ここはとある中華料理店。
早い、安い、ウマいの三拍子が揃った店で、地元の住民が足繫く通う人気の中華料理店であった。
たくさんの客で常に賑わっているこの店が、今日は不気味なほどに静寂に包まれていた。
客がいないわけではない。
いつものように、店内には大勢の客がいるのだが、誰もが皆口を閉ざしていた……
彼らの前で、目が離せない大事件が起こっていたのである。
それは、大食いチャレンジ。
開店以来、だれもクリアした者がいないという、伝説のチャレンジである。
賞金100万円、時間無制限。
ただ出される10種類の料理を完食すればよいという、比較的条件が緩めのチャレンジである。
だがこれをクリアした者はいない。
ある時は力士、ある時は大食い芸能人、果てはプロの大食いバトラーまでやってきたが、全員敗れ去った。
劇辛カレーや、劇甘ケーキ、デカ盛りスパゲッティー、鍋に注がれた味噌汁……
一つ一つは完食出来ても、すべてを食べきるのは物理的、精神的に難易度が高かった。
賞金額に目が眩み、ひっきりなしやって来た挑戦者は悉く返り討ちになり、破られたことのない伝説のチャレンジとして有名なのである
だというのに、チャレンジがクリアされそうになっているのだから、客たちは穏やかではいられない。
しかも、その挑戦者が小柄な女の子だというのだから、なおさらである
「あの小さな体のどこに入っているんだ!?」
「分からん。
ただ一つ言えることは、あの少女の胃袋は宇宙だということだ」
彼女は花の香りと共に現れた。
可愛い洋服に身を包み、漂ってくる香水の香りが生まれの良さが伺える。
けれどスカートは短く、服も適度に着崩されている様子は『どこにでもいるオシャレが大好きな女の子』であった。
「まさか『花の少女』か!?」
しかし、客の一人が気づく。
やって来た少女の正体に。
「なんだ、それ?」
「大食い界隈で有名な奴だ。
花の香水をつけて大食いチャレンジに挑むからそう名付けられた。
様々な大食いチャレンジをクリアしてきた超大物さ」
訳知り顔の客の説明に、聞いていた誰もが本気に取らなかった。
いくらなんでも、あの小さな体では大食いは出来まい。
そう思っていた。
しかしどうであろう。
歴戦の勇者たちを葬ってきた料理の数々が、簡単に平らげられていく。
鬼門と言われる激辛カレーも、涼しい顔で食べた。
時折流れ落ちる汗を優雅にハンカチで拭く様子は、大食いしているようには見えない。
最初は誰も取り合わなかった話も、ここまで来ると信じるほかは無かった。
そして観客が見守る中、9皿目の料理が出て来る。
クリームマシマシ、フルーツマシマシの超特大パフェ。
あまりのハイカロリーに、見る者を胸焼けさせる特級呪物。
しかし少女は、それを危なげなく平らげてしまう。
目の前で起こっている異常事態に、観客の心のざわめきは大きくなるばかりであった。
「これ、いけるぞ。
あの女の子も余裕そうだし、初クリアだ!」
「いや、無理だ」
「次の料理に何かあるのか?」
「ここまで食べた奴は何人もいた。
だが全員最後の料理でギブアップした。
チャレンジクリアは叶わぬ夢さ」
「いったい何が?」
「すぐに分かる」
観客が話し込んでいると、店の奥の奥から店員が出てきた。
店員が持っている銀のトレイの上には、小さな缶詰が一つだけ。
今まで特大の料理が出てきただけに、多くの観客たちは肩透かしを食らっていた。
「あれが最後の料理?
ただの缶詰じゃないか……」
「ふん、知らなければそう思うだろうな」
訳知り顔の客は鼻を摘まむ。
その瞬間、店内に猛烈な激臭が立ち込める。
店員が、もって来た缶詰を開けたのである。
「うわ、何だこれ!?
臭い、臭いぞ」
客が騒ぎ出す。
あまりの匂いに急いで距離をとるが、ここは狭い店内。
逃げる場所など無く、ただ鼻をつまんで耐えるしかなかった。
「そりゃ臭いさ。
あれは世界一臭い食べ物と名高い、シュールストレミングの缶詰めさ」
そんな中、訳知り顔の客だけ落ち着き払っていた。
もっとも腐臭に顔をしかめていたが。
「さて挑戦者はこの匂いの中、食べきれるかね」
観衆が見守る中、少女はシュールストレミングに箸をつける。
今まで余裕を振りまいていた彼女も、この時ばかりは顔をしかめていた。
想像を絶する匂いに、さすがに気後れしたらしい。
しかし逡巡は一瞬の事。
すぐに口に運び、シュールストレミングを食べ始める。
その目には激臭による涙が浮かんでいたが、観客たちも激臭によって涙ぐんでいたので誰にも知られることは無かった。
嫌な時間は早く終わらせるに限ると、シュールストレミングをどんどん口に放り込んでく少女。
しかし少女の限界が近いのか、徐々に顔が険しくなっていく。
少女は匂いのキツイ料理は苦手だったのだ。
ハラハラしながら見守る観客の中少女は食べ続け、ようやく完食した。
店内は喝采で溢れた。
少女の顔は酷いものだったが、誰も気にしなかった。
客たちは目の前で起きた奇跡に感激し、少女を讃え始める。
賞金を払わないといけない店主ですら感激で涙を流し拍手していた。
「凄いもん見た!」
「こりゃすげえぞ。
奇跡だ。
感動した!」
「花の少女、ばんざーい」
「「花の少女、ばんざーい」」
観客たちは、感動のあまり万歳三唱し始めた。
中には写真を撮ろうとする者もおり、少女はそれに応えてポーズを取る。
誰もが感動し、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
その時だった。
店の入り口の扉が開く。
新しい客がやってきたのだ。
「うわ、臭っ」
何も知らない客は、店に入るなりそう漏らす。
換気はしているものの、シュールストレミングの匂いがまだ抜けきっていないのだ。
「花の少女?」
客の耳に飛び込んできた謎の言葉。
それを異様な匂いと結び付け、何が起きたのかを推理する。
「悪いタイミングに来たなあ。
まさかラフレシアが咲いているとは」
25.『終わり、そして始まる』『透明』『君を探して』
ある晴れた日の事。
私は、五歳になる息子と一緒に絵本を読んでいた。
と言っても読み聞かせをしているわけじゃない。
二人で静かに絵本を見ているだけ。
それも同じページをずっとだ。
癇癪持ちの息子も、目を皿の様にして見ていた。
私たちが見ている本の題名は『ウォーリーを探せ』。
幼児向けの絵本で、人ごみの中からウォーリーを探して遊ぶ絵本だ。
これがなかなか難しい。
ご存じの通り、ウォーリーは赤と白の縞模様という特徴的な服を着ている。
何も知らない人は『子供むけだし、そんな変な服の奴はすぐに見つけられるだろう』と思うだろう。
かくいう昔は私もそう思っていた。
だがページを開いた瞬間、その認識はすぐに誤りだと気づく。
目に飛び込んでくるのは、びっしりと書き込まれた人、人、人。
しかも数えるのが億劫なほど人間がいるのに、それなりに書き分けも出来ている事に、私は脱帽するしかない。
そんな酔いそうなほど多くの人間がいる中から、たった一人の人間を探し出すのがこの絵本の目的である。
ハッキリ言って根気のいる作業なのだが、その分見つけた時のカタルシスは心地よい。
世界で売れるのも、納得の完成度だ。
息子も例に漏れずこの本が大好きで、私もしばしばウォーリー探しに付き合わされている。
一人で遊ぶのが大好きな息子が、唯一誘ってくれる遊び。
私はできるだけ一緒にいるようにしている。
一緒に遊べると分かった時の、息子の笑顔。
ご飯三杯はいけるね
が、今回受け入れたことを少しだけ後悔していた。
別に飽きたわけじゃない。
なんなら何時間でも付き合おう。
でも今は、今だけは、ウォーリーを探したくはなかった。
なぜなら私は今、猛烈にトイレに行きたいからだ……
私の膀胱が、これでもかと存在を主張している。
決壊の時は近い。
別に、トイレに行きたくなってしまうのは今回に限ったことじゃない。
尿意があっても、堤防が決裂する前にウォーリーを見つけてしまえばいい。
それだけのことだ。
けれど今日はウォーリーがなぜか見つからない。
いつもは10分、長くても20分で見つけられるのに、今回は1時間かかっている。
透明になったわけでもあるまいし、いったいどこにいるのやら。
もしかして、今回難易度高い奴か!?
子供向けと見くびっておったわ。
「うーん、見つからない。
どうしよう……」
ふと息子が弱音を吐く。
ウォーリーを探す間は、微動だにしない息子が弱気になっている
これは中止の流れか……?
やった!
トイレに行ける!
早速中止の催促を……
――待てよ。
ここで諦めるのは、息子の情操教育に良くないかもしれない。
ウォーリーを見つけること上手いのが自慢の息子。
ここで諦めてしまえば、このことが原因でトラウマになってしまうかもしれない。
そしてトラウマが原因で、人生を悲観し、そしてグレて……
これはいけない!
私の可愛い息子がグレるなんて断じてあってはならない。
息子の将来のため、ここは踏ん張って――
待て待て、さすがに話が飛躍しすぎている。
グレるのは、もっと複合的な原因があるはずだ。
いくら何でもウォーリーが見つからなかったからと言って、グレる事は無いはずだ、多分。
どうやらトイレの我慢のし過ぎで、正常な判断が出来なくなっているようだ。
危ない危ない。
どっちかと言えば、自分の目の前で母親が漏らす方がよっぽどトラウマであろう。
だから今回に限りトイレを優先してもいいはずだ。
ああ、でも……
多分、息子は泣くだろうな。
ウォーリーを探せに人生を懸けているんだもんな、五歳の癖に。
見たくないなあ、泣いている所。
私まで泣きたくなっちゃうもの……
ええい、こうなったら私が見つければいいのだ。
そうすれば息子も泣かなくて済むし、私もトイレに行ける。
よーし気合を入れて頑張るぞ!
でもダメかもしれない。
尿意に気が取られ、全く集中できぬ。
段々視界も霞んできたぞ。
息子よ、お母さんはもうダメだ。
後は頼む。
ああ、我慢のし過ぎで幻覚まで見えてきた。
建物の影に隠れてウォーリーが、私を見て笑っている。
なぜ君は笑っているんだい?
君を探して大変な事になっているというのに、そんなに笑わなくたって――
……ん?
「ここだー!!!」
私は思わず叫ぶ。
そして指の先には赤と白の縞模様の服を着た男性――ウォーリーがいた。
「ママ、すごーい」
息子が小さな手でパチパチと拍手する。
やった、やったぞ。
ようやく見つけた。
私を苦しめるとはなかなか腕前であった。
だが私が本気を出せばこんなものだ
ではトイレに行かせてもらうか。
「じゃあ、お母さんトイレに――」
「じゃあ次ね」
「次……だと……」
私は息子の発言に言葉を失う。
そんな、ウォーリーは見つかったのに!?
驚愕している私を尻目に、息子は次のページをめくっている
終わり、そして始まる。
ようやく長い戦い終わったと思ったら、全然終わりじゃなかった。
育児あるあるであった……
「はは、ははは」
「おかあさん、どうしたの?」
私の乾いた笑いを聞いて、息子はぎょっとした顔をしている。
何かしらフォローをすべきかもしれないが、今の私には余裕がない。
限界寸前の膀胱を刺激しないように、ゆっくりと息子の方に振り向く。
「トイレに行こう」
「え?
でもウォーリーを探さないと……」
「うん、だから――」
私は息子の目をまっすぐ見て言った。
「――ウォーリーは、トイレにいる」
『嗚呼』『願いが一つ叶うなら』『星』
「マッチいりませんか?
マッチいりませんか?」
まだまだ寒い三月のとある夜、星のように街灯が煌めく中で、一人の少女が道端でマッチを売ってました。
少女はどこにでもいるような普通の女の子。
家計の足しにとマッチを売り歩く、心優しい女の子でした。
「このマッチが売れれば、switch2を買ってもらえる!
がんばるぞ!」
若干本音が漏れておりますが、本当にいい子なのです。
確かにswitch2が主目的ですが、家計を助けたいのも本心です。
少女は、自分のため、家族のために必死に声を上げます。
「マッチいりませんか?
マッチいりませんか?」
けれどマッチは一本も売れません。
それどころか見向きもされません。
なぜでしょうか?
人々に少女が見えてない?
いいえ、関わりたくないだけです。
なにせこの話の舞台は2025年3月の日本。
世間がswitch2を待ちわびているこのご時世に、なぜかマッチを売っているのです……
普通ではありません。
そういう事ですので、道行く人々は関わるまいと早足で去っていきました。
それに、今どきマッチなんて使う人はいません。
火を扱う機会自体ありませんし、あったとしてもチャッカマンの方が便利だからです。
そして最初は張り切っていた少女も、何時間粘ってもマッチが売れないことに、ようやく不審に思いはじめました。
「おかしいわ、一つも売れない……
……ていうか、よく考えたらマッチなんて売れるわけないわ!
おのれ母め、どうしてもswitch2を買わないつもりだな!」
少女は騙されたことに気づき憤ります。
さすがに気づくのが遅いのですが、黙っておきましょう。
少女は、冬だというのに体から蒸気が出るくらい怒っていました。
ですが、すぐに怒らなくなりました。
憤るには体力が必要、長時間外で売り子をしていた少女は疲れていました。
彼女はすぐそばにあったベンチに、ゆっくりと座ります。
その様はゾンビのようでした。
「なんだか疲れたわ。
switch2も買ってもらえなさそうだし……
なにもかもどうでもいい」
嗚呼、何という事でしょう。
醜い大人のにれ弄ばれた彼女は、人生に絶望してしまったのです!!
今までの時間がすべて意味のない虚無の時間と分かった彼女は、がっくりと肩を落とし、消え入りそうなほど落ち込みます。
しかし世界は、彼女に落ち込む時間を与える程甘くはありません。
冬の空気は少女の体を冷やしていきます
「とても寒いわ……
そうだ、ここにマッチがあるわ。
これに火を灯して暖を取りましょう」
彼女はマッチの箱を開けて、中身を取り出します。
そして、どうせ売れないからと、マッチ棒を5本ほど出してまとめて出しました。
大盤振る舞いです。
「まるで『マッチ売りの少女』みたいね」
彼女は思い付きを口にします
その時でした。
少女の頭に良い考えが浮かんだのは……
「そうだわ。
私がマッチ売りの少女なら、このマッチの火で不思議なことが起こるかもしれない。
やってみましょう」
少女は持っているマッチの束を握り締め、神様に祈ります
「どうか神様お願いします。
一つ願いが叶うなら、私にSwitch――いえ、お金を下さい。
具体的には一億円ほど、火が消えても幻の様に消えないやつを下さい。
私の懐を温かくしてください!」
少女は自分の欲望に忠実でした。
彼女は純粋な欲望を胸に、マッチに火を点けます。
すると不思議なことが起こりました。
目の前にお金が現れたのです
「すごい!!
これでSwitch2が買えるわ。
それどころかPS5も買える!
私は大金持ちよ!」
少女は大喜びです。
ですが世の中にうまい話はありません。
少女は札束を見て、落胆の表情を浮かべます。
「なによこれ!
子供銀行券じゃない!」
残念なことに、目の前に現れたお金はオモチャのお金だったのです。
お金の偽造は犯罪となってしまうからです。
「くっ!
ならもう一度よ!」
少女は先ほどの言葉に『オモチャじゃないやつ』を付け加えて、もう一度マッチに火を点けます。
ですが何も起こりません。
奇跡は一度しか起こりませんでした。
「そんなあ……」
彼女はがっくりと気を落とします。
本日二回目のぬか喜び。
「大事なお願い事を、オモチャに使ってしまうなんて……」
そう言いながら、彼女はベンチの背にうな垂れます。
しかし、びゅうーーと強い風が吹き抜け、少女は寒さで大きく身震いをします
「それにしても寒いわ。
何とかして暖まらないと……
マッチを付けて――ん?」
少女の目に留まったのは、オモチャの札束の山。
少女の頭に妙案が浮かびます。
数分後、少女はたき火に当たり暖を取っていました
札束を燃やして起こしたたき火でした。
マッチの火よりも暖かく、少女はもう震えることはありません。
しかし少女は、浮かない顔をしていました。
「確かに暖かいけども。
懐は暖まったけども」
彼女の願いは、つまるところ『Switch2で遊びたい』です。
確かに寒いとは思いましたが、たき火にあたりたいまでは思ってませんでした。
意外と融通利かないなあと、少女は不満を覚えます。
「まあ、いいや。
切り替えよう」
少女は頭を振って、考えを切り替えます。
不満に思っても、もう既に過ぎたこと。
どれだけ考えても不毛なのです。
ならば考えるべきは未来のこと。
Switch2を手に入れるにはどうしたらいいか。
そして母の扱いについてです。
「私の純粋な思いを踏みにじるなんて!
母め、絶対に思い知らせてやる!」
少女はたき火にあたりながら、母への復讐計画を練るのでした
23.『風が運ぶもの』『ラララ』『秘密の場所』
昔々あるところに、偏屈なことで有名な男がいました。
男は、風が運んできたものを集めるという、変わった趣味を持っていたのです。
風で飛ばされた瓦やトタンを拾って家を作り、飛んできた木の枝で暖を取って生活していました。
風が運ぶものの中には噂もありました。
例に漏れず、男はそれらも集めます。
情報が重要視されるこの時代において、真偽不明噂もそれなりに価値があるからです。
その情報を欲しがっている組織に売り渡せば、高く売ることが出来ました。
しかし中にはガラクタとしか思えないようなものもあります。
例えば風に流された風船、あるいは糸の切れた凧、誰も読まないチラシ……
それらのガラクタのような物でも喜んで集め、秘密の場所に隠すのが彼のライフワークでした。
ある日、風に流された紙飛行機が飛んで来たことがありました。
すぐに持ち主である少年が取りに来ましたが、紙飛行機を拾った男は頑として返すことはありません。
少年がどれだけ懇願しても返さず、返してほしければと法外な金を請求する始末。
お金を持って無い事が分かると少年を追い返し、紙飛行機を秘密の場所に隠してしまいました。
「金のない奴には用はない」
それが男の口癖でした。
男は普段からそのように振舞っていたので、近隣の住民からは嫌われていました。
しかし男は気にすることもなく、風が運んできたものを集めます。
そうして過ごしていた冬の寒い日のことです。
風に乗って風変わりなものが運ばれてきました。
「ラーララ、ラララ」
なんと歌声が流れてきたのです。
とても素敵で、どこか懐かしさを感じられる歌声でした。
男は思いました。
「なんと素晴らしい歌声だ。
我が家には音楽だけは無かったので、ちょうどいい。
持ち主が来ても知るもんか!
これは俺の物だ」
男はすぐさま歌声を秘密の場所に隠してしまいました
それ以来、毎日歌声を聞くようになりました。
それほどまでに、この歌声が気に入ったのです。
それから一週間経った頃でしょうか。
風に乗って、ある噂が流れてきました。
『とある国で子守唄が歌えなくなった。
そのせいで子供が寝なくて大変らしい』
何という事でしょうか。
男が隠したこの歌は、なんと子守歌だったのです。
海外の歌だったので、男は気づかなかったのです。
しかし、それを聞いた男は特に気にしませんでした。
「子守唄が無ければ、子供を寝かしつけることは出来まい。
だがそれが何だというのだ。
俺には関係ない」
男は今日も歌声に聞き入ってました。
その日の晩のことです。
男は夢を見ました。
夢の中では、男は小さな子供にでした。
そして母親らしき女性に膝枕をされ、子守歌を聞かされていました。
子供の頃の幸せな思い出。
偏屈な男ですら、ずっとこのままでいたいと思わせるほどの優しい時間。
しかし夢には終わりがあります。
目を覚ました時、男は涙を流していました。
男はようやく気づいたのです。
自分のような偏屈な人間にも幸せな頃があった事を……
そして自分の勝手な満足のために、多くの子供たちの幸せを奪っている事を……
「俺は何という酷い事をしたのだろうか……
これは俺だけが独占していい物じゃない。
みんなに返そう」
そう言って秘密の場所から子守唄を取り出し、風に乗せました。
これで歌声は風に乗って再び元の国へと戻り、子守唄が歌われるはずでしょう。
男は、風に乗って離れていく歌声を見送り、満足そうにうなずきます。
「ああ、これも返さないとな」
そう言って、秘密の場所から紙飛行機を取り出します。
男は、子供の頃に紙飛行機で遊んでいた思い出もよみがえったのです。
男はすぐに街へ行き、少年に紙飛行機を返しました。
少年はとても驚きましたが、すぐに笑顔になりました。
「おじさん、誰が紙飛行機を飛ばせるか競争しよう」
こうして近所の子供たちを巻き込み、紙飛行機大会が開催されました。
男はビリになってしまいましたが、とても楽しい思い出になりました。
それ以来、男は意地悪をしなくなり、街の人たちとも仲良くなったそうです
それ以降、はっきりとした男の動向は判明していませんが、風の噂によるとリベンジを果たすためによく飛ぶ紙飛行機の研究をしているそうです
おしまい
22.『ひらり』『約束』『question』
ギィィィ、ガシャン。
廃工場の錆びた扉が、勢いよく音を立てて閉じる。
思いのほか大きな音が出たことに、私は思わず飛び上がりそうになる。
『やっちまった』と思わなくもないが、とりあえず気にしないフリをして辺りを見渡す。
そこは廃工場だった。
長い事使ってなかったのか、あちらこちらで埃が舞っている。
窓が高いところにあるせいで日の光も入ってこず、中は薄暗い。
こんな気味の悪い場所から出ていきたい衝動に駆られずが、私はなんとか押しとどめた。
私はここに用事があってやってきた。
用事を済ませずに逃げかえる事なんて出来ない。
もちろん薄暗い廃工場での用事など、碌なものじゃないと相場は決まっている。
これからここで、誰にも知られたくない取引が行われるのである。
それにしても、と思う。
なぜ私はここにいるのだろうか?
自分で言うのもなんだが、私は今まで清く正しく生きてきた。
こういった裏社会みたいな世界とは無縁だったのである。
労働に汗を流し、美味しいランチを食べ、漫画を読み、そして暖かい布団で寝る。
どこにでもありふれた、普通の生活を送っていた。
だが私はこうしてここにいる。
普通とは程遠い、犯罪者たちの世界……
こんな事でもなければ、関わらずに済んだのにな……
一週間前、友人と打ち上げでカラオケに行った時の事。
『負けた方がちょっとしたお願いを一つ聞く』という条件でカラオケ勝負をすることになった。
酒で気が大きくなっていた私はその勝負に受けて立ち、そして負けた。
そのお願いがこれである。
どこが『ちょっとした』だよ!
『大したことない』と高をくくったばっかりに、こうして面倒ごとに巻き込まれてしまった。
とはいえ、引き受けた以上は仕方がない。
気乗りはしないが、仕事は仕事。
さっさとやって、すぐに帰ろう。
私は気を取り直し、再び工場内を見渡す。
すると中央に一人の男が立っていることに気づいた。
どうやら私の待ち合わせの相手は彼らしい。
男は遠くから見ても分かるほど、『悪人顔』であった。
人を二、三人殺していてもおかしくない凶悪な顔つきで、どう見てもカタギの人間ではない。
人生で関わり合いたくない人種No.1である。
こんな場合でもなければ――いや、こんな場合でも関わりたくない程、普通でない雰囲気を纏《まと》っている
正直もう帰りたいが、そんなわけにもいかない。
私は憂鬱な気持ちで、彼に足を向ける……
「約束のブツは?」
私が近づくと、男は挨拶もなく用件を伝えて来た。
どうやら最低限のことしか興味がないらしい。
私は好都合だと思いながら、ポケットから新聞紙にくるまれた『約束のブツ』を男の目の前に差し出す。
男は待ってましたとばかりにブツを私から乱暴に奪い取り、すぐさま新聞紙を剥がし始める。
そして中から出てきたものを見てニヤリと笑う
そこから出てきたもの――それは拳銃だった。
拳銃……
人を殺すための道具で、それ以外には使われることのない、人殺しの道具。
普通の人間ならば、一生見る事すらない違法な代物だ。
私も見る予定は無かったんだけどなあ……
「これでいいかしら?」
「ああ、問題ない」
私の差し出したものに満足したのか、男は下卑た笑みを浮かべた。
特にこれといったトラブルもなく、このまま行けば何事もなく終わるだろう。
私は内心ホッとしていた。
「それでいいなら、ブツの代金を貰いたいんだけど。
それで取引は成立よ」
「そんなもんねえよ」
男は渡したばかりの拳銃を私に向ける。
突然の男の行動に、私の頭の中は疑問でいっぱいになる。
なんだこれ?
こんなの聞いてないよ!
「どういうつもりか聞いていいかしら?」
私は動揺する心の内を隠しながら、男を問いただす。
ホント、どういうつもりだ?
「お金を払いたくないって理由だけじゃ不満か?」
男は、私を馬鹿にするように笑う。
私はその表情にカチンと来て、男を睨みつける
「欲しいなら金を払いなさい。
無いなら、銃を返して」
「返せない。
金も渡さない」
「そんなの通るわけ――」
「ああ、通らないな。
まったくその通りだ……
だが俺には拳銃が必要なんだ
あんたには恨みがないが、運が悪かったと諦めてくれ」
「何を……?」
私の質問には答えず、男はゆっくりと拳銃の安全装置を外す。
ここでquestion。
Q.『取引相手の男が、安全装置を外して私に拳銃を向けてきた。
この時の男の気持ちを答えよ』。
A.『目障りな取引相手を殺したい』
「ひえっ」
私は男の意図を察し、思わず後ずさりする。
だが男は私が下がった分、前に出て距離を詰めてきた。
私を逃がすつもりはないらしい
「お嬢さん、申し訳ないがあんたにはここで死んでもらう」
「い、いや……!」
「悪いとは思っているよ。
せめて苦しませず楽に――」
「させるか!」
私はとっさに男の腕をつかむ。
男はまさか反撃されるとは思わなかったのか、腕を掴まれた衝撃で簡単に拳銃を取り落してしまった。
焦った男は落とした拳銃に意識を向けるが、私はその隙を見逃さない。
掴んでいた腕を捻り上げ、そのまま男を組み伏せる。
「形勢逆転ね」
「クソッ、女だと思って油断した」
「本当に舐めた事をしてくれたわね。
どうしてくれようかしら?」
「待ってくれ。
これには事情が……!」
男が何やら言っているが、私はそれを無視して拳銃を拾い上げる。
もちろん腕は極めたまま。
ただ無理な体勢だったのか、男は辛そうなうめき声を上げる。
申し訳ないと思ったものの、よく考えれば私を脅かしてきたので当然の報いと思い直す。
そして拾った拳銃を男に突き付けると、男は「ヒッ」と声を上げる。
その声を聞いて、私は出来るだけ残酷な笑みを浮かべた。
「私を侮辱した報い、受けるといいわ!」
「お、俺には家に待っている家族が――」
「うるさい!」
工場内にパーンという音が響き渡る。
そのあとすぐに、バタリと何かが倒れる音がする。
終わった、何もかも。
……どうしてこうなったのだろう。
私は普通の生活を送りたかっただけなのに……
安請け合いからこんなことに発展するなんて、誰が予想できたであろう……?
でも今日私は拳銃で人を撃ち、この手は汚れてしまった。
そうするしかなかったとはいえ、一度やってしまった物は無かった事には出来ない。
きっと今日の出来事で、これから『人を撃ってくれ』という依頼が殺到するのだろう。
嫌だと言っても聞く耳を持たないのがこの業界。
私の普通の生活はもろくも崩れ去っていくのであろう。
ああ、普通とはなんと儚い物だろう……
こんなことになるのなら、友人の頼みなって断れば良かった。
ホント、慣れないことをするもんじゃないな……
――
――――
――――――
カッーーーーーーーート
◇
「勘弁してくださいよ、瑞樹さん。
間接極めるの、めっちゃ痛かったです」
「何言ってるの?
あなたが急に台本に無いことするからでしょ」
「スイマセン」
さきほど銃で撃たれて死んだ男が、バツの悪そうな顔で私を見る。
彼はさっきまでの不躾さはなく、一度『死んで』悔いたのか少しだけしおらしい。
彼の名前は悪井 勝男。
とんでもない人相の悪さから犯罪物のドラマに声を掛けられる売れっ子俳優である。
しかし彼の長所は顔だけではない。
演技も出来る名俳優なのだ。
私が拳銃で撃った時、本当に殺してしまったと焦ったくらいである。
最も、今回みたいによく台本を無視してふざけるのが玉に瑕だが……
「俺的には悪ふざけだったんですよ。
で、すぐに監督に止められるだろうと思ってました。
なのに……」
「覚えておきなさい。
今回の監督、アドリブかましても面白そうだったら続行するタイプよ。
そして採用する」
「脚本はどうするんです?
展開がかなり違ってきますよね」
「きっと脚本家が徹夜で書き直すでしょうね」
「……申し訳ない事をしました」
本当に申し訳なく思っているのであろう。
人相の悪さは相変わらずなのに、ずいぶんと縮こまっている様子は、ギャップもあって可愛らしい。
顔の割にいい人だ。
「瑞樹さん、一つ聞いていいですか?
こういったクライムサスペンスの出演しないって聞いていたんですけど、どうして今回出演を?」
「ええ、友達に――監督に賭けで負けてね、出演することになったの。
本当は嫌だったんだけどね。
ほら、私ってば清純派でしょ」
「せい…… じゅん……」
「何かしら?」
「何も言ってません」
私の追及に彼は目を逸らしてとぼける。
まったく顔の割に気の小さい人だ。
「ま、私の事より自分の事を心配した方がいいわよ」
「どういうことです?」
「あなた、出番あるといいわね。
死ぬ予定なかったのに死んじゃったから……」
「何で他人事!?
瑞樹さんが殺したんでしょ!」
「正当防衛よ。
あ、監督が呼んでるわ。
行きましょうか」
「話は終わってませんよ!」
引き留めようとする彼の手をひらりとかわし、私は監督の元へと向かう。
彼は空を切った自身の手を数秒見つめた後、納得できない顔のまま私の後ろを付いてきた。
先を歩く私と、私を追いかけて来る彼。
まるで極道の女とその舎弟である。
そう思うとなんだか楽しくなってきた。
なんてこった。
あれほど嫌だと思っていた出演が、今ではワクワクしている自分がいる
普通の役に拘っていたのに、こだわっていた理由が思い出せない。
それに、実を言うと彼に銃を突き付けてたのは、少しだけ興奮した。
非日常な演技は、なんと刺激的なのだろうか?
もう私は普通には戻れない
普通というのは何と脆い物であろう……
どれもこれも、このドラマに出演したせいである。
気まぐれで出演することになったクライムサスペンス。
まさか私の女優としての人生設計を大きく変えることになろうとは……
友人の頼みを聞いて、良かったのか悪かったのか……
ホント、慣れないことはするもんじゃないな。