愛から恋を引いたら何が残るのだろう――
僕は、離れた場所で黙々と洗濯物を畳む、お手伝いアンドロイド『アリス』を眺めていた。
僕にとって、アリスはどんな存在なのか。
この頃よく考えるようになった……
アリスは、小さい頃に親に買ってもらった最新型アンドロイドだ。
ショーケースに展示されているのを見て一目ぼれ。
寝ても覚めても彼女の事ばかり考えるようになり、それはたぶん恋だったと思う。
心を奪われたアンドロイドをなんとか手に入れようと、小さい僕が親にあらゆる手でねだった。
だがアンドロイドが一般に普及したとはいえ、まだまだ高級品。
親は頑なに拒否していたのだけど、普段ワガママを言わない僕のお願いという事で、最終的に買って貰うことが出来た。
僕は家にやって来たアンドロイドに『アリス』と名付け、とても可愛がった。
家事をするのが彼女の仕事だと言うのに、彼女の気を引こうと仕事を奪ったりもした。
当時も星が好きだったので、夜はよく星空を見に連れ出した。
アリスの方も、僕の子守を仕事の一つとして認識していたのか、いつも笑顔で対応してくれた。
片時も離れない僕たちの様子に、家族は目尻を下げて『まるで新婚さんだ』と笑った。
けれどそれは、子供の頃の話。
家族に迎えた時は見上げるほど大きかった彼女も、今では僕の方が高い。
用が無くても話しかけていた昔も、今は最低限の会話だけ。
あの頃抱いた恋心はもうどこにもなく、アリスに特別な感情は抱かなくなっていた。
とはいえ、情が無いのかと言われればそれも違う。
骨董品と揶揄されるほど古くなったアリスも、我が家ではまだまだ現役。
機械である彼女に『尽くす』という概念があるかは分からないが、今でも勤勉に働いてくれている。
古いので不具合も多いが、基本的に自分で治したし、定期的にメンテナンスにも出している。
なんだかんだいって、僕はアリスに愛着があった。
だが僕も分別のある大人。
大学進学を機に家を出るとき、いい機会だからとアリスを実家に置いて出ようとした。
だがアリスは、『坊ちゃんのお世話は、最優先事項です』と宣言し、当然の様についてきた。
最初は『全部一人でやる、そこで見ていろ』と突っぱねたのだが、悲しいかな初めての一人暮らし。
不摂生な生活を送り部屋をゴミだらけにするなどの事件を起こし、生活能力の無さを露呈させて、アリスの介入を許してしまった。
今では家事は、完全にアリスの仕事である。
まるで押しかけ女房のようだが、やはりアリスには特別な感情はない。
感謝の気持ちはあれど、恋心はどこにもない。
では僕が彼女に抱いている感情は何だろう?
『愛−恋=?』、難しい問題だ。
人生の難題に頭を悩ませていると、アリスが急にこちらを向いた。
「そういえば、坊っちゃん。
大学のレポートはよろしいのですか?
締め切りが近いとお聞きしましたが」
「あっ、やべ」
アリスの言葉で思い出し、僕は慌てて机の前に座る。
僕は教授から課題を出されていた。
それは星の地図――星図を書くこと。
今どき珍しい手書きで、である。
最近で全てコンピューターがやってくれるのだが、だからこそ一度は手書きをすべきとの教授は信じていた。
『これを出さないと進級させない』と教授が念押しするほど、重大なレポート。
落とすわけにはいかないので、気合を入れて書いていたのだが……
「星図がない……」
机の上にあるはずの書きかけの星図。
それがどこにもない。
アナログゆえに手間がかかっており、今から一から作っていては締め切りまで間に合わない。
だが机の上を探し回るがどこにもない。
消えた星図を見つけなければ、留年確定!
どうしよう、親にどやされる!
努力が無に帰したことに絶望していると、アリスが後ろから声をかけてきた。
「坊っちゃん、ノートパソコンの下は見ましたか?」
「そう言えば!」
ノートパソコンを持ち上げるとそこには書きかけの星図が!
やった、これで留年は回避!
「おお、アリスはよく分かったな」
「坊ちゃんの事なら何でも分かりますよ」
「おかんか」
「小さい頃から見ていますからね。
ところで喉が渇きませんか?」
「確かに安心したら喉が渇いたな……」
「ではお茶をお淹れしてまいりいますね」
そう言ってアリスは立ち上がり、台所まで歩いていく。
アリスは手慣れた動作でお茶を沸かして戻ってくると、僕の前に置いた。
――砂時計と一緒に。
「なんで砂時計?」
「坊ちゃんはすぐにサボりますからね。
この砂時計の砂が落ちたらレポートの続きを書いてください」
「そんなに信用ないか?
そんなもの無くても終わらせるよ」
「そう言って前回のレポートは落としましたよね」
「申し訳ありません」
「なので今回から鬼になることしました。
レポートを書ききるまで見張ってますから、覚悟してください」
「おかんか」
僕は砂時計の音を聞きながら、お茶を飲む。
こうしていると、子供の頃一緒にいたことを思い出す。
あの時と違ってもう恋心はないけれど、アリスといる時間は心地よい。
なんだかんだ言いながらも、僕はアリスの事を大切な家族として大切に思っていた。
愛から恋を引いたら何が残るのか――
未だに答えは出てない。
けれどその先にあるのは、きっと『温かいもの』だ。
10/22/2025, 12:57:21 AM