は儚い人だと思っていた。
でも、こんなにあっさり灯火が消えてしまうなんて。
静かに頬に伝う雫が襟元を濡らした。
【たそがれ】2024/10/02