「君が見た景色は忘れてください」
目の前にいる男が、はっきりと断言する。
衝撃的な発言に心底驚きつつも、僕は取り乱さないように言い返す。
「忘れてどうしろと?」
「気持ちは分かります。
ですが忘れた方が身のためです」
「ありえません!
忘れても何も変わりません!
無意味です!」
男のあまりの言い分に、僕は怒気を強めて言い返す。
言い過ぎたかと思ったが、男は困ったような顔をして「そうですか」と呟くだけだった。
男は逡巡した様子を見せた後、すぐに僕をまっすぐ見た。
「提案なのですが――」
男はゆっくりと言葉を続ける。
「アナタのお話を聞かせてもらえませんか?
もしかしたら、なにか糸口があるかも」
「構いませんよ」
自分も少し熱くなっていたのかもしれない。
僕は自分を落ち着けるためにも、目の前の男の提案に乗り、話をすることにした。
「事の発端は、仕事が終わって退勤したときのことです」
🚃
「お疲れ様です」
僕は帰る間際、まだ仕事を続けている同僚たちに向かって挨拶をしました。
聞こえているはずだが返事はありません。
けれど、僕は少しも気になりませんでした。
皆仕事で忙しく余裕がなく、逆の立場だったら自分も返事をしないだろうからです。
かと言って自分も余裕がありませんが、たまたま仕事に一区切りついたので帰る事にしました。
もちろん、翌日出勤すれば仕事の山。
ただの仕事の後回しですが、今日は家に帰りたい気分でした。
ともかく会社を出て、駅へと向かいました。
そして余裕を持って、終電に乗り込みます。
最近は電車に乗れないことも多かったので、久しぶりの電車にちょっとだけワクワクしました。
電車に乗った後、中を見渡すと周りはガラガラでした。
これなら遠慮の必要はないと、好きな座席に座りました。
あまり質のいいクッションではありませんでしたが、疲れている自分にとって最高のクッションでした。
安心したのか強烈な眠気に襲われました。
「ちょっとだけ寝るか」
どうせ、家に着くまで時間がある。
そう思った僕は、目を瞑り眠ってしまいました。
ですが、次に目を覚ました時には見知らぬ景色。
体の芯から冷え、眠気が吹き飛びました。
「しまった、寝過ごした」
パニックになった僕は慌てて電車から飛び出しました。
するとそれを待っていたかのように電車のドアが閉まります。
それを見て『飛び出す必要は無かったのでは?』と思いましたが後の祭り。
電車は走り去ってしまいました。
自分のバカさ加減に呆れましたが、済んだことは仕方ありません。
それに、時間的にも反対車線に電車が来ることは無いでしょう。
そう思った僕は、ホームへ向かいました。
駅員に訳を話せば、なんらかの便宜を図ってくれるかもしれないからです。
『最低でも毛布を貸してもらいたい、そうすれば待合室で夜を越せるから』、そう思ってました。
しかしこの駅は無人駅のようでした。
改札口に駅員がおらず、寂しい蛍光灯の灯りしかありません。
これでは誰に助けを求めることは出来ません。
がっかりしながら改札口を通った、まさにその時でした。
「おめでとうございます!」
パパパァンと辺りにクラッカーが鳴り響きました。
驚いて音の方を見ると、そこにはたくさんの人が!
どうやら見えない位置にいたようで、たくさんの駅員たちがやってきました。
「おめでとうございます」「おめでとう」「素晴らしい」「感激した!」「言葉にならない」
駅員たちは、拍手しながら思い思いの祝福の言葉を投げかけてきます。
ですが僕には何のことか分かりません。
慌てて騒ぐ駅員を宥めます
「ちょ、ちょっと待ってください
なんなんですか!?
いったいどういうことですか!?」
僕が叫ぶと、駅員たちはバツが悪そうに頭を下げました。
「これは失礼しました。
実は、お客様は駅開設から千人目の来訪者なのです。
それを記念して、こうしてお出迎え致しました」
それを聞いて、急に罪悪感が芽生えました。
自分はこの土地に来ようと思って来たわけではありません。
縁もゆかりもなく、ただ寝過ごしただけなのです。
本来なら用事があってここに来る人が祝われるべきなのに。
後ろめたい気持ちでいっぱいで、とても本当のことを言うことができませんでした。
これ以上、この話題を続けると罪悪感で押しつぶされてしまう……
そう思った僕は、話を逸らすことにしました。
「あの……
ここで一晩泊まっても大丈夫ですか?
時間を間違えて、こんな夜遅くに到着してしまったんです……」
「そういうことでしたら、そのあたりにある適当な空き家で寝て構いませんよ」
「不法侵入では?」
「大丈夫ですよ。
誰のものでもないので、気に入ればそのまま使ってもらって構いません」
駅員の言葉に引っかかりましたが、千人目だからといって家をもらうわけにはいきません。
丁重にお断りすることにしました。
「流石にそれは……
誰も住んでいないからって、家を乗っ取るような真似は出来ませんよ。
それに朝一番で、帰らないといけませんし……」
「帰る?」
『帰る』という言葉に反応し、駅員たちが急に険しい顔になりました。
僕は豹変した彼らに恐怖を感じました。
なにか、言ってはいけない事を言ってしまったようで、先ほどまでの友好的な雰囲気はどこにもありませんでした。
「お客様、ここがどこか知らずにやって来たんですか?」
駅員は一歩、僕に詰め寄ります。
「あー、実を言うと寝過ごしてしまいまして……」
「そうですか……
ですが残念なことに、帰ることはできません」
「し、仕事があるので!」
「残念ながら」「帰れませんよ」「帰れない」「二度と戻れない」「ずっとこのまま」「ずっとずっと」
駅員たちは一歩、また一歩と詰め寄ってきます。
僕は後ろへ下がりますが、その度に駅員は前へ出て僕を追い詰めます。
しかしどこまでも逃げることはできません。
僕は壁際まで追い詰められ、死を覚悟しました。
「帰れないんですよ」
そう言いながら、駅員は手を伸ばして――
「帰ろうと思っても帰れないんです……
可哀そうに……」
僕の肩をポンと優しく叩きました。
「……ふぇ?」
何が起こったか分からず、僕は変な声を上げてしまいました。
駅員に説明を求める目線を送ると、駅員は静かに頷いて話し始めました。
「知らないようなのでお教えします。
ここは『きさらぎ』駅。
来たら最後、二度と帰ることができない魔境です」
「き、きさらぎ駅!?」
驚きのあまり、叫んでしまいました。
きさらぎ駅といえば、ネットでしばしば噂されるの伝説の駅。
訪れた報告は多数あるが、帰れた話は皆無という最恐のホラースポット。
まさか、ここがそうだなんて……
「じゃあ、ここにいる皆さんは……」
「はい、ここに来て帰れなくなった者たちです。
もちろん帰る方法は探しましたが、見つけられませんでした」
「そんな……」
僕はショックで何も言えませんでした。
それを見て駅員は、優しく声をかけます。
「悪いことは言いません。
今までの人生はお忘れください。
しがみついても辛いだけですよ」
「そんな……
そんなことって……」
僕はその場で崩れ落ちたのでした……
🚃
「それが今までのあらましです。
この事からも分かるように、僕は来たくて来たわけじゃありません。
絶対に帰らないといけないんですよ!
――って聞いてますか?」
駅員がいつのまにか円陣を組んで、なにやらひそひそ話をしていた。
聞きたいと言ったのはそっちなのにと憤っていると、円陣の中から一人の駅員が出てきた。
「一つ質問いいですか?
さきほど電車に乗るのが久しぶりと言ってましたが、普段はタクシーを使って帰るという事ですか?」
『なんでそんな事が気になるんだ?』
そう思ったが、嘘をつく理由も無いので正直に言うことにした。
「安月給にそんな余裕はありませんよ。
会社に泊まります」
そう言うと駅員たちが再び円陣を組みざわめき始めた。
「社内泊が常態化!?」「残業してるのに安月給!?」「最低時給はどうなってる?」「法律違反では?」「休日があるかどうかも怪しい」「おかしい事に気づいてない」「言葉にならないものがある……」「ホラーよりも怖い」
駅員が思い思いの事を言い合っていた。
どうしてそんなに盛り上がれるのか分からない。
呆れて眺めていると、また円陣から一人の駅員が前に出た。
「お客様、ここに来て正解ですよ。
ここは何もないところですが、ブラック企業もありませんので」
「だから!
帰らないといけないと!
何度言えば!」
「申し訳ありません。
ですが話は明日にしましょう。
一晩ゆっくり眠れば、落ち着いて考えられます」
「僕は最初から落ち着いている。
寝ぼけてたりなんかしない!」
「まあまあまあ」
駅員と言い争いをしていると、いつのまにか二人の別の駅員が両脇に立っていた。
不思議に思っていると、突然駅員たちが僕の腕を掴んだ。
「では、一番いい家にご案内しますね。
ゆっくりお休みください」
「離せ、僕は帰るんだ!」
「ではまた明日」
そうして僕は空き部屋に詰め込まれ、眠れぬ夜を過ごすした。
――つもりだったが、疲れが出ていつの間にか寝ていた。
そして目が覚めたらもうお昼。
今から会社に出ても遅刻だ。
どうしよう。
その時僕は思った。
「もう一度寝よう」
遅刻、残業、きさらぎ駅……
色んなことが頭を駆け巡るが、もはやどうでもいい。
考えなきゃいけない事でいっぱいだが、何も考えたくない。
自分はもう限界だ。
「おやすみなさい」
寝たところで何も解決しないけれど、寝なくても解決しない。
だったら寝る事を選ぶ。
どうせ何も変わらないのだから。
僕は何もかもを投げ出して、夢の世界へと旅立つのであった。
8/20/2025, 1:44:46 PM