93.『誰か』『今日だけ許して』『moonlight』
「すいません、沙都子様。
どうにか許してもらえないでしょうか……」
私は誠意を示すため、人生で何度目か分からない土下座をする。
だが友人である沙都子は、なにも言わずただ私を見下ろすだけだった。
「いえ、別にすべてを許せという訳ではありません。
どうか、今日だけ……
今日だけ許してくれませんか……」
土下座しながら、私は視界の隅でそっと沙都子の様子を伺う。
しかし沙都子は、土下座する前からの無表情を崩さず、私を睨んだままだった。
まるで親の仇でも見るかのような目線を向ける沙都子に、思わず反論したくなるがそれは出来ない。
なぜなら沙都子の手には、私の命より大切なスマホが握られているからだ。
スマホが敵の手に渡っている以上、私には服従という選択しかない。
どうしてこうなってしまったのか……
それは10分前に遡る。
◇
学校が終わった後、私は沙都子の家に遊びに来ていた。
沙都子の家はお金持ちなので、最新ゲーム機が一通りそろっている。
私はそれを目当てに連日通っていた。
『今日は用事があるからダメ』と言われているものの、私のゲーム熱は留まることを知らない。
だが持ち主不在でもゲームは出来るだろうと、ここまでやって来たのだ。
顔見知りの門番に会釈してから玄関から入り、まっすぐ沙都子の部屋へと向かう。
勝手知ったる他人の家とでも言おうか、大きな屋敷も案内無しで歩けるのだ。
新作ゲームに胸を躍らせながら歩いていると、途中で奇妙な物音が聞こえた。
「誰かいるの?」
物音の方向に呼びかけるも、何も返事がない。
気のせいかと思って歩き出すも、再び物音がする。
好奇心を刺激された私は、新作ゲームを後回しにして物音のする方向へと歩いて行く。
断続的に聞こえてくる物音を辿っていくと、どうやら衣裳部屋から音がするようだった。
この衣装部屋は、デザイナー志望の沙都子が自作した服が大量に置いてある。
服のためだけに部屋があるなんて、さすが金持ちとしか言いようがないが、正直ここにはいい思い出が無い。
沙都子が何かと服を着せようとしてくるからだ。
かといって私は物音の正体を確認せずに帰る事も出来ない。
泥棒がいたら大変だからだ。
『服を全部盗んで欲しい』と思わなくもないけど、それはそうとして犯罪を見過ごすわけにはいかない。
ゲームをさせてもらっている身分なので、それくらいの義理はある。
でも捕まえるまではしない。
さすがにそこまでの義理は無いよ。
ともかく私は中にいる人間に気づかれないよう、こっそりドアを開けて中を盗み見る。
服と服の間でごそごそと何かやっている影があった。
犯人の顔を確認しようと目を凝らす
そこで私が見た物とは――
――泥棒。
――ではなかった。
衣装部屋にいたのは部屋の主である沙都子だった。
沙都子はmoonlightな服に身を包み、美少女戦士の格好をしている。
身をよじったり、背筋を伸ばしたり、服の着心地を確かめているようだった。
用事があるとは聞いていたが、まさかこんな事をしているとは……
コスプレの趣味があるなんて、まったく思いもよらなかった。
それなりに付き合いの深い私に内緒にしているなんて、よっぽど秘密にしたかったようだ。
そう思った私は『趣味の時間を邪魔してはいけない』と思い、音もなくポケットの中のスマホを取り出す。
そしてカメラアプリを起動し、沙都子の勇姿を画像に残す。
しかし――
「そこにいるのは誰!?」
消し忘れたシャッター音で、沙都子に気づかれる。
私は慌てて逃げようとするが、態勢を崩して転倒。
転んだ勢いで、スマホが沙都子の足元まで滑っていく。
「何をしていたのかしらね……」
スマホを拾い上げて、沙都子は中身を確認する。
そして見る見る赤くなる沙都子を見て、私は本能的に危険を感じた。
「遺言を聞いてあげるわ」
今まで聞いたことの無いような、地の底から響くような声。
私のか弱い精神は縮み上がり、自然と土下座体勢へと移行したのであった。
◇
「なんでも!
何でもしますので、どうかスマホだけはご勘弁を!」
「ふーん、何でもねえ……」
無表情だった沙都子の顔が、みるみるうちに邪悪に染まっていく。
その顔はまるで、出来るだけ苦痛を与えんとする地獄の鬼のものであった。
私は心底震えながらも、スマホより大切なものはないと言い聞かせて耐える。
「この服を着ている理由を教えてあげよっか?」
一転してフレンドリーな空気を醸し出す沙都子。
だが油断してはいけない。
これはとんでもない要求の前触れなのだ。
「服を作る練習しているのは知っているわよね?
あなたに着せている以外にも作っているんだけど、最近スランプ気味でね。
気分を変えるためにサブカル系にも手を出しているんだけど、やっぱり着ないと服の価値は分からないわよね、って思って……」
「なるほど」
「本当は着たくないのよ。
いえ、サブカルを馬鹿にしているわけではないわ。
ただ自分で着ると、客観視しづらいのよ」
「はあ」
「そこで提案。
あなた、他のサブカル系の服を着てみない?
きっと似合うわ」
今まで度々着せられてきたが、アニメやゲームの衣装は初めてだ。
過去に着せられた服は、フリフリは多いが普通の服だった。
しかしサブカル系となれば話は違う。
作品によって露出の多いものや、品性を疑うものがある。
中にはとんでもないキワモノが出てくることもある。
ゲームが好きだからこそ分かるだけに、絶対に着たくなかった。
断る口実を考えるが、その前に沙都子が言い放つ。
「スマホ、どうなってもいいのかしら?」
「くっ!」
なんてことだ。
まさか人質もとい物質を取られるとは……
「……喜んで着させていただきます」
「あら素敵。
けっこう際どい服も多いから、無理矢理着せるのは避けていたんだけど……
そこまで言うなら是非とも着て欲しいわ」
やっぱりかよ。
私は内心愚痴りつつ、沙都子の沙汰を待つ。
『私の心配のし過ぎでありますように』と祈る私に、沙都子はとびっきりのキワモノ――ではなく、可愛らしいゴスロリの服を持って来た。
「なんだ意外と普通じゃないか」
『沙都子も意地悪だよね』。
そう言おうとして顔を上げたが、沙都子の邪悪な笑みが消えていないことに気づいた。
「その次はこれ。
アナタにとっては普通でしょ?」
「すいません、沙都子様。
さすがにそれは服ではないのでは?」
ゴスロリを持っている反対の手に持っているのは『紐』。
もはや水着と呼んでいいのかも分からない、紐だけで構成された代物、『紐ビキニ』だった。
たしかにそれを着ているキャラは稀にいる。
だがそれは間違っても服じゃない。
なんでそんなの作ったんだ。
「迷走していたことは認めるわ」
心を読んだのか、ポツリと呟く沙都子。
「ともかくこれを着てもらうわ。
こればっかりは、さすがに恥ずかし過ぎて、自分じゃ着られないもの」
「だからって他人に着せないで!
ていうか、スマホは諦めるので許してください!」
「女に二言は無い!
とっとと着替えろ!」
それからも次々と感性を疑う服を着せられて、逆に沙都子のスマホに私の写真が撮られまくる。
屈辱に顔を歪める私に満足したのかか、沙都子は終始ヒマワリのような笑顔だった。
そして撮影会が終わり、ようやくスマホを返却された私に、沙都子は追い打ちをかけるように告げる。
「この写真、撒かれたくなかったら次もよろしくね」
鬼か。
10/11/2025, 4:41:09 AM