愛から恋を引いたら何が残るのだろう――
僕は、離れた場所で黙々と洗濯物を畳む、お手伝いアンドロイド『アリス』を眺めていた。
僕にとって、アリスはどんな存在なのか。
この頃よく考えるようになった……
アリスは、小さい頃に親に買ってもらった最新型アンドロイドだ。
ショーケースに展示されているのを見て一目ぼれ。
寝ても覚めても彼女の事ばかり考えるようになり、それはたぶん恋だったと思う。
心を奪われたアンドロイドをなんとか手に入れようと、小さい僕が親にあらゆる手でねだった。
だがアンドロイドが一般に普及したとはいえ、まだまだ高級品。
親は頑なに拒否していたのだけど、普段ワガママを言わない僕のお願いという事で、最終的に買って貰うことが出来た。
僕は家にやって来たアンドロイドに『アリス』と名付け、とても可愛がった。
家事をするのが彼女の仕事だと言うのに、彼女の気を引こうと仕事を奪ったりもした。
当時も星が好きだったので、夜はよく星空を見に連れ出した。
アリスの方も、僕の子守を仕事の一つとして認識していたのか、いつも笑顔で対応してくれた。
片時も離れない僕たちの様子に、家族は目尻を下げて『まるで新婚さんだ』と笑った。
けれどそれは、子供の頃の話。
家族に迎えた時は見上げるほど大きかった彼女も、今では僕の方が高い。
用が無くても話しかけていた昔も、今は最低限の会話だけ。
あの頃抱いた恋心はもうどこにもなく、アリスに特別な感情は抱かなくなっていた。
とはいえ、情が無いのかと言われればそれも違う。
骨董品と揶揄されるほど古くなったアリスも、我が家ではまだまだ現役。
機械である彼女に『尽くす』という概念があるかは分からないが、今でも勤勉に働いてくれている。
古いので不具合も多いが、基本的に自分で治したし、定期的にメンテナンスにも出している。
なんだかんだいって、僕はアリスに愛着があった。
だが僕も分別のある大人。
大学進学を機に家を出るとき、いい機会だからとアリスを実家に置いて出ようとした。
だがアリスは、『坊ちゃんのお世話は、最優先事項です』と宣言し、当然の様についてきた。
最初は『全部一人でやる、そこで見ていろ』と突っぱねたのだが、悲しいかな初めての一人暮らし。
不摂生な生活を送り部屋をゴミだらけにするなどの事件を起こし、生活能力の無さを露呈させて、アリスの介入を許してしまった。
今では家事は、完全にアリスの仕事である。
まるで押しかけ女房のようだが、やはりアリスには特別な感情はない。
感謝の気持ちはあれど、恋心はどこにもない。
では僕が彼女に抱いている感情は何だろう?
『愛−恋=?』、難しい問題だ。
人生の難題に頭を悩ませていると、アリスが急にこちらを向いた。
「そういえば、坊っちゃん。
大学のレポートはよろしいのですか?
締め切りが近いとお聞きしましたが」
「あっ、やべ」
アリスの言葉で思い出し、僕は慌てて机の前に座る。
僕は教授から課題を出されていた。
それは星の地図――星図を書くこと。
今どき珍しい手書きで、である。
最近で全てコンピューターがやってくれるのだが、だからこそ一度は手書きをすべきとの教授は信じていた。
『これを出さないと進級させない』と教授が念押しするほど、重大なレポート。
落とすわけにはいかないので、気合を入れて書いていたのだが……
「星図がない……」
机の上にあるはずの書きかけの星図。
それがどこにもない。
アナログゆえに手間がかかっており、今から一から作っていては締め切りまで間に合わない。
だが机の上を探し回るがどこにもない。
消えた星図を見つけなければ、留年確定!
どうしよう、親にどやされる!
努力が無に帰したことに絶望していると、アリスが後ろから声をかけてきた。
「坊っちゃん、ノートパソコンの下は見ましたか?」
「そう言えば!」
ノートパソコンを持ち上げるとそこには書きかけの星図が!
やった、これで留年は回避!
「おお、アリスはよく分かったな」
「坊ちゃんの事なら何でも分かりますよ」
「おかんか」
「小さい頃から見ていますからね。
ところで喉が渇きませんか?」
「確かに安心したら喉が渇いたな……」
「ではお茶をお淹れしてまいりいますね」
そう言ってアリスは立ち上がり、台所まで歩いていく。
アリスは手慣れた動作でお茶を沸かして戻ってくると、僕の前に置いた。
――砂時計と一緒に。
「なんで砂時計?」
「坊ちゃんはすぐにサボりますからね。
この砂時計の砂が落ちたらレポートの続きを書いてください」
「そんなに信用ないか?
そんなもの無くても終わらせるよ」
「そう言って前回のレポートは落としましたよね」
「申し訳ありません」
「なので今回から鬼になることしました。
レポートを書ききるまで見張ってますから、覚悟してください」
「おかんか」
僕は砂時計の音を聞きながら、お茶を飲む。
こうしていると、子供の頃一緒にいたことを思い出す。
あの時と違ってもう恋心はないけれど、アリスといる時間は心地よい。
なんだかんだ言いながらも、僕はアリスの事を大切な家族として大切に思っていた。
愛から恋を引いたら何が残るのか――
未だに答えは出てない。
けれどその先にあるのは、きっと『温かいもの』だ。
『どこまでも』『lalala goodbye』『梨』
とあるマンションの一室、深夜のこと。
暗い室内に、二つの影があった。
一つはこの部屋の主である女、もう一つは可愛らしい西洋人形だ。
人形は、きれいな服ドレスに身を包まれ、とても大事に扱われていることが見て取れる。
だが、その可憐な服装に裏腹に、その顔は憎悪に満ちていた。
人形は、呪いの人形――『メリーさん』なのだ!
電話を取ったら最後、どこまでも追いかけてくる怪異だ。
部屋の主もメリーさんの標的となり、背後を取られていた。
まさに絶体絶命!
だが――
「また逃げられた!」
メリーさんは、吐き捨てながら部屋の主を蹴飛ばす。
すると、なんということか、頭がポロリと取れた。
しかしそれは作り物の頭……
この人影は人間ではなくマネキンだったのだ。
嘲笑うかのようなイタズラに、メリーさんは怒り心頭だった。
「せっかくここまで追い詰めたのに!」
メリーさんは、悔しそうに地団駄を踏む。
顔に悔しさがにじみ出る。
こうして逃がしてしまうのは初めてではない。
3週間前のこと。
標的と定めた女に電話をかけ、お決まりのセリフを告げる。
「私メリーさん。
今からあなたのおうちに行くわ」
いつもなら、電話相手はメリーさんに狙われた恐怖にむせび泣く。
メリーさんは、人間の泣き声を聞くのが好きだった。
特に女性の泣き声はお気に入りで、メリーさんは好んで女を狙っていた……
だが、この女は違った。
「Catch me if you can(出来るものなら捕まえてみろ)」
そしてメリーさんは、女を取り逃がした……
しかし、一回の失敗であきらめるメリーさんではない。
すぐさま気持ちを切り替えて、この女を追いかけた。
だが、その次もまんまと逃げられてしまう。
いつ行ってももぬけの殻。
そこには、メリーさんをおちょくるように、何かしらのイタズラが用意されていた。
時に『差し入れ』と書かれた紙切れとともに梨を置いてあることもある。
最初は舐めてかかったメリーさんも、さすがにおかしいことに気づく。
そこでメリーさんは、女の素性を調べることにした。
そしてメリーさんは仰天した。
女は、巷を騒がせる怪盗だったのだ。
ルパンの再来とまで言わしめる怪盗、それならば逃げ足の速さも納得がいく。
しかし、逃がしたままでいいかは別問題。
このままでは自身の沽券に関わるとメリーさんは全力で追跡するが、結果はご覧の通り。
本気を出したメリーさんですら、女はあっさりと、逃げおおせてしまうのだった。
隙のないメリーさんですら、手も足も出ない女。
その事実にメリーさんは絶望――はしていなかった。
メリーさんには秘策があったのだ。
女は怪盗である。
それも予告状を出すタイプの。
ならば先回りして後ろを取ればいい。
メリーさんの流儀に反する行為であるが、それよりも逃がし続けるほうが問題だった。
メリーさんは手段を選ばず、女を捕まえることにしたのだ
数日後、予告状に記された現場にメリーさんは駆けつけた。
怪盗の標的は、美術館で飾られる高価な絵画。
メリーさんは、その隣で待ち伏せすることにした。
周りには怪盗を捕まえようと警戒している警察がウロウロしていたが、メリーさんには気づかない。
警察が来る前から、歴史あるアンティークドールのフリをしていたからだ。
今のところ、警察はメリーさんのことを不審に思ってはいない。
メリーさんは心の中でほくそ笑みながら、女の来訪を待つのだった。
そして犯行時刻。
突如、室内にガスが噴き出し、警察が倒れ始める。
睡眠ガスだ。
倒れた警察はスースーと寝息を立て始め、警備員全員がガスに倒れる。
次々と警察官が倒れる中、1人だけ立っているものがいた。
ガスマスクを付けた女――怪盗だ。
倒れた警察官には目もくれず、怪盗はゆっくりと、標的の絵に向かって歩いていく。
メリーさんは、ただの人形のフリをしてその様子をずっと見ていた。
狙いは、後ろに立つ最高のタイミング。
決して悟られぬように、怪盗の動きを注視していた。
しかし――
「え?」
メリーさんは突如浮遊感に襲われる。
動揺するまもなくメリーさんは、袋に詰められ身動きが取れなくなる。
「メリーさん、ゲットだぜ」
その時、メリーさんはようやく気づいた。
怪盗の真の標的は自分であったと……
「フフフ、いっぱい着せ替えしちゃうぞ〜」
「あ~れ~」
その晩、高笑いしながら去っていく怪盗が目撃された。
だが何も取らず去っていく怪盗に、関係者の誰もが首を傾げるばかりだった。
それ以降、怪盗の予告状には、「本日のお人形」とでも言うかのように、毎回違う服を着せられた人形の写真が添付されるようになった。
『この怪盗の行為には何の意味があるのか?』
『他にも人形ならたくさんあるだろうに、なぜ恐ろしい表情の人形を使うのか?』
『ていうか、最近は写真を送って来るばかりで、何も盗もうとしない』
この問題は、関係者たちを大いに悩ませ、混沌の渦に巻き込むのであった。
『秋恋』『一輪のコスモス』『未知の交差点』
「ナムナムナム」
俺は今、道端に祀られているお地蔵さまに拝んでいた。
交差点にぽつんと置かれたお地蔵さま。
大事にされているのか、小綺麗にしてあった。
作法がよくわからないので、呪文は適当だが、その分熱心に拝む。
こういうのは気持ちが大事、きっと想いは通じることだろう。
特に信心深いわけでもない俺がこんな事をしているのには理由がある。
理由は単純、俺は絶賛現在進行系で困っているから。
都合が良すぎると非難を受けそうだが、背に腹は代えられない。
俺は今、遭難しているのだ。
とある休日、車でとある農家に向かっていた。
俺は園芸ご趣味で、特にコスモスが好きだった。
最初は郵送して欲しいと交渉したが、『直接来ないと譲らない』の一点張り。
仕方なく住所を聞き出し、こうして農家に直接向かうところだったのだが……
もう少しで目的地というところで、
ここはどこにもわからぬ未知の交差点。
途方に暮れていた。
スマホは圏外で助けも呼べぬ。
山に囲まれているからか、電波が入らずカーナビ代わりのスマホも機能しない。
コンビニどころか人の気配のしない山奥で、俺は遭難していた……
なぜこんな知らない土地に来たのか?
それは、幻のコスモスを手に入れに来たのだ。
この辺りの農家でしか育てられていない、希少価値の高いコスモス。
現地で数量限定で販売されるそれは、この山奥でしか栽培されていない。
他の愛好家たちに取られまいと、ここまでやってきたのだが……
「田舎すぎて、誰も来てなかったな……」
農家の人曰く、数量限定で販売するものの、買いに来る人が少ないので、毎年売れ残るとのことだ。
「お裾分けだよ」
そう言って、苗から一輪のコスモスを摘み取って、お地蔵さまの前に
だが不思議な感覚がある。
全くの未知の交差点だと言うのに、とこか見覚えがあるのだ。
だが全くふと足元を見ると、一輪のコスモス……
何か、思い出そうとして……
「もし、そこのお方」
94.『燃える葉』『静寂の中心で』『愛する、それ故に』
「これでよし、と。
火をつけるぞ」
焼き芋のために集めた落ち葉の山に、出力を限界まで絞った炎魔法を放つ。
葉の先がチリチリと音を立てて焦げ、やがて小さな炎が上がる。
それを見た妻のクレアは、感心したように声を上げた。
「器用ですね」
「剣士の俺がおかしいか?」
「いえ、そうではなく。
大きな火の玉を作るのは得意でも、そこまで小さな火を出せる魔法使いはなかなかいない、という意味です」
「田舎の人間はこのくらい出来るよ。
魔道具なんて便利な物は無いからな。
自分でやるしかないんだ」
「うーむ、ところ変われば必要とされる魔法も違うんですね」
と、国中でも指折りの魔法使いである彼女は呟く。
彼女を始めとした魔法使いにとって、魔法とは魔物を屠るためのモノ。
それを、こうした生活の一部として使うのは斬新なんだろう。
「そういえば俺がまだパーティを組んでいた頃、焚火の点火は俺の役目だったな。
魔法使いは魔力の温存とか言って頑なに拒否していたが……」
かつてクレアとは違うメンバーで冒険をしていた頃の思い出が蘇る。
なにかと言い訳するので当時から怪しいと思っていたが、そうか、あの魔法使いは小さな火を出せなかったのか……
あの時は『いい加減な奴』と思っていたが、真実を知った今はなんだか妙におかしい
「ところでバン様、もう火が消えてしまいますよ。
サツマイモは焼かないのですか?」
「火が強すぎると芋が焦げるんだ。
だから火が弱くなって、赤熱しているくらいがちょうどいいんだ。
と、そろそろだな」
燃える葉が灰になり、赤く光るだけの状態――熾火(おきび)になった事を確認して、俺はサツマイモを投入する。
これでイモは焦げることなく甘く仕上がるはずだ。
「それにしても、ここまでやる必要あります?
焼き芋作るだけなら、魔法を使えば数分ですよ」
「ウマい焼き芋が食べたいと言ったのはお前だろ?」
「確かに言いましたが……」
「こっちの方がウマいんだよ。
食べ比べたことがあるから間違いない」
「ちなみに、あとどれくらいかかりますか?」
「1時間くらいだな」
「魔法なら5分なのに……」
クレアはソワソワし始める。
「他に用事があるのか?
火は俺が見ておくから、そっちに行ってもいいぞ」
「ではお言葉に甘えて。
申し訳ありませんが、用事を済ませたら戻りますね」
と言ってクレアは去っていった。
そうしてクレアがいなくなり、場に静寂が訪れる。
世界がまるで、自分だけになったような感覚になる。
正確には、火の音だけが微かに響く、心地よい静寂。
まるでここが世界の中心と錯覚しそうなほど、深く静かな時間だった。
そして静寂の中心で俺は思う。
『俺、何やっているんだろう』と……
俺は冒険者だ。
自分で言うのもなんだが、超一流だ。
そんな俺が今、こうして故郷の田舎でスローライフを送っている。
その発端は、まだ俺が冒険者だった時の事。
ひょんなことからパーティメンバーと喧嘩した俺は、深く暗いダンジョンに置き去りにされた。
命からがら地上に戻ることが出来たが、その事でトラウマを発症、ダンジョンに潜れなくなった。
トラウマに苦しむ俺を見たクレアが、『一度冒険から離れた方が良い』と故郷に帰る事を勧めたのだ。
アドバイスに従い、故郷に戻ってきたのが去年の秋。
もうすぐ一年になる。
この田舎ならではののんびりした空気が良かったのか、トラウマはかなり改善した。
トラウマは癒され、いつしかもう一度冒険に出たいと思うようになった。
そのための準備もしたし、知り合いには旅に出る予定を伝えている。
だと言うのに……
「旅に出れねえ……」
田舎特有の『使えるものは親でも使え』精神により、鍛えている俺は引っ張りだこだった。
旅に出ようとする度に、引き留められ農作業を手伝わされる。
春は畑起こし、夏は雑草狩り、秋は収穫。
その合間に、村の外で魔物狩り。
常に大忙しだった。
準備は万端なのに、一向に旅に出る事が出来ない。
どうしてこうなった。
旅立ちの予定日から、もう半年だ。
俺はいったいいつになったら旅立てるんだ!
……いや、これは言い訳だ。
引き留めがあるのは事実だが、俺は本当は迷っているのだ。
ここでの生活を捨てていいのだろうかと……
ここでの生活は心地よい。
クレアとの穏やかな生活は、冒険者時代にはなかった平穏がある。
クレアのために最高の焼き芋を作るこの時間が愛おしい。
そして俺に向けて来る人々の優しい笑顔も……
この心地よさが、危険を冒してまで旅に出る判断を鈍らせているのだ。
俺は故郷の村が好きだ。
飛び出した俺を、なにも言わず暖かく迎えてくれた。
故郷を愛する、それゆえに思い切りがつかない。
俺はここにきて、人生の岐路に立たされていた。
「大変です、バン様!」
深刻な声と、クレアが息を切らせて走ってくる様子に、俺の頭はすぐさま戦闘態勢に入った。
魔法使いとして優秀なクレアが、慌てているのは非常事態が起こったに違いない。
もしや手に負えない程に凶悪な魔物が出たか!?
俺は最悪の可能性を想定しながら、クレアの言葉を待つ。
「村に来ている行商人と話したのですが、遠くの国にミカンなる果実があるそうです」
「え?」
俺は耳を疑った。
恐ろしい事態が起こったと思いきや、遠国のフルーツの話だと……?
平和なこの地に、凶悪なモンスターが出たということよりも不可解だ。
いったいクレアは何を言っているんだ。
「甘美で食べた物を虜にするという、魔法の果実……
その状態で、未だ完成には程遠いので『未完』と呼ばれているのだとか。
ぜひとも食べてみたいものです!」
「えっと、それが……?」
「一緒にいた村人たちとも話したんですが、この村でも是非とも栽培してみたいという話になりまして……
それで私たちに苗木を買い付けに行って欲しいと、今すぐに!」
「はあ!?」
俺は思わず叫ぶ。
「待て待て、話が急すぎる!」
「季節的にもう冬がやってきます。
そうなればこの村は雪に閉ざされ、出入りが出来なくなってしまいます。
その前に、今から商人の馬車に相乗りして、一緒に行って欲しいと」
「さすがに勝手すぎるだろ!
俺の都合を聞けよ!」
「『冒険に出たがっていたから丁度いい』とも言ってましたよ。
それに『不器用だから冬の内作は役立たずだから』とも」
「ふざけんな!」
不器用なのは事実だが、そこまで言われる理由はないぞ。
マジで役立たずだが、文句を言われるほどじゃない、多分。
「バン様、早く行きましょう。
旅の準備は出来てますよね?」
「だが焼き芋が……」
「それはあとで村の人が食べると言ってました」
「なんでだよ!」
「早く!
馬車が待ってます!」
「ああ、くそ!」
こうして俺たちは旅に出ることになった。
あらかじめ準備してあった装備一式を持ち、家族との別れの挨拶もそこそこに家を出た。
俺たちの慌しく出ていく様子に、家族は苦笑いしていた。
あれほど思い悩んでいた旅立ちが、まさか、ミカンの苗の買い付けという、馬鹿げたきっかけで始まるとは……
『人生何が起こるか分からない』とは言うが、さすがに予想外すぎる。
そして俺を『役立たず』と侮辱した奴らに文句を言えなかったのも心残りだ。
だが――
「村のために旅に出るのもいいもんだな」
愛する故郷のために、俺は旅に出る。
誇らしい気持ちを胸に、俺はクレアと共に馬車に乗り込むのだった。
93.『誰か』『今日だけ許して』『moonlight』
「すいません、沙都子様。
どうにか許してもらえないでしょうか……」
私は誠意を示すため、人生で何度目か分からない土下座をする。
だが友人である沙都子は、なにも言わずただ私を見下ろすだけだった。
「いえ、別にすべてを許せという訳ではありません。
どうか、今日だけ……
今日だけ許してくれませんか……」
土下座しながら、私は視界の隅でそっと沙都子の様子を伺う。
しかし沙都子は、土下座する前からの無表情を崩さず、私を睨んだままだった。
まるで親の仇でも見るかのような目線を向ける沙都子に、思わず反論したくなるがそれは出来ない。
なぜなら沙都子の手には、私の命より大切なスマホが握られているからだ。
スマホが敵の手に渡っている以上、私には服従という選択しかない。
どうしてこうなってしまったのか……
それは10分前に遡る。
◇
学校が終わった後、私は沙都子の家に遊びに来ていた。
沙都子の家はお金持ちなので、最新ゲーム機が一通りそろっている。
私はそれを目当てに連日通っていた。
『今日は用事があるからダメ』と言われているものの、私のゲーム熱は留まることを知らない。
だが持ち主不在でもゲームは出来るだろうと、ここまでやって来たのだ。
顔見知りの門番に会釈してから玄関から入り、まっすぐ沙都子の部屋へと向かう。
勝手知ったる他人の家とでも言おうか、大きな屋敷も案内無しで歩けるのだ。
新作ゲームに胸を躍らせながら歩いていると、途中で奇妙な物音が聞こえた。
「誰かいるの?」
物音の方向に呼びかけるも、何も返事がない。
気のせいかと思って歩き出すも、再び物音がする。
好奇心を刺激された私は、新作ゲームを後回しにして物音のする方向へと歩いて行く。
断続的に聞こえてくる物音を辿っていくと、どうやら衣裳部屋から音がするようだった。
この衣装部屋は、デザイナー志望の沙都子が自作した服が大量に置いてある。
服のためだけに部屋があるなんて、さすが金持ちとしか言いようがないが、正直ここにはいい思い出が無い。
沙都子が何かと服を着せようとしてくるからだ。
かといって私は物音の正体を確認せずに帰る事も出来ない。
泥棒がいたら大変だからだ。
『服を全部盗んで欲しい』と思わなくもないけど、それはそうとして犯罪を見過ごすわけにはいかない。
ゲームをさせてもらっている身分なので、それくらいの義理はある。
でも捕まえるまではしない。
さすがにそこまでの義理は無いよ。
ともかく私は中にいる人間に気づかれないよう、こっそりドアを開けて中を盗み見る。
服と服の間でごそごそと何かやっている影があった。
犯人の顔を確認しようと目を凝らす
そこで私が見た物とは――
――泥棒。
――ではなかった。
衣装部屋にいたのは部屋の主である沙都子だった。
沙都子はmoonlightな服に身を包み、美少女戦士の格好をしている。
身をよじったり、背筋を伸ばしたり、服の着心地を確かめているようだった。
用事があるとは聞いていたが、まさかこんな事をしているとは……
コスプレの趣味があるなんて、まったく思いもよらなかった。
それなりに付き合いの深い私に内緒にしているなんて、よっぽど秘密にしたかったようだ。
そう思った私は『趣味の時間を邪魔してはいけない』と思い、音もなくポケットの中のスマホを取り出す。
そしてカメラアプリを起動し、沙都子の勇姿を画像に残す。
しかし――
「そこにいるのは誰!?」
消し忘れたシャッター音で、沙都子に気づかれる。
私は慌てて逃げようとするが、態勢を崩して転倒。
転んだ勢いで、スマホが沙都子の足元まで滑っていく。
「何をしていたのかしらね……」
スマホを拾い上げて、沙都子は中身を確認する。
そして見る見る赤くなる沙都子を見て、私は本能的に危険を感じた。
「遺言を聞いてあげるわ」
今まで聞いたことの無いような、地の底から響くような声。
私のか弱い精神は縮み上がり、自然と土下座体勢へと移行したのであった。
◇
「なんでも!
何でもしますので、どうかスマホだけはご勘弁を!」
「ふーん、何でもねえ……」
無表情だった沙都子の顔が、みるみるうちに邪悪に染まっていく。
その顔はまるで、出来るだけ苦痛を与えんとする地獄の鬼のものであった。
私は心底震えながらも、スマホより大切なものはないと言い聞かせて耐える。
「この服を着ている理由を教えてあげよっか?」
一転してフレンドリーな空気を醸し出す沙都子。
だが油断してはいけない。
これはとんでもない要求の前触れなのだ。
「服を作る練習しているのは知っているわよね?
あなたに着せている以外にも作っているんだけど、最近スランプ気味でね。
気分を変えるためにサブカル系にも手を出しているんだけど、やっぱり着ないと服の価値は分からないわよね、って思って……」
「なるほど」
「本当は着たくないのよ。
いえ、サブカルを馬鹿にしているわけではないわ。
ただ自分で着ると、客観視しづらいのよ」
「はあ」
「そこで提案。
あなた、他のサブカル系の服を着てみない?
きっと似合うわ」
今まで度々着せられてきたが、アニメやゲームの衣装は初めてだ。
過去に着せられた服は、フリフリは多いが普通の服だった。
しかしサブカル系となれば話は違う。
作品によって露出の多いものや、品性を疑うものがある。
中にはとんでもないキワモノが出てくることもある。
ゲームが好きだからこそ分かるだけに、絶対に着たくなかった。
断る口実を考えるが、その前に沙都子が言い放つ。
「スマホ、どうなってもいいのかしら?」
「くっ!」
なんてことだ。
まさか人質もとい物質を取られるとは……
「……喜んで着させていただきます」
「あら素敵。
けっこう際どい服も多いから、無理矢理着せるのは避けていたんだけど……
そこまで言うなら是非とも着て欲しいわ」
やっぱりかよ。
私は内心愚痴りつつ、沙都子の沙汰を待つ。
『私の心配のし過ぎでありますように』と祈る私に、沙都子はとびっきりのキワモノ――ではなく、可愛らしいゴスロリの服を持って来た。
「なんだ意外と普通じゃないか」
『沙都子も意地悪だよね』。
そう言おうとして顔を上げたが、沙都子の邪悪な笑みが消えていないことに気づいた。
「その次はこれ。
アナタにとっては普通でしょ?」
「すいません、沙都子様。
さすがにそれは服ではないのでは?」
ゴスロリを持っている反対の手に持っているのは『紐』。
もはや水着と呼んでいいのかも分からない、紐だけで構成された代物、『紐ビキニ』だった。
たしかにそれを着ているキャラは稀にいる。
だがそれは間違っても服じゃない。
なんでそんなの作ったんだ。
「迷走していたことは認めるわ」
心を読んだのか、ポツリと呟く沙都子。
「ともかくこれを着てもらうわ。
こればっかりは、さすがに恥ずかし過ぎて、自分じゃ着られないもの」
「だからって他人に着せないで!
ていうか、スマホは諦めるので許してください!」
「女に二言は無い!
とっとと着替えろ!」
それからも次々と感性を疑う服を着せられて、逆に沙都子のスマホに私の写真が撮られまくる。
屈辱に顔を歪める私に満足したのかか、沙都子は終始ヒマワリのような笑顔だった。
そして撮影会が終わり、ようやくスマホを返却された私に、沙都子は追い打ちをかけるように告げる。
「この写真、撒かれたくなかったら次もよろしくね」
鬼か。