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10/25/2024, 3:35:52 PM

「ふう、やっと寝た……」
 私はスヤスヤと寝息を立てる息子を眺めながら、大きく息を吐く。
 息子のコウ君は、何が不満なのかさっきまで大泣きしていた。
 マンション暮らしなので、近所迷惑になると、どうにかこうにか泣き止ませて、寝かしつけてひと段落。
 とても疲れたよ……

 それにしてもコウ君ってば、寝ていると天使のように可愛らしい。
 起きている間は、暴君もかくやと思わせる横暴ぶり。
 さらにイタズラ好きなのも併せて、油断ならない息子である。

 それでも怒れないのは『ママ、ママ』と、私の傍をついて離れないからだろう。
 まるでカルガモの子どもみたいに付いて来るコウ君は、私の中にある母性を刺激してやまない。

 けれどこんなママっ子の息子も、大きくなったら私の元を離れるのだろう……
 それは育児の定め、避けられない運命である。

 その時は決して『行かないで』とは言うまい。
 コウ君の幸せと未来を信じ、笑顔で送り出すのだ。
 見えなくなるまで、手を振って――
 うう、想像していると涙が出てきた。

 いやいやいや。
 私は、頭を振って切り替える。
 これは仮定の話、しかもずっと先の未来だ。
 いくら何でも、今泣くのは早すぎる。

 それに私には、まだまだやることがある。
 例えば、コウ君の大泣きで中断した洗濯物。
 洗濯の終わった服を一刻も早く干さなければいけない。
 でないとこの季節は乾かないのだ。

 私はもう一度、寝ているコウ君を見る。
 ぐっすり眠っており、起きる様子はない。
 ヨシ!!
 今の内に、洗濯物を片づけてしまおう。

 私は音を立てずに立ち上がり、洗濯カゴを持ってベランダにでる。
 外に出ると、涼しい空気が私の肌を撫でた
 季節は秋だった。

 扉を開けてコウ君の様子を見ながら洗濯物を干したいが、私はそっと扉を閉める。
 部屋が冷えれば、コウ君は起きていまうだろう。
 そして泣く。
 それだけは避けたい。

 でもゆっくりしてもいけない。
 これは時間との戦いなのだ。
 静かに、でも迅速に、洗濯物を干す必要がある。
 フフフ、専業主婦歴5年の洗濯物を干す技を――
 カチャリ。
 後ろの方で、いやーな音が聞こえた。

 恐る恐る振り返ると、ガラスの向こうにはこちらを見ている息子の姿が……
 寝ていたはずでは。
 そんな思いがよぎるも、私は顔に笑顔を張り付ける。
 もし私が大声を出したら、また泣くに違いないからだ。

 私は息子に動揺を悟られないよう、そーーーっとベランダのドアを横に引こうとして――動かない!
 やっぱりさっきの音はカギが掛けた音のようだ。
 つまり私はベランダに締め出されたのだ!
 なんてこったい!

「ねえ、コウ君」
 私は出来るだけ優しい声で、コウ君に語りかける。
「ここ、開けて欲しいな」
 チョンチョンと、扉の鍵を指さす。

 その様子を見たコウ君は、頭を横にコテリンと倒す。
 ダメだ、伝わってない。
 一体どうすれば……
 私は打開策を必死に考える。

「バイバイ」
 だが現実は甘くない。
 コウ君は手を振って部屋の奥に向かって歩いていった。
 嘘でしょ!?

「待って、行かないで」
 私はコウ君を必死に引き留める。
 けれど聞こえていないのか、コウ君はズンズン歩いていく。

 ああ、なんてこと
 息子が私の元を離れるのはもっと先だと思っていた……
 けれど、それは今日だったらしい。
 突如やって来た息子との別れに、私の心に嵐が吹き荒れる。

「行かない、で……」
 私の叫びも虚しく、コウ君は布団の上で寝てしまった。
 さっきはあんなにぐずったのになぜ、と思わなくもない。
 けれど、それ以上に私は打ちひしがれていた。

 私は息子から見捨てられたのだ。
 あんなに可愛がっていたのに、私たちは両想いではなかったらしい。
 それがとても悲しくて――

「スイマセン」
 と悲劇のヒロインぶっていると、声を掛けられた。
 振り向いてみると、隣の部屋の奥さんが、ベランダの手すりから身を乗り出して私を見ている。
 おお、女神様がいらっしゃった。

「あの、困っているようでしたので……
 何も無ければこのまま帰りま――」
「いえ、行かないでください
 滅茶苦茶困ってます」

 そして私は、隣の部屋から脱出。
 大家さんから鍵を借りて無事に、爆睡している息子と再会しましたとさ。

10/24/2024, 2:00:52 PM

 昔々とある村に、いつも提灯を持っている男がいました。
 彼は、提灯が役に立たない昼間でも提灯を持ち歩き、片時も離すことはありません

 とはいえ、彼も生まれた時から肌身離さず、提灯を持っているわけではありません。
 数週間前、彼は突然提灯を持ち歩くようになったのです。

 彼は村では『勉強好きの変人』と有名でした。
 なので村人たちは『勉強のし過ぎで狂ってしまったのだ』と噂し、彼を憐れみました。
 そして『落ち着くまで放っておこう』と、彼から距離を置きました。

 ある日の事です。
 村の男の子が男の元を訪れました。
 少年は、自分の中にある疑問を男にぶつけます
「あなたはなぜ、提灯をいつも持っているのですか?」


 男は答えます。
「近い内に世界が暗闇に覆われる。
 その時にコレが役に立つのだ」

 この話を聞いた少年は、他の子供たちにも伝えました。
 そして子供経由で、話を聞いた大人たちは『やっぱり彼は狂っているのだ』と疑念を確信に変え、男からさらに距離を置くようになりました。


 ある日のことです。
 その日は、気持ちのいいほど良く晴れた日でした。
 見渡す限りどこまでも続く青い空。

 『こんな気持ちのいい日に外に出ないなんて損だ』と村人たちは外に出てきます
 普段村の仕事で忙しい彼らも、今日ばかりはゆっくり過ごしていました。

 そして提灯の男も、他の村人たちと同じように外へと出てきます。
 もちろん提灯を持ってです。
 しかし他の村人たちとは違って、ソワソワしていました。

 明らかに挙動不審でしたが、村人たちは気にしません。
 そんな事が気にならないほど、いい天気だったのです。

 ですが信じられないことが起こりました。
 先ほどまで明るかった空が、突然暗くなったのです。

 『太陽を隠すほど厚い雲は無かったのになぜ?』
 人々は不思議に思い、空を見上げます。
 そこで彼らは見ました。
 太陽が徐々に欠けていく様子を……

 そう日食です。
 現代に生きる我々にとって、日食は説明できる自然現象。
 しかし、当時の人々は何も知りません。
 彼らは何が起こっているかもわからず、不安に駆られて大騒ぎし始めました。
 提灯の男の予言通り、世界が暗闇に包ました。

 そこでポオっと、ある一点が明るくなりました。
 提灯の男が、提灯に火を灯したのです。
 不安に押しつぶされそうな彼らは、光を求める虫の様に、提灯の男に集まります

 救いを求めるように、男に集まる人々。
 ですが、そこでも信じられない物を見ました。
 提灯の男が不可解な行動をしていたからです。

 男は、提灯の灯りを頼りに、欠けていく太陽をスケッチしていました。
 彼の鬼気迫る雰囲気に、村人たちは声をかける事も出来ず、ただ見ることしか出来ません。
 そして、なぜそんな事をするのかも分からず、村人たちはさらに混乱しました。

 村人たちが大混乱していると、周囲がだんだんと明るくなっていきました。
 空を見上げると、なにも無かったかのように空は晴れ渡っていました。
 日食が終わったのです。

 男は提灯の火を消すと、満足した顔で立ち上がり、自分の家へと帰っていきます。
 村人たちは、それを呆然と見送ることしか出来ませんでした。

 しばらく時間が経った後、村人たちは気を取り直します。
 そして、こう思いました。
 『寝て忘れよう』と……

 村人たちは、各々の家に戻っていきました。
 誰も何も話すことなく、バラバラと解散していきます。
 そうして出歩く人は誰もいなくなりました。

 そして残されたのは、どこまでも続く青い空だけ。
 雲一つない、気持ちのいい青空でした

10/23/2024, 1:36:50 PM

「うーん、どうしよう」
 僕は目の前に数枚の服を並べて唸っていた。
 目の前には夏服と冬服、数枚ずつ……
 何を着て外出しようか迷っているのだけど、どうにも決意しかねていた。

 もう冬も近いというのに、まだまだ暑い日が続く。
 天気予報を見る限り、今日も暖かくなるらしい
 服を着込んで汗をかくことは避けたい。

 かといって段々寒くなっているのも事実。
 夏服では、ふとした瞬間寒い事がある。
 寒空の下、凍えるのは嫌だ。

 畜生、極端な気温だったら迷うことは無いのに……
 なんでこんな中途半端な気温なんだ。
 衣替えをすべきか、せざるべきか、それが問題だ。

「うーん、どうしよう……
 決められないよ!」
「うふふ。
 お困りかい」
「そ、その声は!」
 僕は声に驚いて、部屋の入り口を見る。
 そこに立っていたのは、衣替えの強い味方『コロモガえもん』だった。

「猫じゃない、タヌキ型ロボット!」
「そんなこと誰も言ってないよ」
 唐突にコロモガえもんがキレた。
 彼は時々不思議なことを言う。
 けれど興味は無いので追求しない。
 今大事なのは、衣替えの事だ。

「『衣替えをすべきか、せざるべきか、それが問題だ』。
 君はそう言いたいんだろう、ノビタ君?」
「話が早いね、コロモガえもん。
 でも僕の名前は、ノビオだよ」

 コロモガえもんは、主人の名前さえ間違えるポンコツロボットだ。
 けれど衣替えに関しては、シャーロック・ホームズばりの推理力を披露してくれる。
 本当にダメダメだけど、衣替えの事だけは頼ることが出来る。

「コロモガえもん、どうしたらいいと思う?
 夏服、冬服どっちを着たらいいかな?」
「それなら簡単だよ、ノビエ君」
「本当かい、コロモガえもん!?
 あと、僕はノビオね」
「秋服を着ればいいのさ」
「『秋服』だって!?」

 体に電流が走る。
 暑くもなく寒くもない秋には、秋服を着ればいい。
 僕じゃ出なかった発想だ。
 コロモガえもんが来てくれて良かった。

「ありががとう、コロモガえもん。
 僕、秋服を着るよ!」
「どういたしまして」
「あっ、でも秋服がないや
 どうしよう……」
「無いなら買ってくればいいよ」
「でもさ、服を買いに行く服がないんだ」
 僕は、目の前にある夏服と冬服を眺める。

 外に出るには秋服を着ていけばいい。
 けれど秋服を持ってないから、買いに行かないといけない。
 買いに行くには外に出る必要がある。
 外に出るには秋服を着ていけばいい。

 頭の中の議論が堂々巡り。
 僕の悩みは、フリダシに戻った――

 ――かに思われた。

「なんだい、そんなことで悩んでいるのかい?」
「コロモガえもん……?」
「僕が持っている秋服を貸してあげるよ。
 ちょっと待ってて」
 そう言うとコロモガえもんは、お腹の袋からとある服を取り出した。

「はい、これ。
 大事に着てね」
 コロモガえもんが出した服、それは輝いていた。
 その服は、背中に金の竜が刺繍された、ギンギラギンな服だった。

「待ってよ、コロモガえもん!
 こんな派手な服着ていけないよ」
「大丈夫、それが今秋のトレンド服。
 皆着ているから目立たないし、むしろ地味なくらいさ」
「でも……」
「僕を信じて、ノビオ君……」
「コロモガえもん……」

 コロモガえもんがまっすぐ僕を見る。
 彼が嘘をついていたり、揶揄っている様子はない。
 なら――

「分かったよ。
 僕、これを着て秋服を買ってくるよ!」
「がんばって!」

 僕はコロモガえもんからギンギラギンな秋服を受け取り、着替えて外に出る。
 いざ行かん、アパレルショップへ。
 秋服が僕を待っている。

 しかし僕は忘れていた。
 コロモガえもんは、衣替え以外のことに関してはポンコツだったことを。

 この後、警察から職務質問を受けることになることを、この時の僕はまだ知らない。

10/22/2024, 1:39:45 PM

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!
 外国から取り寄せた珍しい品がたくさんあるよ!」

 辺りに威勢のいい声が響き渡る。
 ここは多くの店が立ち並ぶモウカリマッカ通り。
 『ここで手に入らないものは無い』と言われるほど、多くの品が取引される大通りだ。

 ここには多くの買い物客がやってくる。
 彼らは見たことが無い珍品や、高品質な品々に心を躍らせていた。
 そして商人たちは、買い物客に自分の商品を買わせようと、声が枯れるまで――枯れてもなお叫び続けていた

 そんな賑やかな場所に一人の少女がやってきた。
 彼女の名前はオフィーリア。
 この国の第一王女である。

 そんな彼女がここにいるのは社会勉強のため。
 この国には『王族は国一番の商人であるべし』という教えがある。
 その教えに基づき、商売の腕を磨くべくここにやってきたのだ。

 とはいえ、商売の道を究めるには、師の教えが必要だ。
 ということで、オフィーリアは師のもとへとやって来た。

「こんにちは〜、師匠いますか~」
 オフィーリアは店に入るなり、間延びした声を出す。
 この喧騒では掻き消されそうな声だったが、目当ての人物は聞こえたようで、商品を並べていた妙齢の女性はオフィーリアの方に振り向いた。

「お、ヒメサマ。
 よく来たね」
 声をかけられた女性は、気さくにオフィーリアに返事をする。
 彼女の名前は、アニー=ゴウショウ。
 オフィーリアの商売の師であり、ゴウショウ商会の支店を一つを仕切る女丈夫である
 そしてゴウショウ商会は、王家が懇意にしている商会でああり、その繋がりから同性であるアニーが、オフィーリアの教育係に選ばれたのだ。

「ヒメサマ、相変わらず小さな声だねえ。
 そんなんじゃあ、客に舐められちまうよ」
 アニーは、オフィーリアに砕けた口調で話しかける。
 不敬ともとれる態度だが、この国では商人が王族に対して不躾な態度をとっても罪に問われない。
 この国では王族に対する敬意より、商売の腕が尊ばれるのだ。

「はあ、大きい声は苦手なもので……」
 だがオフィーリアは顔をしかめる。
 アニーの言動が気に障ったからではない。
 単純に、アニーの指摘が的を得ていたからだ。

「そんなんじゃ立派な商人にはなれないよ!
 そうだわ!」
 アニーは手をパンと叩く。
 それを見たオフィーリアは、とてつもなく嫌な予感がした。

「今日は声を出して呼び込みの練習ね」
 オフィーリアは、アニーの言葉を聞いて凍り付く。
 さっき言ったようにオフィーリアは、大声を出すのが苦手だ。 
 彼女はどうすれば大声を出さずに済むか、頭を回転させた。
 
「えっと、申し訳ありません……
 城に帰った後、歌の習い事があるんです。
 今喉を傷めるわけにはいきません」
 嘘である。
 呼び込みをしたくないオフォーリアがでっち上げた、在しない用事だ。
 だがアニーは、オフィーリアの心中を知ってか知らずか、おかしそうに笑う。

「安心しな。
 よく効くのど飴があるんだ」
 アニーは『問題ない』と言わんばかりに、近くの棚を指さす。
 そこには『特価』と書かれていた飴が大量に鎮座していた。

「あの……
 これって効果はあるけど、すさまじくマズイのど飴ですよね?」
「そうだよ。
 マズ過ぎて全く売れないんだよね。
 ヒメサマの今日の課題は、このマズイのど飴を売り切る事」
「えええ!」
「ほら、呼び込みをしな!
 声が枯れたら、こののど飴舐めていいから」
「いやです」
「帰る時間までに売れ残ったら、残りは全部持って帰っていいよ。
 弟子だけの特別価格で売ってあげる」
「絶対、在庫を押し付けたいだけですよねぇ!
 最初からこのつもりだったんですか!?」
「ほら、さっさと外に出て呼び込みをしな!」
「私の話を聞いてください~」

 こうしてアニーに押し切られ、オフィーリアは呼び込みを行う羽目になった。
 マズイ飴を売り切るため、声が枯れるまで呼び込みをした結果、少しだけ大きな声が出せるようになったオフィーリアであった。

10/21/2024, 1:34:58 PM

 私には、三十年連れ添った夫がいる。
 夫は外でお金を稼ぎ、その間私は家事をする。
 結婚する前、話し合って決めた。

 今どき珍しいスタイルだけど、結構うまくいっていた。
 ――のは結婚して一年間だけ。
 一緒に暮らし始めてから夫の欠点が目に着くようになり、不満だらけになってしまった。

 世の夫婦は長く連れ添うと色々諦めがつくらしいのだが、私の場合は諦めるどころか不満は増えていくばかり。
 一応好きで結婚したのだが、今では後悔しかない。
 子供がいたころはなんとか堪えたが、みんな独り立ちをしてからは、一気に我慢できなくなった。
 今では喧嘩のしない日は無い。

 喧嘩の始まりは、いつも夫のグウタラぶりだ。
 パジャマは脱いだら脱ぎっぱなし、脱いだ靴下は裏返し、食器は片付けない、お菓子は食べ散らかす、風呂を沸かせても入らない、そのくせ一番風呂じゃないとキレる、エトセトラエトセトラ。
 数え上げたらキリがない。

 特に許せないのは、『何食べたい?』と聞いて、『何でもいい』と返ってくる事だ。
 これほど腹ただしいことはない。

 『何でもいい』と答えるのはまだ許せる。
 けれど、料理が出てから『肉が食いたかった』は無いだろう!
 じゃあ『肉食いたい』って言えよ!

 何度言っても治らない、夫の悪癖。
 我慢の限界だった。
 いつ離婚届を突き付けてやろうかと思っていたある日の事、私は天啓を得た。

 どうせ何を作っても文句を言われる……
 ならば逆の発想、本当に『何でも』を――私の好きな物を出そうじゃないか。
 ちょっとした復讐である。

 リビングに行くと、夫はけだるげにテレビを見ていた。
 しかもつまらないのか、あくびをしていた。
 なんという堕落っぷり。
 少しくらい家事を手伝ってくれてもバチは当たらないと思うが、一度も手伝ってくれたことは無い。

 けれど、今回は腹を立てている場合ではない。
 すすす、と夫に近づいて質問をする。

「ねえ、あなた。
 今日何食べたい?」
「何でもいい」

 よし来た。
 いつもは聞きたくない言葉だけど、今日ばかりは心の中でガッツポーズ。
 私はあらかじめ用意していた言葉を紡ぐ。

「今、『何でも』って言った?」
 私は確認のため、夫に問い返す。
 だが夫は何かに気づいたのか顔をしかめた。

「……言ってない」
 否認ですか、そうですか。
 夫は都合が悪くなるとすぐこれだ。
 だけど言質取ったんだよね
 私は手に持っていたスマホを操作する。

『ねえ、あなた。
 今日何食べたい?』
『何でもいい』
 スマホから、先ほどの会話が繰り返される。
 そう録音である
 これで言い訳できまい

「悪かった。
 謝るから許してくれ!」
 録音を聞いた夫の顔は、見る見るうちに青ざめていきついには土下座した。
 離婚して慰謝料でも取られると思ったのだろうか?
 それも面白そうだが、今回の目的はそうではない。

「あなた、顔を上げて。
 別に怒ってないの」
 そう、怒ってない。 
 楽しみはこれからなんだ。
 むしろ笑いがこみあげて来る。

「じゃあ、離婚は……」
「ばかね、するわけないじゃない」
 夫が笑顔になる。
 どうやら安心したらしい。
 このあと、どんな試練が待っているかも知らずに。

「それで話を戻しますけど、『なんでもいい』と」
「それは!」
「いえいえ、咎めたりはしませんよ。
 ただ……」
「ただ?」
 私は一拍置いて、口を開く。

「ただ、これからは私の得意料理を作りたいと思ってます。
 好きなように!」
「君の得意料理って……
 あっ」
 夫の顔が再び曇る。
 どうやら思い出したようね。

 私の得意料理を!
 私がマヨラーだということを!

「待ってくれ、これからは何でもは言わない――いや俺が作ろうじゃないか!
 だからマヨネーズだけは!」
「あなたは昔からマヨネーズが嫌いでしたからね……
 でも私が作ります。
 料理は私の担当なのですから。
 ちなみに、今日のメニューはマヨネーズをふんだんに使った『マヨネーズ丼』です」
「あ、あああ」

 夫がうな垂れる。
 後悔しても遅い。
 私の積年の恨みを思い知れ!

 一日の始まりはいつもマヨネーズ。
 そこから終わりまでマヨネーズ。

 これから楽しい人生になりそうだ。
 私はマヨネーズを買い足さないといけないと考えながら、買い物の支度を始めるのであった。

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