チクタクチクタク……
部屋中に時計の秒針の音が響き渡る。
この部屋にあるのは時計と、『17』と表示されたモニター。
現実感が無いなと、ぼんやり思う。
そういえばさっきまで何をしていたんだっけ?
私がさっきまでの事を思い出そうとすると、目の前に皿に載せられた柿が出された。
「食べなさい」
そう言うのは、友人の沙都子。
彼女は、冷たい目で私を見ていた。
今まで沙都子を怒らせたことはあったけど、これほどまでに冷たい目で見られるのはあっただろうか?
すべてを凍らせるような目線に、私は恐怖から身震いする。
「百合子、何をしているの?
早く食べなさい」
沙都子に咎められ、しぶしぶ柿を口に運ぶ。
私は柿が大好物なのに、こんなに気が進まないのは初めてだ。
それは自分の意志で食べる物でなく、義務で食べているからだろう。
大好物をなんでこんな思いをしながら食べなければならないのだろうか?
私は涙をこらえながら、柿を飲み込む。
ゴーン。
私が柿を飲み込んだ瞬間、どこからか鐘の音が響く。
そしてモニターの数字が『17』から『18』に増える。
これは私が柿を食べた数。
そして鐘の音が鳴った数でもある。
その時、私の脳内に稲妻が走った。
『柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺』
柿を食べると鐘が鳴る。
鐘が鳴れば、世界から煩悩が消える
煩悩が消えれば、世界に平和が訪れる。
そうだ、私は世界平和のために柿を食べていたんだった。
なんとしても鐘を108回鳴らさないといけない。
私には使命がある。
沙都子の目が怖いからって怖気づく時間はない。
私は気を取り直してモニターを見る。
これを108にすれば世界に平和が訪れる。
頑張ろう。
私が決意を新たにしていると、再び目の前に皿に乗った柿が出された。
「何をぼーっとしているの?。
まだ90個あるものよ」
「言われるまでもない」
私は、差し出された柿を一口で食べる。
ゴーン。
鐘が鳴り、モニターの数字が『18』から『19』に増える。
「いい調子よ」
沙都子が相変わらず冷たい目で私を見る。
褒める時くらい、それっぽい顔をすればいいのに……
私が心の中で愚痴を言っていると、沙都子が新しい柿を出してきた。
「食べなさい」
今度も、柿を一口で食べる。
ゴオオオン。
響く鐘の音。
けれどモニターの数字は変わらなかった。
「なんで!?
食べたのに!」
「ハズレよ。
さっきのは祇園精舎の鐘の声ね」
「そんな!」
「諸行無常。
カウントはリセットよ」
私が抗議の声を上げる間もなく、モニターの数字が『0』に変わる。
また一から始めないけないのだろうか?
私の体は絶望で支配される。
私の気持ちも知らず、沙都子は新しい柿を出す。
もう食べたくない。
私の精神は限界だ。
「食べなさい」
「嫌だ!」
「我がまま言わないの。
食べなさい」
「嫌だったと言ったら嫌だ」
「強情ね」
沙都子が私の肩を掴み、揺さぶってくる。
「食べなさい。
でないと皆さんに迷惑がかかるでしょ」
「別に私じゃなくってもいいじゃん!」
「ダメよ。
食べなさい」
私は心の底から叫ぶ。
「もう食べられないよ」
その瞬間、頬に強い痛みが走った。
◆
「百合子、起きたかしら?」
目の前にいるのは心配そうな顔をする沙都子。
周りを見渡すと、近所の寺の紹介をしているテレビに、食べ散らかしたお菓子、出しっぱなしのホラー漫画本……
理解が追い付かない。
柿はどうなった?
鐘の音は?
世界平和は?
「大丈夫?
あなた、うなされていたのよ」
沙都子の言葉ですべてを把握する。
そうだ。
私は沙都子の部屋に遊びに来て、お菓子を食べた。
でも食べすぎて眠たくなって、ソファーで寝たんだっけ。
変な姿勢で寝たせいか、体が痛い。
……なぜか頬も。
「起こしてくれてありがとう。
ところで頬が痛いのはなんで?」
「最初揺さぶっていたんだけど、起きなくて……
どうしようかと思ったら、寝言で『もう食べられないよ』って言い始めて。
心配してるのに、ふざけた寝言を言うもんだから、腹が立って思わず……」
「いやいや、ちゃんと悪夢だったから。
めちゃくちゃ怖かったから。
本当に助かったから」
まったく酷い夢だった。
今でも鮮明に思いだせる。
「どんな夢だったの?」
「えっと、ずっと柿を食べさせられる夢」
「あなた、柿が好物だったわよね。
やっぱりいい夢じゃないの……」
「あれはまごうことなき悪夢だったよ」
柿を食べるだけならいい。
鐘が鳴るのもいいさ。
けど夢の中の沙都子が私に向けた、体の芯まで冷えるような目線……
アレは、当分忘れられそうにない。
「まあいいわ。
そろそろおやつの時間ね。
しっかりしなさいよ」
沙都子がニヤリと笑う。
「なに?
その意味深な笑みは?」
「今日のおやつは柿よ。
旬じゃないけど、いいのが手に入ったのよ」
沙都子の言葉に、悪夢の恐怖がよみがえる。
「ひえええ、柿はもうコリゴリだよ」
8/6/2024, 1:47:57 PM