G14

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8/7/2024, 1:41:53 PM

 地獄にも太陽がある。
 だがそれは、大地に恵みを与えるものではない。
 地獄の亡者たちを苦しめるためだ。
 地獄は罪人を裁く断罪の場。

 俺は、照り付ける太陽を恨めしく思いながら、地獄の大地を歩く。
 パトロールをするためだ
 地獄を見て回り、改善できる点が無いか調べているのである。

 だが俺はもともと地獄に落とされた身。
 罪人である筈の俺が、なぜ地獄のパトロールなどしているのか……?
 事は1か月前にさかのぼる。

 俺は、生前詐欺を働いたと言う理由で、地獄に落とされた。
 世のため人のためにやったことだが、閻魔の裁判には情状酌量という言葉がないらしく、問答無用で地獄送りにされた。
 言い訳すらさせてもらえなかったのは腹が立つが、まあ犯罪者なのは本当なので仕方ない。

 だが罰を受けるのがごめんだった俺は、口八丁で地獄の連中に取り入り、今では鬼たちと共に、地獄の円滑な運用に取り組んでいる。
 報酬の無い仕事なんてくそくらえなのだが、罰を受けるだけの退屈な日々とどっちがいいかと言えば、間違いなく前者である。
 そういった消極的な理由から仕事をしているが、この仕事はなかなか刺激的である。
 俺は意外にも、こうして地獄を回ることは結構満足していたりする。

 だが俺も罪人の一人。
 罰は免除されているとはいえ、太陽の日差しは俺にも等しく降り注ぐ。
 地獄の太陽は、他の罪人と同様に俺の体から水分を奪っていく……

 はずなのだが……

「地獄の太陽って、日差しが弱くないか?」
 俺は隣で歩く鬼に、気になったことを聞いてみる。
 こいつは、俺が仕事をするにあたっての相棒兼監視役である。
 なかなか堅物で、仕事に熱心だが口数の少ない、寡黙な職人タイプの鬼である。
 そんな鬼だが、話しかければ嫌そうな顔をしながらも、話し相手になってくれる程度には付き合いは良い。

 だから今日も話しを振ってみたのだが、いつもの嫌そうな顔ではなく、呆れたような顔で俺を見ていた。
「何言ってるんだ、お前。
 そんだけ汗かいておいて、日差しが弱いなんてよく言うよ……」
「いや、暑いのは暑いんだ……
 だがどうにも日差しが弱い気がする」
「暑すぎて、頭がバカになったか?
 あそこに、人間界から特別に取り寄せた気温計がある。
 それを見て、正気に戻るんだな」
「あれ、気温計だったのか。
 古すぎて分からなかったよ
 どれ、見て来よう」

 俺は鬼の言う気温計の側まで歩く。
 その気温計は、年代物なのか、ところどころ文字がかすれて読みにくい。
 暑さでぼんやりした頭に活を入れながら、気温計の数字を読む。
 気温計が指し示す気温は30度。
 そこそこ高い温度が示されていた。
 
「あー」
「わかったか?
 ここはお前たちのいた人間界より暑く――」
「やっぱり涼しいんだな、ここ」
「なん……だと……」
 鬼が愕然とした顔で俺をみる。
 どうやら俺の言葉が、鬼にあらぬ誤解をさせてしまったらしい。

「違う違う。
 最近の地球の気温よりかは涼しいと言う意味だ」
「意味が分からん」
「最近地球温暖化が著しくてな。
 外国の事情は知らんが、最近日本では40度越えも珍しくない」
「……俺を騙そうとしてないか?
 お前、詐欺師だもんな」
「こんなことで騙すかよ。
 嘘だと思うなら、後で確認するといい」
「ぐう」
 鬼は、嘘かホントか図りかねていたようだが、ふと何かに気づいたかのように顔を上げた。

「そういえば……
 最近地獄に落ちてくる奴ら、心なしか安心したような顔をしている気がする。
 まさか、そのせいなのか……?」
「おそらく……
 俺もこっちに来た時は『意外と涼しい』と思ったもんさ」
「ぐぬぬ。
 これは由々しき事態だぞ」
 鬼の彼にとって、罪人たちが苦しまないと言うのは見過ごせないのだろう。
 鬼はその場にで唸り始めた。

「これは早急に解決すべき案件だ。
 どうするべきか……」
「俺も案を出そうか?」
「貴様の手を借りん」
「けどさ――」
「なにも言うな。
 仲間の人間のために、俺を騙すかもしれないからな」
「そんなことはしないが……
 まあいい、あんたがそう言うならなにも言わんよ」
「もっと暑くするべきか?
 しかし、安易に気温を上げると、他の施設に影響が……」
「聞いちゃいねえし」

 長くなりそうだ。
 気温計の下に丁度いい影があるので、そこに避難する。
 いい感じに風が吹いて涼しい。

「待てよ、逆に考えるんだ……
 暑くではなく、寒くしては……」
 鬼は自分が滝のような汗を流している事にも気づかず、ぶつぶつと何かを言っている。
 あのままでは脱水症状になるかもしれないが、大丈夫なのだろうか?


 まいっか。
 なにも言うなと言われているし。
 それにしても――

「こうも暑いと喉が渇く。
 自販機の設置を打診してみるか」
 俺は早くも改善案の一つを見つけたのだった。


 👹

 後日。
 いつものように、パトロールに行こうと待ち合わせ場所に行くと、そこには見慣れない小屋があった。

「おい、人間。
 新しい地獄の設備が出来たから、特別に中を見せてやろう」
「嫌だよ」
「そう言うな。
 会心の出来だ。
 ドアを開けてみろ」
「はあ」

 このまま断っても、鬼は引き下がらないだろう
 適当に付き合って、とっととパトロールへ行こう。
 そう思ってドアを開けると、中から熱くて湿った空気が出てきて、おもわず一歩下がる。

 この炎天下をして熱い空気。
 この小屋の中はかなりの高温らしい。
 ここに入れば、たしかに地獄の責め苦を味わう事だろう……

「驚いたか人間。
 この部屋の中は温度を高くしてある。
 これで、涼しいと言ったやつらも音を上げるだろう」
「そうか……」
「だがそれだけでは芸がない。
 そこで俺はこの小屋の中の湿度を極限まで高めた。
 これで不快度を上げ、人間をさらに苦しませるのだ」

 相棒は、自分の画期的な発明を誇っていた。
 確かに言葉だけを聞けば、とんでもない拷問設備である。
 これ以上ない地獄の設備であろう。
 だが俺には、この設備に心当たりがあった

 サウナじゃん。

「だがこの地獄はそれだけでなない。
 小屋の裏を見てみろ」
 鬼に促され裏に回ると、そこには露天風呂仕立ての温泉があった。

「ここには、キンキンに冷えた水風呂を用意した。
 暑さに参った罪人どもは、我先にとここに飛び込むだろう。
 だがそれは罠。
 温度差によって、罪人共はさらに苦しむことだろう」

 『やっぱサウナじゃねーか』

 俺は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
 俺は罪人だが、だからと言って、冷や水をかけるような真似をするほど腐っちゃいない。
 たとえ本人のためにならないとしても。

「どうだ、俺の考え出したものは!」
「い、いいと思う……」
「どうだろう、どうだろう」

 鬼は高笑いする。
 そう……これでいいんだ。
 それにだ。
 鬼の言う通り、サウナは結構苦しいものだし、水風呂も温度の急激な変化は辛いものだ。
 きっちり拷問として機能する。
 ただ、その拷問にはデトックス作用があり、そして体が整う効果があるだけである。

 地獄は広い。
 こんな施設の一つくらいあってもいい。
 俺は自分に言い聞かせる。

 高笑いする鬼に、下を向く俺。
 地獄で行われるとんでもない茶番劇。
 俺たちを見て、地獄の太陽が笑っている気がした

8/6/2024, 1:47:57 PM

 チクタクチクタク……
 部屋中に時計の秒針の音が響き渡る。
 この部屋にあるのは時計と、『17』と表示されたモニター。
 現実感が無いなと、ぼんやり思う。
 そういえばさっきまで何をしていたんだっけ?

 私がさっきまでの事を思い出そうとすると、目の前に皿に載せられた柿が出された。

「食べなさい」
 そう言うのは、友人の沙都子。
 彼女は、冷たい目で私を見ていた。
 今まで沙都子を怒らせたことはあったけど、これほどまでに冷たい目で見られるのはあっただろうか?
 すべてを凍らせるような目線に、私は恐怖から身震いする。

「百合子、何をしているの?
 早く食べなさい」
 沙都子に咎められ、しぶしぶ柿を口に運ぶ。
 私は柿が大好物なのに、こんなに気が進まないのは初めてだ。
 それは自分の意志で食べる物でなく、義務で食べているからだろう。

 大好物をなんでこんな思いをしながら食べなければならないのだろうか?
 私は涙をこらえながら、柿を飲み込む。

 ゴーン。
 私が柿を飲み込んだ瞬間、どこからか鐘の音が響く。
 そしてモニターの数字が『17』から『18』に増える。
 これは私が柿を食べた数。
 そして鐘の音が鳴った数でもある。

 その時、私の脳内に稲妻が走った。
 『柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺』

 柿を食べると鐘が鳴る。
 鐘が鳴れば、世界から煩悩が消える
 煩悩が消えれば、世界に平和が訪れる。
 そうだ、私は世界平和のために柿を食べていたんだった。
 なんとしても鐘を108回鳴らさないといけない。

 私には使命がある。
 沙都子の目が怖いからって怖気づく時間はない。
 私は気を取り直してモニターを見る。
 これを108にすれば世界に平和が訪れる。
 頑張ろう。

 私が決意を新たにしていると、再び目の前に皿に乗った柿が出された。
「何をぼーっとしているの?。
 まだ90個あるものよ」
「言われるまでもない」

 私は、差し出された柿を一口で食べる。
 ゴーン。
 鐘が鳴り、モニターの数字が『18』から『19』に増える。
「いい調子よ」
 沙都子が相変わらず冷たい目で私を見る。
 褒める時くらい、それっぽい顔をすればいいのに……

 私が心の中で愚痴を言っていると、沙都子が新しい柿を出してきた。
「食べなさい」
 今度も、柿を一口で食べる。
 ゴオオオン。
 響く鐘の音。
 けれどモニターの数字は変わらなかった。

「なんで!?
 食べたのに!」
「ハズレよ。
 さっきのは祇園精舎の鐘の声ね」
「そんな!」
「諸行無常。
 カウントはリセットよ」

 私が抗議の声を上げる間もなく、モニターの数字が『0』に変わる。
 また一から始めないけないのだろうか?
 私の体は絶望で支配される。

 私の気持ちも知らず、沙都子は新しい柿を出す。
 もう食べたくない。
 私の精神は限界だ。

「食べなさい」 
「嫌だ!」
「我がまま言わないの。
 食べなさい」
「嫌だったと言ったら嫌だ」
「強情ね」
 沙都子が私の肩を掴み、揺さぶってくる。

「食べなさい。
 でないと皆さんに迷惑がかかるでしょ」
「別に私じゃなくってもいいじゃん!」
「ダメよ。
 食べなさい」
 
 私は心の底から叫ぶ。
「もう食べられないよ」
 その瞬間、頬に強い痛みが走った。

 ◆

「百合子、起きたかしら?」
 目の前にいるのは心配そうな顔をする沙都子。
 周りを見渡すと、近所の寺の紹介をしているテレビに、食べ散らかしたお菓子、出しっぱなしのホラー漫画本……

 理解が追い付かない。
 柿はどうなった?
 鐘の音は?
 世界平和は?

「大丈夫?
 あなた、うなされていたのよ」
 沙都子の言葉ですべてを把握する。
 そうだ。
 私は沙都子の部屋に遊びに来て、お菓子を食べた。
 でも食べすぎて眠たくなって、ソファーで寝たんだっけ。
 変な姿勢で寝たせいか、体が痛い。
 ……なぜか頬も。

「起こしてくれてありがとう。
 ところで頬が痛いのはなんで?」
「最初揺さぶっていたんだけど、起きなくて……
 どうしようかと思ったら、寝言で『もう食べられないよ』って言い始めて。
 心配してるのに、ふざけた寝言を言うもんだから、腹が立って思わず……」
「いやいや、ちゃんと悪夢だったから。
 めちゃくちゃ怖かったから。
 本当に助かったから」
 まったく酷い夢だった。
 今でも鮮明に思いだせる。

「どんな夢だったの?」
「えっと、ずっと柿を食べさせられる夢」
「あなた、柿が好物だったわよね。
 やっぱりいい夢じゃないの……」
「あれはまごうことなき悪夢だったよ」
 柿を食べるだけならいい。
 鐘が鳴るのもいいさ。
 けど夢の中の沙都子が私に向けた、体の芯まで冷えるような目線……
 アレは、当分忘れられそうにない。

「まあいいわ。
 そろそろおやつの時間ね。
 しっかりしなさいよ」
 沙都子がニヤリと笑う。

「なに?
 その意味深な笑みは?」
「今日のおやつは柿よ。
 旬じゃないけど、いいのが手に入ったのよ」
 沙都子の言葉に、悪夢の恐怖がよみがえる。

「ひえええ、柿はもうコリゴリだよ」

8/5/2024, 1:48:21 PM

 私と拓哉は恋人同士。
 私たち二人いれば、どんなにつまらないことでも、楽しくなる。
 
 そして今日、私た夏休みと言うことで、恋人の拓哉と映画を見ていた。
 空調の効いた涼しい部屋の中、拓哉にピッタリとくっついて映画鑑賞する。
 もちろん、ポップコーンとコーラも完備。
 まさに映画鑑賞スタイル。

 とは言っても私たちは学生の身分。
 お金はない。
 よって私の部屋で鑑賞会だ。

 上映作品は、今ネットで話題のアニメ『しかのこのこのここしたんたん』。
 30分くらいで見れるのがいい。

 え?
 映画じゃないって?
 ここにポップコーンとコーラがあるでしょ?
 なら映画だよ。
 
 といわけで、アニメを見終えた後は感想会である。
 もちろん、私の部屋で紙パックの。

 私は拓哉に向かって、満面の笑みで微笑む。
「拓哉、今のアニメ、面白かったね」
「俺は詰まんなかったな。
 咲夜はあんなのが趣味なの」
「えー、酷くない?」

 私はこの映画は自分の見たアニメの中でも上位に入ると思っている。
 自分が面白いと思ったものを、つまらないと言われると結構ショック……
 でもなかったりする。
 言われるのは想定内だからだ。

 私と拓哉は、こうしてよくアニメや映画を一緒に見る。
 今回みたいに私から誘うこともあるし、拓哉が誘ってくることもある。
 けれど、私と拓哉の映画の趣味は全く違う。
 私は日常系、拓哉はアクション系。
 好きなものが全然違うのだ

 けれど、それを前提で一緒に映画を見ているので、相手の辛辣な意見も意外と気にならない。
 むしろどんな理由が出てくるの楽しみまである。
 それが感想会の醍醐味なのだ。

「ほう、ではどこが詰まらなかったのか、言ってみたまえ」
「シュール」
 即答。
 このアニメ、たしかにシュールである。
 だからこそ私は面白いと思うのだけど、拓哉にとっては違うらしい。
 というかこのアニメ、シュールさが売りのがだが、そこを否定されると反論に困る。
 
 拓哉に色々言いたいことはあるけれど、これ以上は口をつぐむ。
 私たちの感想会はターン制だからだ。

 そうしないと、いつまでも一方的に片方がしゃべって収集が付かなくなってしまうからだ。
 というか一度それで喧嘩した。
 その事について話し合った結果、感想の言い合いはターン制になった。

 ということで、私が聞いたから、次のターンは拓哉だ。
「咲夜はどこがおもしろいと思ったの?」
「シュールなとこ」
「……とことん話が合わないな」
「話が広がらないから次行こうか」
「そうだな」

 私は腕を組んで考える。
 どうやったら拓哉は、このアニメの良さに気づくだろうか?
 そうだ、拓哉が好きそうな物で攻めてみますか。

「オープニングは良かったでしょ」
「それは良かった。
 ノリがよくて結構好き」
「つまりこのアニメを面白いと認めると?」
「異議あり!
 さすがにそれだけで、面白いと言うのは無理がある」
「好きって言ったじゃんか!」
「それとこれとは別」
「ぐぬぬ」

 ガードが堅い。
 嘘でもいいから好きだと言ってくれればいいのに。
 そうすれば、2話も一緒に見ることが出来るのに……
 それほどまでに見たくないかね?

「次は俺だけど……
 そうだ、どうしても理解できないことがある。
 オープニングは良かったけど、なんでエンディングが鹿せんべいの作り方なんだ?」
「教育的アニメだから?」
「初耳だし、なんで疑問形?」
「考えるな、感じろ」 
「そういうのが嫌いなんだよなあ……」
 なんと、拓哉は理論派だったか。
 勉強得意だし、こういうふざけたアニメは苦手なのかもしれない

「じゃあ、次は私。
 登場人物の中で誰が好み?
 出てきてないのもいるけど、オープニングにいたでしょ?」
「ノーコメント。
 それ言ったら咲夜怒るだろ?」
「怒らないわよ。
 ただ拓哉のためにキャラの真似をするだけだから」

「じゃあ俺の番ね。
 作中色々ボケがあったけど、ぶっちゃげ鹿に関係無くない?」
「それは私も思う」
「ぶは」
 私の発言に、ついに拓哉が笑いだす。
 なにか変な事言った?

「やっぱ、咲夜と話すのおもしれえわ。
 詰まんないアニメに付き合った甲斐がある」
「私も拓哉と話せて楽しいよ。
 あと詰まんないって言うな」

 私は凄みを利かせてみるが、拓哉はそれを見てさらに笑い出す。
 最初はなんて奴だと思うが、私もだんだん楽しくなって一緒に笑う。

 私は、どんなにつまらないことでも、拓哉と一緒ならなんでも楽しい。
 拓哉もそう思ってくれるのなら、これ以上嬉しい事は無い。

 本当は映画鑑賞会なんてどうでもいい。
 それは拓哉と一緒にいるための言い訳作り。
 拓哉との映画鑑賞は好きだけど、それ以上に拓哉一緒にいられるなら何でもいい。
 だから、これからも私は拓哉の隣にいるために、いろんな言い訳をするのだ。

「ということで、二話も一緒に――」
「それはNO」
「ケチ」

8/4/2024, 1:41:51 PM

 膝の上で、幼い息子がすーすーと寝息を立てている。
 さっきまで怪獣のように大暴れしていたのが嘘のようだ。
 息子の寝顔は天使の様に可愛く、いつまでも見ていられる。
 けれど、この年頃の子供の遊びに付き合うのは一苦労。
 もう少し、大人しく遊んでくれないだろうか
 叶わぬ願いだろうけど……
 本当に、寝顔は天使である

 だけどいつまでもこうして眺めているわけにはいかない
 たまりにたまった家事を消化しなければいけないからだ。
 時間は有限なのである。

 私は息子を起こさないよう、膝の上から少しずつずらす。
 いくら時間が無いからといって、急いではいけない。
 焦ったばかりに息子が目が覚めれば、大泣きし始めて何もできなくなる。
 そうなっては時間がどうとかという話ではない。
 慎重に、しかし確実にずらしていく。

 完全に膝から下ろし、それでも起きる兆候がない事を確認して、ゆっくりと立ち上がる。
 さあ、家事の時間だ。
 鬼の居ぬ間にならぬ、怪獣の寝ている間に洗濯である。

 洗濯、掃除、片づけ、晩御飯の下ごしらえ……
 いつ息子が起きるか分からない不安と戦いながら、家事を一つずつこなしていく。
 特に大変だったのが、息子が出したままのおもちゃの片づけ。
 部屋の隅に置いてあるかと思えば、もう反対側の隅にも置いてある。
 あるいは隠すように置いてあったり……
 部屋を何往復もして、全てのおもちゃを片づけた。
 一纏めにしてくれれば楽なのにと思うのだが、息子はどうしても部屋の隅に置きたいらしい。

 息子はといえば、今日はお疲れだったようで、ぐっすりと寝ている。
 いつもは物音で一度起きるのだが、今回は起きる気配すらなかった
 おかげで家事が滞りなく進み、あっという間に家事が終えることが出来た。
 毎回こうだったらいいのに。

 時計を見れば、まだ晩御飯の支度には早い時間だった
 つまり、久しぶりの自由時間ということで、私の心は浮足立つ。
 が、次の瞬間この時間をどう使うかを悩んでいた。
 普段こんな機会は無いので、何をすべきか何も思いつかない。

 うーんうーんと悩み抜き、そして大きなあくびを一つ。
 そういえば、最近寝不足なことを思い出す。
 家事に息子の相手に、そして夫の晩酌に、とにかく寝る時間が無かった。
 ならば何もせず寝るのもいいかもしれない。
 慢性的な寝不足には付け焼刃かもしれないが、一分でも長く寝ることにしよう。

 息子の目が覚めるまで。


 ◆

 目を覚ますと、お母さんが隣で寝ていた。
 気持ちよさそうにすーすーと寝息を立てている。

 お母さんを起こそうと叩いたりしたけど、全く起きなかった。
 どうやらお母さんは、いつもよりお疲れらしい。
 ぐっすりと寝ている。

 仕方が無いので、一人で遊ぶことにした。
 おもちゃ箱をみると、おもちゃが全部おもちゃ箱に帰って来ていた。
 いつも部屋の警備をさせているんだけど、寝ている間に戻ってくることがある。
 なんでだろう。
 お母さんなら知っているかな?
 起きたら聞いてみよう
 それまでは、警備させるためにおもちゃを置くことにしよう。

 お母さんの目が覚めるまで。

8/3/2024, 3:17:45 PM

 俺は凄腕の霊媒師。
 悪霊を払祓い続けて20年。
 祓えなかった悪霊は存在しない。

 そんな俺に舞い込む依頼はどれも危険な物ばかり。
 どんな悪霊でも祓えるので、他の霊媒師が匙を投げた案件が俺に回ってくる。
 だが危険な分、報酬も多いため文句はない。

 今日も『ヤバい』案件を受け、とある病院を訪れる。
 この病院のとある病室に、とんでもない悪霊が出ると言うのだ。
 他の霊媒師が何人も挑んだが、全員が悪霊を前に逃げ帰ったそうだ。
 どんな悪霊か楽しみである。
 そして俺は、悪霊の出る病室の前まで案内されたのだが……

「これは……」
 俺は目の前の光景に絶句する。
 この病室には多くの数の悪霊がいた。
 霊媒師をして長くなるが、今まで見たことないくらい多い。
 確かにこの数では、並みの霊媒師では歯が立つまい。
 『とんでもないのは数の方かよ』と脳内で愚痴を言う。

 だが、多すぎないか?
 というか多すぎて詰まっているぞ。
 みっちりと、隙間なく……
 ここまで来ると、詰まりすぎてキモイ。

 おそらくこの悪霊たちは、霊道や鬼門、風水などの関係で、この病室にやってきたのだ。
 そしてこの場に集まり、どんどん集まり、そして集まりすぎて、詰まる事になったのだ。
 普通は、こんなことになる前にこの場を離れるはずだが、惹きつける力が強いのだろう。
 逃げる事も出来ず、たた悪霊が増えるばかりで減ることが無かったのだろう。

 よくよく冷静に見れば、悪霊たちは詰まりすぎて身動きが取れてないようだった。
 ここまで集まると、悪霊でも動けなくなるのか……
 勉強になったな。

『憎い憎い憎い』『なんでこんな目に』『狭いよぉ』『臭え』
 だが、そんな状態でも悪霊たちは、悪霊らしく怨嗟の言葉を吐き、邪気をまき散らしていた。
 主に他の悪霊たちに対して。

 だがその邪気も、まき散らしてすぐ、病室に引き寄せられている。
 そして邪気によって逆に悪霊たちが苦しみ、さらなる邪気をまき散らし、その邪気によって悪霊が苦しむ。
 酷い光景だった。
 あまりの光景に、さすがの俺も涙を禁じ得ない

 だが唐突に、悪霊たちの怨嗟の言葉が止まる。
 霊媒師である俺に気づいたのだ。
 悪霊にとって、霊媒師は自分たちを滅ぼす敵。
 こういった場合、悪霊たちは霊媒師に襲い掛かるのだが……

『助けろ助けろ助けろ』『解放してくれ』『助けてぇ』『ここ臭いよぉ』
 悪霊が自分に助けを求めてきた。
 霊媒師を続けて長いが、こんな切羽詰まった悪霊を見るのは初めてだ。
 今まで、悪霊は害虫くらいにしか思ってなかったが、ここまでくると憐れになる。
 俺は悪霊が嫌いのなので、普段は苦しませるように祓うのでだが、同情心から苦しませないように祓うことにした。

 数こそ多かったものの、とくに強力な悪霊もおらず、しかも協力的なこともあって、これまでにないくらいスムーズに除霊を行う。
 おそろしく時間がかかったため、その間に新しい悪霊が来たりもしたが、それ以外には問題なかった。

 そして、なんとかすべての悪霊を祓いきる。
 どっと疲れた。
 肉体的というか、精神的に。

 祓った悪霊からは『感謝感謝感謝』『恩に着る』『ありがとうぉ』『臭いから解放された』と感謝された。
 悪霊から謝されるのは初めてだ。
 今日は初めて尽くしの日である。


「先生、どうですか?」
 見計らったかのように病院の院長がやってきた。
「院長さんか。
 この病室の悪霊は全て祓った。
 また集まらないように、結界も張ったのでご安心くれ」
「ありがとうございます。
 来客室にお菓子を用意しています。
 そちらでゆっくりしてください」
「悪いが、その前に寝かせてくれ。
 数が多くて疲れた」
「構いませんが……
 仮眠室は使っているので、他の病室しかありませんよ」
「構わない。
 広い部屋で頼む。
 でないと、あの隙間の無い光景を思い出しそうだ」
 

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