G14(3日に一度更新)

Open App
8/24/2025, 2:40:44 AM

77.『遠くの空へ』『足音』『終わらない夏』



「終わらない夏、か……」
 俺はベンチからグラウンドを見て呟く。
 視線の先では、我がチームの四番バッターが豪快に空振りをしていた。
 何回目かも分からない見慣れた光景に、俺は深くため息をついた。

 ウチの野球部は弱い。
 県内、いや日本で一番弱いと言っても過言じゃない。
 それほどの弱さなので、公式戦では一度も勝った事は無い。
 練習試合も『手ごたえが無さすぎる』と組んですらもらえない始末。
 そんな経緯もあって、俺たちは誰からも期待されず、俺たち自身ですら負けるのが当然だと思っていた。

 そんな俺たちでも、どうしても負けられない戦いというものがある。
 夏の甲子園だ。

 高校生球児にとって、甲子園は特別だ。
 誰もがその場所に憧れ、死に物狂いでそこを目指す。
 優勝しても、特別な何かが貰えるわけじゃない。
 けれど、甲子園には俺たちを振るい立たせる『何か』がある。
 その何かを手に入れるため、負け犬の俺たちも気合を入れて試合に臨むのだが……

「ストラーーーイク、バッターアウト!」
 案の定と言うべきか、予想通りと言うべきか。
 一回戦にして、誰一人としてヒットを打つことが出来ない。
 相手は特別良いチームという訳ではないのだが、俺たちではまったく手も足も出なかった。
 ウチが弱すぎるのだ。

「ゲーームセット!」
 そして審判がコールする無慈悲な宣告。
 俺たちの敗北が決定づけられた瞬間だった。

「夏が終わった」
 チームメイトが口々に言う。
 みんな泣いていた。
 当然だ。
 あれほど練習に打ち込んだのに、手も足も出なかったからだ……

 だが俺は違う。
 泣けなかった。
 泣くほど努力してないということではない。
 これで終わりじゃないことを知っているからだ。

 俺は泣きじゃくるチームメイトをよそに、ゆっくりと目を閉じる。
 一呼吸した後、目を開ける。
 そこに悲痛な顔をしたチームメイトはいなかった。
 いるのは、勝利をもぎ取ろうと気迫をみなぎらせる漢たちであった。

 一体何が起こっているのか……
 最初は何も分からなかったが、今ならわかる。
 どうやら負けるたびに、試合前に戻るらしい。
 俺は過去にタイムループしているのだ!

 なぜこんな不可思議な事が起こるのか?
 俺は能力者ではないが、心当たりが一つだけある。

 昨日の事だ。
 俺は近所の神社に行ってお祈りをした。
 もちろん勝利祈願。
 今年こそは一回くらい勝ちたいと、必死にお願いしたのである。

 神頼みでも他力本願でもいい。
 どうしても勝ちたかった。
 俺は悔しかったのだ、自慢のチームメイトがバカにされるのが。
 俺は人生で一番熱心に祈ったし、賽銭も奮発してお年玉を投入した。

 しかし結果はご覧の通り。
 あっさり負けた。

 だが神様は見ていたらしい。
 こうして俺を過去へと戻し、もう一度チャンスをくれたのである。

 最初は喜んだ。
 しかしまた負けた。
 細部こそ違えど完敗であった。

 でもまた試合前に戻った。
 どうやら勝つまで面倒を見てくれるらしい。
 神に感謝しつつ、試合に臨んだ。



 また負けた。

 そこで俺は、ある不安を抱いた。
 『これ、ひょっとして無限ループじゃね?』と……

 何回繰り返したところで、チームの弱さは変わらない。
 繰り返している内に、俺がヒットを打てるほど上手くなったものの、それに何の意味があるだろう。
 野球は一人だけ上手くなっても意味が無い。
 俺が打って、皆が打って、そこで初めて得点になる。
 野球はチームプレイが重要なのだ。

 そして今回のループもヒットが出ることなく時間が過ぎていく。
 ウチのチームのヒットは俺だけ。
 相変わらず誰も打てなかった。

 そして迎える最終回。
 無得点のまま、俺の打席が来た。
 皆が俺の活躍に期待する中、俺はなんともいえない心持ちであった。

 確かに俺は打てる。
 同じ試合の繰り返しの中、何回も対戦したピッチャーだ。
 今なら目を瞑っても打てる。
 誇張でもなんでもなく、ただの事実だ。

 でもそれに何の意味があるだろう?
 俺が打ったところで何も変わらない。
 ヒットを出したところで、他の奴が打たないのだから。

 だがそれでも打つ。
 俺の奮闘を見た仲間が、奮い立ってくれるかもしれないからだ。
 一人は皆のために、皆は一人のために。
 俺は仲間たちのため、打席に立ってバットを振る。

 いい感触があった。
 力強く振り抜くと、小気味いい音を立てて球が飛んでいく。
 ピッチャーが見上げ、外野手が見上げ、。
 遠くの空へ消えていく白球。
 そして観客席へと落ちた瞬間、歓声が巻き起こった
 人生初のホームランだった

 自分の足音すら聞こえない歓声の中、俺はゆっくりとベースを回る。
 初めての経験に俺は少し恥ずかしく思いつつも胸を張る。
 そしてベンチで出迎えてくれたのは笑顔でいっぱいのチームメイトたち。
 この時だけは『繰り返し』のこと忘れ、仲間たちと喜びあった。

 そして俺は気づいた。
 俺たちが本当に望んていたのは、甲子園ではない。
 苦しい時に一緒に泣いて、楽しい時に喜び合える、大切な仲間たちだった。
 仲間さえいれば、どんな逆境も苦にならない。
 俺は最初から欲しい物を持っていたのだ。
 
 あとは俺たちが勝って、繰り返しから抜け出すだけ。
 チラとスコアボードを見る。
 スコアは1対20、9回裏ツーアウト。
 もちろん負けているのが俺たちだが、何も問題ない。

 なぜなら俺には頼れる仲間たちがいる。
 ホームランを20本ほど打てば、逆転勝ちだ!


 ……うん無理だな。
 いくら諦めない心が大切だからって、これはない。
 繰り返すまでもなく知っている。
 ウチのチームは最弱であると……

 グラウンドでは、三振するチームメイト。
 どうやら今回も負けらしい。
 短い夢だった。

「仲間を強くする方法を考えないとな……」
 俺の夏は、まだ終わりそうにない。

8/20/2025, 1:44:46 PM

「君が見た景色は忘れてください」
 目の前にいる男が、はっきりと断言する。
 衝撃的な発言に心底驚きつつも、僕は取り乱さないように言い返す。

「忘れてどうしろと?」
「気持ちは分かります。
 ですが忘れた方が身のためです」
「ありえません!
 忘れても何も変わりません!
 無意味です!」

 男のあまりの言い分に、僕は怒気を強めて言い返す。
 言い過ぎたかと思ったが、男は困ったような顔をして「そうですか」と呟くだけだった。
 男は逡巡した様子を見せた後、すぐに僕をまっすぐ見た。

「提案なのですが――」
 男はゆっくりと言葉を続ける。
「アナタのお話を聞かせてもらえませんか?
 もしかしたら、なにか糸口があるかも」
「構いませんよ」
 自分も少し熱くなっていたのかもしれない。
 僕は自分を落ち着けるためにも、目の前の男の提案に乗り、話をすることにした。

「事の発端は、仕事が終わって退勤したときのことです」


   🚃

「お疲れ様です」
 僕は帰る間際、まだ仕事を続けている同僚たちに向かって挨拶をしました。
 聞こえているはずだが返事はありません。
 けれど、僕は少しも気になりませんでした。
 皆仕事で忙しく余裕がなく、逆の立場だったら自分も返事をしないだろうからです。

 かと言って自分も余裕がありませんが、たまたま仕事に一区切りついたので帰る事にしました。
 もちろん、翌日出勤すれば仕事の山。
 ただの仕事の後回しですが、今日は家に帰りたい気分でした。

 ともかく会社を出て、駅へと向かいました。
 そして余裕を持って、終電に乗り込みます。
 最近は電車に乗れないことも多かったので、久しぶりの電車にちょっとだけワクワクしました。

 電車に乗った後、中を見渡すと周りはガラガラでした。
 これなら遠慮の必要はないと、好きな座席に座りました。
 あまり質のいいクッションではありませんでしたが、疲れている自分にとって最高のクッションでした。
 安心したのか強烈な眠気に襲われました。

「ちょっとだけ寝るか」
 どうせ、家に着くまで時間がある。
 そう思った僕は、目を瞑り眠ってしまいました。

 ですが、次に目を覚ました時には見知らぬ景色。
 体の芯から冷え、眠気が吹き飛びました。

「しまった、寝過ごした」
 パニックになった僕は慌てて電車から飛び出しました。
 するとそれを待っていたかのように電車のドアが閉まります。
 それを見て『飛び出す必要は無かったのでは?』と思いましたが後の祭り。
 電車は走り去ってしまいました。

 自分のバカさ加減に呆れましたが、済んだことは仕方ありません。
 それに、時間的にも反対車線に電車が来ることは無いでしょう。
 そう思った僕は、ホームへ向かいました。
 駅員に訳を話せば、なんらかの便宜を図ってくれるかもしれないからです。
 『最低でも毛布を貸してもらいたい、そうすれば待合室で夜を越せるから』、そう思ってました。

 しかしこの駅は無人駅のようでした。
 改札口に駅員がおらず、寂しい蛍光灯の灯りしかありません。
 これでは誰に助けを求めることは出来ません。
 がっかりしながら改札口を通った、まさにその時でした。

「おめでとうございます!」
 パパパァンと辺りにクラッカーが鳴り響きました。
 驚いて音の方を見ると、そこにはたくさんの人が!
 どうやら見えない位置にいたようで、たくさんの駅員たちがやってきました。

「おめでとうございます」「おめでとう」「素晴らしい」「感激した!」「言葉にならない」
 駅員たちは、拍手しながら思い思いの祝福の言葉を投げかけてきます。
 ですが僕には何のことか分かりません。
 慌てて騒ぐ駅員を宥めます

「ちょ、ちょっと待ってください
 なんなんですか!?
 いったいどういうことですか!?」
 僕が叫ぶと、駅員たちはバツが悪そうに頭を下げました。
「これは失礼しました。
 実は、お客様は駅開設から千人目の来訪者なのです。
 それを記念して、こうしてお出迎え致しました」

 それを聞いて、急に罪悪感が芽生えました。
 自分はこの土地に来ようと思って来たわけではありません。
 縁もゆかりもなく、ただ寝過ごしただけなのです。
 本来なら用事があってここに来る人が祝われるべきなのに。
 後ろめたい気持ちでいっぱいで、とても本当のことを言うことができませんでした。

 これ以上、この話題を続けると罪悪感で押しつぶされてしまう……
 そう思った僕は、話を逸らすことにしました。

「あの……
 ここで一晩泊まっても大丈夫ですか?
 時間を間違えて、こんな夜遅くに到着してしまったんです……」
「そういうことでしたら、そのあたりにある適当な空き家で寝て構いませんよ」
「不法侵入では?」
「大丈夫ですよ。
 誰のものでもないので、気に入ればそのまま使ってもらって構いません」
 駅員の言葉に引っかかりましたが、千人目だからといって家をもらうわけにはいきません。
 丁重にお断りすることにしました。
 
「流石にそれは……
 誰も住んでいないからって、家を乗っ取るような真似は出来ませんよ。
 それに朝一番で、帰らないといけませんし……」
「帰る?」

 『帰る』という言葉に反応し、駅員たちが急に険しい顔になりました。
 僕は豹変した彼らに恐怖を感じました。
 なにか、言ってはいけない事を言ってしまったようで、先ほどまでの友好的な雰囲気はどこにもありませんでした。

「お客様、ここがどこか知らずにやって来たんですか?」
 駅員は一歩、僕に詰め寄ります。
「あー、実を言うと寝過ごしてしまいまして……」
「そうですか……
 ですが残念なことに、帰ることはできません」
「し、仕事があるので!」
「残念ながら」「帰れませんよ」「帰れない」「二度と戻れない」「ずっとこのまま」「ずっとずっと」

 駅員たちは一歩、また一歩と詰め寄ってきます。
 僕は後ろへ下がりますが、その度に駅員は前へ出て僕を追い詰めます。
 しかしどこまでも逃げることはできません。
 僕は壁際まで追い詰められ、死を覚悟しました。

「帰れないんですよ」
 そう言いながら、駅員は手を伸ばして――



「帰ろうと思っても帰れないんです……
 可哀そうに……」
 僕の肩をポンと優しく叩きました。
「……ふぇ?」
 何が起こったか分からず、僕は変な声を上げてしまいました。
 駅員に説明を求める目線を送ると、駅員は静かに頷いて話し始めました。

「知らないようなのでお教えします。
 ここは『きさらぎ』駅。
 来たら最後、二度と帰ることができない魔境です」
「き、きさらぎ駅!?」
 驚きのあまり、叫んでしまいました。
 きさらぎ駅といえば、ネットでしばしば噂されるの伝説の駅。
 訪れた報告は多数あるが、帰れた話は皆無という最恐のホラースポット。
 まさか、ここがそうだなんて……

「じゃあ、ここにいる皆さんは……」
「はい、ここに来て帰れなくなった者たちです。
 もちろん帰る方法は探しましたが、見つけられませんでした」
「そんな……」
 僕はショックで何も言えませんでした。
 それを見て駅員は、優しく声をかけます。

「悪いことは言いません。
 今までの人生はお忘れください。
 しがみついても辛いだけですよ」
「そんな……
 そんなことって……」
 僕はその場で崩れ落ちたのでした……


   🚃

「それが今までのあらましです。
 この事からも分かるように、僕は来たくて来たわけじゃありません。
 絶対に帰らないといけないんですよ!
 ――って聞いてますか?」
 駅員がいつのまにか円陣を組んで、なにやらひそひそ話をしていた。
 聞きたいと言ったのはそっちなのにと憤っていると、円陣の中から一人の駅員が出てきた。

「一つ質問いいですか?
 さきほど電車に乗るのが久しぶりと言ってましたが、普段はタクシーを使って帰るという事ですか?」
 『なんでそんな事が気になるんだ?』
 そう思ったが、嘘をつく理由も無いので正直に言うことにした。
 
「安月給にそんな余裕はありませんよ。
 会社に泊まります」
 そう言うと駅員たちが再び円陣を組みざわめき始めた。

 「社内泊が常態化!?」「残業してるのに安月給!?」「最低時給はどうなってる?」「法律違反では?」「休日があるかどうかも怪しい」「おかしい事に気づいてない」「言葉にならないものがある……」「ホラーよりも怖い」
 駅員が思い思いの事を言い合っていた。
 どうしてそんなに盛り上がれるのか分からない。
 呆れて眺めていると、また円陣から一人の駅員が前に出た。

「お客様、ここに来て正解ですよ。
 ここは何もないところですが、ブラック企業もありませんので」
「だから!
 帰らないといけないと!
 何度言えば!」
「申し訳ありません。
 ですが話は明日にしましょう。
 一晩ゆっくり眠れば、落ち着いて考えられます」
「僕は最初から落ち着いている。
 寝ぼけてたりなんかしない!」
「まあまあまあ」

 駅員と言い争いをしていると、いつのまにか二人の別の駅員が両脇に立っていた。
 不思議に思っていると、突然駅員たちが僕の腕を掴んだ。
 
「では、一番いい家にご案内しますね。
 ゆっくりお休みください」
「離せ、僕は帰るんだ!」
「ではまた明日」
 そうして僕は空き部屋に詰め込まれ、眠れぬ夜を過ごすした。


 ――つもりだったが、疲れが出ていつの間にか寝ていた。
 そして目が覚めたらもうお昼。
 今から会社に出ても遅刻だ。
 どうしよう。

 その時僕は思った。

「もう一度寝よう」

 遅刻、残業、きさらぎ駅……
 色んなことが頭を駆け巡るが、もはやどうでもいい。
 考えなきゃいけない事でいっぱいだが、何も考えたくない。
 自分はもう限界だ。

「おやすみなさい」
 寝たところで何も解決しないけれど、寝なくても解決しない。
 だったら寝る事を選ぶ。
 どうせ何も変わらないのだから。

 僕は何もかもを投げ出して、夢の世界へと旅立つのであった。

8/17/2025, 9:52:26 AM

75.『やさしさなんて』『こぼれたアイスクリーム』『真夏の記憶』



 アイスクリームをこぼした。
 なけなしのお小遣いで買った、3段アイスクリーム。
 嬉しさの余り小躍りしたら、躓いて転んでしまったのだ。

 周囲の人が気の毒そうに見つめている。
 中には私を心から憐れむような顔をしている人も……
 けれど余計なお世話だ。
 優しさなんて、なんの役にも立たない。
 同情するなら金をくれ!

 私が慟哭していると、視界の端に見覚えのある姿が見えた。
 顔を上げれば、それいるのは友人の沙都子。
 両手にアイスクリームを持ち、私の前に立っている。

 もしかして、アイスクリームをくれる流れ?
 そうだよね、知らない仲じゃないもんね。
 それに沙都子の家はお金持ちだから、このくらい気楽に奢ってくれるだろう。
 やはり持つべきは親友、金持ちの親友である。
 だけ……

 ペロリ、と沙都子は、打ちひしがれている私の前で、アイスクリームを食べ始める。
 唖然とする私を見ながら、顔に愉悦を浮かべる沙都子……
 それを見た瞬間、私は怒りに支配された。

「キサマァ!」
 怒りに身を任せ、咄嗟に掴みかかる。
 けれど軽くあしらわれ、逆に私が体勢を崩して転んでしまった。

「クソッ、避けられ――うわっ」
 起き上がろうとすると、上からぐいと押さえつけられ身動きが取れない。
 驚いて顔を向けると、椅子に腰掛けるように私の上に沙都子が座っていた。

「私に座るな――」
「アイスクリーム欲しい?」
 押しのけようとした時、沙都子が耳でささやいてきた。
 沙都子の悪魔のような言葉に、私は動揺して動きが止まる。
 沙都子はその隙を見逃さず、すぐに畳み掛ける。

「そのまま私の椅子でいるなら、奢ってもいいわよ」
「……ふん、そんなので買収されない――」
「ダブル」
「……だから、無駄なことを――」
「トリプル、いえ4段でどう?」
「……」
「うーん、意外と意思は固いのね。
 私の負けよ」
「あ、当たり前だよ。
 私はそんなに安い女じゃ」
「好きなだけ頼んていいわ。
 全種類でも、満足するまで食べなさい」
「!?」

 なんという魅惑的な提案。
 思わず『椅子でもいいや』と思わせるとは、沙都子は悪魔どころか悪魔の王ではないだろうか。

 だけどアイスクリームが食べたいのも事実。
 私は二つの選択肢の間で大きく揺れていた。
 そして沙都子は、私の顔を覗きながら呟く。

「どうする?」
 そして私の出した答えは……


🍧

「あー、そんな事もあったわねぇ」
 数年前の真夏の記憶、それを話すと沙都子が感慨深そうに頷いた。

「私、たまに夢に見るよ。
 あの悪魔のような沙都子」
「失礼ね。
 貧しいものに恵みを与える、天使のような存在でだったでしょ?」
「それ言ってるの沙都子だけだよ。
 その場にいた人たちドン引きしてたもん」
「そうだったかしら……
 あの時のこと、あんまり覚えてないのよね。
 楽しかったのは覚えているんだけど」
「あんた、やっぱり悪魔だよ」
「ところで……」
 沙都子が、あの時と同じように私の顔を覗いて、言った。
「あの時、アナタはなんて答えたのかしら?」
 
 沙都子の問いに、私は上を向いて答えた。
「私はアナタの椅子です。
 アイスクリーム奢って下さい」

8/13/2025, 6:57:28 AM

『心の羅針盤』『夢じゃない』『風を感じて』


 吾輩は猫である。
 名はコジロウ。
 とある奇妙な縁でニンゲンのもとで厄介になっている。

 吾輩は元野良猫である。
 喧嘩に明け暮れ、狩りをして、する事無ければ昼寝する。
 そして飽きれば、風の向くまま気の向くまま、心の羅針盤が指し示す方向に旅をする。
 どこにでもいる普通の猫であった。

 しかし、旅先で地元猫の縄張り争いに巻き込まれ、足を負傷した。
 これでは狩りが出来ぬ。
 もはやこれまでかと覚悟していたところ、ニンゲンが現れ吾輩を家に連れ帰った。

 ニンゲンは実に献身的であった。
 暖かい寝床はあるし、美味しい飯も用意してくれる。
 時たまニンゲンがブラッシングしてくれるし、天敵のヘビやカラスに襲われる心配もない。
 まさに至れり尽くせりである。

 だからこそ、ふとした瞬間に考えてしまう。
 これは夢じゃないかと……

 もちろん一日中寝ている吾輩でも、夢と現実の区別をつけることは容易い。
 だが、自分にとって都合が良すぎて、現実感がないのも事実。
 地に足がついていないようで、どうにも落ち着かない。

 こうなってしまうと、昼寝をしてもいい夢を見る事は出来ない。
 そう思った吾輩は、気分を変えるため風に当たることにした。

 吾輩はニンゲンに催促し、ベランダに続くドアを開けてもらう。
 外に出た途端、不快な熱気が吾輩を襲うが、風が吹いているからか、そこまで不快ではない。
 特に涼しい場所を探し、風を感じながら考える。

 ……外の世界は過酷だ。
 弱い生き物は生きられない、残酷な世界。
 だが外の世界にいたときは、こんなことで悩むことはなかった。
 何もかもは無かったけれど、少なくとも現実感だけはあった。

 ……もしかして、答えは外の世界にある……?
 外には、温かい寝床も、美味しい飯も無い。
 けれど悩むこともないはずだ。
 
 視界を上げると、大きな木が見えた。
 丁度ベランダ近くに枝が伸びており、そこを伝っていけば下に降りられるだろう。

 これでお別れだ、ニンゲン。
 世話になったな。

 体を起こし大樹に飛び移ろうとした、まさにその時、家の中からニンゲンの声がした。

「コジロウ、チュールよ」
 チュール!
 吾輩は体を翻し、家の中へと走り込む。
 チュールこそ至高の食べ物。
 吾輩は、風のごとくニンゲンの駆け寄り、チュールを承る。

「コジロウ、がっつかなくても無くならないわよ」
 吾輩、これが食べられるなら夢でもいいや。

8/11/2025, 1:29:39 PM

73.『ただいま、夏』『泡になりたい』『またね』


 今年も夏がやってきた!
 この時をどれほど待ちわびただろうか
 待ちきれない思いで、胸が震える。

 去年も夏は来た。
 けれど、私には夏は来なかった。

 インフルエンザにかかったり、コロナになったり、しまいには二回目のインフルエンザ、散々だった。
 全く夏を楽しめず、家で寝ているだけの日々。
 『またね』と去っていく夏に、私はただ見送ることしか出来なかった……

 でも今年は違う。
 予防接種を受けて対策は万全。
 体調もすこぶる良しと絶好調だ。
 去年何もできなかった分、今年は思う存分遊び倒す!

 ただいま、夏。
 私が来たからには、退屈はさせないぜ。
 
 手始めに、私は近所の浜辺で美人コンテストに出ることにした。
 この厳しいご時世にも、堂々と開催しているコンテスト。
 それも、水着審査アリという気合の入れっぷりである。
 それゆえにいい意味でも悪い意味でも注目度が高く、賞金も桁違いの200万。
 ここで優勝すれば、私の夏はバラ色だ。

 だが油断はできない。
 賞金の額ゆえにライバルが多いのも理由だが、それ以上にこのコンテストはただ可愛い格好をすれば勝てると言うほど甘い物ではない。
 審査にはテーマが設けられているのである。
 このテーマに沿ってコーディネートしなければ、たとえ世界一の美人でも評価はされない。
 それほどまでに、このコンテストにおいてテーマは重要だった。

 今年のテーマは『人魚』。
 夏らしく、海を泳ぐ人魚のような姿を見せろという事なのだろう。
 センスの見せ所だ。

 気合を入れてコーディネートを考える時、私は酒を飲むことにしている。
 というのも、私は考え過ぎるきらいがあり、気合が入れば入るほど悩んでしまう。
 なので、酒を飲むことで思考をシンプルにして決めることにしている。

 もちろん、こんな大事な勝負を前に酒を飲むことに関しては抵抗がある。
 しかし、考えすぎて決められず出場が出来なくなる可能性を考えれば、酒の力を借りてさっさと決めてしまった方が絶対いい。
 私は冷蔵庫からビールを取り出し、飲み干していく。

 いい具合に酔って来たところで、衣装箱を開ける。
 中から出てきたのは、私の自慢の水着たち。
 去年は着ることが出来なかったが、今年は存分に活躍させられそうだ――

 と、眺めていると、ある水着が目についた。
 それは去年の夏の終わり、買った水着だ。

 その頃の私は、夏遊べなかった反動で酒を飲みながら通販サイトを眺めていた。
 夏に遊べなかった分うっぷん晴らしを。
 そう思ってパソコンにかじりついていた。

 色々な物を衝動買いしたけれど、その時買ったものの一つがこの水着。
 この水着を選んだ時の事はよく覚えている。
 そのデザインと柄に『まるで人魚みたい』と一目ぼれ。
 すぐにカゴに入れて購入した。

 それ以来、すっかり忘れてタンスの肥やしになっていたけれど、これならばコンテストを優勝できるに違いない。
 私はこうして、コンテストに着る水着を決めたのだった。

 🐟

 美人コンテスト当日。
 私は関係者全員の注目を集めていた。

 当然だ。
 これほど斬新で奇抜な水着なんてそうそうお目に掛かれないだろう。
 ここまで注目されるなら優勝間違いなし。
 このコンテスト、貰ったな。

 って思いたいんだけどな……
 私は一人ため息をつく。

 そりゃそうだ。
 私を恰好を見て、目を逸らせる奴なんていない。
 それほどまでに、私の水着は群を抜いて変わっていた。

 私は今、人魚だった。
 下半身が魚の、あの『人魚』。
 例えるなら『鯉のぼりの鯉に下半身を食われた人間』。
 明らかにネタグッズである……

 こんな面白人間、目を逸らせるわけがない。
 他の人間がやっていれば、私だって見てしまう。
 酒の勢いって恐ろしい

 出演者たちからも驚きを通り越して、恐怖の眼差しを向けられている。
 審査員たちも、信じられないのか何度も目をこすって私を見ている。
 確かに注目度は一番だけど、こんな形で注目されたかったわけじゃない。

 もちろん酔いが醒めた後、他の物にする事を考えた。
 けれど、案の定悩みすぎて決められず。
 結局この水着になったのである。

 ああ、私はなんで出場してしまったのだろう……
 恥ずかしさのあまり、顔から火が出そう。
 ヤケクソで出てきたが、やっぱりやめればよかった。
 泡になって消え去りたい、人魚だけに。

「優勝は、今年のテーマに完璧に応えた、下半身が人魚の女性です。
 おめでとうございます」
 嬉しくねえ。

Next