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22.『ひらり』『約束』『question』



 ギィィィ、ガシャン。
 廃工場の錆びた扉が、勢いよく音を立てて閉じる。
 思いのほか大きな音が出たことに、私は思わず飛び上がりそうになる。
 『やっちまった』と思わなくもないが、とりあえず気にしないフリをして辺りを見渡す。

 そこは廃工場だった。
 長い事使ってなかったのか、あちらこちらで埃が舞っている。
 窓が高いところにあるせいで日の光も入ってこず、中は薄暗い。
 こんな気味の悪い場所から出ていきたい衝動に駆られずが、私はなんとか押しとどめた。

 私はここに用事があってやってきた。
 用事を済ませずに逃げかえる事なんて出来ない。
 もちろん薄暗い廃工場での用事など、碌なものじゃないと相場は決まっている。
 これからここで、誰にも知られたくない取引が行われるのである。

 それにしても、と思う。
 なぜ私はここにいるのだろうか?
 自分で言うのもなんだが、私は今まで清く正しく生きてきた。
 こういった裏社会みたいな世界とは無縁だったのである。
 労働に汗を流し、美味しいランチを食べ、漫画を読み、そして暖かい布団で寝る。
 どこにでもありふれた、普通の生活を送っていた。

 だが私はこうしてここにいる。
 普通とは程遠い、犯罪者たちの世界……
 こんな事でもなければ、関わらずに済んだのにな……

 一週間前、友人と打ち上げでカラオケに行った時の事。
 『負けた方がちょっとしたお願いを一つ聞く』という条件でカラオケ勝負をすることになった。
 酒で気が大きくなっていた私はその勝負に受けて立ち、そして負けた。

 そのお願いがこれである。
 どこが『ちょっとした』だよ!
 『大したことない』と高をくくったばっかりに、こうして面倒ごとに巻き込まれてしまった。

 とはいえ、引き受けた以上は仕方がない。
 気乗りはしないが、仕事は仕事。
 さっさとやって、すぐに帰ろう。

 私は気を取り直し、再び工場内を見渡す。
 すると中央に一人の男が立っていることに気づいた。
 どうやら私の待ち合わせの相手は彼らしい。

 男は遠くから見ても分かるほど、『悪人顔』であった。
 人を二、三人殺していてもおかしくない凶悪な顔つきで、どう見てもカタギの人間ではない。
 人生で関わり合いたくない人種No.1である。

 こんな場合でもなければ――いや、こんな場合でも関わりたくない程、普通でない雰囲気を纏《まと》っている
 正直もう帰りたいが、そんなわけにもいかない。
 私は憂鬱な気持ちで、彼に足を向ける……

「約束のブツは?」
 私が近づくと、男は挨拶もなく用件を伝えて来た。
 どうやら最低限のことしか興味がないらしい。
 私は好都合だと思いながら、ポケットから新聞紙にくるまれた『約束のブツ』を男の目の前に差し出す。

 男は待ってましたとばかりにブツを私から乱暴に奪い取り、すぐさま新聞紙を剥がし始める。
 そして中から出てきたものを見てニヤリと笑う
 そこから出てきたもの――それは拳銃だった。 

 拳銃……
 人を殺すための道具で、それ以外には使われることのない、人殺しの道具。
 普通の人間ならば、一生見る事すらない違法な代物だ。
 私も見る予定は無かったんだけどなあ……

「これでいいかしら?」
「ああ、問題ない」
 私の差し出したものに満足したのか、男は下卑た笑みを浮かべた。
 特にこれといったトラブルもなく、このまま行けば何事もなく終わるだろう。
 私は内心ホッとしていた。

「それでいいなら、ブツの代金を貰いたいんだけど。
 それで取引は成立よ」
「そんなもんねえよ」
 男は渡したばかりの拳銃を私に向ける。
 突然の男の行動に、私の頭の中は疑問でいっぱいになる。
 なんだこれ?
 こんなの聞いてないよ!

「どういうつもりか聞いていいかしら?」
 私は動揺する心の内を隠しながら、男を問いただす。
 ホント、どういうつもりだ?

「お金を払いたくないって理由だけじゃ不満か?」
 男は、私を馬鹿にするように笑う。
 私はその表情にカチンと来て、男を睨みつける

「欲しいなら金を払いなさい。
 無いなら、銃を返して」
「返せない。
 金も渡さない」
「そんなの通るわけ――」
「ああ、通らないな。
 まったくその通りだ……

 だが俺には拳銃が必要なんだ
 あんたには恨みがないが、運が悪かったと諦めてくれ」
「何を……?」
 私の質問には答えず、男はゆっくりと拳銃の安全装置を外す。

 ここでquestion。
 Q.『取引相手の男が、安全装置を外して私に拳銃を向けてきた。
 この時の男の気持ちを答えよ』。
 A.『目障りな取引相手を殺したい』

「ひえっ」
 私は男の意図を察し、思わず後ずさりする。
 だが男は私が下がった分、前に出て距離を詰めてきた。
 私を逃がすつもりはないらしい

「お嬢さん、申し訳ないがあんたにはここで死んでもらう」
「い、いや……!」
「悪いとは思っているよ。
 せめて苦しませず楽に――」
「させるか!」
 私はとっさに男の腕をつかむ。
 男はまさか反撃されるとは思わなかったのか、腕を掴まれた衝撃で簡単に拳銃を取り落してしまった。
 焦った男は落とした拳銃に意識を向けるが、私はその隙を見逃さない。
 掴んでいた腕を捻り上げ、そのまま男を組み伏せる。

「形勢逆転ね」
「クソッ、女だと思って油断した」
「本当に舐めた事をしてくれたわね。
 どうしてくれようかしら?」
「待ってくれ。
 これには事情が……!」

 男が何やら言っているが、私はそれを無視して拳銃を拾い上げる。
 もちろん腕は極めたまま。
 ただ無理な体勢だったのか、男は辛そうなうめき声を上げる。
 申し訳ないと思ったものの、よく考えれば私を脅かしてきたので当然の報いと思い直す。
 そして拾った拳銃を男に突き付けると、男は「ヒッ」と声を上げる。
 その声を聞いて、私は出来るだけ残酷な笑みを浮かべた。

「私を侮辱した報い、受けるといいわ!」
「お、俺には家に待っている家族が――」
「うるさい!」

 工場内にパーンという音が響き渡る。
 そのあとすぐに、バタリと何かが倒れる音がする。
 終わった、何もかも。

 ……どうしてこうなったのだろう。
 私は普通の生活を送りたかっただけなのに……
 安請け合いからこんなことに発展するなんて、誰が予想できたであろう……?

 でも今日私は拳銃で人を撃ち、この手は汚れてしまった。
 そうするしかなかったとはいえ、一度やってしまった物は無かった事には出来ない。

 きっと今日の出来事で、これから『人を撃ってくれ』という依頼が殺到するのだろう。
 嫌だと言っても聞く耳を持たないのがこの業界。
 私の普通の生活はもろくも崩れ去っていくのであろう。
 ああ、普通とはなんと儚い物だろう……

 こんなことになるのなら、友人の頼みなって断れば良かった。
 ホント、慣れないことをするもんじゃないな……
 ――
 ――――
 ――――――



 カッーーーーーーーート


 ◇


「勘弁してくださいよ、瑞樹さん。
 間接極めるの、めっちゃ痛かったです」
「何言ってるの?
 あなたが急に台本に無いことするからでしょ」
「スイマセン」

 さきほど銃で撃たれて死んだ男が、バツの悪そうな顔で私を見る。
 彼はさっきまでの不躾さはなく、一度『死んで』悔いたのか少しだけしおらしい。

 彼の名前は悪井 勝男。
 とんでもない人相の悪さから犯罪物のドラマに声を掛けられる売れっ子俳優である。
 しかし彼の長所は顔だけではない。
 演技も出来る名俳優なのだ。
 私が拳銃で撃った時、本当に殺してしまったと焦ったくらいである。
 最も、今回みたいによく台本を無視してふざけるのが玉に瑕だが……

「俺的には悪ふざけだったんですよ。
 で、すぐに監督に止められるだろうと思ってました。
 なのに……」
「覚えておきなさい。
 今回の監督、アドリブかましても面白そうだったら続行するタイプよ。
 そして採用する」
「脚本はどうするんです?
 展開がかなり違ってきますよね」
「きっと脚本家が徹夜で書き直すでしょうね」
「……申し訳ない事をしました」

 本当に申し訳なく思っているのであろう。
 人相の悪さは相変わらずなのに、ずいぶんと縮こまっている様子は、ギャップもあって可愛らしい。
 顔の割にいい人だ。

「瑞樹さん、一つ聞いていいですか?
 こういったクライムサスペンスの出演しないって聞いていたんですけど、どうして今回出演を?」
「ええ、友達に――監督に賭けで負けてね、出演することになったの。
 本当は嫌だったんだけどね。
 ほら、私ってば清純派でしょ」
「せい…… じゅん……」
「何かしら?」
「何も言ってません」
 私の追及に彼は目を逸らしてとぼける。
 まったく顔の割に気の小さい人だ。
 
「ま、私の事より自分の事を心配した方がいいわよ」
「どういうことです?」
「あなた、出番あるといいわね。
 死ぬ予定なかったのに死んじゃったから……」
「何で他人事!?
 瑞樹さんが殺したんでしょ!」
「正当防衛よ。
 あ、監督が呼んでるわ。
 行きましょうか」
「話は終わってませんよ!」

 引き留めようとする彼の手をひらりとかわし、私は監督の元へと向かう。
 彼は空を切った自身の手を数秒見つめた後、納得できない顔のまま私の後ろを付いてきた。

 先を歩く私と、私を追いかけて来る彼。
 まるで極道の女とその舎弟である。
 そう思うとなんだか楽しくなってきた。

 なんてこった。
 あれほど嫌だと思っていた出演が、今ではワクワクしている自分がいる
 普通の役に拘っていたのに、こだわっていた理由が思い出せない。

 それに、実を言うと彼に銃を突き付けてたのは、少しだけ興奮した。
 非日常な演技は、なんと刺激的なのだろうか?
 もう私は普通には戻れない
 普通というのは何と脆い物であろう……

 どれもこれも、このドラマに出演したせいである。
 気まぐれで出演することになったクライムサスペンス。
 まさか私の女優としての人生設計を大きく変えることになろうとは……

 友人の頼みを聞いて、良かったのか悪かったのか……
 ホント、慣れないことはするもんじゃないな。

3/8/2025, 7:17:13 AM