G14

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「ふう、やっと寝た……」
 私はスヤスヤと寝息を立てる息子を眺めながら、大きく息を吐く。
 息子のコウ君は、何が不満なのかさっきまで大泣きしていた。
 マンション暮らしなので、近所迷惑になると、どうにかこうにか泣き止ませて、寝かしつけてひと段落。
 とても疲れたよ……

 それにしてもコウ君ってば、寝ていると天使のように可愛らしい。
 起きている間は、暴君もかくやと思わせる横暴ぶり。
 さらにイタズラ好きなのも併せて、油断ならない息子である。

 それでも怒れないのは『ママ、ママ』と、私の傍をついて離れないからだろう。
 まるでカルガモの子どもみたいに付いて来るコウ君は、私の中にある母性を刺激してやまない。

 けれどこんなママっ子の息子も、大きくなったら私の元を離れるのだろう……
 それは育児の定め、避けられない運命である。

 その時は決して『行かないで』とは言うまい。
 コウ君の幸せと未来を信じ、笑顔で送り出すのだ。
 見えなくなるまで、手を振って――
 うう、想像していると涙が出てきた。

 いやいやいや。
 私は、頭を振って切り替える。
 これは仮定の話、しかもずっと先の未来だ。
 いくら何でも、今泣くのは早すぎる。

 それに私には、まだまだやることがある。
 例えば、コウ君の大泣きで中断した洗濯物。
 洗濯の終わった服を一刻も早く干さなければいけない。
 でないとこの季節は乾かないのだ。

 私はもう一度、寝ているコウ君を見る。
 ぐっすり眠っており、起きる様子はない。
 ヨシ!!
 今の内に、洗濯物を片づけてしまおう。

 私は音を立てずに立ち上がり、洗濯カゴを持ってベランダにでる。
 外に出ると、涼しい空気が私の肌を撫でた
 季節は秋だった。

 扉を開けてコウ君の様子を見ながら洗濯物を干したいが、私はそっと扉を閉める。
 部屋が冷えれば、コウ君は起きていまうだろう。
 そして泣く。
 それだけは避けたい。

 でもゆっくりしてもいけない。
 これは時間との戦いなのだ。
 静かに、でも迅速に、洗濯物を干す必要がある。
 フフフ、専業主婦歴5年の洗濯物を干す技を――
 カチャリ。
 後ろの方で、いやーな音が聞こえた。

 恐る恐る振り返ると、ガラスの向こうにはこちらを見ている息子の姿が……
 寝ていたはずでは。
 そんな思いがよぎるも、私は顔に笑顔を張り付ける。
 もし私が大声を出したら、また泣くに違いないからだ。

 私は息子に動揺を悟られないよう、そーーーっとベランダのドアを横に引こうとして――動かない!
 やっぱりさっきの音はカギが掛けた音のようだ。
 つまり私はベランダに締め出されたのだ!
 なんてこったい!

「ねえ、コウ君」
 私は出来るだけ優しい声で、コウ君に語りかける。
「ここ、開けて欲しいな」
 チョンチョンと、扉の鍵を指さす。

 その様子を見たコウ君は、頭を横にコテリンと倒す。
 ダメだ、伝わってない。
 一体どうすれば……
 私は打開策を必死に考える。

「バイバイ」
 だが現実は甘くない。
 コウ君は手を振って部屋の奥に向かって歩いていった。
 嘘でしょ!?

「待って、行かないで」
 私はコウ君を必死に引き留める。
 けれど聞こえていないのか、コウ君はズンズン歩いていく。

 ああ、なんてこと
 息子が私の元を離れるのはもっと先だと思っていた……
 けれど、それは今日だったらしい。
 突如やって来た息子との別れに、私の心に嵐が吹き荒れる。

「行かない、で……」
 私の叫びも虚しく、コウ君は布団の上で寝てしまった。
 さっきはあんなにぐずったのになぜ、と思わなくもない。
 けれど、それ以上に私は打ちひしがれていた。

 私は息子から見捨てられたのだ。
 あんなに可愛がっていたのに、私たちは両想いではなかったらしい。
 それがとても悲しくて――

「スイマセン」
 と悲劇のヒロインぶっていると、声を掛けられた。
 振り向いてみると、隣の部屋の奥さんが、ベランダの手すりから身を乗り出して私を見ている。
 おお、女神様がいらっしゃった。

「あの、困っているようでしたので……
 何も無ければこのまま帰りま――」
「いえ、行かないでください
 滅茶苦茶困ってます」

 そして私は、隣の部屋から脱出。
 大家さんから鍵を借りて無事に、爆睡している息子と再会しましたとさ。

10/25/2024, 3:35:52 PM