私は、コードネームは『ミキズ』。
養成学校を卒業したばかりの女スパイである。
実戦こそまだが、過酷な訓練をトップの成績で通過した。
そんなエリートの卵を放っておくバカはいない。
私は名のあるスパイ組織にスカウトされ、早速任務が与えられた。
「ミキズ君、これから君に任務を与える。
任務内容は、敵基地に侵入し、指令室のコンピューターから情報を入手すること。
だがこれは、お前にとって初めての任務。
上手にいかなくたっていい。
先に潜入した仲間がフォローするから、安心したまえ」
そしてボスから、ブリーフィングを受け、任務に送り出される。
初めての任務。
さすがの私も緊張するが、ボスの言動に『少し甘すぎでは?』と思わなくもない。
だが、私は失敗するつもりはない。
なぜなら私はエリートだから。
私はボスの期待を背負い、基地に忍び込む。
ブリーフィングの情報に従って、警備の薄い通路を通り、目的地に向かう。
事前情報の齟齬もなく、私は難なく指令室までたどり着く。
これまで気づかれた気配はない。
私は周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから指令室の中を伺う。
室内には警備員が、4人……
少し多いが、意表を突けば排除は可能だ。
そして、おあつらえ向きに、入り口の近くに段ボールの山がある。
『整理しろよ』と思わなくもないが、私にとって都合がいい。
これを利用し、警備員の背後をとれば、簡単に無力化できる。
ならば話は早い。
私は中の警備員が、全員背を向けたのを確認して、段ボールの裏に回り込もうとして――
何かを踏んだ感触と共に、私は盛大に姿勢を崩す。
『やっちまった』と思ってももう遅い
私の足は、スぺった勢いで大きく振り上げられ、体が宙に放り出される。
そして私が踏んだ物も、一緒に宙へと舞い上がる
私が踏んだもの……
それはバナナだった。
そんなバナナ。
私は盛大にすっころび、そのまま段ボールの山へと体ごと突っ込む。
段ボールの山は、大きな音を立てて崩れ、音に気付いた警備員が何事かと振り返る
そして私と警備員たちの目と目が合う。
まさに絶体絶命のピンチ。
なんでこうなった?
『上手にいかなくたっていい』
ボスの言葉が走馬灯のように駆け巡る。
ボスは私を安心させるためにそう言ったのだろうが、ここまで大きなミスは想定していない。
そして何かあれば、仲間たちが助けてくれる手筈だが、ここまで派手に目立ってしまっては、それも難しいだろう
終わった。
ええい、こうなりゃやけだ。
私は警備員が見つめる中、身を起こして胡坐をかいて座る
「煮るなり焼く好きにしろや!」
女は度胸!
私は開き直って、警備員を睨みつける。
「そのかわり、何人かは道連れにしてやる!
誰が最初だ?」
特に狙ったわけではないが、警備員の動揺が見て取れた。
だれだって、痛い目には遭いたくない。
とりあえず、間を持たせることには成功したようだ、
だからと言って、策があるわけではない。
勢いだけでやっているので、何も後の事は考えていない。
本当にどうしよう。
何か一手が欲しい。
その時だった
「相変わらず、威勢のいいことだ」
「ボス?」
何が起こったのか、ボスの声が指令室に響き渡る。
おそらく基地の放送のスピーカーを乗っ取ったのだろう。
そんな予定はなかったが、もしかして助けてくれるのか!?
「ボス、ボスですか!?
助けて下さい」
「ミキズ君、君に謝らないといけないことがある」
「へ?」
「君の本当の任務はね。
指令室の爆破だよ」
指令室の爆破?
こんな状況で何を言っているんだ……
「爆破するって言われても……
私、爆薬なんて持ってませんよ」
「いいや、爆薬ならあるさ。
君自身が爆弾さ」
「どういうことです?」
「君はロボットだよ。
優秀な人工知能付きのね」
「い、意味が分からない……」
「残念だよ、君のような優秀なスパイを捨て駒にしないといけないなんて……
でも代わりはいるから安心したまえ」
「ボス、待っ――」
「任務達成ご苦労様」
「いやーーーーー」
「カーーーーーーーーーット。
この後爆破シーン入れてね」
🎬 🎬 🎬
私が撮影の後、栄養補給のためにバナナを食べていると、申し訳なさそうな顔をした監督が近づいてきた。
「ゴメンね、瑞樹ちゃん。
掃除が行き届いてなかったみたい。
盛大に転んだけど、怪我してない?」
「今のところ異常は無いですけど……
それより!
なんでバナナがあるんですか!」
「新人に、撮影セットの準備を頼んだんだけどね。
ちゃんと出来てなかったみたい。
『上手にいかなくてもいい』って言ったんだけど、逆効果だったかも……」
「いえ、ちゃんと出来ているか、確認をしなかった監督が悪いです」
「本当にごめんね」
監督が申し訳なさそうに、もう一度謝罪する。
怪我をしたわけじゃないので、あんまり真剣に謝られてもこちらが困る。
気まずいので、さっきから気になっていたことを聞こう。
「ところで、脚本変えて大丈夫なんですか?
私がロボットって言う話、初めて聞きましたが?」
元々の話は、普通に任務達成するはずだった。
もちろんロボット設定は、影も形もない。
しかし私がバナナで滑ると言うアクシデントを起こし、台本通りに出来なくなった。
つまり、バナナからの下りは、完全に私のアドリブである。
すぐに中断されると思ったのだが、そのまま続行され、私がロボットと言うことになった。
意味わからん。
「あー、あれね。
瑞樹ちゃんのアドリブが面白かったから、そのまま乗っかることにしたの。
ボスのセリフも完全に即興だから、あそこだけは取り直しするかもね」
「じゃなくて、オチが最初の台本と全然違うじゃないですか?
今まで撮ったシーンの整合性とか大丈夫ですか?」
「あはは」
監督は笑って誤魔化す。
これ大丈夫じゃないやつだな。
「さっきのシーン、もう一度取り直します?」
「ダメね。
瑞樹ちゃんが転んだ衝撃で、壊れたところがあるの。
撮り直しは無理」
「だからと言って、他のシーンの撮り直しもきついですよ。
ただでさえ、スケジュールが押しているのに……」
「まあ、いいじゃない。
上手くいかなくたっていいの。
楽しければ、それでいいんだからね」
私は監督の楽観的思考にため息をつく。
長い付き合いで分かったことだが、監督は私以上のアドリブ派なのだ。
これ以上言っても、主張を変えることはあるまい。
だが私は、しっかり言わないといけないことがある。
これからの撮影にかくぁる重要な事だ。
「撮り直しもいいですけど、掃除はちゃんとしてくださいね。
そっちは上手にいかないと大事故ですから。
監督が責任を持って、しっかり確認をして下さいね」
「はい」
さすがのお気楽監督も、気まずそうに笑うのだった。
8/10/2024, 3:16:19 PM