『嗚呼』『願いが一つ叶うなら』『星』
「マッチいりませんか?
マッチいりませんか?」
まだまだ寒い三月のとある夜、星のように街灯が煌めく中で、一人の少女が道端でマッチを売ってました。
少女はどこにでもいるような普通の女の子。
家計の足しにとマッチを売り歩く、心優しい女の子でした。
「このマッチが売れれば、switch2を買ってもらえる!
がんばるぞ!」
若干本音が漏れておりますが、本当にいい子なのです。
確かにswitch2が主目的ですが、家計を助けたいのも本心です。
少女は、自分のため、家族のために必死に声を上げます。
「マッチいりませんか?
マッチいりませんか?」
けれどマッチは一本も売れません。
それどころか見向きもされません。
なぜでしょうか?
人々に少女が見えてない?
いいえ、関わりたくないだけです。
なにせこの話の舞台は2025年3月の日本。
世間がswitch2を待ちわびているこのご時世に、なぜかマッチを売っているのです……
普通ではありません。
そういう事ですので、道行く人々は関わるまいと早足で去っていきました。
それに、今どきマッチなんて使う人はいません。
火を扱う機会自体ありませんし、あったとしてもチャッカマンの方が便利だからです。
そして最初は張り切っていた少女も、何時間粘ってもマッチが売れないことに、ようやく不審に思いはじめました。
「おかしいわ、一つも売れない……
……ていうか、よく考えたらマッチなんて売れるわけないわ!
おのれ母め、どうしてもswitch2を買わないつもりだな!」
少女は騙されたことに気づき憤ります。
さすがに気づくのが遅いのですが、黙っておきましょう。
少女は、冬だというのに体から蒸気が出るくらい怒っていました。
ですが、すぐに怒らなくなりました。
憤るには体力が必要、長時間外で売り子をしていた少女は疲れていました。
彼女はすぐそばにあったベンチに、ゆっくりと座ります。
その様はゾンビのようでした。
「なんだか疲れたわ。
switch2も買ってもらえなさそうだし……
なにもかもどうでもいい」
嗚呼、何という事でしょう。
醜い大人のにれ弄ばれた彼女は、人生に絶望してしまったのです!!
今までの時間がすべて意味のない虚無の時間と分かった彼女は、がっくりと肩を落とし、消え入りそうなほど落ち込みます。
しかし世界は、彼女に落ち込む時間を与える程甘くはありません。
冬の空気は少女の体を冷やしていきます
「とても寒いわ……
そうだ、ここにマッチがあるわ。
これに火を灯して暖を取りましょう」
彼女はマッチの箱を開けて、中身を取り出します。
そして、どうせ売れないからと、マッチ棒を5本ほど出してまとめて出しました。
大盤振る舞いです。
「まるで『マッチ売りの少女』みたいね」
彼女は思い付きを口にします
その時でした。
少女の頭に良い考えが浮かんだのは……
「そうだわ。
私がマッチ売りの少女なら、このマッチの火で不思議なことが起こるかもしれない。
やってみましょう」
少女は持っているマッチの束を握り締め、神様に祈ります
「どうか神様お願いします。
一つ願いが叶うなら、私にSwitch――いえ、お金を下さい。
具体的には一億円ほど、火が消えても幻の様に消えないやつを下さい。
私の懐を温かくしてください!」
少女は自分の欲望に忠実でした。
彼女は純粋な欲望を胸に、マッチに火を点けます。
すると不思議なことが起こりました。
目の前にお金が現れたのです
「すごい!!
これでSwitch2が買えるわ。
それどころかPS5も買える!
私は大金持ちよ!」
少女は大喜びです。
ですが世の中にうまい話はありません。
少女は札束を見て、落胆の表情を浮かべます。
「なによこれ!
子供銀行券じゃない!」
残念なことに、目の前に現れたお金はオモチャのお金だったのです。
お金の偽造は犯罪となってしまうからです。
「くっ!
ならもう一度よ!」
少女は先ほどの言葉に『オモチャじゃないやつ』を付け加えて、もう一度マッチに火を点けます。
ですが何も起こりません。
奇跡は一度しか起こりませんでした。
「そんなあ……」
彼女はがっくりと気を落とします。
本日二回目のぬか喜び。
「大事なお願い事を、オモチャに使ってしまうなんて……」
そう言いながら、彼女はベンチの背にうな垂れます。
しかし、びゅうーーと強い風が吹き抜け、少女は寒さで大きく身震いをします
「それにしても寒いわ。
何とかして暖まらないと……
マッチを付けて――ん?」
少女の目に留まったのは、オモチャの札束の山。
少女の頭に妙案が浮かびます。
数分後、少女はたき火に当たり暖を取っていました
札束を燃やして起こしたたき火でした。
マッチの火よりも暖かく、少女はもう震えることはありません。
しかし少女は、浮かない顔をしていました。
「確かに暖かいけども。
懐は暖まったけども」
彼女の願いは、つまるところ『Switch2で遊びたい』です。
確かに寒いとは思いましたが、たき火にあたりたいまでは思ってませんでした。
意外と融通利かないなあと、少女は不満を覚えます。
「まあ、いいや。
切り替えよう」
少女は頭を振って、考えを切り替えます。
不満に思っても、もう既に過ぎたこと。
どれだけ考えても不毛なのです。
ならば考えるべきは未来のこと。
Switch2を手に入れるにはどうしたらいいか。
そして母の扱いについてです。
「私の純粋な思いを踏みにじるなんて!
母め、絶対に思い知らせてやる!」
少女はたき火にあたりながら、母への復讐計画を練るのでした
23.『風が運ぶもの』『ラララ』『秘密の場所』
昔々あるところに、偏屈なことで有名な男がいました。
男は、風が運んできたものを集めるという、変わった趣味を持っていたのです。
風で飛ばされた瓦やトタンを拾って家を作り、飛んできた木の枝で暖を取って生活していました。
風が運ぶものの中には噂もありました。
例に漏れず、男はそれらも集めます。
情報が重要視されるこの時代において、真偽不明噂もそれなりに価値があるからです。
その情報を欲しがっている組織に売り渡せば、高く売ることが出来ました。
しかし中にはガラクタとしか思えないようなものもあります。
例えば風に流された風船、あるいは糸の切れた凧、誰も読まないチラシ……
それらのガラクタのような物でも喜んで集め、秘密の場所に隠すのが彼のライフワークでした。
ある日、風に流された紙飛行機が飛んで来たことがありました。
すぐに持ち主である少年が取りに来ましたが、紙飛行機を拾った男は頑として返すことはありません。
少年がどれだけ懇願しても返さず、返してほしければと法外な金を請求する始末。
お金を持って無い事が分かると少年を追い返し、紙飛行機を秘密の場所に隠してしまいました。
「金のない奴には用はない」
それが男の口癖でした。
男は普段からそのように振舞っていたので、近隣の住民からは嫌われていました。
しかし男は気にすることもなく、風が運んできたものを集めます。
そうして過ごしていた冬の寒い日のことです。
風に乗って風変わりなものが運ばれてきました。
「ラーララ、ラララ」
なんと歌声が流れてきたのです。
とても素敵で、どこか懐かしさを感じられる歌声でした。
男は思いました。
「なんと素晴らしい歌声だ。
我が家には音楽だけは無かったので、ちょうどいい。
持ち主が来ても知るもんか!
これは俺の物だ」
男はすぐさま歌声を秘密の場所に隠してしまいました
それ以来、毎日歌声を聞くようになりました。
それほどまでに、この歌声が気に入ったのです。
それから一週間経った頃でしょうか。
風に乗って、ある噂が流れてきました。
『とある国で子守唄が歌えなくなった。
そのせいで子供が寝なくて大変らしい』
何という事でしょうか。
男が隠したこの歌は、なんと子守歌だったのです。
海外の歌だったので、男は気づかなかったのです。
しかし、それを聞いた男は特に気にしませんでした。
「子守唄が無ければ、子供を寝かしつけることは出来まい。
だがそれが何だというのだ。
俺には関係ない」
男は今日も歌声に聞き入ってました。
その日の晩のことです。
男は夢を見ました。
夢の中では、男は小さな子供にでした。
そして母親らしき女性に膝枕をされ、子守歌を聞かされていました。
子供の頃の幸せな思い出。
偏屈な男ですら、ずっとこのままでいたいと思わせるほどの優しい時間。
しかし夢には終わりがあります。
目を覚ました時、男は涙を流していました。
男はようやく気づいたのです。
自分のような偏屈な人間にも幸せな頃があった事を……
そして自分の勝手な満足のために、多くの子供たちの幸せを奪っている事を……
「俺は何という酷い事をしたのだろうか……
これは俺だけが独占していい物じゃない。
みんなに返そう」
そう言って秘密の場所から子守唄を取り出し、風に乗せました。
これで歌声は風に乗って再び元の国へと戻り、子守唄が歌われるはずでしょう。
男は、風に乗って離れていく歌声を見送り、満足そうにうなずきます。
「ああ、これも返さないとな」
そう言って、秘密の場所から紙飛行機を取り出します。
男は、子供の頃に紙飛行機で遊んでいた思い出もよみがえったのです。
男はすぐに街へ行き、少年に紙飛行機を返しました。
少年はとても驚きましたが、すぐに笑顔になりました。
「おじさん、誰が紙飛行機を飛ばせるか競争しよう」
こうして近所の子供たちを巻き込み、紙飛行機大会が開催されました。
男はビリになってしまいましたが、とても楽しい思い出になりました。
それ以来、男は意地悪をしなくなり、街の人たちとも仲良くなったそうです
それ以降、はっきりとした男の動向は判明していませんが、風の噂によるとリベンジを果たすためによく飛ぶ紙飛行機の研究をしているそうです
おしまい
22.『ひらり』『約束』『question』
ギィィィ、ガシャン。
廃工場の錆びた扉が、勢いよく音を立てて閉じる。
思いのほか大きな音が出たことに、私は思わず飛び上がりそうになる。
『やっちまった』と思わなくもないが、とりあえず気にしないフリをして辺りを見渡す。
そこは廃工場だった。
長い事使ってなかったのか、あちらこちらで埃が舞っている。
窓が高いところにあるせいで日の光も入ってこず、中は薄暗い。
こんな気味の悪い場所から出ていきたい衝動に駆られずが、私はなんとか押しとどめた。
私はここに用事があってやってきた。
用事を済ませずに逃げかえる事なんて出来ない。
もちろん薄暗い廃工場での用事など、碌なものじゃないと相場は決まっている。
これからここで、誰にも知られたくない取引が行われるのである。
それにしても、と思う。
なぜ私はここにいるのだろうか?
自分で言うのもなんだが、私は今まで清く正しく生きてきた。
こういった裏社会みたいな世界とは無縁だったのである。
労働に汗を流し、美味しいランチを食べ、漫画を読み、そして暖かい布団で寝る。
どこにでもありふれた、普通の生活を送っていた。
だが私はこうしてここにいる。
普通とは程遠い、犯罪者たちの世界……
こんな事でもなければ、関わらずに済んだのにな……
一週間前、友人と打ち上げでカラオケに行った時の事。
『負けた方がちょっとしたお願いを一つ聞く』という条件でカラオケ勝負をすることになった。
酒で気が大きくなっていた私はその勝負に受けて立ち、そして負けた。
そのお願いがこれである。
どこが『ちょっとした』だよ!
『大したことない』と高をくくったばっかりに、こうして面倒ごとに巻き込まれてしまった。
とはいえ、引き受けた以上は仕方がない。
気乗りはしないが、仕事は仕事。
さっさとやって、すぐに帰ろう。
私は気を取り直し、再び工場内を見渡す。
すると中央に一人の男が立っていることに気づいた。
どうやら私の待ち合わせの相手は彼らしい。
男は遠くから見ても分かるほど、『悪人顔』であった。
人を二、三人殺していてもおかしくない凶悪な顔つきで、どう見てもカタギの人間ではない。
人生で関わり合いたくない人種No.1である。
こんな場合でもなければ――いや、こんな場合でも関わりたくない程、普通でない雰囲気を纏《まと》っている
正直もう帰りたいが、そんなわけにもいかない。
私は憂鬱な気持ちで、彼に足を向ける……
「約束のブツは?」
私が近づくと、男は挨拶もなく用件を伝えて来た。
どうやら最低限のことしか興味がないらしい。
私は好都合だと思いながら、ポケットから新聞紙にくるまれた『約束のブツ』を男の目の前に差し出す。
男は待ってましたとばかりにブツを私から乱暴に奪い取り、すぐさま新聞紙を剥がし始める。
そして中から出てきたものを見てニヤリと笑う
そこから出てきたもの――それは拳銃だった。
拳銃……
人を殺すための道具で、それ以外には使われることのない、人殺しの道具。
普通の人間ならば、一生見る事すらない違法な代物だ。
私も見る予定は無かったんだけどなあ……
「これでいいかしら?」
「ああ、問題ない」
私の差し出したものに満足したのか、男は下卑た笑みを浮かべた。
特にこれといったトラブルもなく、このまま行けば何事もなく終わるだろう。
私は内心ホッとしていた。
「それでいいなら、ブツの代金を貰いたいんだけど。
それで取引は成立よ」
「そんなもんねえよ」
男は渡したばかりの拳銃を私に向ける。
突然の男の行動に、私の頭の中は疑問でいっぱいになる。
なんだこれ?
こんなの聞いてないよ!
「どういうつもりか聞いていいかしら?」
私は動揺する心の内を隠しながら、男を問いただす。
ホント、どういうつもりだ?
「お金を払いたくないって理由だけじゃ不満か?」
男は、私を馬鹿にするように笑う。
私はその表情にカチンと来て、男を睨みつける
「欲しいなら金を払いなさい。
無いなら、銃を返して」
「返せない。
金も渡さない」
「そんなの通るわけ――」
「ああ、通らないな。
まったくその通りだ……
だが俺には拳銃が必要なんだ
あんたには恨みがないが、運が悪かったと諦めてくれ」
「何を……?」
私の質問には答えず、男はゆっくりと拳銃の安全装置を外す。
ここでquestion。
Q.『取引相手の男が、安全装置を外して私に拳銃を向けてきた。
この時の男の気持ちを答えよ』。
A.『目障りな取引相手を殺したい』
「ひえっ」
私は男の意図を察し、思わず後ずさりする。
だが男は私が下がった分、前に出て距離を詰めてきた。
私を逃がすつもりはないらしい
「お嬢さん、申し訳ないがあんたにはここで死んでもらう」
「い、いや……!」
「悪いとは思っているよ。
せめて苦しませず楽に――」
「させるか!」
私はとっさに男の腕をつかむ。
男はまさか反撃されるとは思わなかったのか、腕を掴まれた衝撃で簡単に拳銃を取り落してしまった。
焦った男は落とした拳銃に意識を向けるが、私はその隙を見逃さない。
掴んでいた腕を捻り上げ、そのまま男を組み伏せる。
「形勢逆転ね」
「クソッ、女だと思って油断した」
「本当に舐めた事をしてくれたわね。
どうしてくれようかしら?」
「待ってくれ。
これには事情が……!」
男が何やら言っているが、私はそれを無視して拳銃を拾い上げる。
もちろん腕は極めたまま。
ただ無理な体勢だったのか、男は辛そうなうめき声を上げる。
申し訳ないと思ったものの、よく考えれば私を脅かしてきたので当然の報いと思い直す。
そして拾った拳銃を男に突き付けると、男は「ヒッ」と声を上げる。
その声を聞いて、私は出来るだけ残酷な笑みを浮かべた。
「私を侮辱した報い、受けるといいわ!」
「お、俺には家に待っている家族が――」
「うるさい!」
工場内にパーンという音が響き渡る。
そのあとすぐに、バタリと何かが倒れる音がする。
終わった、何もかも。
……どうしてこうなったのだろう。
私は普通の生活を送りたかっただけなのに……
安請け合いからこんなことに発展するなんて、誰が予想できたであろう……?
でも今日私は拳銃で人を撃ち、この手は汚れてしまった。
そうするしかなかったとはいえ、一度やってしまった物は無かった事には出来ない。
きっと今日の出来事で、これから『人を撃ってくれ』という依頼が殺到するのだろう。
嫌だと言っても聞く耳を持たないのがこの業界。
私の普通の生活はもろくも崩れ去っていくのであろう。
ああ、普通とはなんと儚い物だろう……
こんなことになるのなら、友人の頼みなって断れば良かった。
ホント、慣れないことをするもんじゃないな……
――
――――
――――――
カッーーーーーーーート
◇
「勘弁してくださいよ、瑞樹さん。
間接極めるの、めっちゃ痛かったです」
「何言ってるの?
あなたが急に台本に無いことするからでしょ」
「スイマセン」
さきほど銃で撃たれて死んだ男が、バツの悪そうな顔で私を見る。
彼はさっきまでの不躾さはなく、一度『死んで』悔いたのか少しだけしおらしい。
彼の名前は悪井 勝男。
とんでもない人相の悪さから犯罪物のドラマに声を掛けられる売れっ子俳優である。
しかし彼の長所は顔だけではない。
演技も出来る名俳優なのだ。
私が拳銃で撃った時、本当に殺してしまったと焦ったくらいである。
最も、今回みたいによく台本を無視してふざけるのが玉に瑕だが……
「俺的には悪ふざけだったんですよ。
で、すぐに監督に止められるだろうと思ってました。
なのに……」
「覚えておきなさい。
今回の監督、アドリブかましても面白そうだったら続行するタイプよ。
そして採用する」
「脚本はどうするんです?
展開がかなり違ってきますよね」
「きっと脚本家が徹夜で書き直すでしょうね」
「……申し訳ない事をしました」
本当に申し訳なく思っているのであろう。
人相の悪さは相変わらずなのに、ずいぶんと縮こまっている様子は、ギャップもあって可愛らしい。
顔の割にいい人だ。
「瑞樹さん、一つ聞いていいですか?
こういったクライムサスペンスの出演しないって聞いていたんですけど、どうして今回出演を?」
「ええ、友達に――監督に賭けで負けてね、出演することになったの。
本当は嫌だったんだけどね。
ほら、私ってば清純派でしょ」
「せい…… じゅん……」
「何かしら?」
「何も言ってません」
私の追及に彼は目を逸らしてとぼける。
まったく顔の割に気の小さい人だ。
「ま、私の事より自分の事を心配した方がいいわよ」
「どういうことです?」
「あなた、出番あるといいわね。
死ぬ予定なかったのに死んじゃったから……」
「何で他人事!?
瑞樹さんが殺したんでしょ!」
「正当防衛よ。
あ、監督が呼んでるわ。
行きましょうか」
「話は終わってませんよ!」
引き留めようとする彼の手をひらりとかわし、私は監督の元へと向かう。
彼は空を切った自身の手を数秒見つめた後、納得できない顔のまま私の後ろを付いてきた。
先を歩く私と、私を追いかけて来る彼。
まるで極道の女とその舎弟である。
そう思うとなんだか楽しくなってきた。
なんてこった。
あれほど嫌だと思っていた出演が、今ではワクワクしている自分がいる
普通の役に拘っていたのに、こだわっていた理由が思い出せない。
それに、実を言うと彼に銃を突き付けてたのは、少しだけ興奮した。
非日常な演技は、なんと刺激的なのだろうか?
もう私は普通には戻れない
普通というのは何と脆い物であろう……
どれもこれも、このドラマに出演したせいである。
気まぐれで出演することになったクライムサスペンス。
まさか私の女優としての人生設計を大きく変えることになろうとは……
友人の頼みを聞いて、良かったのか悪かったのか……
ホント、慣れないことはするもんじゃないな。
21.『あの日の温もり』『芽吹きのとき』『誰かしら?』
「コタツが無い」
学校から帰ってきて我が家のリビング。
今朝までこの場所に鎮座していたコタツは、なんとコタツ布団を剥ぎ取られていた。
もはやただのテーブルである。
これでは冷えた体を暖められない。
その事実に私は愕然とした。
私はとびっきりの冷え性だ。
エアコンの暖房で部屋を暖かくなっても、なぜか寒さで震え上がってしまう。
だいたいは厚着をするのだけど、どうしようもない時もある。
そんな時、私はコタツに避難する。
コタツだけが、私を暖めてくれる暖房なのだ。
寒さで凍える私を、嫌な顔一つせずに優しく迎えてくれるコタツ……
でもコタツはもうない。
確かに最近は気温も上がり、暖かくなってきた。
けれど『一番寒い時期に比べて』というだけで、まだまだ極寒の季節。
草木の芽吹きの時にはまだ早い。
我々にはまだが必要なのである。
じゃあ私とコタツの蜜月の関係を邪魔したのは誰?
聞くまでもない。
お母さんだ。
「なんでコタツを片付けるの!」
私はキッチンで晩ご飯の用意をしていたお母さんを睨みつける。
「私が冷え性なの知ってるでしょ!」
人生で、一番大きな声を出したと思う。
私の怒り、伝わっただろうか?
けれどもお母さんはどこ吹く風。
そのまま野菜を切り刻んでいる
私はお母さんの様子に腹が立って、もう一度叫ぶ。
「4月までは出してくれるって約束ったじゃん!」
『電気代の無駄』と毎年早めに片づけるお母さんに、私が何度も抗議して取り付けた約束だ。
『約束を破る人間になるな』とお母さんはいつも言っているので、なんとしても守ってもらわないといけない。
すると無視しきれなくなったのか、お母さんの手がピタリと止まる。
(やったか?)
私は勝利を確信する。
が、すぐにその認識を改める。
まな板から顔を上げたお母さんの顔は、怒りの表情だったからだ。
雲行きが怪しくなったことに、背中を嫌な汗が伝う。
「あら、先に約束を破ったのは誰かしら?」
お母さんの冷たい声に、ドキリと心臓が跳ねる。
(ヤバい……)
お母さんがキレている。
私は怒りで熱くなっていた頭が急激に冷めていく。
約束――
コタツを長く出してもらう代わりに、お母さんが出してきた条件……
それは家事を手伝う事。
お母さんの辛い家事を少しでも負担する代わりに、電気代の事は少しだけ目を瞑ってくれると言ってくれたのだ。
けれど……
「あなたにお手伝いをお願いしても、『あと五分』って言ってずっとコタツにこもったままじゃないの。
一回でも手伝ってくれたかしら?」
「それは…… その……」
「お母さんのお願いを聞いてくれないなら、あなたのお願いも聞きません。
いいですね」
お母さんはそう言うと、再びまな板に目線を戻して野菜を切り始める。
これはマズイ。
お母さんをたいへん怒ってらっしゃる。
これを鎮めない限り、再びコタツが設置されることはない。
それどころか、この怒りようでは次の冬もコタツを出してもらえないかもしれない。
なんてこった。
コタツの魔力にとらわれ、家事をおざなりにしてしまったばっかりに、
こうなったら出来ることはただ一つ。
私は出来る限りおしとやかに歩き、お母さんの横に立つ。
「お母さま、なにかお手伝いする事はありませんか?」
「なによ、急に……
今更媚びを売っても無駄よ」
「いえいえ、下心なんてありません。
ただ純粋にお手伝いをしたくなったんです」
「本当かしら?
どうせ今日だけでしょ?」
「いえいえ、これからも毎日お手伝いいたします。
ささ、なんなりとお申し付けください」
私がそう言うと、お母さんは考え込むような仕草をした。
「じゃあ、洗濯物を入れといて」
「イエス、マム」
私はすぐに、洗濯物の干してあるベランダに向かう。
「寒っ」
ベランダの扉を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
すでに日が沈んで外は暗闇の世界。
当然暖かいはずがなく、身震いするほど寒かった。
死ぬほど嫌いな寒い外……
踏み出そうとした足が止まってしまう……
でもここで怖気づいては意味がない。
ここで諦めたらコタツとは二度と会えなくなるからだ
私は大きく深呼吸し、ベランダに出る。
「すべては温もりのため。
絶対に負けるもんか!」
あの日の温もりを取り戻すため、私は洗濯物を取り込みに掛かるのであった
20.『さあ冒険だ』『記録』『cute!』
Real Time Attack
通称RTA。
一部のゲームプレイヤーの中で流行っている、常軌を逸したプレイスタイルのことである。
それはゲームクリアまでの時間を競うスポーツ。
一秒以下の、コンマ秒で戦う狂気で溢れた世界だ。
これだけ聞けば何も知らない人は『普通では?』では思うかもしれない。
しかしこのRTAが異質なのは、ゲーム内時間ではなく現実の時間を計ってのタイムアタックだという事。
トイレや食事の時間までも含めてカウントし、クリアまでのタイムを競い合う。
プレイの無駄を削るだけではなく、生理的な現象すらコントロールする。
それを数時間、あるいは数日単位で行うのだ。
これを聞いただけでもいかに狂っているかが分かるだろう。
さらに恐ろしい事実として、タイムを縮めるために、普通の人が想像すらしない事もする
例を挙げるのならば(レギュレーションにもよるのだが)、バグを使うのは当然として、他のゲームソフトを使用したり、ゲーム機本体をホットプレートで暖めてみたり、 『ゲームと関係なくない?』というテクニックを使う。
そんなゲーム外の現象を使ってでもタイムを縮めるのが彼らなのだ。
そして普通にプレイするだけでは物足りないのか、目隠しプレイを行うこともある。
もちろんクリアする。
人間の可能性は無限大である。
そして記録の方も、常軌を逸している。
『ゲームクリアまの時間を競う』というルール上、古いゲームでもしばしば話題になる。
とくに人気なのはスーパーマリオ64(1996)。
古いゲームのため少し説明すると、マリオを操作してクッパを倒す3Dアクションゲームである。
そこそこ自由度が高く、ボリュームもあり、今でも名作と名高い。
このゲーム、全く寄り道をせずまっすぐクッパの元に向かうプレイならば、だいたい4時間かかると言われ、完全クリアならば12~15時間くらいかかる。
にもかかわらず、このゲームの最速記録は、達成率無視のクリアで6分16秒、完全クリアに至っては1時間35分28秒である。
もちろんAIでなく人力で。
意味が分からない?
その通り。
我々とは別の次元で生きているとしか思えない存在だ。
普通のゲーマーからも畏怖の対象である。
ゲームは普通にプレイしても面白い娯楽だ。
だというのには、なぜ狂人たちはより早くクリアしようとするのか……
それに答えるのは難しい。
人によって、『自己満足』『名誉』『自己顕示欲』など様々だからだ。
各々の目的のため、彼らは『世界最速』目指す。
もしかしたら、これを読んでいる君は、自分には遠い世界の出来事と思っているかもしれない。
だがRTAは君のすぐ近くにある。
別に最速を目指すゲームはマリオじゃなくてもいい。
ゲームなら何でもいいのだ。
例えば君の手にあるスマホのゲームでも、目の前に乱雑に放り投げているスイッチのゲームでもいい。
スタートとゴールを決め、タイムを叩き出せば君も仲間入りだ。
怖がることはない。
確かに知らない世界は恐ろしいだろう。
だが君はゲームから勇気を出す素晴らしさを教えてもらったはずだ。勇気を出して踏み出そう。
大丈夫、一人じゃない。
みんなも一緒にいる。
さぁ冒険だ。
狂気の世界が君を待っている。
◇
「というわけで、マリオを持っ――」
「嫌よ」
友人の沙都子へのプレゼンを終え、ゲームを取り出そうとしたところ、食い気味で拒否の声をあげられる。
その顔は恐怖の色に染まっていて、まるでパニックだった。
いつもと違う志向でゲームしようというお誘いなのに、なぜこんなに拒まれるのか?
こうも取り付く島がないと、説得しようがない……
そんなに怖がらせるようなことなんて言ってないんだけどなあ……
「私は人間を辞めるつもりは無いわ」
沙都子はヒステリックに叫ぶ。
「辞めるなら、百合子一人で辞めてちょうだい」
ああそっちね。
私は納得する
確かに世界記録を破るためには、人間を辞めなければいけないだろう……
もちろん比喩だが、それほどまでに高いステージである。
だが私はそこまでするつもりはない。
「安心して、沙都子。
人間辞めるまで極めるつもりはないよ」
「どういうこと?」
「私の目的は世界最速じゃない。
目的は別にある!」
私がそう言うと、沙都子は落ち着いたのか顔から恐怖が消えていく。
この調子で説得しよう。
「私はね、ソコソコの記録を出して、ネットにあげようと思ってる」
「ネットに……?
なんで?」
「私の超絶テクで視聴者を魅了して、世界中から『cute!』って言われたいんだ」
「そこは『cool!』ではないのね……」
「私はゲーマーの前に美少女だからね」
「……」
私の渾身のボケに、沙都子は白けた顔で私を見る。
何その顔。
ツッコまないのはともかく、なぜかわいそうなものを見る目で私を見るのか?
全くもって解せない。
皆からは『黙っていれば美少女』と言われるくらいには美少女だぞ!?
「というか、そんな下心アリアリの投稿、普通に炎上するんじゃない?
意外とバレるものよ」
「大丈夫だって!
投稿者なんて、みんな感じだから」
「まずは他の人たちに謝りなさい」
◇
そんなこんなで沙都子の説教の後、私たちは動画を撮るために、ゲームをプレイし始めた。
だが私が思っていた以上にRTAの道は険しかったらしい
タイムアタックどころか、普通にプレイするだけで精一杯。
見てて面白そうな魅せプレイも出来ず、何時間やっても成果が出そうな気配がないので、今回は諦めることにした。
RTAの世界の住人たち。
想像以上に凄い人達だったらしい。
改めて、尊敬の念を抱く次第である
けどここで終わりじゃない。
挑戦はまだ続くのだ
美少女最速ゲーマーの夢は、簡単に潰えることは無いのだ。
だってそうでしょ?
私たちはようやく登りはじめたばかり……
このはてしなく遠いRTA坂をね…
「『私たち』?
百合子一人でやってちょうだい」
「えー!?
一緒に美少女ゲーマーコンビで売り出そうよ〜」
「恥ずかしいから却下」
終わり