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69.『true love』『もしも過去へと行けるなら』『半袖』




 もしも過去へと行けるのなら、私は5分前に戻りたい。
 自分の人生には何一つ恥ずべきことが無いのが自慢だったが、今日をもってその名誉を返上しなければいけなくなった……
 天職である美容師を始めてから10年目、とんでもない失態を犯してしまうとは……
 人生何が起こるか分からない。
 この状況をどう打開すべきか、未だに悩んでいる……


 ◇

 5分前の5分前――つまり今から10分前の事である。
 自身が経営する美容院で客を待っていたところ、とある青年がやってきた。

「すいません、飛び込みでやってもらえますか?」
 どうやら初めての客らしい。
 申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。

 飛び込み客は、予約客との兼ね合いで断ることにしている。
 けれど、今日の予約はキャンセルになり手が空いていた。
 これも何かの縁と、髪を切ってあげことにした

「構いませんよ。
 どうぞ、椅子におかけください」
「ありがとうございます」

 青年がおずおずと入って来る。
 どうやら美容院自体が初めてのようで、内装を興味深そうに見ている。
 こういう客にこそ腕の見せ所。
 いい所を見せて常連にしてみせよう。

「ではお客様、どのような髪型がよろしいでしょうか?」
「すいません、こういうところ初めてで……
 お任せでお願いできますか?」
「構いませんよ、私の判断で決めさせていただきますね」

 私は腕を組み、青年の体を眺める。
 どんな髪型が似合うかを考えるためだ。

 改めて見て驚いた。
 さっきは気づかなかったが、青年が意外と筋肉質だからだ。
 服の上からでは分かりづらいが、けっこう鍛えているようで、スポーツマンであることが伺える。
 筋肉の付き具合からして、サッカーだろうか。
 足の筋肉が上半身に比べて逞しい。

 こういう客は、髪を短くしたほうがいい。
 髪が長いと、もみ合いになった時に引っ張られることがあるからだ。
 ならば青年の髪型は一つ。
 スポーツ刈りである。

 私はバリカンを棚から取り出し、青年の髪を刈りこむ。
 青年の髪質は素直でよく切れる。
 これならば、特にトラブルもなく仕上げれるだろう。
 そう思った時だった。

「この後、彼女とデートなのですよ。
 大事な話をしようと思って……」
「へえ、じゃあ気合入れて取り掛からないといけませんね」
 なぬ、デートとな。
 デートするならスポーツ刈りはよろしくない。
 別に悪いわけではないが、デートと分かっているならオシャレな髪型で攻めたい。
 大事な話――プロポーズだろうか――をするなら尚更だ。
 髪の長さもそれなりにあるし、ここは一つパーマでもかけて……

 あっ。

 もうバリカン入れちゃった……

「どうかしましたか?」
「い、いえ。
 何でもありません。
 お気になさらず」

 私の手が止まったことに不審に思った青年が、こちらを見る。
 幸いにして、バリカンを入れたのは後頭部。
 鏡を見てすぐにバレる事は無い。

 だがそれに何の意味があるだろう
 とっさに誤魔化したものの、誤魔化したところでどうにかなるものではない。
 一部ではあるが、髪はすでに短い。
 ……無理だろこれ。

 それにしても、なんで気づかなかったのか。
 初めて美容室に来るくらいだ。
 オシャレの可能性を失念すべきではなかった。
 腕をそれっぽく動かしながら悩んでいると、青年が声をかけてきた。

「すいません。
 実は昨日眠れなくて……
 このまま寝ても大丈夫ですか?」
 チャンス到来!
 このまま時間を稼ぎ、打開策を練ろう。

「構いませんよ。
 終わったら起こしますので、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
 そう言うと、青年は目を瞑りすぐに寝息を立て始めた。
 
 これでなんとか時間が稼げたわけだが……
 しかし何も事態は好転していない。

 なんとかできないか考えるが、一つもいい考えが浮かばない。
 どんなにいい案が思いついても、短くしてしまった部分がどうしても悪目立ちしてしまう……
 それほどまでに、バリカンは悪手すぎた。

 なんてことをしてしまったんだ……
 後悔で、寒くもないのに体が震えて来る。
 半袖から出る私の腕に、鳥肌が立っている。
 だが、どんなに悔やんでも、刈ってしまった髪はもとに戻らない。

 有効な手立てを思いつかないまま、刻一刻と時が過ぎていく。
 10分が過ぎた頃、私はある決断をした。

「これ以上時間はかけられない」
 私は覚悟を決め、ハサミを持った。

 ◇

「お客さん、終わりましたよ」
「すいません、ふあああ」
 青年は大きく背伸びをしてあくびをする。
 まだ寝ぼけているようで、自分の髪型に気づいていないが、さてどんな反応をするであろう。

 髪型はスポーツ刈りにした。
 一世一代の大博打。
 美容師人生で、一番気合いを入れて刈ったスポーツ刈り
 これでダメなら廃業である。

 それに、スポーツ刈りが女性から評判が悪いわけではない。
 若々しさや清潔感をアピールできるのでむしろ好印象。
 ただ、ダサいイメージがあるのは否めないので、プロポーズするには相応しくないというだけだ。

 普通に考えてクレーム一直線なので、そこは培った営業トークでなんとかする予定。
 『髪型に文句を言われたらフッてやればいい』『アナタのことが本当に好きならば、髪型くらいでゴタゴタ言わないはず』『自分たちが育んだ愛を信じろ』。
 ……他力本願にも程がある。
 うん、怒られたら素直に謝ろう。

 彼らは真実の愛を育んでいるのだろうか……
 2人の関係性によって、私の営業トークの成否が決まる。
 

  『髪型なんて気にしない。
   どんなアナタも好きよ』
  『ありがとう、結婚しよう』
  true love。
  めでたし、めでたし。


 そうならないかなぁ……

 現状逃避していると、青年が体を強張らせていることに気づく。
 どうやら今の自分の髪型を見てしまったらしい。
  やっぱり怒ってるよなぁ……

 はたして、これからどんな罵詈雑言が飛んでくるのであろう。
 だが自業自得。
 逃げるようなことはせず、きちんと受け止めよう。
 これから顕現する地獄に身構えていると、彼は泣き始めた。

 泣くほどショックだったか……
 胸が罪悪感で押しつぶされそうになる。
 だが――

「美容師さんは、何もかもお見通しなんですね」
 …………?
 なぜか感心された……

 何?
 どういう事?
 何が起こったのか分からず混乱していると、青年は静かに語り始めた。

「美容師さんも知っての通り、足のケガのことです……
 選手生命に影響が出るほどの酷いケガ。
 リハビリしても、前のようにプレイ出来ないと医者から言われました。
 俺ショックで……
 これを機にサッカーを辞めようと思っていたんです」 

 何だ、その重い過去。
 というか、君は私が何もかも知っている前提でで話すけれど、私は何も知らないからね。

「でも美容師さんには分かっていたんですね。
 俺が、心の底では迷っていることを……。
 大好きなサッカー。
 そう簡単には諦められません」

 そう言うと、彼は顔を私に向け、目をまっすぐ見た。

「だからスポーツ刈りにしたんでしょう。
 俺に諦めるなって、そう言いたいんでしょう。
 デートと聞いてオシャレにするじゃなく、思っきりサッカーが出来るように髪を短くして!

 美容師さんのおかげで決心がつきました。
 俺、サッカーやめません。
 リハビリも頑張ります。

 俺は胸を張って言います。
 俺、サッカー続けるって」
 青年は涙ぐみながら、晴れやかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます、美容師さん。
 感謝します!」
 曇り無き目をみて私は……

「それが美容師ですから」
 全力で乗っかった。

「今すぐ彼女に伝えに行かないと!
 アイツにめちゃくちゃ心配かけているんです」
「そうですね。
 早く伝えたほうがいいでしょう」
「ありがとうございます、美容師さん」
「またのお越しを」

 青年は去っていった。
 去っていくその背中には、なんの迷いもない。
 あの様子なら、彼女との大事な話も失敗はないはずだ。
 そう信じている。

 途中、美容師を辞めることを覚悟したが、なんかいい感じに終わって良かった。
 他人の人生に盛大に干渉してしまったような気もするが、多分気のせいである。
 終わりよければ全てよし。
 パッピーエンドだ!
 
「あ、カット代もらってない」
 最後の怒涛の展開に、流れに流されそのまま見送ってしまった。
 本来の予約がキャンセルになった分、稼がないといけなかったのに……
 本当に今日はうまくいかない。

 誰でもいいからタイムマシンを持ってきてくれないだろうか。
 もし過去に行けるのなら、5分前に戻ってカット代を請求するのに。

7/29/2025, 1:11:07 PM