52.『水たまりに映る空』『さあ行こう』『夢見る少女のように』
これは令和のお話です。
あるところに須藤凛子という女性がおりました。
彼女はゲーム大好きで、特に任天堂が出すゲームを愛していました。
任天堂の出したゲームは古いハードも含めて全てコンプするほど熱心なゲーマーです。
言葉を選ばないのであれば、彼女は重度の任天堂信者でした。
そんな彼女です。
今話題のSwitch2の抽選販売に申し込むのは当然の流れでした。
当選発表まで眠れない夜が続く凛子でしたが、祈りが通じたのか晴れて当選のメールが来ます。
受取日当日、休みを取って近所のコンビニでswitch2を受け取る凛子。
天にも昇るような気持ちで我が家に向かいます。
いい歳した大人がスキップする様子は、周囲の人々から注目されましたが、当の本人は気にしません。
夢見る少女のように、鼻歌を歌いながら家路につきます
凛子は幸福の絶頂にいました。
手に持っているSwitch2を見ながら『何があってもこの手は離さない』と誓いました
しかし、不幸というものは油断したときに襲い掛かって来るもの。
足元の注意がお留守になっていた凛子は、ポイ捨てされた空き缶を踏み転んでしまいました。
「あっ」
勢いよく滑ってしまった彼女は、思わずswitch2を手放してしまいます。
そして放Switch2は、放物線を描きながら水たまりの中に落ちてしまいました
「ヤバい!
遊ぶ前に水没で壊すなんて洒落にならない」
凛子はすぐに拾い上げるため、慌てて水たまりに駆け寄ります。
しかし不思議なことに、目に映るのは水たまりに映る空ばかり。
switch2はどこにもありません。
なにが起こったか分からず右往左往する凛子。
その時不思議な事が起こりました。
「私は水たまりの女神です。
お前はこの水たまりに物を落としましたね」
なんという事でしょう。
水たまりの中から女神が現れたのです。
凛子がその神々しさに呆けていると、さらに女神が言葉を続けます。
「あなたが落としたのは、この金のswitchですか?
それともこちらの銀のswitchですか?」
「いいえ、私が落としたのはマリカー同梱版のswitch2です」
凛子が正直に答えると、女神は驚いたような顔をします。
「なんと正直なのでしょうか。
この嘘と裏切りで満ちた現代社会において、アナタのような正直者がいるのはとても素晴らしい事です」
「光栄です」
「正直者のアナタには、贈り物を与えましょう。
こちらの金のswitchと銀のswitchをどうぞ」
「ありがとうございます」
凛子は女神から金と銀のSwitchを受け取ります。
最新のSwitch2ではなく、旧型のSwitchでしたが、金と銀の価値は不変のもの。
その妖しい輝きに、凛子の目は釘付けでした。
その様子を見ていた女神は、満足そうに頷きます。
「アナタならば、きっと有効活用できるでしよう」
「はい、女神様の好意を無駄にはしません。」
「期待していますよ」
そういうと女神はニコリと笑い、そのまま水たまりの中に消え――
「ちょっと待て」
凛子は、女神の肩をがっしりと掴みます。
肩を掴まれた女神は、先ほどより少しぎこちない笑みを浮かべて凛子を見ます。
「……なんでしょう?」
「『なんでしょう?』じゃない!
他に渡すものがあるだろ?」
「いいえ、それで全部です。
さすがに銅のswitchはありませんよ」
「そうじゃない!
switch2を返せ!」
凛子がそう言うと、女神はチッと舌打ちをした。
「舌打ち!?
女神が舌打ちだって!?」
「仕方ないではありませんか!
女神だってswitch2が欲しいのです」
「抽選落ちたんか!」
「ええ、落ちましたとも!
いつも人々の幸福を願っていると言うのに酷いと思いませんか?」
「酷いのは貴様だ。
switchを2台と、最新のswitch2が釣り合うと思ってんのか!」
「釣り合いますよ。
そのSwitchを売れば、ざっと1000万!
ブームが落ち着いた頃に、100台でも200台でも買えばよいのです」
「分かってねえな!
発売日にプレイするっていう経験は金に換えられねえんだよ!
とにかくSwitch2を返せ!」
凛子はそう言うと、女神の隠し持っていたswitch2を奪い返します。
「金と銀のswitchはいらねえから、とっとと失せろ!」
「ええ、分かりましたよ!
この欲深い人間め!
呪われてしまえ」
女神は捨てセリフを吐くと、水たまりの中に消えていきました。
凛子はというと、水たまりにツバを吐きその場を去っていきます。
これで、人間と女神のswitch2を巡る争いは終わったのでした。
しかしその様子を見ていた男がいました。
彼の名は悪朗。
転売によって生計を立てている嫌われ者でした。
今日は転売用のSwitch2を受け取った帰り道、凛子と女神のやりとりを目撃したのです。
そして彼は思いました
「あいつはバカだ。
金銀のswitchを渡せば大金持ちになれるのに」
switch2はもともと転売用に買ったもの。
彼はゲームには興味がありません。
手っ取り早くお金を稼げるのなら、渡すことになってもSwitch2は惜しくはありません。
そう考えるのは自然なことでした。
「転売してもたかだか10万そこらだが、女神に渡せば1000万。
すぐに大金持ちだ」
悪郎は、自らの輝かしい未来を想像し、思わず笑みがこぼれます。
「さあ行こう。
これが俺の輝かしい未来への第一歩だ」
悪朗は、まるで夢見る少女のように鼻歌を歌いながら、水たまりに近づきます。
「わあしまったあ」
やや棒読みで転ぶフリをする悪郎。
もちろんぬかりなく水たまりにswitchを放り込みます
ドボンと音を立てて沈むswitch2。
その様子を悪郎は目を輝かせながら見ていました。
そして予想通り水たまりから女神が現れました。
「私は水たまりの女神です」
「よし来た!」
悪朗は心の中でガッツポーズします。
これで、自分は大金持ちだ。
悪郎は計画の成就を確信します
ところがです。
どれだけ待っても、女神は何も言いません。
不思議に思って女神を見れば、その手に持っているのは先ほど悪朗が落としたばかりのSwitch2。
凛子の時は、最初から金銀のSwitchを持っていたのに、これはいったいどういう事か?
悪朗は予想外の展開に、焦り始めました。
「あなたが落としたのは、このSwitch2ですね」
「あ、はい……」
悪朗が答えると、突然涙を流す女神。
さすがの悪朗も狼狽えます。
「あなたが、先ほどのやり取りを見ていたことには気づいていました。
抽選に申し込むも、落選してしまった私を哀れんでくれたのですね」
「あー、そうです」
別にそんな事全然思ってないけれど、女神の不興を買って没交渉にしたくない。
そう思った悪朗は、適当に話を合わす事にしました。
「ですが!
あなたのおかげで、私の手の中にSwitch2がある。
感謝します!」
「それは良かった……
では金銀のSwitchを……」
「さっそくSwitch2で遊んできます!
あなたの人生に幸あれ!」
「待て、ちょっと待ってくれ!」
帰ろうとする女神に、とっさに手を伸ばします。
しかし手はむなしく空を切り、女神は水たまりの中に消えてしまいました。
そして残されたのは、悪朗と水たまりだけ。
Switch2は無くなってしまいました。
悪朗のSwitch2は、転売目的とはいえお金を出して買ったもの。
それを女神にタダでもタダで持っていかれてしまい、悪朗は丸々赤字になってしまいました。
大富豪の未来から、また一つ遠のいてしまった悪朗……
その現実を受け入れられず、悪朗はいつまでもその場に立ち尽くすのでした。
これでこのお話は終わりです。
さて、このお話の教訓は何でしょうか?
『欲張りはすべてを失う』?
『悪い事はするもんじゃない』?
『人生、何事もほどほどが一番』?
『転売は悪』?
いいえ、違います。
このお話の教訓は『飢えた獣の前にエサをぶら下げるな』。
Switch2が欲しい人間の前に、Switch2を見せつければトラブルになるのは自然なこと。
今回も、深く考えずに女神にSwitch2を差し出した悪朗が悪いのです。
まさに自業自得と言えるでしょう。
これを読んでいる皆さんも、目先の大金につられて、Switch2を見せびらかせてはいけません。
悪朗のようにSwitch2を失うかもしれないのですから……
『傘の中の秘密』『約束だよ』『恋か、愛か、それとも』
恋か、愛か、それとも万引きか?
自身が経営するアンティークショップで、『中古の傘』コーナーに熱のこもった視線を向ける若い女性がいた。
かれこれ2時間ほど居座っており、懐に心配があるのか時折ウーンウーンと唸っていた。
わがアンティークショップでは、他の店よりも幅広い商品を扱っている。
そのうちの一つが、女性が見ている『中古の傘』なのだ。
けれど、ただ傘と言ってもウチにあるのは一山いくらのビニール傘ではない。
いわゆる高級傘と呼ばれる、ハイエンド物だ。
高級には高級なりの理由がある。
耐久に優れ、デザインが優れ、機能に優れる。
全ての点においてワンコインの物とは比較にならないのだが、その分お値段も張る。
一万ぐらいのそこそこ手ごろな物から、二十万と目玉が飛び出るような物まで。
安い価格帯でも若者が躊躇する値段だが、中古ならばいくらかハードルが低い。
そのため憧れの高級傘を手に入れるべく、熱心に物色する客は珍しくない。
万引きされる可能性もあるため目は離せないが、邪魔にならない限りは暖かい目で見守っていた
だがもうすぐ閉店時間。
そろそろ買うか買わないかを決めてもらわないと、店を閉めることが出来ない。
どうしたものかと考えていると、女性は突然「ヨシ!」と声を上げた
「店長さん!
これ会計して!」
「あいよ」
嬉しそうに笑みを浮かべる女性から傘を受け取り、カウンターに置く。
そして傘に付けた値札を見て、あることに気づいた。
「お客様、申し訳ありません。
これ売りものじゃないんですよ」
「ええ!?」
女性がショックを受ける。
無理もない。
悩み抜いて選んだ傘を売れないと言われたのだ……
納得がいくわけがない。
「売れないってどういうこと?」
「不良品なんですよ」
「不良品?」
「部品が壊れていのか、この傘は開かないんです。
捨てようと思っていたんだけど、忘れていまして……
とにかくこの傘は使えないんです」
「ああ、そういう事でしたか……」
女性は合点が言ったかのようにウンウンと頷く。
どんなに気に入ってても使えなければ意味が無い。
『直せ』と言われることもあるので、納得してもらって安心する。
しかし、
「買います」
「えっ!」
女性の口から出た言葉に耳を疑う。
不良品なのに買う!?
なんで!?
「それ不良品だよ!」
「大丈夫、大丈夫。
開かなくても問題ないし」
「問題大ありでしょう!」
「そもそもこれ、傘じゃないし」
「傘じゃない……?」
女性の持っている傘をまじまじと見る
傘じゃないと言うが、どう見たって傘でしかない。
開かない傘を傘と呼んでいいかは議論の余地はあるが、禅問答をしたいわけじゃあるまい。
「ああ、店長さんは本当にこれが何かご存じで無いのですね」
「お客さんは知っていると」
「ええ、この傘には秘密があります」
「秘密とは?」
「うーん、本当はダメなんですが、このままだと売ってくれそうにありませんね。
せっかくですし傘の中の秘密、ご覧に入れて見せましょう」
「本当は秘密だよ~」と聞の抜けた声で笑う女性。
何が始まるのかと思っていると、女性は傘の横にしてその先を自分に向ける
『どこかで見たことがあるな』と思っていると、
ドコオオオン
突如店内に大きな破裂音が響く。
そして顔の横を何かが掠め、後ろの棚にあった小物が粉々に砕けた。
突然の出来事に一瞬なにが起こったか分からなかったが、数秒ほどして傘の正体に思い至る。
「じゅ、じゅ、銃!」
「はい銃です。
傘に擬態した銃――仕込み傘ってやつですね」
どこかで見たか思い出した。
海外のスパイ映画である。
たしかこんなシーンがあった。
そして傘を向けられた相手は――
「スイマセン。
まさか弾が入るとは思わなくて、暴発してしまいました」
女性はペコリと頭を下げる。
どうやら殺されるわけではないらしい
どうやら今のは純粋に事故だったらしく、申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。
命が助かったことに、心の底から安堵する。
「それで、ですね。
これ売ってもらえませんか」
「え……」
「あの、これ代金です」
ドンという音と共に、カウンターに札束が置かれる。
それこそ映画でしか見たことが無いような帯で包んである札束だ。
その札束が計10個。
しめて1000万円である。
あまりの現実離れした光景に、その場に倒れそうだった
「あの、多すぎでは……」
「いえ!
普通の傘ならともかく、仕込み傘となればこれくらいします。
お金を出しても手に入るか分からないくらいの代物ですから」
「それでもこんなに頂くわけには……」
「……口止め料も含まれています」
「何分、日本では非合法なもので……」と付け加える。
なんと言っていいか分からないでいると、女性は傘を脇に抱え店を出ようとする
「まって、お客さ――」
「店長さん……」
とっさに引き留めようとすると、女性がくるりと振り向き優しく微笑んだ。
「ここで起こったことは誰にも言わないでね。
約束だよ」
微笑みの中に、とてつもない殺気を感じる。
約束を破ったらどうなるのだろうか……
間違いなく、よくない事が起こるに違いない。
何も言い返さないのを肯定と取ったのか、女性は満足そうな笑みを浮かべ去っていった。
姿が見えなくなって安心したのか、そのまま地面にへたり込む。
あの女性何者なのだろうか。
なぜ仕込み傘を買い求めたのか。
分からないことだらけだ。
でも一つだけ分かる事がある。
「秘密は暴くもんじゃない」
世の中にはたくさんの秘密があり、秘密なのには理由がある。
さっきは傘の中の秘密を暴こうとして死にかけた。
女性の秘密を暴けば、今度こそ命は無いだろう。
「店を閉めたら映画でも見よう」
なんでもいいけれど、傘がちゃんと傘をしている映画がいい。
そんな事を思いながら、店を閉めるのであった
『まだ続く物語』『勝ち負けなんて』『雨あがり』
「ううっ、この漫画、いい話だなあ」
俺は感動の余韻に浸りながら、持っていた漫画を脇に置く。
読んでいたエピソードが素晴らしく、思わず感動してしまった。
特に雨上がりの公園で、主人公とヒロインが結ばれるシーン。
敵同士だった二人が、何も言わず肩を寄せ合う場面は涙無しには語れない。
憎み戦っていたのに、勝ち負けなんてものを超えて愛を育む。
これ以上尊いものがあるのだろうか?
構図、タイミング、エモさ。
すべてが揃った最高の展開である。
きっと漫画史上に残る、最高の演出として後世に語り継がれることだろう……
そんな素晴らしいストーリーに、俺は気がついていたら泣いた。
人生で一番泣いたと思う。
いい歳した男が泣くなよと思われるかもしれないが、漫画を読むのは十年ぶりなのだから仕方がない。
久しぶりの漫画に、感情の洪水が止まらないのだ。
『十年漫画を読んでない』と言うと、『国外にでもいたのか?』と聞かれそうだが、残念ながら違う。
ぶっちゃげ国外だったらどれほどよかった事か……
国外でなければどこにいたかって?
それは異世界。
俺はこの数年間、異世界に勇者として召喚されていたのだ。
魔物が跋扈《ばっこ》し、魔王が世界を滅ぼそうと企むファンタジーな世界。
そこに俺は召喚され、当然の様に勇者として魔王討伐を命じられた。
文句は山ほどあったが、魔王を倒さなければ元の世界に戻れないと言われたので、仕方なく冒険に旅立った。
チートこそ貰ったたものの、旅は過酷だった。
魔物は強いし、途中から四天王とやらも出て来るし、人間同士の争いに巻き込まれたことも少なくない。
命の危機に晒されることも多く、総じて最悪の経験だった。
だからこそ、今ある幸せを噛みしめる。
現代日本、平和な世界。
魔王もおらず、俺をダシにして儲ける悪党もいない
なんて素晴らしいんだ。
「おっと、浸ってる場合じゃない。
次の漫画を読もう」
頭を振って切り替える。
もう冒険は終わったのだ。
のんびり過ごすに限る
次に読むのは先ほどの感動的な展開を見せた漫画の続巻である。
あの二人はどうなってしまうのか!
気になって仕方がない。
そう思いながら本を開こうとしたとき、ある考えが頭をよぎる
『あんなに綺麗に終わったのに、まだ続きあるの?』と……
別に文句があるわけじゃない。
一読者として、これからも彼らの物語を読めるというのは光栄なことである。
けれど続編があったばかりに、作品自体の評価を落とすことは、それなりに聞く話である。
『あの時あそこで終わっていれば』
オタクなら一度は経験する悲劇である。
ハッピーエンドの先にもまだ続く物語は、当事者はどう思っているのだろうか……
もちろん現実問題として、ずっと順風満帆はありえない。
この漫画の二人だって、運命のイタズラで破局してしまうかもしれない……
けれど本人たちの努力に関係ないところで、彼らの平穏が脅かされるのは絶対に違う。
もし自分がその立場だったら、きつと俺は暴れるだろう。
何が起こっても知ったことか!
巻き込む方が悪い。
ても、まあ、
「俺には関係のない話だ」
自分に続編は無い。
漫画の世界ではよくある話でも、現実ではあり得ない。
フィクションだからこそ許される展開で、現実には『評判良かったから続きます』なんて事はない。
俺を召喚した異世界も、魔王は倒され平和になった。
邪神の言い伝えがあったが、その邪神も紆余曲折あって倒している。
なので、あの世界は破滅の危機に陥ることはないだろう
少なくとも俺の生きている間は。
そう思っていた時だった。
突如、座布団の周りに魔法陣が浮かび上がる
「これは!」
数年前、異世界に飛ばされたときの魔法陣!
『逃げよう!』と思った時にはもう遅い。
あっという間に光に包まれ、気がつけば目の前に豪華な服を着た王様がいた。
一瞬、前に俺を呼んだ王様かと思ったが、知らない奴だった。
周囲の衛兵を見渡しても、見知った顔は居ない。
どうやら俺は、以前召喚された世界とは別の世界に召喚されたようだ。
俺はいったいなぜ呼ばれたのだろう……。
現実逃避するが、俺の事情などお構いなしに王様が厳かに話し始めた。
「おお、勇者よ、よくぞ来てくれた。
我らの世界は、魔王の脅威にさらされておる。
お主の活躍は、違う世界に住む我々も聞き及んでいる
どうかその力を貸してもらえんだろうか?」
予想通りの言葉に、俺は大きくため息をつく。
まさか他の世界からお呼びがかかるとは……
「俺にも続編があったのかぁ……」
全く予想が出来なかった。
この心の底から湧いてくる怒りは、どうしてくれよう?
ここで、目の前にいる王様にぶつけるか?
それとも原因を作った魔王に八つ当たりをすべきか?
どちらにせよ、
「やっぱ続編はクソだわ……」
こうして俺の物語は続まだまだ続くのだった。がり』
49.『これで最後』『さらさら』『渡り鳥』
日本の北海道に、 『ワタリ』と呼ばれている女性が住んでいました。
冬が近くなると徐々に南下し、夏の気配を感じれば北上する。
そういった一風変わったライフスタイルが、『まるで渡り鳥のようだ』と言われ、いつしかワタリと呼ばれるようになったのです。
なぜ彼女がそんな奇妙な生活を送っているのでしょうか?
それはワタリが雪女という事と関係があります。
雪女は暑さが苦手です。
真夏日ともなれば文字通り溶けてしまいます。
気温が下がれば温暖な南の方で過ごすこともできますが、それでも危険なことに変わりません。
そのため、ほとんどの雪女は北海道から出ることはなくそのまま生涯を終えます。
しかしワタリは、死の危険を冒してまで南の方へと向かいます。
しかも毎年です。
周囲の者が止めるのも聞かず、南へと旅立ちます。
何が彼女をそこまで突き動かすのか?
それは、彼女が無類のラーメン好きだからです。
一日三食ラーメンでも問題ないレベルのラーメン狂で、危険を冒してご当地ラーメンを食べるために日本各地を回るのは、当然の帰結でした。
雪女はラーメンを食べません。
ラーメンは熱々なので、体が溶けてしまうからです。
しかし危ないからと家族が止めても、
「一歩間違えれば死ぬという感覚が、私に生きる実感をもたらしてくれる!」
と血迷った事を言って、周囲を困らせていました。
ある年の春の事です。
その年のラーメン行脚が終わり、北海道の家に戻っていた時の事。
彼女は体の異変を感じました。
「あれ?
なんか体が重いや……」
ワタリは『そのうち治る』と最初は気にしていませんでした。
ですが、いつまで体調が戻らないことに恐怖を覚えます。
『ラーメン、知らないうちに溶けていたのか?』
ワタリは迷いましたが、家族の勧めで病院に行くことにしました。
そしてワタリを診察した医者の言葉は、死の宣告に等しいものでした。
「食生活の乱れが原因です。
見てください、この血を。
さらさらの血液が、こんなにもドロドロするのは普通ではありません。
即刻食生活の改善を!
もちろんラーメンは禁止です」
ワタリは泣きました。
ソウルフードであるラーメンが食べれなくなったからです。
ラーメンを食べれないなら生きる意味が無い。
彼女は絶望のあまり一晩中泣きました。
そして翌朝、心配する家族の前に姿を現しました。
家族の慰めの言葉には気にも留めず、キッチンへと向かいます。
そして家族が見守る中、ワタリはあるものを取り出します。
インスタントラーメンでした。
それを見たワタリの母親が叫びます
「ワタリ、いい加減にしなさい!
死ぬわよ」
「これで最後だから」
「最後って何?
それを食べたら死ぬのよ!」
「最後だから。
最後の晩餐だから」
「死んだ方がマシって言うの!?
ワタリ!
正気に戻りなさい!」
こうしてラーメンと共に死のうとしたワタリは、家族に取り押さえられ、ラーメンは食べることはできませんでした。
しかし隠れてラーメンを食べるかもしれないと危惧した家族は、家の中のインスタントラーメンを全て処分し、近所のひとにも協力を仰ぐという大掛かりな事態になりました。
そのおかげでワタリはラーメンを食べることが出来ず、健康的な食生活を送り、みるみるうちに体調は改善しました。
家族は一安心でしたが、納得出来ないのはワタリです。
大好きなラーメンを食べることが出来ず、不満でいっぱいでした。
そして季節は秋。
気温も下がり、今年もまたラーメン行脚の時期がやってきました。
旅に出ようとするワタリに、はじめは不安の色を隠せない家族。
しかし今まで我慢したからと、渋々許可をします
「今まで我慢した分。
腹いっぱいに食べてやる」
こうして旅に出てラーメンを食べまくったワタリ。
しかし歴史は繰り返す。
帰る頃には体調を崩し、再び一騒動を起こすのでした。
『歌』『やさしい雨音』『君の名前を呼んだ日』
最近妻を名前で呼んでいない。
ケンジはふとそう思った。
ケンジと妻のナオミは、結婚してから今年で三十年である。
結婚当初は名前で呼び合っていたのだが、子どもが生まれてからは『お父さん』『お母さん』と呼び合うようになり、それ以来名前では呼んでいない。
息子は既に家を出て一人暮らしをしてるので、今も続ける理由は無いのだが、なんとなく変えられずにいた。
ケンジは今までそのことに疑問に思わなかったのだが、ナオミが見ているテレビがきっかけで気づいた。
テレビでは、若者に人気の歌手がラブソングを歌っている。
ケンジは興味が無いのだが、この歌手はナオミの大の気に入りであり、付き合いで一緒に見ていた
『君の名前を呼んだ日はいつも特別』。
そんな歯の浮くような歌詞を感情込めて歌う彼らを見て、ケンジは若い頃を思い出した。
昔は歌詞の通り、ケンジたちも名前を呼ぶ呼ばないで一喜一憂していた。
しかしいつしか慣れて特別感は無くなり、子供が生まれてから名前を呼ばなくなった。
その事について、ケンジは残念だとは思わない。
世間ではどうなっているかは知らないが、少なくとも自分たちにとってはこれが自然なのだ。
それにケンジとナオミはいい大人。
若者のように青春する年齢でもない。
それでも、とケンジは思う。
ケンジとナオミは、お互い好きで一緒にいる仲だ。
このまま名前を呼ばないで死んでいくのはもったいない。
少し恥ずかしいが、これを期に名前を呼んでみるのも悪くないと思えた。
ケンジは大きき深呼吸し、熱心にテレビを見ているナオミに呼びかける
「お母さん、少しいいかな?」
「どうしましたか、お父さん?」
ケンジの呼びかけに、何も知らないナオミは振り返る。
その顔を見てケンジは顔が熱くなるのを感じた。
「ナ、ナ、ナ……」
「ナ?」
そこでケンジは気づいた、名前を呼ぶのは想像以上に恥ずかしいと……
ケンジは妻の名前を数十年間呼んでいない。
そのことが、いつしか慣れによって無くなった特別感を生み出していた。
だがケンジも男である。
男のプライドに賭け、一度決めたことは捻じ曲げまいと、意思を新たにする。
「ナ――なんというのだったかな?
今テレビに映っている歌手は?」
だがケンジは日和った。
恥ずかしさのあまり、意思を捻じ曲げてしまったのだ。
「おや、どうしたんですか?
お父さんはこう言った事には興味が無いと思っていました」
「ああ、いい歌を歌うと思ってね。
ファンになったんだ」
「ふふふ、嬉しいわ。
お父さんとの話題が増えるのね」
ナオミは、まるで年頃の女の子の様に頬を赤らめる。
それを見てケンジは、今さら嘘だと言えない雰囲気を察し、さらに嘘を重ねる
「どういう歌を歌うんだ?」
「そうですねえ。
穏やかな恋の歌を歌います。
やさしい雨音の様な、すっと心の中に入って来る歌です」
そう言っている間に、テレビでは歌手が歌い終わっていた。
ケンジはそのまま退場するのかと思ったが、そのまま二曲目を歌い始めた。
歌手の額には汗が浮かんでおり、疲労の色が滲んでいたが、そのことを感じさせない程生命力に溢れていた
「若いですよねえ、彼ら。
私たちの若い頃を思い出しますよ」
「そうだな」
「ふふふ」
「なんだい母さん。
笑ったりなんかして」
「ねえ、お父さん。
せっかくなので、私たちも名前で呼びませんか?」
ナオミの言葉に、ケンジは驚いた。
自分の心の中が読まれたかと思ったからだ。
ケンジが驚愕しているのも知らず、ナオミは言葉を続ける。
「いえね。
この人の歌を聴いていると、なんだか若い頃に戻った気がするんですよ
お互いを名前で呼んでいたあの頃にね……
きっと、歌に当てられてしまったんでしょうね」
「そうか……」
ケンジは迷った。
ナオミの提案は、ケンジにとって渡りに船だった。
このまま名前を呼び合えば、当初の目的は達成できる
だがケンジの中で、あるものが邪魔をしていた。
男のプライドである。
名前を呼び合うだけなら問題ない。
しかしお互いいい年なのに、付き合いたてのカップルのように名前を呼び合うと言うのは、些かというには恥ずかしすぎた。
どうやって断ろうか。
ケンジはそのことに思考を集中させる
しかし――
「ねえ、お父さん。
たまにはいいでしょう?
ね、お願い」
ナオミが猫撫で声で、ケンジを誘惑する。
ケンジはナオミの『お願い』に弱い。
これでは断る事が出来ないと感し、降参の意を伝えるために両手を上げた
「分かった、分かったから。
まったく敵わないな」
ケンジが白旗を上げると、ナオミは満面の笑みを浮かべた。
「ふふ、嬉しいわ。
お父さ――ケンジさん」
「ああ、だが少し恥ずかしいな。
その……、ナオミ」
「ケンジさん」
「ナオミ」
二人はお互いに呼び合う。
ケンジは恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだったが、ナオミの幸せそうな顔を見て、それで十分だと思った
だがケンジは気づいていなかった。
全てはナオミの策略であることに。
数週間前、ナオミはケンジよりも早く気づいていた。
最近夫の名前を呼んでいない事を……
そしてケンジとは対照的に、そのことを寂しいと思っていた。
そこで、なんとかして名前を呼び合う仲に戻れないかと考えていた。
だがナオミはこうも思った。
これでも付き合いの長い夫である。
呼んでほしいとお願いしても、素直には聞いてくれないだろう
自分だけが夫を名前で呼ぶというのも、それはそれで乙なものだが、せっかくならば夫にも自分の名前を呼んでもらいたい。
そこで一計を案じたのが、サブリミナル作戦である。
自分の趣味である歌番組の鑑賞に付き合わせ、若者向けのラブソングを聞かせ続ける。
そうすればケンジが若い頃の気持ちを思い出し、機を見てナオミが『お願い』すれば上手くいくはず。
そうナオミはソロバンをはじいた。
「ナオミ」
「ケンジさん」
かくして計画は成功し、ケンジは罠にかけられた事に気づかないままナオミの名を呼ぶ。
だがそれは些細なことだろう。
こうして二人だけの世界が出来上がったことが大切なのであって、その過程は問題ではないのだ
こうしてこの日から、二人は名前を呼び合うようになった。
そしてこの出来事をきっかけに、二人の熱愛ぶりに拍車がかかり、やがて近所で有名なおしどり夫婦として名を馳せるのであった