私は、コードネームは『ミキズ』。
養成学校を卒業したばかりの女スパイである。
実戦こそまだが、過酷な訓練をトップの成績で通過した。
そんなエリートの卵を放っておくバカはいない。
私は名のあるスパイ組織にスカウトされ、早速任務が与えられた。
「ミキズ君、これから君に任務を与える。
任務内容は、敵基地に侵入し、指令室のコンピューターから情報を入手すること。
だがこれは、お前にとって初めての任務。
上手にいかなくたっていい。
先に潜入した仲間がフォローするから、安心したまえ」
そしてボスから、ブリーフィングを受け、任務に送り出される。
初めての任務。
さすがの私も緊張するが、ボスの言動に『少し甘すぎでは?』と思わなくもない。
だが、私は失敗するつもりはない。
なぜなら私はエリートだから。
私はボスの期待を背負い、基地に忍び込む。
ブリーフィングの情報に従って、警備の薄い通路を通り、目的地に向かう。
事前情報の齟齬もなく、私は難なく指令室までたどり着く。
これまで気づかれた気配はない。
私は周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから指令室の中を伺う。
室内には警備員が、4人……
少し多いが、意表を突けば排除は可能だ。
そして、おあつらえ向きに、入り口の近くに段ボールの山がある。
『整理しろよ』と思わなくもないが、私にとって都合がいい。
これを利用し、警備員の背後をとれば、簡単に無力化できる。
ならば話は早い。
私は中の警備員が、全員背を向けたのを確認して、段ボールの裏に回り込もうとして――
何かを踏んだ感触と共に、私は盛大に姿勢を崩す。
『やっちまった』と思ってももう遅い
私の足は、スぺった勢いで大きく振り上げられ、体が宙に放り出される。
そして私が踏んだ物も、一緒に宙へと舞い上がる
私が踏んだもの……
それはバナナだった。
そんなバナナ。
私は盛大にすっころび、そのまま段ボールの山へと体ごと突っ込む。
段ボールの山は、大きな音を立てて崩れ、音に気付いた警備員が何事かと振り返る
そして私と警備員たちの目と目が合う。
まさに絶体絶命のピンチ。
なんでこうなった?
『上手にいかなくたっていい』
ボスの言葉が走馬灯のように駆け巡る。
ボスは私を安心させるためにそう言ったのだろうが、ここまで大きなミスは想定していない。
そして何かあれば、仲間たちが助けてくれる手筈だが、ここまで派手に目立ってしまっては、それも難しいだろう
終わった。
ええい、こうなりゃやけだ。
私は警備員が見つめる中、身を起こして胡坐をかいて座る
「煮るなり焼く好きにしろや!」
女は度胸!
私は開き直って、警備員を睨みつける。
「そのかわり、何人かは道連れにしてやる!
誰が最初だ?」
特に狙ったわけではないが、警備員の動揺が見て取れた。
だれだって、痛い目には遭いたくない。
とりあえず、間を持たせることには成功したようだ、
だからと言って、策があるわけではない。
勢いだけでやっているので、何も後の事は考えていない。
本当にどうしよう。
何か一手が欲しい。
その時だった
「相変わらず、威勢のいいことだ」
「ボス?」
何が起こったのか、ボスの声が指令室に響き渡る。
おそらく基地の放送のスピーカーを乗っ取ったのだろう。
そんな予定はなかったが、もしかして助けてくれるのか!?
「ボス、ボスですか!?
助けて下さい」
「ミキズ君、君に謝らないといけないことがある」
「へ?」
「君の本当の任務はね。
指令室の爆破だよ」
指令室の爆破?
こんな状況で何を言っているんだ……
「爆破するって言われても……
私、爆薬なんて持ってませんよ」
「いいや、爆薬ならあるさ。
君自身が爆弾さ」
「どういうことです?」
「君はロボットだよ。
優秀な人工知能付きのね」
「い、意味が分からない……」
「残念だよ、君のような優秀なスパイを捨て駒にしないといけないなんて……
でも代わりはいるから安心したまえ」
「ボス、待っ――」
「任務達成ご苦労様」
「いやーーーーー」
「カーーーーーーーーーット。
この後爆破シーン入れてね」
🎬 🎬 🎬
私が撮影の後、栄養補給のためにバナナを食べていると、申し訳なさそうな顔をした監督が近づいてきた。
「ゴメンね、瑞樹ちゃん。
掃除が行き届いてなかったみたい。
盛大に転んだけど、怪我してない?」
「今のところ異常は無いですけど……
それより!
なんでバナナがあるんですか!」
「新人に、撮影セットの準備を頼んだんだけどね。
ちゃんと出来てなかったみたい。
『上手にいかなくてもいい』って言ったんだけど、逆効果だったかも……」
「いえ、ちゃんと出来ているか、確認をしなかった監督が悪いです」
「本当にごめんね」
監督が申し訳なさそうに、もう一度謝罪する。
怪我をしたわけじゃないので、あんまり真剣に謝られてもこちらが困る。
気まずいので、さっきから気になっていたことを聞こう。
「ところで、脚本変えて大丈夫なんですか?
私がロボットって言う話、初めて聞きましたが?」
元々の話は、普通に任務達成するはずだった。
もちろんロボット設定は、影も形もない。
しかし私がバナナで滑ると言うアクシデントを起こし、台本通りに出来なくなった。
つまり、バナナからの下りは、完全に私のアドリブである。
すぐに中断されると思ったのだが、そのまま続行され、私がロボットと言うことになった。
意味わからん。
「あー、あれね。
瑞樹ちゃんのアドリブが面白かったから、そのまま乗っかることにしたの。
ボスのセリフも完全に即興だから、あそこだけは取り直しするかもね」
「じゃなくて、オチが最初の台本と全然違うじゃないですか?
今まで撮ったシーンの整合性とか大丈夫ですか?」
「あはは」
監督は笑って誤魔化す。
これ大丈夫じゃないやつだな。
「さっきのシーン、もう一度取り直します?」
「ダメね。
瑞樹ちゃんが転んだ衝撃で、壊れたところがあるの。
撮り直しは無理」
「だからと言って、他のシーンの撮り直しもきついですよ。
ただでさえ、スケジュールが押しているのに……」
「まあ、いいじゃない。
上手くいかなくたっていいの。
楽しければ、それでいいんだからね」
私は監督の楽観的思考にため息をつく。
長い付き合いで分かったことだが、監督は私以上のアドリブ派なのだ。
これ以上言っても、主張を変えることはあるまい。
だが私は、しっかり言わないといけないことがある。
これからの撮影にかくぁる重要な事だ。
「撮り直しもいいですけど、掃除はちゃんとしてくださいね。
そっちは上手にいかないと大事故ですから。
監督が責任を持って、しっかり確認をして下さいね」
「はい」
さすがのお気楽監督も、気まずそうに笑うのだった。
「蝶よ花よと可愛がられ♪
褒められ撫でられ愛されて♪
みんなの人気者、百合子ちゃんは~♪
今日も元気に「カーン」
私が気持ちよく歌っていると、部屋に鐘の声が鳴り響く。
タイミングと鐘の回数からは、私への悪意しか感じられない。
まるで私が音痴かのようじゃないか!
誰がこんなことをするのか……
決まっている!
友達の沙都子だ!
「ちょっと沙都子!
気持ちよく歌っているから邪魔しないで」
私が抗議の声を上げると、沙都子は不愉快そうな顔をした。
「それはこっちにセリフ。
本読んでいるんだから、歌わないで」
沙都子は読んでいる本を机に置いて私を睨みつける。
「なんで歌っちゃダメなのさ。
それに私の歌、家族から大絶賛なんだよ。
お願いされるレベルだよ!」
「はあ」
沙都子はこれ見よがしにため息をつく。
最近の沙都子はため息が多い。
「沙都子、ため息をつくと幸せが逃げるよ」
「誰のせいよ!
あのね、私は歌うなって言ってるんじゃないの。
私の部屋で歌うなっていってるの。
自分の部屋で歌いなさい」
沙都子が正論を吐く
私もそう思う。
だけど、私の部屋で歌えない事情があるのだ。
「ウチで歌うと大変なんだよ」
「家族が『うるさい』って怒るでしょうね。
私みたいに」
「違う。
家族が、私の歌を聞こうと押しかけて、大騒ぎになる」
「……さっきの『お願いされる』とか、歌の『蝶よ花よ』は誇張じゃなかったのね」
「うん、そうなんだ……
だからここで歌うね」
「なにが『だから』なの?
ダメよ。
歌いたければカラオケにでも行きなさい」
「お金無い」
「自業自得ね。
私の家の物を毎日のように壊して、弁償していればそうなるわ」
会話は終わったとばかりに、沙都子は再び本を読み始める。
沙都子は満足したかもしれないが、私はまだ言い足りない。
「まだ話は終わってないよ。
さっきの鐘の音は何さ?」
「これよ」
沙都子は、私に何かを投げてよこす。
受け取ってみると、のど自慢でよく見る鐘のミニチュアだった。
そして微妙にパチモン臭い。
「だいぶ前に、あなたが持って来た正体不明のおもちゃよ。
多分許可を取ってない偽物だと思うんだけど、ちゃんと音が少し出て感心したわ」
「……これを、私が?」
「覚えてないのね。
まあいいけど。
じゃあ、私は本読むから」
「待って、私の話はまだ――」
私が立ち上がろうとした時、近くにあった机に肘が当たってしまう。
衝撃で花瓶が机の上から落ちそうになったのが見えて、とっさに掴もうとしたけど、私の手は虚しく空を切る
花瓶はそのまま床に衝突し、粉々になった。
「ごめんなさい」
「あなたね、毎日のように家の物を壊すけど、もしかして反省してないの?」
「反省はしている。
すぐ忘れるだけだ」
「意味が無さすぎる……
その悪癖、直したほうがいいわ。
家族は何も言わないの?」
「全く」
私の言葉を聞いて、沙都子は呆れたような顔で言った。
「本当に、蝶よ花よと育てられたのね」
「あー、悔しい!
あの女ムカつく」
私は自分の部屋で一人、心にためた不満をぶちまける。
私は今日、駆け出しの女優としてとあるドラマの主役のオーディションに参加した。
原作のファンと言うのもあるが、一流の女優として羽ばたくため、どうしても役をもぎ取りたかったのだ。
自信はあった。
色々な対策も講じた。
そして結果はぶっちぎりの一位。
だが、私の心には憎悪が渦巻いていた。
「あの女ふざけやがって!
うがー!」
「あんまり大声出すと、近所迷惑になるぞ」
私しかいないはずの部屋から、突然男の声が聞こえる。
声の方を見れば、ソファーの裏から男が出てきた。
男は中肉中背で、顔はイケメンだが頭に禍々しい角が生えていた。
普通に考えれば、不審者だろう。
だが私は慌てない。
コイツの正体を知っているからだ。
「あら、来てたの……
ご忠告どうも、悪魔さん」
「ああ、お前も元気そうでなによりだよ」
こいつの正体は悪魔。
私が女優デビューした時に私の前に現れ、それ以来ずっと私に付き纏っている。
どうやら私の魂を欲しいらしいのだが、私の見立てではただの厄介ファンである。
魂が欲しいと言うのも、悪魔だからと言うよりかは、ファンのこじらせと思った方が納得できる。
だが悪魔にとって残念なことに、私は悪魔に願うような願いはない
という訳で、鬱陶しい以外は害が無いので放置している。
「何かあったのか?」
「『何かあったのか?』じゃないわよ。
さっきのオーディション、どこからか見てたんでしょ」
「ああ、見ていた。
ぶっちぎりの一位だったな」
悪魔は、「合格おめでとう」とパチパチ手を叩く。
褒めているつもりなのだろうが、どうしてもバカにしているようにしか見えない。
「そうね。
結果が最初から決まっていた出来レースだったけどね」
「それは気づかなかった」
「よく言うわ。
あなたがやったんでしょう?」
「なんだ、バレてたのか」
「当たり前よ!
審査員全員が虚ろな目で座っているのよ!
気づくに決まっているじゃない!」
アレはかなり異様だった。
審査員は、本当に見ているのか怪しいほど、目が虚ろで虚空を見ており、こちらからの質問も、空返事ばかり。
他のオーディション参加者も、あまりの事態に怯えていた。
「にもかかわらず、私の演技を絶賛するのものだから、気味が悪いを通り越して笑いがこみ上げてきたわ」
「意図とは違うが、楽しんでもらえたら何よりだ。
ああ、対価はいらない。
俺が勝手にやったことだからな」
「当たり前よ!」
「だが何を怒っている?
オーディションには合格し、俺の細工もまあまあ楽しめたのだろう?」
「ふん、アンタが茶々を入れてきたものムカつくけどね。
それ以上にムカつく奴がいたのよ」
その瞬間、悪魔が目を輝く。
どうやらこの悪魔、人の悪意が大好物らしい。
趣味の悪い――いや悪魔だから趣味が良いのか、ともかく悪魔は子供の様に目を輝かせていた。
「詳しく教えてくれ」
「合格発表の時、アイツが私に近づいてこう言ったの……
『おめでとうございます。 ところでコネで合格して嬉しいですか?』ってね!」
「コネだろう?
俺の力を使って合格したのだから」
「アホか!
頼んでないし、そんなことしなくても私がぶっちぎりで合格よ!」
私が叫ぶと、悪魔は悲しそうな顔をする。
感謝されないことにがっかりしたようだ。
本当に善意からの行動らしいが、迷惑なものは迷惑である。
だが!
それが霞むほど!
あの女が憎い!
「あの見下した目線。
ふざけやがって!
どう見ても私の方が格上でしょうに!」
「では報復するか?」
「報復?」
「俺は悪魔だ。
報復は得意中の得意だよ」
悪魔はニヤリと笑う。
「報復したければ願いを言うといい。
悪魔として願いを叶えてやろう。
無論、対価は頂くがね」
「報復か……
いいわね。
アンタの思い通りってところが癪だけど、乗ってやるわ。
まずあの女が次に出るオーディションを調べなさい」
「いいだろう……
それから?」
「参加予定者に、私の名前をねじ込みなさい」
「分かっ――は?」
悪魔は呆れたような顔で私を見る。
こいつの付き合いはまだ短いが、呆れている顔を見るのが多い気がする。
威厳の無さに、最近悪魔と言うのは嘘じゃないかと疑っている。
「一応聞くが、何のつもりだ?」
「あの女と同じオーディションを受けて、あの女を負かす」
悪魔は、眉間を押さえる
言葉を選んでいるのか、考えている素振りを見せる。
悪魔はしばらく熟考したあと、顔を上げる。
「俺は悪魔だ。
得意なのは、人間を不幸にすること。
例えば、あの女を病気にするとか、事故を起こして歩けなくさせるとか……
あるいは、女の所属する事務所を潰すでもいい。
なぜそう言った事を願わない?」
「そうすると、私はあの女に実力の差を見せつけられないわ。
私と正々堂々勝負して、実力の差を目のあたりにして、あの女が敗北を認めるのが私の望みよ」
「正々堂々は、悪魔の仕事じゃねえ!」
悪魔の男が、不満そうに私を見る。
頼まれもしないのに、私に付き纏ってるくせに……
勝手な奴だ。
「もう一度いう。
俺は悪魔だぞ。
もっとドス暗い感情に満ちた願い事をしろ」
「してるじゃない。
リベンジにメラメラ燃えているわ。
そして、あの女を負かし、屈辱まみれにしてやるわ!」
「そういう事じゃない」
「そんなに悪魔の仕事をしたいなら、他のやつのところに行けば?
例えばあの女とか。
根暗そうだから、ガンガン願い事すると思うわよ」
「お前はそれでいいのか?
多分あの女、躊躇なくお前を呪うぞ」
「いいわ。
むしろハンデがあった方が、力の差が分かりやすいもの。
それでもわたしが勝つしね」
私の言葉を聞いた悪魔は、諦めた顔をして近くにあったソファーに座る。
こういう問答の後、悪魔はいつもあのソファーに座る。
定位置というやつだ。
「やめだ、やめ。
まったく商売あがったりだ」
「待って。
あの女のオーディションを調べると言うのは……」
「俺は便利屋じゃない。
自分で調べろ」
「役立たず」
「うるせえ」
そう言って、悪魔はソファーに横になる。
ふて寝だ。
ここまでが、いつものやり取りである。
こうなると、特に用事がない限り、お互い不干渉だ。
だが今日の私は、コイツに用がある。
私は、最短距離で悪魔の寝ているソファーに向かい、空いているスペースに腰を掛ける。
悪魔は寝るのを邪魔されて、不快そうに私を見ていた。
「なんだよ……」
「私に言うことない?」
私の言わんとしていることを察し、悪魔はその端正な顔をしかめる。
こいつ、悪魔のくせに顔に出やすいな。
「さっき言っただろ」
「感情こもってなかった」
「いいだろ別に」
「はあ、せっかく頑張ったのに。
アンタが、原作好きだって言うから……」
「お前、汚いぞ!
はあ、くそ、分かったよ」
悪魔は体を起こし、私を正面から見る
「その、合格おめでとう。
ドラマ、楽しみにしてる」
悪魔は慣れないのか、はにかみながら私に賛辞を贈る。
不器用な誉め言葉だが、ファンの声援は何よりも嬉しい。
そして、それに対する私の答えは、最初から決まっていた。
「ありがとう、ファン一号。
ドラマ、楽しみにしててね」
地獄にも太陽がある。
だがそれは、大地に恵みを与えるものではない。
地獄の亡者たちを苦しめるためだ。
地獄は罪人を裁く断罪の場。
俺は、照り付ける太陽を恨めしく思いながら、地獄の大地を歩く。
パトロールをするためだ
地獄を見て回り、改善できる点が無いか調べているのである。
だが俺はもともと地獄に落とされた身。
罪人である筈の俺が、なぜ地獄のパトロールなどしているのか……?
事は1か月前にさかのぼる。
俺は、生前詐欺を働いたと言う理由で、地獄に落とされた。
世のため人のためにやったことだが、閻魔の裁判には情状酌量という言葉がないらしく、問答無用で地獄送りにされた。
言い訳すらさせてもらえなかったのは腹が立つが、まあ犯罪者なのは本当なので仕方ない。
だが罰を受けるのがごめんだった俺は、口八丁で地獄の連中に取り入り、今では鬼たちと共に、地獄の円滑な運用に取り組んでいる。
報酬の無い仕事なんてくそくらえなのだが、罰を受けるだけの退屈な日々とどっちがいいかと言えば、間違いなく前者である。
そういった消極的な理由から仕事をしているが、この仕事はなかなか刺激的である。
俺は意外にも、こうして地獄を回ることは結構満足していたりする。
だが俺も罪人の一人。
罰は免除されているとはいえ、太陽の日差しは俺にも等しく降り注ぐ。
地獄の太陽は、他の罪人と同様に俺の体から水分を奪っていく……
はずなのだが……
「地獄の太陽って、日差しが弱くないか?」
俺は隣で歩く鬼に、気になったことを聞いてみる。
こいつは、俺が仕事をするにあたっての相棒兼監視役である。
なかなか堅物で、仕事に熱心だが口数の少ない、寡黙な職人タイプの鬼である。
そんな鬼だが、話しかければ嫌そうな顔をしながらも、話し相手になってくれる程度には付き合いは良い。
だから今日も話しを振ってみたのだが、いつもの嫌そうな顔ではなく、呆れたような顔で俺を見ていた。
「何言ってるんだ、お前。
そんだけ汗かいておいて、日差しが弱いなんてよく言うよ……」
「いや、暑いのは暑いんだ……
だがどうにも日差しが弱い気がする」
「暑すぎて、頭がバカになったか?
あそこに、人間界から特別に取り寄せた気温計がある。
それを見て、正気に戻るんだな」
「あれ、気温計だったのか。
古すぎて分からなかったよ
どれ、見て来よう」
俺は鬼の言う気温計の側まで歩く。
その気温計は、年代物なのか、ところどころ文字がかすれて読みにくい。
暑さでぼんやりした頭に活を入れながら、気温計の数字を読む。
気温計が指し示す気温は30度。
そこそこ高い温度が示されていた。
「あー」
「わかったか?
ここはお前たちのいた人間界より暑く――」
「やっぱり涼しいんだな、ここ」
「なん……だと……」
鬼が愕然とした顔で俺をみる。
どうやら俺の言葉が、鬼にあらぬ誤解をさせてしまったらしい。
「違う違う。
最近の地球の気温よりかは涼しいと言う意味だ」
「意味が分からん」
「最近地球温暖化が著しくてな。
外国の事情は知らんが、最近日本では40度越えも珍しくない」
「……俺を騙そうとしてないか?
お前、詐欺師だもんな」
「こんなことで騙すかよ。
嘘だと思うなら、後で確認するといい」
「ぐう」
鬼は、嘘かホントか図りかねていたようだが、ふと何かに気づいたかのように顔を上げた。
「そういえば……
最近地獄に落ちてくる奴ら、心なしか安心したような顔をしている気がする。
まさか、そのせいなのか……?」
「おそらく……
俺もこっちに来た時は『意外と涼しい』と思ったもんさ」
「ぐぬぬ。
これは由々しき事態だぞ」
鬼の彼にとって、罪人たちが苦しまないと言うのは見過ごせないのだろう。
鬼はその場にで唸り始めた。
「これは早急に解決すべき案件だ。
どうするべきか……」
「俺も案を出そうか?」
「貴様の手を借りん」
「けどさ――」
「なにも言うな。
仲間の人間のために、俺を騙すかもしれないからな」
「そんなことはしないが……
まあいい、あんたがそう言うならなにも言わんよ」
「もっと暑くするべきか?
しかし、安易に気温を上げると、他の施設に影響が……」
「聞いちゃいねえし」
長くなりそうだ。
気温計の下に丁度いい影があるので、そこに避難する。
いい感じに風が吹いて涼しい。
「待てよ、逆に考えるんだ……
暑くではなく、寒くしては……」
鬼は自分が滝のような汗を流している事にも気づかず、ぶつぶつと何かを言っている。
あのままでは脱水症状になるかもしれないが、大丈夫なのだろうか?
まいっか。
なにも言うなと言われているし。
それにしても――
「こうも暑いと喉が渇く。
自販機の設置を打診してみるか」
俺は早くも改善案の一つを見つけたのだった。
👹
後日。
いつものように、パトロールに行こうと待ち合わせ場所に行くと、そこには見慣れない小屋があった。
「おい、人間。
新しい地獄の設備が出来たから、特別に中を見せてやろう」
「嫌だよ」
「そう言うな。
会心の出来だ。
ドアを開けてみろ」
「はあ」
このまま断っても、鬼は引き下がらないだろう
適当に付き合って、とっととパトロールへ行こう。
そう思ってドアを開けると、中から熱くて湿った空気が出てきて、おもわず一歩下がる。
この炎天下をして熱い空気。
この小屋の中はかなりの高温らしい。
ここに入れば、たしかに地獄の責め苦を味わう事だろう……
「驚いたか人間。
この部屋の中は温度を高くしてある。
これで、涼しいと言ったやつらも音を上げるだろう」
「そうか……」
「だがそれだけでは芸がない。
そこで俺はこの小屋の中の湿度を極限まで高めた。
これで不快度を上げ、人間をさらに苦しませるのだ」
相棒は、自分の画期的な発明を誇っていた。
確かに言葉だけを聞けば、とんでもない拷問設備である。
これ以上ない地獄の設備であろう。
だが俺には、この設備に心当たりがあった
サウナじゃん。
「だがこの地獄はそれだけでなない。
小屋の裏を見てみろ」
鬼に促され裏に回ると、そこには露天風呂仕立ての温泉があった。
「ここには、キンキンに冷えた水風呂を用意した。
暑さに参った罪人どもは、我先にとここに飛び込むだろう。
だがそれは罠。
温度差によって、罪人共はさらに苦しむことだろう」
『やっぱサウナじゃねーか』
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
俺は罪人だが、だからと言って、冷や水をかけるような真似をするほど腐っちゃいない。
たとえ本人のためにならないとしても。
「どうだ、俺の考え出したものは!」
「い、いいと思う……」
「どうだろう、どうだろう」
鬼は高笑いする。
そう……これでいいんだ。
それにだ。
鬼の言う通り、サウナは結構苦しいものだし、水風呂も温度の急激な変化は辛いものだ。
きっちり拷問として機能する。
ただ、その拷問にはデトックス作用があり、そして体が整う効果があるだけである。
地獄は広い。
こんな施設の一つくらいあってもいい。
俺は自分に言い聞かせる。
高笑いする鬼に、下を向く俺。
地獄で行われるとんでもない茶番劇。
俺たちを見て、地獄の太陽が笑っている気がした
チクタクチクタク……
部屋中に時計の秒針の音が響き渡る。
この部屋にあるのは時計と、『17』と表示されたモニター。
現実感が無いなと、ぼんやり思う。
そういえばさっきまで何をしていたんだっけ?
私がさっきまでの事を思い出そうとすると、目の前に皿に載せられた柿が出された。
「食べなさい」
そう言うのは、友人の沙都子。
彼女は、冷たい目で私を見ていた。
今まで沙都子を怒らせたことはあったけど、これほどまでに冷たい目で見られるのはあっただろうか?
すべてを凍らせるような目線に、私は恐怖から身震いする。
「百合子、何をしているの?
早く食べなさい」
沙都子に咎められ、しぶしぶ柿を口に運ぶ。
私は柿が大好物なのに、こんなに気が進まないのは初めてだ。
それは自分の意志で食べる物でなく、義務で食べているからだろう。
大好物をなんでこんな思いをしながら食べなければならないのだろうか?
私は涙をこらえながら、柿を飲み込む。
ゴーン。
私が柿を飲み込んだ瞬間、どこからか鐘の音が響く。
そしてモニターの数字が『17』から『18』に増える。
これは私が柿を食べた数。
そして鐘の音が鳴った数でもある。
その時、私の脳内に稲妻が走った。
『柿食えば、鐘が鳴るなり、法隆寺』
柿を食べると鐘が鳴る。
鐘が鳴れば、世界から煩悩が消える
煩悩が消えれば、世界に平和が訪れる。
そうだ、私は世界平和のために柿を食べていたんだった。
なんとしても鐘を108回鳴らさないといけない。
私には使命がある。
沙都子の目が怖いからって怖気づく時間はない。
私は気を取り直してモニターを見る。
これを108にすれば世界に平和が訪れる。
頑張ろう。
私が決意を新たにしていると、再び目の前に皿に乗った柿が出された。
「何をぼーっとしているの?。
まだ90個あるものよ」
「言われるまでもない」
私は、差し出された柿を一口で食べる。
ゴーン。
鐘が鳴り、モニターの数字が『18』から『19』に増える。
「いい調子よ」
沙都子が相変わらず冷たい目で私を見る。
褒める時くらい、それっぽい顔をすればいいのに……
私が心の中で愚痴を言っていると、沙都子が新しい柿を出してきた。
「食べなさい」
今度も、柿を一口で食べる。
ゴオオオン。
響く鐘の音。
けれどモニターの数字は変わらなかった。
「なんで!?
食べたのに!」
「ハズレよ。
さっきのは祇園精舎の鐘の声ね」
「そんな!」
「諸行無常。
カウントはリセットよ」
私が抗議の声を上げる間もなく、モニターの数字が『0』に変わる。
また一から始めないけないのだろうか?
私の体は絶望で支配される。
私の気持ちも知らず、沙都子は新しい柿を出す。
もう食べたくない。
私の精神は限界だ。
「食べなさい」
「嫌だ!」
「我がまま言わないの。
食べなさい」
「嫌だったと言ったら嫌だ」
「強情ね」
沙都子が私の肩を掴み、揺さぶってくる。
「食べなさい。
でないと皆さんに迷惑がかかるでしょ」
「別に私じゃなくってもいいじゃん!」
「ダメよ。
食べなさい」
私は心の底から叫ぶ。
「もう食べられないよ」
その瞬間、頬に強い痛みが走った。
◆
「百合子、起きたかしら?」
目の前にいるのは心配そうな顔をする沙都子。
周りを見渡すと、近所の寺の紹介をしているテレビに、食べ散らかしたお菓子、出しっぱなしのホラー漫画本……
理解が追い付かない。
柿はどうなった?
鐘の音は?
世界平和は?
「大丈夫?
あなた、うなされていたのよ」
沙都子の言葉ですべてを把握する。
そうだ。
私は沙都子の部屋に遊びに来て、お菓子を食べた。
でも食べすぎて眠たくなって、ソファーで寝たんだっけ。
変な姿勢で寝たせいか、体が痛い。
……なぜか頬も。
「起こしてくれてありがとう。
ところで頬が痛いのはなんで?」
「最初揺さぶっていたんだけど、起きなくて……
どうしようかと思ったら、寝言で『もう食べられないよ』って言い始めて。
心配してるのに、ふざけた寝言を言うもんだから、腹が立って思わず……」
「いやいや、ちゃんと悪夢だったから。
めちゃくちゃ怖かったから。
本当に助かったから」
まったく酷い夢だった。
今でも鮮明に思いだせる。
「どんな夢だったの?」
「えっと、ずっと柿を食べさせられる夢」
「あなた、柿が好物だったわよね。
やっぱりいい夢じゃないの……」
「あれはまごうことなき悪夢だったよ」
柿を食べるだけならいい。
鐘が鳴るのもいいさ。
けど夢の中の沙都子が私に向けた、体の芯まで冷えるような目線……
アレは、当分忘れられそうにない。
「まあいいわ。
そろそろおやつの時間ね。
しっかりしなさいよ」
沙都子がニヤリと笑う。
「なに?
その意味深な笑みは?」
「今日のおやつは柿よ。
旬じゃないけど、いいのが手に入ったのよ」
沙都子の言葉に、悪夢の恐怖がよみがえる。
「ひえええ、柿はもうコリゴリだよ」