72.『8月、君に会いたい』『波にさらわれた手紙』『ぬるい炭酸と無口な君』
8月が家出した。
大人たちの重なる悪口が嫌になったらしい。
夏休みの直前に、8月が姿を消してしまったのだ。
暑いとか、猛暑だとか、体温だとか、水寄こせだとか……
8月は好きで暑くなったわけじゃないのに、たくさん悪口を言われて可哀想だった。
ボクならすぐ嫌になるのに、ずっと我慢していた8月は凄いと思う。
だから、みんなが悪く言っても、ボクは少しだけ同情していた。
でも大人たちは、『もう、暑い思いをしなくて済む!』『後は涼しくなるばかりだな』と大喜び。
だれも8月の心配をしていなかった。
けれど、ボクには8月が必要だ。
ボクだけじゃない、子供たち全員に8月が必要だ。
だって8月がいないと、夏休みが短くなってしまうから。
大人たちは自分の事ばかり考えてないで、もう少し子供たちの事を考えて欲しい。
遊園地や海、山でキャンプ。
おじいちゃんの家に行って、カブトムシも捕またい!
夏休みは、楽しいことでいっぱいだ。
でも大人達は8月が無くても、別に問題ないらしい。
大人を頼れない。
そう感じたボクたちは、子供たちだけで8月を探すことにした。
ボクは、リュックサックの中にコーラとパンを入れ、皆と一緒に8月を探す旅に出かけた。
📅
最初は学校の周りを探した。
けれど、暑い中コーラを飲みながら探したけど8月はどこにもいない。
疲れただけだった。
次の日、学校が休みだったのでバスに乗って隣町に行った。
でもいない。
念の為、もう一つ隣の町に行ったけど、やっぱりいない。
どこに行ったのだろう……?
こんなに探しても見つからないのは、8月が海外にいるかもしれない。
そう思ったボクたちは、8月に手紙を送ることにした。
海外は遠すぎて、バスじゃ行けないからだ。
でも8月のいる場所が分からない。
そこで考えたのがボトルメール。
これなら住所が分からなくても、8月に手紙が届くはず。
『8月、君に会いたい』。
その一文を書いて、ボトルを海に流す。
波にさらわれた手紙を見ながら、早く返事が来るといいなと思った。
けれど、どれだけ待っても8月から返事が来ることはなかった。
📅
あれから色んな場所を探したけど、8月はどこにもいなかった。
このままじゃ、短い夏休みが始まってしまう。
毎年楽しみにしていた夏休みが、今年は全然嬉しくなかった。
その日、ボクはカレンダーの8月のページを見ながらコーラを飲んでいた。
太陽に暖められたぬるいコーラ。
美味しくなかったけれど、飲まずにはいられなかった。
今日も探しに出かけたけれど、
遊びに行く予定が書きこまれた8月のページ。
このままじゃどこにも行くことなく、8月のページが捨てられてしまう。
それがボクには、どうしようもなく悲しかった。
「ねぇ、どこにいるの?」
どれだけ聞いても、ぬるい炭酸と無口な君は何も答えてくれなかった。
📅
8月が帰ってきた。
何事も無かったかのように、突然戻って来たのだ。
理由は分からない。
もしかしたら、皆をちょっと困らせたかっただけなのかもしれない。
「えー、皆も知っていると思うけれど、8月が帰ってきました」
教室の前で、先生が嫌そうに話す。
暑いのが嫌いな大人なのだろう。
ものすごく残念そうだ。
「ですので、夏休みを短くするのはやめて、いつもと同じ長さにします」
「「「やったー」」」
先生の知らせにみんなが騒ぎ出す。
夏休みでたくさん遊べる、これほど嬉しい事は無い。
「えー、もう一つ連絡があります」
しかし先生の話は終わってなかった。
「夏休みが予定通り実施されるということで、夏休みの宿題も予定通り出すことになりました。
みんな、遊んでばかりいないで宿題もやるように、以上」
先生の言葉に、ボクたちは思わず叫んだ。
「「「ちくしょう、8月なんて帰ってこなければよかったのに!」」」
突然ですが、これからとある日本の伝統芸能についてお話ししたいと思います。
いつもはフザケた話をするのですが、思うところがあり今日は真面目な話をしようと思います。
さて、現代はたくさんの価値観や娯楽にあふれています。
その結果、古い伝統は見向きもされず、人知れず消えていったものも少なくありません。
しかし私は思うのです。
たしかに古い伝統は時代遅れです。
ですが、古いものを見つめなおすことで新しい発見があるのではないか?
私はそう思い、こうして筆を取りました。
これを読んで、皆様に得られるものがあれば幸いです。
さて、これからお話するのは、日本の伝統的な芸能――
『デス茶道』です。
デス茶道の起源は、戦国時代にあります。
戦国時代――それは自分以外は敵、信用することが命とりの、苛烈な時代……
『殺される前に殺す』、暴力こそがルールでした。
しかし理由なき殺人は制裁を受け、死刑にされることもあります。
そこで考えられたのが、当時流行っていた茶道を利用した暗殺です。
茶会の最中に起きた不慮の事故ならば、誰からも咎められることは無い。
それが『デス茶道』の原型になったと言われています。
お分かりの通り、デス茶道は相手を風流に殺すことに特化した暗殺術なのです。
今日は、皆様に『デス茶道』の極意を知っていただきたいと思います。
さて、デス茶道は道具が重要です。
当時は全て自作でしたが、ここは現代。
百均でもいいので、それっぽいもの買ってを全てを揃えましょう。
なぜなら相手を殺したあとは、証拠隠滅しなければいけないからです。
暗殺するためだけに高級品を買い揃えては、お財布に大ダメ―ジは必須!
暗殺に成功しても、ただではすみません。
そのため『デス茶道』では、安く道具を揃える事を推奨しています。
そして道具は金属製のものを用意してください。
殴り殺すのに最適だからです。
では『デス茶道』の大まかな流れを説明しましょう。
まず殺したい相手を招待します。
意外かもしれませんが、これが結構難しい。
なぜなら『デス茶道』の招待とバレると、相手は来ないからです。
なので怪しまれないよう、普通の『茶道』の招待であることを装って手紙を書いてください。
手紙の最後にに『これはデス茶道ではありません』の一文を付け加えることも効果的です。
そして招待に成功したとしましょう。
ノコノコやって来た相手を茶室に招き入れるわけですが、どんなに憎くともここでは何もしてはいけません。
ここで下手な行動をすると、怪しまれて帰ってしまう可能性があるからです。
よって暗殺するのは、狭い茶室に誘き入れ逃げられなくしてからにしましょう。
相手を茶室に招き入れた後、相手のためにお茶を点てます。
この時、お茶の粉末をシャカシャカしますが、ここが最初の暗殺ポイントです。
最初に金属製の道具を用意しましたね。
その金属の道具を使い、高速でシャカシャカします。
すると、金属同士が激しくぶつかり合うことで、火花が飛び散らせ周囲を眩しく照らします。
相手はその眩しさに目が眩みますから、その隙を突いて相手に殴り掛かるのです。
金属製の道具で殴られては、大抵の人間はひとたまりもありません。
しかし相手は百戦錬磨の戦国武将。
殺気を感じ取り、避けることもあります。
しかし気を落とすことはありません。
次のチャンスを狙いましょう。
え?
暗殺しようとしたのがバレたら、相手は帰るだろうって?
そこはご安心を。
相手が目が眩んだ状態での犯行なので、決定的な瞬間を目撃することが出来ないのです。
そのためおかしいとは思っても、確証が得られないので帰れないのです。
さて、気を取り直して次の段階に入りましょう。
お茶をシャカシャカした後は、そのお茶を相手に飲ませます。
ここで再び暗殺ポイントですが、この時お茶に毒を入れてはいけません
かつてお茶に毒を入れた人間がいるのですが、『喉が渇いた』と自分から毒入りのお茶をすすり、死んでしまった事例があるのです。
このことから、不幸な事件を繰り返さないため、お茶に毒を入れることを禁止されています。
ではどうするかと言うと、再び殴り掛かります。
ただ殴るのではありません。
お茶を渡す際、足がしびれたフリをして相手に殴り掛かるのです。
これはあくまでも事故に見せかけた暗殺……
タイミングを見計らい、万全を期して殴りましょう。
しかし、ここでも暗殺に失敗することがあります。
その時は『ごめん』と素直に謝りましょう。
『足がしびれて』と言えば、相手は笑って許してくれるはずです。
そうして何も気づかせないまま、相手を家路につかせるのです。
そして再び『デス茶道』に招待し、暗殺を試みるのです。
もしかすると、また失敗するかもしれません。
暗殺する上で大事なことは、諦めないこと。
諦めなけれな、いつか必ず成功します。
『デス茶道』で大事なことは、忍耐と諦めない心なのです。
ここまで聞いて、皆さんはどう思いましたか?
自分の胸から熱い鼓動が感じませんか?
もしそうなら、憎い相手を『デス茶道』に招待してください。
そうすれば、アナタは誰からも疑われることが無く、憎い相手を殺すことが出来ます。
ああ、一つ言い忘れていました。
『デス茶道』で、やってはいけないことがあります。
それは『お茶を零してはいけない』ということ。
どんなに激しい動きをしても、零すことは絶対に許されません。
お茶を零すことは、お茶に対する最大の冒涜だからです。
もし零したら切腹です。
緊張感を持ちましょう。
後は、じっちゃんの孫とメガネの小学生に気をつけてください。
それだけが不安要素です。
以上の事に注意して、『デス茶道』を行ってください。
邪魔者のいなくなったアナタの人生は、素晴らしいものになることを保証します。
伝えたいことは以上です。
私はこれから切腹するので、これにて失礼
皆様が楽しい『デス茶道』ライフを送ることを、心より願っています。
「ふぃー、生き返るぅ」
炎天下での営業周り。
昼時になって逃げ込むように入った喫茶店は、まさに天国だった。
まさに砂漠でオアシスを見つけた時の気持ち。
文明の利器に感謝である。
「もうちっと冷えた方が好みだが……
まあいいか」
店員の案内でソファー席に座って、メニュー表を手に取る。
こじんまりした喫茶店だが、意外とメニューの数は多い。
これは選びがいがあるぞと、腹と相談しながら食べたいものを決める。
「お、冷やし中華あるじゃん。
冷やしラーメンもある!?
悩むなぁ、どっちにして――」
「ちょっと、ふざけないでよ!」
突然、女性の甲高い声が響く。
何事かと驚き目を向ければ、そこには2人の男女が座っていた。
自分の席からは男性の顔は見えなかったが、女性は泣いているようだった。
少し離れているため詳しい様子は分からないが、穏やかな様子ではない。
「別れ話かな…………」
楽園のようなオアシスに来て、まさかこんな修羅場に立ち会うとは……
いい気分が台無しだった。
俺が勝手にゲンナリしている間も、二人の会話は続く。
「ふざけてなんかないさ。
本当に一万頭のマンモスかやってきたのさ」
いや、どういう話題!?
会話の内容が気になった俺は、メニュー表を眺める振りをしながら二人の会話に耳を傾ける。
「それでどうしたの?」
「一匹の鹿の前に駆け参じたのさ」
「どうして?」
「もちろん虫歯の治療さ。
鹿は歯科医だからね」
「鹿が歯科医、くくく」
笑っていた。
どこに笑いのポイントがあるかは分からないが、とにかく女性は笑っていた。
女性は「もう、いい加減にしてよ」と言いながら、腹を抱えて涙を流している。
あの女性、相当に笑いの沸点が低いらしい。
ていうか、その涙の跡、笑い泣きの跡かよ。
「心配して損した」
別れ話のような、深刻な話ではないらしい。
修羅場でなくてよかったと思う一方で、俺はとてつもなく呆れていた。
まあ、不幸な人間がいないことを思えば歓迎すべきことなのだが……
「それでマンモスの敵討ちをしたキツネたちは、虹の始まりを求めて旅立ったのさ」
呆れている間に、物語は新しい展開を見せていた。
少し聞かなかっただけで、そこまで物語が動くとは……
全く興味を唆られないのに、聞き逃すとなんか悔しい思いをするのは何故だろう?
釈然としな思いを抱えながら、女性を見る。
すると女性は「うひひ、虹の始まりとかw」と笑っている。
話が意不明なのに、女性の方は大爆笑だ。
ツボに入ったか?
それとも若者の間では、ああいった会話が流行っているのだろうか?
もはや異世界の会話である。
だがまあ、お似合いのカップルなのだろう。
話のつまらない男性と、それを聞いてずっと笑っている女性。
二人がそれでいいなら、コチラが口を挟むべき理由は――
「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「うわ!!」
二人を観察していることに集中しすぎて、店員が来たことに気づかなかったらしい。
これ以上ないほど驚き、そして店員まで驚かせてしまった。
「驚かせてすまない。
ボーッとしていたみたいだ」
「外は暑いですからね。
疲れが出たんでしょう」
「ああ、面目ない。
他の客にも迷惑をかけてしまったな」
「大丈夫ですよ。
今はお客様しかいませんから」
「客がいない?
そこにいるじゃないか……」
俺は「そこにいるだろ?」と男女のいる席を指差す。
しかし、店員は一度目を向けたきり、不思議そうな顔をしていた。
「いえ、いませんよ。
お客様が一人だけです」
「そんなバカな」
俺はありえないと、男女の席を見る。
やはりいる。
だが先程とは違い、バカなお喋りをやめこちらを見ていた。
見ているだけならよかった。
その眼差しは普通ではなく、まるで獲物を見つけたような……
ヤバい。
本能が危険を告げる。
アレが何かは知らないが、少なくとも友好的な様子ではない。
すぐさま逃げようとするが、体が動かない。
まるで蛇に睨まれた蛙のよう。
「ああ!」
店員が突然声を上げる。
驚いた俺は、反射的に店員を見た。
そして、視界の端ではあるが、二人の男女も店員に視線を向けているのご見えた。
「それ、観葉植物です」
「え?」
「よく間違われるんですよ。
角度が悪いのか、観葉植物が人間に見えるようで……
きっとそれですよ」
そう言われて、テーブルの向こうをマジマジ見る。
確かに観葉植物が置いてある。
どう見ても人間には見えないが、とりあえず、
「本当だ。
よく見れば観葉植物じゃないか……
ハハハ、もう歳かな」
俺は店員に話を合わせた。
これで誤魔化せればいいけれど。
俺は気づかれないように男女の様子を窺う。
すると2人は顔を見合わせ、興味を無くしたのか再びバカ話をし始めた。
体もちゃんと動くし、先程感じたプレッシャーもない。
危機は脱したようだ。
助かった。
「それにしても、本当によく間違われまして……
お客様にも迷惑になりますし、撤去しようと思ってるんです」
「いいや、そのまま置いておいた方がいい。
それが救う命もある」
「お客様がそこまでおっしゃるなら……
たしかにグリーンセラピーっていう言葉もありますしね。
そのまま置いておきましょう」
そう言うと、店員は居住まいを正して俺に言った。
「ところでお客様。
冷房の設定はどうでしょうか?
希望があれば、もう少し温度を下げますよ」
「いや、必要ない。
十分肝が冷えた」
69.『true love』『もしも過去へと行けるなら』『半袖』
もしも過去へと行けるのなら、私は5分前に戻りたい。
自分の人生には何一つ恥ずべきことが無いのが自慢だったが、今日をもってその名誉を返上しなければいけなくなった……
天職である美容師を始めてから10年目、とんでもない失態を犯してしまうとは……
人生何が起こるか分からない。
この状況をどう打開すべきか、未だに悩んでいる……
◇
5分前の5分前――つまり今から10分前の事である。
自身が経営する美容院で客を待っていたところ、とある青年がやってきた。
「すいません、飛び込みでやってもらえますか?」
どうやら初めての客らしい。
申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
飛び込み客は、予約客との兼ね合いで断ることにしている。
けれど、今日の予約はキャンセルになり手が空いていた。
これも何かの縁と、髪を切ってあげことにした
「構いませんよ。
どうぞ、椅子におかけください」
「ありがとうございます」
青年がおずおずと入って来る。
どうやら美容院自体が初めてのようで、内装を興味深そうに見ている。
こういう客にこそ腕の見せ所。
いい所を見せて常連にしてみせよう。
「ではお客様、どのような髪型がよろしいでしょうか?」
「すいません、こういうところ初めてで……
お任せでお願いできますか?」
「構いませんよ、私の判断で決めさせていただきますね」
私は腕を組み、青年の体を眺める。
どんな髪型が似合うかを考えるためだ。
改めて見て驚いた。
さっきは気づかなかったが、青年が意外と筋肉質だからだ。
服の上からでは分かりづらいが、けっこう鍛えているようで、スポーツマンであることが伺える。
筋肉の付き具合からして、サッカーだろうか。
足の筋肉が上半身に比べて逞しい。
こういう客は、髪を短くしたほうがいい。
髪が長いと、もみ合いになった時に引っ張られることがあるからだ。
ならば青年の髪型は一つ。
スポーツ刈りである。
私はバリカンを棚から取り出し、青年の髪を刈りこむ。
青年の髪質は素直でよく切れる。
これならば、特にトラブルもなく仕上げれるだろう。
そう思った時だった。
「この後、彼女とデートなのですよ。
大事な話をしようと思って……」
「へえ、じゃあ気合入れて取り掛からないといけませんね」
なぬ、デートとな。
デートするならスポーツ刈りはよろしくない。
別に悪いわけではないが、デートと分かっているならオシャレな髪型で攻めたい。
大事な話――プロポーズだろうか――をするなら尚更だ。
髪の長さもそれなりにあるし、ここは一つパーマでもかけて……
あっ。
もうバリカン入れちゃった……
「どうかしましたか?」
「い、いえ。
何でもありません。
お気になさらず」
私の手が止まったことに不審に思った青年が、こちらを見る。
幸いにして、バリカンを入れたのは後頭部。
鏡を見てすぐにバレる事は無い。
だがそれに何の意味があるだろう
とっさに誤魔化したものの、誤魔化したところでどうにかなるものではない。
一部ではあるが、髪はすでに短い。
……無理だろこれ。
それにしても、なんで気づかなかったのか。
初めて美容室に来るくらいだ。
オシャレの可能性を失念すべきではなかった。
腕をそれっぽく動かしながら悩んでいると、青年が声をかけてきた。
「すいません。
実は昨日眠れなくて……
このまま寝ても大丈夫ですか?」
チャンス到来!
このまま時間を稼ぎ、打開策を練ろう。
「構いませんよ。
終わったら起こしますので、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
そう言うと、青年は目を瞑りすぐに寝息を立て始めた。
これでなんとか時間が稼げたわけだが……
しかし何も事態は好転していない。
なんとかできないか考えるが、一つもいい考えが浮かばない。
どんなにいい案が思いついても、短くしてしまった部分がどうしても悪目立ちしてしまう……
それほどまでに、バリカンは悪手すぎた。
なんてことをしてしまったんだ……
後悔で、寒くもないのに体が震えて来る。
半袖から出る私の腕に、鳥肌が立っている。
だが、どんなに悔やんでも、刈ってしまった髪はもとに戻らない。
有効な手立てを思いつかないまま、刻一刻と時が過ぎていく。
10分が過ぎた頃、私はある決断をした。
「これ以上時間はかけられない」
私は覚悟を決め、ハサミを持った。
◇
「お客さん、終わりましたよ」
「すいません、ふあああ」
青年は大きく背伸びをしてあくびをする。
まだ寝ぼけているようで、自分の髪型に気づいていないが、さてどんな反応をするであろう。
髪型はスポーツ刈りにした。
一世一代の大博打。
美容師人生で、一番気合いを入れて刈ったスポーツ刈り
これでダメなら廃業である。
それに、スポーツ刈りが女性から評判が悪いわけではない。
若々しさや清潔感をアピールできるのでむしろ好印象。
ただ、ダサいイメージがあるのは否めないので、プロポーズするには相応しくないというだけだ。
普通に考えてクレーム一直線なので、そこは培った営業トークでなんとかする予定。
『髪型に文句を言われたらフッてやればいい』『アナタのことが本当に好きならば、髪型くらいでゴタゴタ言わないはず』『自分たちが育んだ愛を信じろ』。
……他力本願にも程がある。
うん、怒られたら素直に謝ろう。
彼らは真実の愛を育んでいるのだろうか……
2人の関係性によって、私の営業トークの成否が決まる。
『髪型なんて気にしない。
どんなアナタも好きよ』
『ありがとう、結婚しよう』
true love。
めでたし、めでたし。
そうならないかなぁ……
現状逃避していると、青年が体を強張らせていることに気づく。
どうやら今の自分の髪型を見てしまったらしい。
やっぱり怒ってるよなぁ……
はたして、これからどんな罵詈雑言が飛んでくるのであろう。
だが自業自得。
逃げるようなことはせず、きちんと受け止めよう。
これから顕現する地獄に身構えていると、彼は泣き始めた。
泣くほどショックだったか……
胸が罪悪感で押しつぶされそうになる。
だが――
「美容師さんは、何もかもお見通しなんですね」
…………?
なぜか感心された……
何?
どういう事?
何が起こったのか分からず混乱していると、青年は静かに語り始めた。
「美容師さんも知っての通り、足のケガのことです……
選手生命に影響が出るほどの酷いケガ。
リハビリしても、前のようにプレイ出来ないと医者から言われました。
俺ショックで……
これを機にサッカーを辞めようと思っていたんです」
何だ、その重い過去。
というか、君は私が何もかも知っている前提でで話すけれど、私は何も知らないからね。
「でも美容師さんには分かっていたんですね。
俺が、心の底では迷っていることを……。
大好きなサッカー。
そう簡単には諦められません」
そう言うと、彼は顔を私に向け、目をまっすぐ見た。
「だからスポーツ刈りにしたんでしょう。
俺に諦めるなって、そう言いたいんでしょう。
デートと聞いてオシャレにするじゃなく、思っきりサッカーが出来るように髪を短くして!
美容師さんのおかげで決心がつきました。
俺、サッカーやめません。
リハビリも頑張ります。
俺は胸を張って言います。
俺、サッカー続けるって」
青年は涙ぐみながら、晴れやかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、美容師さん。
感謝します!」
曇り無き目をみて私は……
「それが美容師ですから」
全力で乗っかった。
「今すぐ彼女に伝えに行かないと!
アイツにめちゃくちゃ心配かけているんです」
「そうですね。
早く伝えたほうがいいでしょう」
「ありがとうございます、美容師さん」
「またのお越しを」
青年は去っていった。
去っていくその背中には、なんの迷いもない。
あの様子なら、彼女との大事な話も失敗はないはずだ。
そう信じている。
途中、美容師を辞めることを覚悟したが、なんかいい感じに終わって良かった。
他人の人生に盛大に干渉してしまったような気もするが、多分気のせいである。
終わりよければ全てよし。
パッピーエンドだ!
「あ、カット代もらってない」
最後の怒涛の展開に、流れに流されそのまま見送ってしまった。
本来の予約がキャンセルになった分、稼がないといけなかったのに……
本当に今日はうまくいかない。
誰でもいいからタイムマシンを持ってきてくれないだろうか。
もし過去に行けるのなら、5分前に戻ってカット代を請求するのに。
星を追いかけていたら、迷子になった。
何を言っているか分からないが、実際そうなのだから仕方がない。
私は暗い森の中で、一人途方に暮れていた。
1時間前のことだ、私は親と喧嘩した。
ちょっとした小言から大喧嘩に発展し、「絶交する」と飛び出したのだ。
しかし行く当てもなく、スマホも家に忘れてしまったので、街を彷徨うはめになった。
そんな時、あるものが目の前を横切った。
それは星のように輝く光の玉。
まるで空に浮かぶ星のようだった。
その星は「急がないと、急がないと」とピカピカ光りながら駆けていき、そのまま闇へと消えた。
その様子がまるで『不思議の国のアリス』のウサギみたいだと気づいた私は、親と喧嘩したことも忘れ、走り去るウサギ星を好奇心だけを胸に追いかける。
だがウサギ星は足が速かった。
あっさりと見失い、気がつけば森の中にいた。
「どうしよう……
家に帰れない」
人里離れた森の中、人の気配はどこにもない。
このまま誰にも気づかれずに死んでしまうのだろうか……
後悔と恐怖が胸を締め付ける。
そんな時だ。
遠くの方から人の声が聞こえて来たのは。
『アリス』のようにパーティでもしているのか、とても楽しそうな雰囲気だ。
助けが期待できるか分からないが、ここにいても仕方がない。
私は一縷の望みをかけて、声のする方に向かう。
歩くことしばし、開けた場所に出ると、そこは黒で統一されたパーティ会場だった。
黒いテーブルクロス、黒いイス、そして黒いティーポット……
普通のパーティではなかった。
異様な光景だが、恐怖を感じなかったのは出席者たちのおかげだろう。
会場には、さきほど追いかけたウサギ星のような光の玉が、楽しそうに騒いでした。
黒い背景に浮かび上がる、光の数々。
まるで夜空に浮かぶ星々のようだった。
星を追いかけて、星空を見つける。
ちょっとロマンチックだ。
スマホが無い事が惜しまれる。
持っていたら、写真に撮ってSNSに上げたのに。
そんな事を考えながら幻想的な光景に見とれていると、星たちの一人?が私を見つけた。
「おや、そこのお客人。
招待状はお持ちですかな?」
落ち着いて威厳に満ちた声がその場に響く。
長老だろうか?
声の主は、大きく、そしてこの場の誰よりも眩く輝いていた
「いいえ、持っていません。
歩いていたら道に迷ってしまい、ここに迷い込んでしまいました」
「それは大変でしたね、お客人。
後ほど道を案内させましょう」
「ありがとうございます」
「しかし今はパーティの時間。
終わるまでここでお楽しみ下さい」
私は長老星に促されるまま、私はパーティに参加することになった。
立ったままも体裁が悪いので、長老星の隣にある誰も座ってない椅子に腰かける。
そして、テーブルの上にある金平糖を食べながら、私は長老星に気になったことを尋ねた。
「これは何のパーティですか?」
「これは私の葬式ですよ」
「お葬式!?」
私は思わず叫ぶ。
葬式なのに、目の前で本人がピンピンしている……
どういうことだろうか?
生前葬というやつ?
私が首をひねっていると、長老は説明し始めた。
「まず最初に。
私たちは星のように見えますが、星そのものではありません。
星が放つ光が、意思を持ったものが我々です。
お客人は、星から出た光が時間をかけて地球に届くことをご存じでしょうか?」
「ええ、知ってるわ。
光にも速さがあって、遠ければ遠い程時間がかかるんでしょう」
「はい、そうです。
私の場合、本体は50億光年離れた所にいます」
「それとお葬式に何の関係が?」
「実は、私の大元の星が死んでしまったのです」
「なんですって!?」
私は言葉を失った。
たしかに、地球に届く星の光には時間差がある。
なので、死んだ星の光が地球に届くこともあるだろうか……
こうして実際に目にすると驚きしかない。
私が混乱している間も、長老星は言葉を続ける。
「お客人は、『超新星爆発』をご存じでしょうか?」
「いいえ、知らないわ」
「では簡単にご説明しましょう。
星の終わりには、大きく分けて二つあります。
これはその星の重量によって決まります。
軽い星は――といっても太陽の8倍までは軽い星扱いなのですが――寿命が来ると、一度大きく膨らんだ後、風船みたいに空気が抜けていくように小さくなって消滅します。
一方、重い星は寿命が来ると、大きく膨らむことは無く、そのまま大爆発するのです。
これが『超新星爆発』なのです」
「そうなのね……」
「爆発の際、星は強い光を発します。
今の私は強く輝いているでしょう?
これこそが『超新星爆発』の光。
そして星が死んだ証拠なのです」
「どうにかならないの?」
「どうにもなりませんね。
爆発の期間は、数週間から数年とまちまちですが、私の本体があるのは50億光年も向こう。
既に跡形もなく消滅している事でしょう」
衝撃の事実になにも言えない私。
なんと言葉をかけるか悩んでいると、長老星は優しく慰めてくれた。
「落ち込むことはありません。
今を生きるお客人には想像がしにくいでしょうが、星の死と言うのは決して悪い事ではありません」
「どういう意味?」
「爆発の際、たくさんの元素を宇宙に放出します。
その放出された元素がやがて新しい星を形作るのです。
もしかしたら地球にもやってくるかもしれません。
天文学的な確率ですけどね」
「そうなんだ」
「ええ、ですから怖くないは嘘になりますが、それ以上にワクワクしています。
私の死が、新しい命を生み出すのですからね――
おっと」
長老星が何かに気づいたかのように、話を中断する。
なにかあったのかと不思議に思っていると、さっきまで騒がしかった会場が静かな事に気づいた。
「パーティも終わりのようですね。
話し込んでいる間に、ずいぶんと時間が経っていたようです」
「貴重な時間を邪魔してごめんなさい」
「いえいえ、お話しできて楽しかったですよ。
人間と話すのは初めてでしてね。
つい、時間を忘れてしまいました」
言い終わると、長老星は優しく光った。
「ではお客人、さようなら。
最期に楽しい時間をありがとう」
「ええ、お星さま、私も楽しかったわ。
またいつか会いましょう」
「お客人、それは……」
「自分は死んだからもう会えないっていうんでしょう」
「ええ、まあ」
困惑したように不規則に光る長老星。
私はその反応を見て、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
「さっき言ったじゃない。
もしかしたら地球に来るかもって」
「それは言いましたが、しかし……」
「いいじゃない、細かい事は。
50億光年も離れているアナタとおしゃべりしているのよ。
この奇跡に比べたら、それくらい簡単よ」
「これは敵いませんな。
まずありえないことですが……
とても好きな考えです。
私もまた会う事を信じましょう。
ではまたいつか」
「またいつか」
そうして長老星と別れを告げた後、私は別の星に道案内された。
光の大きさと点滅具合から、最初に追いかけた兎星に違いない。
自信満々に道案内する様子から、土地勘もあるようだ。
(ひょっとしてこの辺りに住んでる?)
今度この星をストーキングして、どこに住んでいるか調べるのもいいかもしれない。
そんな事を思っていると、私はあることを思い出した。
「親と喧嘩したままだった!」
楽しい経験をしたせいで、喧嘩の事をすっかり忘れていた。
このまま家に帰るのも負けたようで悔しいが、かといって行き先を変えてくれとも言えない。
気まずい思いを胸に抱えながら、ウサギ星の後を付いて歩く。
「なんか奇跡が起こって、時間差で既に仲直りしているとかないかな……」
無理だ。
だって奇跡は滅多に起こらないから奇跡なのだから。
「あーあ、誰かどこかに私の味方をしてくる人はいないかなあ」
頭を抱えながら空を見上げると、一筋の光が流れたのだった。