G14(3日に一度更新)

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「ふぃー、生き返るぅ」

 炎天下での営業周り。
 昼時になって逃げ込むように入った喫茶店は、まさに天国だった。
 まさに砂漠でオアシスを見つけた時の気持ち。
 文明の利器に感謝である。

「もうちっと冷えた方が好みだが……
 まあいいか」
 店員の案内でソファー席に座って、メニュー表を手に取る。
 こじんまりした喫茶店だが、意外とメニューの数は多い。
 これは選びがいがあるぞと、腹と相談しながら食べたいものを決める。

「お、冷やし中華あるじゃん。
 冷やしラーメンもある!?
 悩むなぁ、どっちにして――」
「ちょっと、ふざけないでよ!」

 突然、女性の甲高い声が響く。
 何事かと驚き目を向ければ、そこには2人の男女が座っていた。
 自分の席からは男性の顔は見えなかったが、女性は泣いているようだった。
 少し離れているため詳しい様子は分からないが、穏やかな様子ではない。

「別れ話かな…………」
 楽園のようなオアシスに来て、まさかこんな修羅場に立ち会うとは……
 いい気分が台無しだった。
 俺が勝手にゲンナリしている間も、二人の会話は続く。

「ふざけてなんかないさ。
 本当に一万頭のマンモスかやってきたのさ」
 いや、どういう話題!?
 会話の内容が気になった俺は、メニュー表を眺める振りをしながら二人の会話に耳を傾ける。

「それでどうしたの?」
「一匹の鹿の前に駆け参じたのさ」
「どうして?」
「もちろん虫歯の治療さ。
 鹿は歯科医だからね」
「鹿が歯科医、くくく」

 笑っていた。
 どこに笑いのポイントがあるかは分からないが、とにかく女性は笑っていた。
 女性は「もう、いい加減にしてよ」と言いながら、腹を抱えて涙を流している。
 あの女性、相当に笑いの沸点が低いらしい。
 ていうか、その涙の跡、笑い泣きの跡かよ。

「心配して損した」
 別れ話のような、深刻な話ではないらしい。
 修羅場でなくてよかったと思う一方で、俺はとてつもなく呆れていた。
 まあ、不幸な人間がいないことを思えば歓迎すべきことなのだが……

「それでマンモスの敵討ちをしたキツネたちは、虹の始まりを求めて旅立ったのさ」
 呆れている間に、物語は新しい展開を見せていた。
 少し聞かなかっただけで、そこまで物語が動くとは……
 全く興味を唆られないのに、聞き逃すとなんか悔しい思いをするのは何故だろう?
 釈然としな思いを抱えながら、女性を見る。

 すると女性は「うひひ、虹の始まりとかw」と笑っている。
 話が意不明なのに、女性の方は大爆笑だ。
 ツボに入ったか?
 それとも若者の間では、ああいった会話が流行っているのだろうか?
 もはや異世界の会話である。

 だがまあ、お似合いのカップルなのだろう。
 話のつまらない男性と、それを聞いてずっと笑っている女性。
 二人がそれでいいなら、コチラが口を挟むべき理由は――

「お客様、ご注文はお決まりですか?」
「うわ!!」
 二人を観察していることに集中しすぎて、店員が来たことに気づかなかったらしい。
 これ以上ないほど驚き、そして店員まで驚かせてしまった。

「驚かせてすまない。
 ボーッとしていたみたいだ」
「外は暑いですからね。
 疲れが出たんでしょう」
「ああ、面目ない。
 他の客にも迷惑をかけてしまったな」
「大丈夫ですよ。
 今はお客様しかいませんから」
「客がいない?
 そこにいるじゃないか……」

 俺は「そこにいるだろ?」と男女のいる席を指差す。
 しかし、店員は一度目を向けたきり、不思議そうな顔をしていた。

「いえ、いませんよ。
 お客様が一人だけです」
「そんなバカな」
 俺はありえないと、男女の席を見る。
 やはりいる。

 だが先程とは違い、バカなお喋りをやめこちらを見ていた。
 見ているだけならよかった。
 その眼差しは普通ではなく、まるで獲物を見つけたような……

 ヤバい。
 本能が危険を告げる。
 アレが何かは知らないが、少なくとも友好的な様子ではない。
 すぐさま逃げようとするが、体が動かない。
 まるで蛇に睨まれた蛙のよう。


「ああ!」
 店員が突然声を上げる。
 驚いた俺は、反射的に店員を見た。
 そして、視界の端ではあるが、二人の男女も店員に視線を向けているのご見えた。

「それ、観葉植物です」
「え?」
「よく間違われるんですよ。
 角度が悪いのか、観葉植物が人間に見えるようで……
 きっとそれですよ」

 そう言われて、テーブルの向こうをマジマジ見る。
 確かに観葉植物が置いてある。
 どう見ても人間には見えないが、とりあえず、

「本当だ。
 よく見れば観葉植物じゃないか……
 ハハハ、もう歳かな」
 俺は店員に話を合わせた。
 これで誤魔化せればいいけれど。
 俺は気づかれないように男女の様子を窺う。

 すると2人は顔を見合わせ、興味を無くしたのか再びバカ話をし始めた。
 体もちゃんと動くし、先程感じたプレッシャーもない。
 危機は脱したようだ。
 助かった。

「それにしても、本当によく間違われまして……
 お客様にも迷惑になりますし、撤去しようと思ってるんです」
「いいや、そのまま置いておいた方がいい。
 それが救う命もある」
「お客様がそこまでおっしゃるなら……
 たしかにグリーンセラピーっていう言葉もありますしね。
 そのまま置いておきましょう」
 そう言うと、店員は居住まいを正して俺に言った。

「ところでお客様。
 冷房の設定はどうでしょうか?
 希望があれば、もう少し温度を下げますよ」
「いや、必要ない。
 十分肝が冷えた」

8/2/2025, 7:44:12 AM