94.『燃える葉』『静寂の中心で』『愛する、それ故に』
「これでよし、と。
火をつけるぞ」
焼き芋のために集めた落ち葉の山に、出力を限界まで絞った炎魔法を放つ。
葉の先がチリチリと音を立てて焦げ、やがて小さな炎が上がる。
それを見た妻のクレアは、感心したように声を上げた。
「器用ですね」
「剣士の俺がおかしいか?」
「いえ、そうではなく。
大きな火の玉を作るのは得意でも、そこまで小さな火を出せる魔法使いはなかなかいない、という意味です」
「田舎の人間はこのくらい出来るよ。
魔道具なんて便利な物は無いからな。
自分でやるしかないんだ」
「うーむ、ところ変われば必要とされる魔法も違うんですね」
と、国中でも指折りの魔法使いである彼女は呟く。
彼女を始めとした魔法使いにとって、魔法とは魔物を屠るためのモノ。
それを、こうした生活の一部として使うのは斬新なんだろう。
「そういえば俺がまだパーティを組んでいた頃、焚火の点火は俺の役目だったな。
魔法使いは魔力の温存とか言って頑なに拒否していたが……」
かつてクレアとは違うメンバーで冒険をしていた頃の思い出が蘇る。
なにかと言い訳するので当時から怪しいと思っていたが、そうか、あの魔法使いは小さな火を出せなかったのか……
あの時は『いい加減な奴』と思っていたが、真実を知った今はなんだか妙におかしい
「ところでバン様、もう火が消えてしまいますよ。
サツマイモは焼かないのですか?」
「火が強すぎると芋が焦げるんだ。
だから火が弱くなって、赤熱しているくらいがちょうどいいんだ。
と、そろそろだな」
燃える葉が灰になり、赤く光るだけの状態――熾火(おきび)になった事を確認して、俺はサツマイモを投入する。
これでイモは焦げることなく甘く仕上がるはずだ。
「それにしても、ここまでやる必要あります?
焼き芋作るだけなら、魔法を使えば数分ですよ」
「ウマい焼き芋が食べたいと言ったのはお前だろ?」
「確かに言いましたが……」
「こっちの方がウマいんだよ。
食べ比べたことがあるから間違いない」
「ちなみに、あとどれくらいかかりますか?」
「1時間くらいだな」
「魔法なら5分なのに……」
クレアはソワソワし始める。
「他に用事があるのか?
火は俺が見ておくから、そっちに行ってもいいぞ」
「ではお言葉に甘えて。
申し訳ありませんが、用事を済ませたら戻りますね」
と言ってクレアは去っていった。
そうしてクレアがいなくなり、場に静寂が訪れる。
世界がまるで、自分だけになったような感覚になる。
正確には、火の音だけが微かに響く、心地よい静寂。
まるでここが世界の中心と錯覚しそうなほど、深く静かな時間だった。
そして静寂の中心で俺は思う。
『俺、何やっているんだろう』と……
俺は冒険者だ。
自分で言うのもなんだが、超一流だ。
そんな俺が今、こうして故郷の田舎でスローライフを送っている。
その発端は、まだ俺が冒険者だった時の事。
ひょんなことからパーティメンバーと喧嘩した俺は、深く暗いダンジョンに置き去りにされた。
命からがら地上に戻ることが出来たが、その事でトラウマを発症、ダンジョンに潜れなくなった。
トラウマに苦しむ俺を見たクレアが、『一度冒険から離れた方が良い』と故郷に帰る事を勧めたのだ。
アドバイスに従い、故郷に戻ってきたのが去年の秋。
もうすぐ一年になる。
この田舎ならではののんびりした空気が良かったのか、トラウマはかなり改善した。
トラウマは癒され、いつしかもう一度冒険に出たいと思うようになった。
そのための準備もしたし、知り合いには旅に出る予定を伝えている。
だと言うのに……
「旅に出れねえ……」
田舎特有の『使えるものは親でも使え』精神により、鍛えている俺は引っ張りだこだった。
旅に出ようとする度に、引き留められ農作業を手伝わされる。
春は畑起こし、夏は雑草狩り、秋は収穫。
その合間に、村の外で魔物狩り。
常に大忙しだった。
準備は万端なのに、一向に旅に出る事が出来ない。
どうしてこうなった。
旅立ちの予定日から、もう半年だ。
俺はいったいいつになったら旅立てるんだ!
……いや、これは言い訳だ。
引き留めがあるのは事実だが、俺は本当は迷っているのだ。
ここでの生活を捨てていいのだろうかと……
ここでの生活は心地よい。
クレアとの穏やかな生活は、冒険者時代にはなかった平穏がある。
クレアのために最高の焼き芋を作るこの時間が愛おしい。
そして俺に向けて来る人々の優しい笑顔も……
この心地よさが、危険を冒してまで旅に出る判断を鈍らせているのだ。
俺は故郷の村が好きだ。
飛び出した俺を、なにも言わず暖かく迎えてくれた。
故郷を愛する、それゆえに思い切りがつかない。
俺はここにきて、人生の岐路に立たされていた。
「大変です、バン様!」
深刻な声と、クレアが息を切らせて走ってくる様子に、俺の頭はすぐさま戦闘態勢に入った。
魔法使いとして優秀なクレアが、慌てているのは非常事態が起こったに違いない。
もしや手に負えない程に凶悪な魔物が出たか!?
俺は最悪の可能性を想定しながら、クレアの言葉を待つ。
「村に来ている行商人と話したのですが、遠くの国にミカンなる果実があるそうです」
「え?」
俺は耳を疑った。
恐ろしい事態が起こったと思いきや、遠国のフルーツの話だと……?
平和なこの地に、凶悪なモンスターが出たということよりも不可解だ。
いったいクレアは何を言っているんだ。
「甘美で食べた物を虜にするという、魔法の果実……
その状態で、未だ完成には程遠いので『未完』と呼ばれているのだとか。
ぜひとも食べてみたいものです!」
「えっと、それが……?」
「一緒にいた村人たちとも話したんですが、この村でも是非とも栽培してみたいという話になりまして……
それで私たちに苗木を買い付けに行って欲しいと、今すぐに!」
「はあ!?」
俺は思わず叫ぶ。
「待て待て、話が急すぎる!」
「季節的にもう冬がやってきます。
そうなればこの村は雪に閉ざされ、出入りが出来なくなってしまいます。
その前に、今から商人の馬車に相乗りして、一緒に行って欲しいと」
「さすがに勝手すぎるだろ!
俺の都合を聞けよ!」
「『冒険に出たがっていたから丁度いい』とも言ってましたよ。
それに『不器用だから冬の内作は役立たずだから』とも」
「ふざけんな!」
不器用なのは事実だが、そこまで言われる理由はないぞ。
マジで役立たずだが、文句を言われるほどじゃない、多分。
「バン様、早く行きましょう。
旅の準備は出来てますよね?」
「だが焼き芋が……」
「それはあとで村の人が食べると言ってました」
「なんでだよ!」
「早く!
馬車が待ってます!」
「ああ、くそ!」
こうして俺たちは旅に出ることになった。
あらかじめ準備してあった装備一式を持ち、家族との別れの挨拶もそこそこに家を出た。
俺たちの慌しく出ていく様子に、家族は苦笑いしていた。
あれほど思い悩んでいた旅立ちが、まさか、ミカンの苗の買い付けという、馬鹿げたきっかけで始まるとは……
『人生何が起こるか分からない』とは言うが、さすがに予想外すぎる。
そして俺を『役立たず』と侮辱した奴らに文句を言えなかったのも心残りだ。
だが――
「村のために旅に出るのもいいもんだな」
愛する故郷のために、俺は旅に出る。
誇らしい気持ちを胸に、俺はクレアと共に馬車に乗り込むのだった。
10/12/2025, 10:08:00 AM