G14

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 私には、三十年連れ添った夫がいる。
 夫は外でお金を稼ぎ、その間私は家事をする。
 結婚する前、話し合って決めた。

 今どき珍しいスタイルだけど、結構うまくいっていた。
 ――のは結婚して一年間だけ。
 一緒に暮らし始めてから夫の欠点が目に着くようになり、不満だらけになってしまった。

 世の夫婦は長く連れ添うと色々諦めがつくらしいのだが、私の場合は諦めるどころか不満は増えていくばかり。
 一応好きで結婚したのだが、今では後悔しかない。
 子供がいたころはなんとか堪えたが、みんな独り立ちをしてからは、一気に我慢できなくなった。
 今では喧嘩のしない日は無い。

 喧嘩の始まりは、いつも夫のグウタラぶりだ。
 パジャマは脱いだら脱ぎっぱなし、脱いだ靴下は裏返し、食器は片付けない、お菓子は食べ散らかす、風呂を沸かせても入らない、そのくせ一番風呂じゃないとキレる、エトセトラエトセトラ。
 数え上げたらキリがない。

 特に許せないのは、『何食べたい?』と聞いて、『何でもいい』と返ってくる事だ。
 これほど腹ただしいことはない。

 『何でもいい』と答えるのはまだ許せる。
 けれど、料理が出てから『肉が食いたかった』は無いだろう!
 じゃあ『肉食いたい』って言えよ!

 何度言っても治らない、夫の悪癖。
 我慢の限界だった。
 いつ離婚届を突き付けてやろうかと思っていたある日の事、私は天啓を得た。

 どうせ何を作っても文句を言われる……
 ならば逆の発想、本当に『何でも』を――私の好きな物を出そうじゃないか。
 ちょっとした復讐である。

 リビングに行くと、夫はけだるげにテレビを見ていた。
 しかもつまらないのか、あくびをしていた。
 なんという堕落っぷり。
 少しくらい家事を手伝ってくれてもバチは当たらないと思うが、一度も手伝ってくれたことは無い。

 けれど、今回は腹を立てている場合ではない。
 すすす、と夫に近づいて質問をする。

「ねえ、あなた。
 今日何食べたい?」
「何でもいい」

 よし来た。
 いつもは聞きたくない言葉だけど、今日ばかりは心の中でガッツポーズ。
 私はあらかじめ用意していた言葉を紡ぐ。

「今、『何でも』って言った?」
 私は確認のため、夫に問い返す。
 だが夫は何かに気づいたのか顔をしかめた。

「……言ってない」
 否認ですか、そうですか。
 夫は都合が悪くなるとすぐこれだ。
 だけど言質取ったんだよね
 私は手に持っていたスマホを操作する。

『ねえ、あなた。
 今日何食べたい?』
『何でもいい』
 スマホから、先ほどの会話が繰り返される。
 そう録音である
 これで言い訳できまい

「悪かった。
 謝るから許してくれ!」
 録音を聞いた夫の顔は、見る見るうちに青ざめていきついには土下座した。
 離婚して慰謝料でも取られると思ったのだろうか?
 それも面白そうだが、今回の目的はそうではない。

「あなた、顔を上げて。
 別に怒ってないの」
 そう、怒ってない。 
 楽しみはこれからなんだ。
 むしろ笑いがこみあげて来る。

「じゃあ、離婚は……」
「ばかね、するわけないじゃない」
 夫が笑顔になる。
 どうやら安心したらしい。
 このあと、どんな試練が待っているかも知らずに。

「それで話を戻しますけど、『なんでもいい』と」
「それは!」
「いえいえ、咎めたりはしませんよ。
 ただ……」
「ただ?」
 私は一拍置いて、口を開く。

「ただ、これからは私の得意料理を作りたいと思ってます。
 好きなように!」
「君の得意料理って……
 あっ」
 夫の顔が再び曇る。
 どうやら思い出したようね。

 私の得意料理を!
 私がマヨラーだということを!

「待ってくれ、これからは何でもは言わない――いや俺が作ろうじゃないか!
 だからマヨネーズだけは!」
「あなたは昔からマヨネーズが嫌いでしたからね……
 でも私が作ります。
 料理は私の担当なのですから。
 ちなみに、今日のメニューはマヨネーズをふんだんに使った『マヨネーズ丼』です」
「あ、あああ」

 夫がうな垂れる。
 後悔しても遅い。
 私の積年の恨みを思い知れ!

 一日の始まりはいつもマヨネーズ。
 そこから終わりまでマヨネーズ。

 これから楽しい人生になりそうだ。
 私はマヨネーズを買い足さないといけないと考えながら、買い物の支度を始めるのであった。

10/21/2024, 1:34:58 PM