私は砂浜に座り、打ち寄せる波を眺めていた。
夏の太陽が私を照りつけるが、麦わら帽子のおかげでそこまで暑く感じない。
風もちょうどいい強さで吹いていて、むしろ涼しいくらいである。
そんな居心地のいい場所だが、私以外には誰もいない。
ここは遊泳禁止なので、ここに来る人間はいないのだ。
聞こえてくるのは波の音だけ。
静かに考え事をするにはちょうどいい。
考えるのは、他でもない彼氏の拓哉の事。
別に喧嘩したわけじゃない。
ラブラブだ。
私たちはずっと一緒で、これからも一緒……
そう思っていた。
だが少し前に問題が浮上した。
一緒の大学に行けないのかもしれないのだ。
拓哉には行きたい大学がある。
そしてその大学はレベルが高く、私の今の学力ではとうてい無理なレベル。
だけど諦めきれない私は、猛勉強しているのだが、どうにも結果が出ないのだ。
夏休み前のテストだって、点数が芳しくなく補習を受けることになってしまった。
そのことが、悔しくて悔しくて……
もっと勉強しないといけないと思うのに、焦りから思うように勉強できない……
そして手につかなって、ここに来た。
こんなことしている場合じゃないのは分かっている。
こうして海を眺めるよりも、家で勉強している方がずっと有益なのだ。
そこまで分かっているのに、私はここから動けない。
心の中のどこかで無理だと諦めているのだ。
自己嫌悪で、自分が嫌になる
私が落ち込んでいると、突然強い風が吹きつける。
かぶっていた麦わら帽子が風にあおられ、飛んで行ってしまった。
「あっ」
麦わら帽子を追いかけようと立ち上がる。
だが私は、追いかけることは無かった。
麦わら帽子を目線で追った先に、拓哉がいたのだ。
見間違いかと思ったが、どう見ても拓哉以外には見えない。
なんでこんなとことに。
麦わら帽子は見計らったかのように拓哉の手前に落ちる。
拓哉はその麦わら帽子を拾い上げ、私の方に歩いて来た。
「ほら、麦わら帽子。
咲夜のだろ?」
「うん……
でも拓哉はなんでこんなところに?」
「勉強が手につかなくってね。
気分転換に散歩してたら、咲夜を見つけたからここまで来たんだ」
「そっか……」
私は拓哉を、まっすぐ見ることが出来なかった。
きっと、勉強をサボっている罪悪感からだろう。
私は下を向いて押し黙る。
「咲夜はなんでここに?」
「勉強に手が付かなくって……」
「うん」
「うまくできなくて……」
「うん」
「私、無理かもしれない」
「……そっか」
そう言ったっきり拓哉はなにも言わなくなった。
失望したのだろうか……
勉強するべきなのに、こんなことろでサボっている私なんて、嫌われても仕方がない。
「あのさ、咲夜
勉強、辛い?」
「……うん」
「そっか、俺も勉強辛い」
「えっ」
拓哉の言葉に、思わず顔を上げる。
拓哉は困ったように笑っていた。
「俺さ。
勉強好きなんだけどさ。
ずーっとやっていると、どうしようもなく辛くなることがあるんだ」
「拓哉でも、辛いことあるんだ」
「でもさ、そういう時って勉強のし過ぎなんだよ。
だから俺は気分転換に散歩してるんだ。
咲夜も、勉強しすぎなんだよ」
「違うよ。
私は逃げているだけ」
「違わない。
俺も逃げてきただけだし」
そう言って、拓哉はおもむろにその場に座った。
「勉強ばっかりしても効率悪いんだ。
たまには息抜きしないとね。
勉強をしていると、それも必要だって気づくんだよ」
「……まるで私が勉強してないみたいじゃない」
「実際してないだろ?
咲夜のノート、最近まで真っ白なの知ってるんだぜ」
「うぐ」
私は痛いところを突かれ、反論できなかった。
授業中、寝てばかりだからノートを取らないのだ。
なおテスト勉強の時は、友人のノートのコピーして凌いでいる。
「根詰めても仕方ないからさ。
ほら、一緒にここでぼーっとしようぜ」
「でも……」
「そっか、じゃあ一人でここにいる」
「……ずるい。
なら、私も一緒にいる」
「じゃ、一緒にぼーっとしよう」
私も拓哉に倣い、地面に座って海を眺める
それ以降、私たちに会話は無かった。
けれど不思議なことに、私の心は段々と落ち着いて行った。
それは拓哉が隣にいるからかもしれないし、波の音のヒーリング効果なのかも知れない。
間違いない事は、不安が綺麗に消え失せ、清々しい気持ちだと言う事……
私は、私たちの未来のために、もう一度勉強を頑張ろうと心に誓うのだった。
俺は、世直し系ユーチューバーHIROSHI。
世にはびこる悪を成敗し、社会に平和をもたらす正義の味方だ。
決め台詞は『悪よ、滅しろ』。
その言葉と共に、あらゆる悪を滅ぼしてきた。
だが悪を成敗するのは並大抵のことではない。
稀に、向こうから抵抗されこちらが怪我をすることもある。
そのため俺は、悪を滅するときは、木刀を持ち歩くことにしている。
一方的にやっつけることが出来るからだ
たまに『やり過ぎ』など言われるが気にしてしない。
悪い事をする方が悪いのだ。
そして今日も悪を滅するため、この地にやって来た。
ここは悪名高き『きさらぎ駅』。
この駅は、罪なき善良な人々を惑わせ、この地に縛り付ける。
個人の都合などお構いなしにだ。
悪である。
言い逃れできないほどに悪である。
ならば滅せねばならない。
と思っていたのだが、今の今まで先延ばしにしていた。
なぜなら、きさらぎ駅はネットでのみ語られる伝説上の駅。
どこにあるのか分からない……
だが、オカルト好きのファンからの情報で、ここまで来ることが出来た。
脱出できないと専らの噂だったので、脱出手段も用意してもらった。
準備はバッチリ。
あとは滅するだけだ。
最初に狙うのは改札口の駅員。
きさらぎ駅で働いている人間だ。
きっと悪に違いない。
俺は愛刀『洞爺湖』を握り締めて、ホームから駅の改札口に向かう。
歩いていくと、改札口に一人の男が椅子に座って、うたた寝しているのが見えた。
どうせ誰もいないと思って、油断していたのだろう。
職務怠慢という悪に怒りを覚えるが、男が寝ていることは幸運だった。
襲う際、抵抗されるとこっちが怪我をすることがあるからだ。
俺は、男を起こさないよう足音を立てず、男の背後を取る。
そして洞爺湖を振りかぶり、決め台詞。
「悪よ、めs――」
「甘い」
男は急に振り向いたかと思うと、俺に体当たりしてきた。
意表を突かれた俺は、あっけなく地面に倒れ、組み伏せられる。
狸寝入りだと!?
なんて卑怯な奴なんだ。
脱出しようともがくが、腕は完全に決められており、動くことすら困難だった。
俺の正義の道も、ここで終点。
あっけないもんだ……
悪の手先に捕まった正義の味方は、碌な扱いを受けない……
きっと俺は口には出せないような拷問を受けるのだろう。
なってこった。
世直し系ユーチューバーHIROSHI、ここに死す!
せめてもの抵抗で男を睨み付けたようと、顔を上げる。
どんな醜悪な顔をしているのか、見てやろうじゃないか。
しかし視界に入ったのは、驚愕に目を見開いた男の顔だった。
「もしかしてお前、HIROSHIか?」
「そうだが……
もしかしてファンか!?
なら、すぐに解放してくれ」
「なんだよ、分かんないのかよ。
俺だ、TADASHIだ」
「タダシ……?
え、TADASHIアニキ!?」
俺が驚くと同時に、拘束が解かれた。
自由になった俺は、体をさすりながら立ち上がる。
いつもなら文句の一つでも言ってやるところだが、そうもいかない。
なぜならば、目の前にいるこの人は、伝説の世直し系ユーチューバーTADASHIなのだ。
俺がこの道を志したのはこの人の影響だし、世直しのイロハを教えてくれたのもこの人。
俺の頭が上がらない、数少ない人物である。
「久しぶりだな。
お前、変わってないなあ」
アニキは、邪気の無い笑みを浮かべながら、俺の肩を叩く。
アニキの笑顔にどこか違和感を覚えるが、その前に聞くことがあった
「お久しぶりです、アニキ。
こんなところにいたんすね」
アニキは数か月前、急に動画を上げなくなった。
世間は、世直し中の事故で死んだとか、あるいは警察に捕まったとか言われた。
俺も真相を確かめようと、連絡を取ろうとしたが音信不通。
家に行ってももぬけの殻。
心配していたのだが、なるほどここにいたのか……
どうりで連絡が付かないわけだ。
「ああ、世直しで来たのはいいが、戻れなくてね。
それ以来、この駅で働いている。
といってもする事なんて、ほとんどないがな」
「せいぜいお前みたいに襲ってくる奴らの対応くらいかな」と、アニキは笑顔で応える。
だがアニキの反応に違和感を感じる。
一体何がおかしいのか……
もしや!
「あの、アニキ、こんなことを聞くのも失礼だと思うんすけど……」
「『老けた』て言いたいんだろ?」
「うっす」
アニキは笑顔から神妙な顔つきになる。
「どう話したもんか……
よく分からなんだが、ここと元の世界は時間の流れが違うらしい。
俺がここに来てからもう10年は経ってる」
「じゅ、十年!?
アニキがいなくなったの、せいぜい三か月位っすよ」
「ははは、そりゃ若いわけだよ」
「うう、なんか調子狂うっす……」
興奮する俺に、冷静に対応するアニキ。
この落ち着きが、大人の余裕か……
「それよりもアニキ、帰りましょう。
本当は世直ししに来たんすけど、後でいいっす」
「帰りたいのは山々だが、方法が分からない」
「大丈夫っす。
これで帰れるっすよ」
俺はバッグの中から、脱出装置を出して見せる。
脱出装置を見たアニキは眉をしかめた。
何か言いたそうだったが、特に何も言わなかった。
「戻ったら、世直ししましょう。
アニキがいなくなってから、悪が調子に乗っているんです」
「それなんだが……」
「アニキ……?」
アニキが言い辛そうに口ごもる。
アニキの態度に、俺は嫌な予感がした。
「俺、世直しは止めようと思うんだ」
「何を言っているんすか!?
アニキほどの男が世直しを辞めるなんて、熱でもあるんすか?」
「HIROSHI、俺気付いたんだ。
あんなのは世直しじゃなくて、ただの迷惑行為だ」
「アニキ!?
それは本当の正義が分からないアンチの妄言だって、いつも言ってたじゃないですか!」
「ここは何もないところだけど、時間だけはあってな。
自分を見つめなおして、きちんと生きようと決めたんだ。
ここで働いているのも、その一環さ」
アニキの言葉に、俺は膝から崩れ落ちる。
「アニキ、変わっちまったんすね。
俺が知っているアニキはもっと
でも今のアニキは丸くなった。
世直し系ユーチューバーTADASHIは死んだんだ……」
俺が愕然としていると、アニキは申し訳なさそうに口を開く。
「悪いな、HIROSHI。
俺も一児の父親だ。
無茶は出来ん」
「え、子供!?」
新しく出てきた新情報に、俺は頭がクラクラしてきた。
さらに新情報が入ると、俺の頭は爆発するかもしれない。
「MASAKOを覚えてるか?」
「アネゴっすか?
忘れるわけないっす。
俺が独り立ちするまでの間、飯を食わせてくれたすからね……
最近見ないけど……まさか!」
「ああ、俺が来てからすぐこっちに来てな。
俺を追いかけてきたそうだ。
ソイツと結婚して、子供もできた。
女の子だよ」
今でも覚えている。
アニキとアネゴは、お似合いのカップルだった。
自分の居場所は、アニキの隣だと言って憚らなかったけど、本当に追いかけてきたのか……
凄いな、アネゴ……
さすがアネゴだ……
うん、アネゴらしい……
駄目だ、頭が回らない。
俺はもう限界だ。
「俺、もう帰るっす」
「そうか」
「やる気のない返事っすね。
アニキは帰りたくないんすか?」
「戻れるなら戻りたいな。
娘に色々な物を見せたいんだ」
「ただの親ばかじゃないっすか」
「写真見るか?
可愛いぞ」
「別にいいっす」
アニキが写真を写真を撮りだそうとするので、はっきり拒否する。
あくまでも予感だけど、ものすごく長くなりそうだからだ
俺はもう帰りたいので、アニキの惚気話に付き合う時間はない。
「それで……
どうやって帰るつもりだ」
「これを開くと、外に出るゲートが出てくるんすよ」
「なあ、HIROSHIよ。
言おうか言うまいか悩んでいたんだが、やっぱり言うぞ。
それ、おもちゃじゃないのか?
だいたいゲートが出てくるってなんだ?
SFだぞ、それは」
「何言ってんすか、アニキ。
これは信用できる筋から入手したんすよ」
「絶対騙されてるって」
「使えばアニキも納得してくれるっすよ。
オープン!」
『プリキュア! デリシャスタンバイ! パーティーゴー!』
脱出装置から、起動音が鳴り響く。
これでゲートは開くはずだ……
今、プリキュアって言った?
え?
騙されたの、俺……
俺が呆然としていると、アニキは俺の肩にそっと手を置く。
「なに、ここも悪くないさ。
今まで迷い込んだ人もたくさんいるし、意外とにぎやかだよ。
ネット回線が貧弱なのは頂けないがね。
女の子もいるし、きっと気の合う仲間を見つけられるさ」
「いやっす!」
「時間ならたっぷりある。
納得できるまで悩むといいさ。
俺も来たばかりの頃は悩んだけど、今じゃここに骨を埋めようと思っている」
「俺は……俺は……!」
「人生の終点にするには物足りないかもしれないが、人生そんなもんさ」
「こんなところで終わるのは嫌だーーーー!」
俺の叫びが、きさらぎ駅に虚しく響き渡るのだった
私は、コードネームは『ミキズ』。
養成学校を卒業したばかりの女スパイである。
実戦こそまだが、過酷な訓練をトップの成績で通過した。
そんなエリートの卵を放っておくバカはいない。
私は名のあるスパイ組織にスカウトされ、早速任務が与えられた。
「ミキズ君、これから君に任務を与える。
任務内容は、敵基地に侵入し、指令室のコンピューターから情報を入手すること。
だがこれは、お前にとって初めての任務。
上手にいかなくたっていい。
先に潜入した仲間がフォローするから、安心したまえ」
そしてボスから、ブリーフィングを受け、任務に送り出される。
初めての任務。
さすがの私も緊張するが、ボスの言動に『少し甘すぎでは?』と思わなくもない。
だが、私は失敗するつもりはない。
なぜなら私はエリートだから。
私はボスの期待を背負い、基地に忍び込む。
ブリーフィングの情報に従って、警備の薄い通路を通り、目的地に向かう。
事前情報の齟齬もなく、私は難なく指令室までたどり着く。
これまで気づかれた気配はない。
私は周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから指令室の中を伺う。
室内には警備員が、4人……
少し多いが、意表を突けば排除は可能だ。
そして、おあつらえ向きに、入り口の近くに段ボールの山がある。
『整理しろよ』と思わなくもないが、私にとって都合がいい。
これを利用し、警備員の背後をとれば、簡単に無力化できる。
ならば話は早い。
私は中の警備員が、全員背を向けたのを確認して、段ボールの裏に回り込もうとして――
何かを踏んだ感触と共に、私は盛大に姿勢を崩す。
『やっちまった』と思ってももう遅い
私の足は、スぺった勢いで大きく振り上げられ、体が宙に放り出される。
そして私が踏んだ物も、一緒に宙へと舞い上がる
私が踏んだもの……
それはバナナだった。
そんなバナナ。
私は盛大にすっころび、そのまま段ボールの山へと体ごと突っ込む。
段ボールの山は、大きな音を立てて崩れ、音に気付いた警備員が何事かと振り返る
そして私と警備員たちの目と目が合う。
まさに絶体絶命のピンチ。
なんでこうなった?
『上手にいかなくたっていい』
ボスの言葉が走馬灯のように駆け巡る。
ボスは私を安心させるためにそう言ったのだろうが、ここまで大きなミスは想定していない。
そして何かあれば、仲間たちが助けてくれる手筈だが、ここまで派手に目立ってしまっては、それも難しいだろう
終わった。
ええい、こうなりゃやけだ。
私は警備員が見つめる中、身を起こして胡坐をかいて座る
「煮るなり焼く好きにしろや!」
女は度胸!
私は開き直って、警備員を睨みつける。
「そのかわり、何人かは道連れにしてやる!
誰が最初だ?」
特に狙ったわけではないが、警備員の動揺が見て取れた。
だれだって、痛い目には遭いたくない。
とりあえず、間を持たせることには成功したようだ、
だからと言って、策があるわけではない。
勢いだけでやっているので、何も後の事は考えていない。
本当にどうしよう。
何か一手が欲しい。
その時だった
「相変わらず、威勢のいいことだ」
「ボス?」
何が起こったのか、ボスの声が指令室に響き渡る。
おそらく基地の放送のスピーカーを乗っ取ったのだろう。
そんな予定はなかったが、もしかして助けてくれるのか!?
「ボス、ボスですか!?
助けて下さい」
「ミキズ君、君に謝らないといけないことがある」
「へ?」
「君の本当の任務はね。
指令室の爆破だよ」
指令室の爆破?
こんな状況で何を言っているんだ……
「爆破するって言われても……
私、爆薬なんて持ってませんよ」
「いいや、爆薬ならあるさ。
君自身が爆弾さ」
「どういうことです?」
「君はロボットだよ。
優秀な人工知能付きのね」
「い、意味が分からない……」
「残念だよ、君のような優秀なスパイを捨て駒にしないといけないなんて……
でも代わりはいるから安心したまえ」
「ボス、待っ――」
「任務達成ご苦労様」
「いやーーーーー」
「カーーーーーーーーーット。
この後爆破シーン入れてね」
🎬 🎬 🎬
私が撮影の後、栄養補給のためにバナナを食べていると、申し訳なさそうな顔をした監督が近づいてきた。
「ゴメンね、瑞樹ちゃん。
掃除が行き届いてなかったみたい。
盛大に転んだけど、怪我してない?」
「今のところ異常は無いですけど……
それより!
なんでバナナがあるんですか!」
「新人に、撮影セットの準備を頼んだんだけどね。
ちゃんと出来てなかったみたい。
『上手にいかなくてもいい』って言ったんだけど、逆効果だったかも……」
「いえ、ちゃんと出来ているか、確認をしなかった監督が悪いです」
「本当にごめんね」
監督が申し訳なさそうに、もう一度謝罪する。
怪我をしたわけじゃないので、あんまり真剣に謝られてもこちらが困る。
気まずいので、さっきから気になっていたことを聞こう。
「ところで、脚本変えて大丈夫なんですか?
私がロボットって言う話、初めて聞きましたが?」
元々の話は、普通に任務達成するはずだった。
もちろんロボット設定は、影も形もない。
しかし私がバナナで滑ると言うアクシデントを起こし、台本通りに出来なくなった。
つまり、バナナからの下りは、完全に私のアドリブである。
すぐに中断されると思ったのだが、そのまま続行され、私がロボットと言うことになった。
意味わからん。
「あー、あれね。
瑞樹ちゃんのアドリブが面白かったから、そのまま乗っかることにしたの。
ボスのセリフも完全に即興だから、あそこだけは取り直しするかもね」
「じゃなくて、オチが最初の台本と全然違うじゃないですか?
今まで撮ったシーンの整合性とか大丈夫ですか?」
「あはは」
監督は笑って誤魔化す。
これ大丈夫じゃないやつだな。
「さっきのシーン、もう一度取り直します?」
「ダメね。
瑞樹ちゃんが転んだ衝撃で、壊れたところがあるの。
撮り直しは無理」
「だからと言って、他のシーンの撮り直しもきついですよ。
ただでさえ、スケジュールが押しているのに……」
「まあ、いいじゃない。
上手くいかなくたっていいの。
楽しければ、それでいいんだからね」
私は監督の楽観的思考にため息をつく。
長い付き合いで分かったことだが、監督は私以上のアドリブ派なのだ。
これ以上言っても、主張を変えることはあるまい。
だが私は、しっかり言わないといけないことがある。
これからの撮影にかくぁる重要な事だ。
「撮り直しもいいですけど、掃除はちゃんとしてくださいね。
そっちは上手にいかないと大事故ですから。
監督が責任を持って、しっかり確認をして下さいね」
「はい」
さすがのお気楽監督も、気まずそうに笑うのだった。
「蝶よ花よと可愛がられ♪
褒められ撫でられ愛されて♪
みんなの人気者、百合子ちゃんは~♪
今日も元気に「カーン」
私が気持ちよく歌っていると、部屋に鐘の声が鳴り響く。
タイミングと鐘の回数からは、私への悪意しか感じられない。
まるで私が音痴かのようじゃないか!
誰がこんなことをするのか……
決まっている!
友達の沙都子だ!
「ちょっと沙都子!
気持ちよく歌っているから邪魔しないで」
私が抗議の声を上げると、沙都子は不愉快そうな顔をした。
「それはこっちにセリフ。
本読んでいるんだから、歌わないで」
沙都子は読んでいる本を机に置いて私を睨みつける。
「なんで歌っちゃダメなのさ。
それに私の歌、家族から大絶賛なんだよ。
お願いされるレベルだよ!」
「はあ」
沙都子はこれ見よがしにため息をつく。
最近の沙都子はため息が多い。
「沙都子、ため息をつくと幸せが逃げるよ」
「誰のせいよ!
あのね、私は歌うなって言ってるんじゃないの。
私の部屋で歌うなっていってるの。
自分の部屋で歌いなさい」
沙都子が正論を吐く
私もそう思う。
だけど、私の部屋で歌えない事情があるのだ。
「ウチで歌うと大変なんだよ」
「家族が『うるさい』って怒るでしょうね。
私みたいに」
「違う。
家族が、私の歌を聞こうと押しかけて、大騒ぎになる」
「……さっきの『お願いされる』とか、歌の『蝶よ花よ』は誇張じゃなかったのね」
「うん、そうなんだ……
だからここで歌うね」
「なにが『だから』なの?
ダメよ。
歌いたければカラオケにでも行きなさい」
「お金無い」
「自業自得ね。
私の家の物を毎日のように壊して、弁償していればそうなるわ」
会話は終わったとばかりに、沙都子は再び本を読み始める。
沙都子は満足したかもしれないが、私はまだ言い足りない。
「まだ話は終わってないよ。
さっきの鐘の音は何さ?」
「これよ」
沙都子は、私に何かを投げてよこす。
受け取ってみると、のど自慢でよく見る鐘のミニチュアだった。
そして微妙にパチモン臭い。
「だいぶ前に、あなたが持って来た正体不明のおもちゃよ。
多分許可を取ってない偽物だと思うんだけど、ちゃんと音が少し出て感心したわ」
「……これを、私が?」
「覚えてないのね。
まあいいけど。
じゃあ、私は本読むから」
「待って、私の話はまだ――」
私が立ち上がろうとした時、近くにあった机に肘が当たってしまう。
衝撃で花瓶が机の上から落ちそうになったのが見えて、とっさに掴もうとしたけど、私の手は虚しく空を切る
花瓶はそのまま床に衝突し、粉々になった。
「ごめんなさい」
「あなたね、毎日のように家の物を壊すけど、もしかして反省してないの?」
「反省はしている。
すぐ忘れるだけだ」
「意味が無さすぎる……
その悪癖、直したほうがいいわ。
家族は何も言わないの?」
「全く」
私の言葉を聞いて、沙都子は呆れたような顔で言った。
「本当に、蝶よ花よと育てられたのね」
「あー、悔しい!
あの女ムカつく」
私は自分の部屋で一人、心にためた不満をぶちまける。
私は今日、駆け出しの女優としてとあるドラマの主役のオーディションに参加した。
原作のファンと言うのもあるが、一流の女優として羽ばたくため、どうしても役をもぎ取りたかったのだ。
自信はあった。
色々な対策も講じた。
そして結果はぶっちぎりの一位。
だが、私の心には憎悪が渦巻いていた。
「あの女ふざけやがって!
うがー!」
「あんまり大声出すと、近所迷惑になるぞ」
私しかいないはずの部屋から、突然男の声が聞こえる。
声の方を見れば、ソファーの裏から男が出てきた。
男は中肉中背で、顔はイケメンだが頭に禍々しい角が生えていた。
普通に考えれば、不審者だろう。
だが私は慌てない。
コイツの正体を知っているからだ。
「あら、来てたの……
ご忠告どうも、悪魔さん」
「ああ、お前も元気そうでなによりだよ」
こいつの正体は悪魔。
私が女優デビューした時に私の前に現れ、それ以来ずっと私に付き纏っている。
どうやら私の魂を欲しいらしいのだが、私の見立てではただの厄介ファンである。
魂が欲しいと言うのも、悪魔だからと言うよりかは、ファンのこじらせと思った方が納得できる。
だが悪魔にとって残念なことに、私は悪魔に願うような願いはない
という訳で、鬱陶しい以外は害が無いので放置している。
「何かあったのか?」
「『何かあったのか?』じゃないわよ。
さっきのオーディション、どこからか見てたんでしょ」
「ああ、見ていた。
ぶっちぎりの一位だったな」
悪魔は、「合格おめでとう」とパチパチ手を叩く。
褒めているつもりなのだろうが、どうしてもバカにしているようにしか見えない。
「そうね。
結果が最初から決まっていた出来レースだったけどね」
「それは気づかなかった」
「よく言うわ。
あなたがやったんでしょう?」
「なんだ、バレてたのか」
「当たり前よ!
審査員全員が虚ろな目で座っているのよ!
気づくに決まっているじゃない!」
アレはかなり異様だった。
審査員は、本当に見ているのか怪しいほど、目が虚ろで虚空を見ており、こちらからの質問も、空返事ばかり。
他のオーディション参加者も、あまりの事態に怯えていた。
「にもかかわらず、私の演技を絶賛するのものだから、気味が悪いを通り越して笑いがこみ上げてきたわ」
「意図とは違うが、楽しんでもらえたら何よりだ。
ああ、対価はいらない。
俺が勝手にやったことだからな」
「当たり前よ!」
「だが何を怒っている?
オーディションには合格し、俺の細工もまあまあ楽しめたのだろう?」
「ふん、アンタが茶々を入れてきたものムカつくけどね。
それ以上にムカつく奴がいたのよ」
その瞬間、悪魔が目を輝く。
どうやらこの悪魔、人の悪意が大好物らしい。
趣味の悪い――いや悪魔だから趣味が良いのか、ともかく悪魔は子供の様に目を輝かせていた。
「詳しく教えてくれ」
「合格発表の時、アイツが私に近づいてこう言ったの……
『おめでとうございます。 ところでコネで合格して嬉しいですか?』ってね!」
「コネだろう?
俺の力を使って合格したのだから」
「アホか!
頼んでないし、そんなことしなくても私がぶっちぎりで合格よ!」
私が叫ぶと、悪魔は悲しそうな顔をする。
感謝されないことにがっかりしたようだ。
本当に善意からの行動らしいが、迷惑なものは迷惑である。
だが!
それが霞むほど!
あの女が憎い!
「あの見下した目線。
ふざけやがって!
どう見ても私の方が格上でしょうに!」
「では報復するか?」
「報復?」
「俺は悪魔だ。
報復は得意中の得意だよ」
悪魔はニヤリと笑う。
「報復したければ願いを言うといい。
悪魔として願いを叶えてやろう。
無論、対価は頂くがね」
「報復か……
いいわね。
アンタの思い通りってところが癪だけど、乗ってやるわ。
まずあの女が次に出るオーディションを調べなさい」
「いいだろう……
それから?」
「参加予定者に、私の名前をねじ込みなさい」
「分かっ――は?」
悪魔は呆れたような顔で私を見る。
こいつの付き合いはまだ短いが、呆れている顔を見るのが多い気がする。
威厳の無さに、最近悪魔と言うのは嘘じゃないかと疑っている。
「一応聞くが、何のつもりだ?」
「あの女と同じオーディションを受けて、あの女を負かす」
悪魔は、眉間を押さえる
言葉を選んでいるのか、考えている素振りを見せる。
悪魔はしばらく熟考したあと、顔を上げる。
「俺は悪魔だ。
得意なのは、人間を不幸にすること。
例えば、あの女を病気にするとか、事故を起こして歩けなくさせるとか……
あるいは、女の所属する事務所を潰すでもいい。
なぜそう言った事を願わない?」
「そうすると、私はあの女に実力の差を見せつけられないわ。
私と正々堂々勝負して、実力の差を目のあたりにして、あの女が敗北を認めるのが私の望みよ」
「正々堂々は、悪魔の仕事じゃねえ!」
悪魔の男が、不満そうに私を見る。
頼まれもしないのに、私に付き纏ってるくせに……
勝手な奴だ。
「もう一度いう。
俺は悪魔だぞ。
もっとドス暗い感情に満ちた願い事をしろ」
「してるじゃない。
リベンジにメラメラ燃えているわ。
そして、あの女を負かし、屈辱まみれにしてやるわ!」
「そういう事じゃない」
「そんなに悪魔の仕事をしたいなら、他のやつのところに行けば?
例えばあの女とか。
根暗そうだから、ガンガン願い事すると思うわよ」
「お前はそれでいいのか?
多分あの女、躊躇なくお前を呪うぞ」
「いいわ。
むしろハンデがあった方が、力の差が分かりやすいもの。
それでもわたしが勝つしね」
私の言葉を聞いた悪魔は、諦めた顔をして近くにあったソファーに座る。
こういう問答の後、悪魔はいつもあのソファーに座る。
定位置というやつだ。
「やめだ、やめ。
まったく商売あがったりだ」
「待って。
あの女のオーディションを調べると言うのは……」
「俺は便利屋じゃない。
自分で調べろ」
「役立たず」
「うるせえ」
そう言って、悪魔はソファーに横になる。
ふて寝だ。
ここまでが、いつものやり取りである。
こうなると、特に用事がない限り、お互い不干渉だ。
だが今日の私は、コイツに用がある。
私は、最短距離で悪魔の寝ているソファーに向かい、空いているスペースに腰を掛ける。
悪魔は寝るのを邪魔されて、不快そうに私を見ていた。
「なんだよ……」
「私に言うことない?」
私の言わんとしていることを察し、悪魔はその端正な顔をしかめる。
こいつ、悪魔のくせに顔に出やすいな。
「さっき言っただろ」
「感情こもってなかった」
「いいだろ別に」
「はあ、せっかく頑張ったのに。
アンタが、原作好きだって言うから……」
「お前、汚いぞ!
はあ、くそ、分かったよ」
悪魔は体を起こし、私を正面から見る
「その、合格おめでとう。
ドラマ、楽しみにしてる」
悪魔は慣れないのか、はにかみながら私に賛辞を贈る。
不器用な誉め言葉だが、ファンの声援は何よりも嬉しい。
そして、それに対する私の答えは、最初から決まっていた。
「ありがとう、ファン一号。
ドラマ、楽しみにしててね」