澄んだ瞳
目覚ましの音で目を覚ます。
もっと寝ていたい誘惑にかられながらも、目覚ましの音がそれを許さない。
このまま惰眠を貪りたいが、この暑い中仕事に行かないといけない。
誰かに変わって欲しいが、これも生きるため。
俺は観念して、目覚ましのアラームをオフにし、ゆっくりと上半身を起こす。
ぼんやりした頭で部屋を見渡すと、部屋の隅に俺を見つめる澄んだ目があった。
黒い黒い穢れを知らない純粋な目………
メス鹿である。
普通なら『なんで鹿がここに?』と慌てるだろうが、俺は驚かない。
この鹿は数週間前からここに居候していて、最初は全く落ち着かなかったのだが、今ではいつもの日常だ。
事の始まりは数週間前の事。
仕事帰りに飲み屋でしこたま酒を飲み、泥酔した俺が鹿を口説いてお持ち帰りした。
人肌寂しいと言う理由で。
いくら恋人が欲しいからって、見境の無い自分が嫌になる。
まさか社会人になって、特級レベルの黒歴史が出来るとは思いもしなかった。
それだけだったら、この無駄に艶やかな毛並みの鹿を追い出し、忌まわしい記憶を封印して終わるのだが、そうもいかない事情がある。
この鹿、ただの鹿ではないのだ。
「男鹿《おが》さん、起きましたか?」
眼の前の鹿から、美少女ボイスが発せられる。
この鹿はよく知らんけど、人語を話せる。
そして、なぜか美少女にもなれる。
ラノベでも、こんな設定ないぞ。
とはいえ、普段は美少女ではなく、今の様に普段は鹿のままである。
この状態が楽らしい。
土下座して、『常時美少女モード』をお願いしたことあるのだが、無情にも踏まれただけだった。
南無。
なお、話したり変身できる理由を聞いたことがあるが、『鹿ですので』と曇りなき眼で言われた。
これは聞いてもまともな答えが返ってこないことを察し、それ以来気にしないようにしている。
「今日は行きますよね、デート」
鹿がデートのお誘い。
世界広しと言えど、鹿にデートのお誘いを受けるのは俺くらいの物だろう。
これが鹿ではなく美少女だったらいいのに、といつも思う。
まあ、デートの時は美少女モードなので、別にそれはいいんだけど。
「残念なんだが、美鹿《みか》。
今日も仕事だ」
「昨日も一昨日も仕事だったじゃないですか」
美鹿は憤懣遣る方無く怒っている。
怒っていると思う、多分。
鹿の表情はよく分からん。
美鹿には、仕事の事を何回か説明したのだが、駄目だった。
鹿には『労働』という概念が無いようだ。
普段、鹿せんべい食うか散歩してるだけだもんな。
理解できなくても仕方がない。
とはいえ、毎朝このやり取りをすると、美鹿でなくても辟易するだろう。
なにせ、お互いの主張が全く通らないのだから。
「男鹿さん!
私にいっぱい鹿せんべい食べさせてくれるって言うのは嘘だったんですか!?」
「帰りに買って帰ってやるから、それで勘弁してくれ」
毎日のように買うので、せんべい売り場の人に顔を覚えられた。
毎回大量に買い付け、かといって周囲にいる鹿にあげることもない奇妙な客。
多分、妖怪かなんかだと思われていると思う。
「仕事仕事って、そんなに仕事が大事なんですか!
私と一緒に鹿せんべいを食べるのが、そんなに嫌ですか?
そういえば、男鹿さんは一度も鹿せんべい食べませんよね」
「鹿せんべいは人間の食べ物じゃねえ。
鹿の食べ物なんだよ」
「なんですか、食うに値しないって言うんですか?」
「キレすぎだろ。
くそ、お前に鹿せんべい食べさせるために仕事してるのに、なんだってこんなに言われないといけないんだ」
俺は、いわれなき罵倒にちょっと苛つきつつ反論する。
美鹿の鹿せんべいのため、こんなに頑張っていると言うのに、なんで責められているんだろうか。
美鹿は毎日家でゴロゴロしているだけなのに!
……まるで夫婦喧嘩みたいだ。
でも相手は鹿なんだよなあ。
マジで何やってるんだろうと、俺は少しだけ落ち込む。
俺は落ち込みつつ、美鹿からのさらなる罵倒を覚悟する。
しかし、美鹿からの罵倒は来ず、かわりに俺を尊敬するような目で(多分)見ていた。
「男鹿さん、それホントですか」
「何が?」
先ほどの態度からは打って変わり、美鹿の様子がおかしい。
なんだ?
美鹿は、まるで鹿せんべいを前にした鹿みたいに、ウキウキしている。
「さっき『お前に鹿せんべい食べさせるために仕事してる』って……
私の――いえ、私たちの鹿せんべいを作ってくれているんでしょう?
そうなら早く言ってくれればいいのに」
「えっ」
俺の言葉を勘違いしたのか、どうやらこいつの中で、『俺の仕事=鹿せんべい製造』となったらしい。
指摘するのも馬鹿馬鹿しいが、とりあえず誤解を解いておこう。
今すぐ作ってくれと言われても面倒だしな。
俺はそう思い、美鹿の澄んだ瞳をまっすぐ見て――
「キラキラ」
澄んだ瞳をまっすぐ――
「ワクワク」
まっすぐ――
「ああ、鹿せんべいを作ってるんだ」
はい、嘘をつきました。
俺のバカ。
なんで日和るんだよ。
俺は自分の不甲斐なさに落ち込むが、美鹿はこれ以上ないくらい喜んでいた。
「男鹿さんのおかげで、私たちは美味しい鹿せんべいを食べることができるのですね」
「えっと」
「引き留めてしまい申し訳ありません。
男鹿さん、早速お仕事へ。
鹿せんべいを作って――」
そう言って、美鹿は頭でグイグイオレを押す
「押すな押すな。
朝の支度がまだだ。
まだ朝ご飯すら食ってない」
「ごめんなさい。
あ、今日は私が朝の準備をしますね」
と、言うや否や美鹿は、ポンという音と共に美少女へと変身する。
「料理作るならこっちのほうが楽なんですよね」
そう言って、美鹿は台所に向かう。
「その代わり、たくさんの鹿せんべい、お願いしますね」
美少女となっても澄んだ瞳の美鹿に見つめられ、嘘を貫き通すしかなくなった俺なのであった。
「出ちゃダメ。
危ないわ」
「離してお姉ちゃん。
たとえ嵐が来ようとも、私は行かないといけないの」
「考え直しなさい!
死ぬわよ」
私は今、妹と玄関で押し問答をしていた。
外は台風が近づいているため、風と雨がとんでもないことになっており、扉越しでも轟音が聞こえる。
普通はこんな天気では誰も出たがらない。
しかし、今妹は普通の状態ではなく、外出しようとしていた。
なぜこんなにも妹は外に出たがるのか?
事の発端は占いである。
妹は占いが好きで、控えめに言って占い妄信者だ。
お小遣いをためては良くお気に入りの占い師の所へ行くのだが、その占い師が運命の人に会えると吹き込んだ。
今日という日付指定で。
くそ占い師め、余計な事をしやがって。
占いの結果を事実として受け止める妹にとって、信じない選択肢など無いのだろう。
だから何としてでも、運命の人に出逢おうと外出しようとするのだ。
私は妹の趣味に口だしするつもりはないけど、今日だけは別。
悲惨な結果(物理)が待ち受けているのは明白なので、止めるしかない
両親はというと、仕事先で交通機関が止まり、未だに帰宅出来ていない。
つまり今妹を止められるのは私だけ。
母さんがいれば、げんこつ一つで解決するのに……
「ずべこべ言わず、中に入りなさい」
「お姉ちゃん、嫉妬しないで。
今度、占いで聞いてみるから。
お姉ちゃんの運命の人」
「余計なお世話!
彼氏いるからね!」
「え、マジ!
誰?私の知ってる人?
紹介してよ!」
突如、妹の興味が『運命の相手』から、『姉の彼氏』にシフトする。
妹は占いと同じくらいコイバナが大好きなのだ。
妹の色ボケ具合には呆れるが、これはチャンス。
この話題をエサに部屋に引き込み、閉じ込めてやる。
「姉ちゃんの彼氏を詳しく話してあげるから、部屋に入りなさい」
「分か―でも、運命の人が……」
占いの事を思い出したのだが、再び外を見る妹。
外に出ようか、私の話を聞くかと悩んでいるだろう。
しかし手遅れだ。
こうなってしまえば、いくらでも言い包めることができる。
「占い師の人に『今日、運命の人に出逢う』って言われたんだよね。
どこで出会うかは聞いてる?」
「ううん、聞いてない。
それがどうしたの?」
「だったらなおの事、家にいなさい。
きっと運命の相手に出逢えるわ」
「どういうこと?」
「占い師は言ったんでしょ?
『今日出逢える』って。
だったら出逢えるわ。
あんたが外出しようが家にいようがね」
「それは……」
悩んでる悩んでる。
今、妹の頭の中で会議が行われているのだろう
だが、けれど無意味。
ここで畳みかける。
「それにね、出逢ったっとして、びしゃびしゃの状態で会うの?」
妹は『はっ』とした顔で私を見る。
「出会えても、そん状態じゃ親しくなれるかは分からないわ。
だったら、部屋の中で綺麗にお化粧して待ってましょう。
私の自慢の妹を、とびっきり可愛くしてあげる」
「お姉ちゃん……」
「私の彼氏の話も聞きたいんでしょ。
お化粧しながらゆっくり話してあげる」
「……分かった」
勝った。
これで妹は、二度と外に出たいと言うまい。
天気が落ち着くまで適当に話をして、ジ・エンド。
良かった。
コレでゆっくり安める。
「じゃあ部屋に行こうか?」
「うん」
妹を連れて部屋に戻ろうとした瞬間、ポケットに入れていたスマホの着信音が鳴る。
電話は、彼氏の母親から。
何かあったのだろうか?
妹に「少し待ってね」と言ってスマホの通話ボタンを押す。
「もしもし」
「もしもし、悪いんだけどうちの息子に変わってくれる?
電話に掛けても出ないのよ」
「こっちにはいませんよ」
「あら、入れ違いで帰ったのかしら?」
「いえ、今日はこの天気ですし、会う約束もしてないですね」
「おかしいわね。
少し前にした電話で、彼女の家にいるって聞いたんだけど……」
「男友達の方に行ったのでは?
でも嘘つく理由ないしな……」
「おかしいわねえ。
電話越しに女の子の声が聞こえたから、てっきり――」
「お姉ちゃん、出ちゃダメ。
危ないわ」
「止めないで。
私はあの浮気野郎を制裁しないといけないの!」
「外は風が強いから考え直して」
「たとえ嵐が来ようとも、あの浮気野郎は絶対に許さないんだから」
「沙都子、おはよう。
久しぶり!」
「来たわね、百合子。
万年お祭り女め」
夏休みに入ってから、初めて友達の沙都子の家に遊びに行った時の事。
沙都子は家の用事で、夏休みに入ってから出かけていて、久しぶりに会う。
感動の再会に私はワクワクしていたのだが、沙都子はそうでなかったらしい。
私の顔を見るなり、多分悪口であろう言葉が投げかけられる。
沙都子は、いつも私を揶揄うために冗談か悪口か分からない事を言うが、今日はただの悪口である。
出かけた先で、なにか嫌な事があったのだろうか?
確か、どこかのパーティに行くと言いていたのを覚えている。
沙都子の家は世界有数のお金持ちで、『お金持ちにはお金持ちの付き合いがある』からと、パーティに行かないといけないらしい。
その時は『そういう事もあるのか』と軽く流したのだが、きっとそこで何かあったのだ。
「沙都子、なんか嫌な事あった?」
「別に……
なんでそう思うの?」
「さっきの『お祭り女』って悪口、普段の沙都子からは出ないやつだよ」
「それは褒め言葉よ」
「ホントかなあ?」
「本当よ。
毎日遊びに来て、お祭りの様に騒ぐじゃない……
毎度毎度よく騒ぐと、呆れを通り越して感心していたの。
そんなあなたに敬意を表して、『お祭り女』の称号を与えるわ」
「やっぱり悪口だよね」
特に言葉の裏を読まなくても分かる。
沙都子の顔が見るからに不機嫌だからだ。
いつもは笑顔を貼り付けて嫌味を言うので、やっぱり何かあったのだろう。
聞き方を変えるべきか……
とはいえ私に駆け引きなんて、高等な技術なんて持ってない。
ここは正面突破で行こう。
「沙都子、パーティど――」
「は?」
『どうだった?』と言い切る前に、沙都子が私を睨みつける。
あまりの気迫に、少しビビる。
……ちょっと漏らしたかもしんない。
「最悪に決まってるでしょう?
男どもが寄ってくるのよ」
「まあ、沙都子は美人だしね」
「それだけなら別にいいわ。
けど正直どうでもいい自慢話をずーーーーーと聞かされるの。
一方的に、中身がない話をね!」
「それは大変だったね」
「武勇伝なんてどうでもいいの。
けど、邪険に扱う訳にもいかないから愛想笑いで流すけど、向こうは一向に気づかないし。
最悪だったわ」
「お疲れ様です」
私にはそれしか言えなかった。
ていうかお金持ち関係ないな、これ。
ふと思ったんだけど、沙都子が私を邪険に扱うのは、私の話がつまらないと思ってるから?
……やめよう、考えても幸せになれない。
「気分が悪くなってきたわ。
百合子、ちょっと面白いことしなさい」
「藪から棒過ぎる。
ていうか私、芸人じゃないし」
「『お祭り女』でしょ。
ほら私を楽しませなさい」
沙都子の不機嫌な態度は変わらない。
沙都子の言い回しは少し腹立たしいが、ここで私が面白い事すれば、沙都子も少しは気が晴れるかもしれない。
そのくらいの友達甲斐はあると思っている。
少し乗ってみよう。
「そこまで言うなら仕方がない。
では、ここを祭り会場とする」
「早くそうすればいいのよ……
それで?
なんのお祭りするの」
うーん、祭りをすると言っても特に何も思いつかない。
やっぱり勢いだけは駄目だな。
「お菓子祭りはどう?」
「毎日やってるじゃない」
「じゃあ、ゲーム祭り」
「それも、毎日やってるじゃない」
「じゃあ、アニメ鑑賞会」
「それも毎日ではないけどやってるでしょ。
少しは特別感出しなさいよ」
思いつくまま言ってみたが、沙都子のお気に召さないようだ。
正直飽きてきたけど、ここで引き下がれば『大したことないわね』と馬鹿にされる。
それだけは避けたい。
でも特別な事なんて……
あった!
「ニコニコ動画復活祭はどう?」
「……復活祭?」
「この前サイバー攻撃受けて、ニコニコ動画が使えなくなったじゃん?
それが8月5日にサービス再開するんだよ」
「それは知らなかったわ。
あなた、そういうの好きだものね……
で、何をするの?」
「うっ」
いい考えだと思ったが、何をするかまでは考えてなかったな。
どうしよう。
「ニコニコ動画の動画を見るとか?
一部は今でも見れるし」
「それ、復活祭でする事じゃなくない?」
「それは……」
一般的な正論を言われ、私は押し黙る。
ニコニコ動画が好きな人間同士なら、復活祭で延々と動画を見るのも面白いのだが……
けど、沙都子は割と普通の感性を持っているからな。
盛り上がらないかもしれない。
さてどうしたもんか。
私が悩んでいると、沙都子が手をパンと叩く。
「いい事を思いついたわ」
沙都子が、本日初めての笑顔を見せる。
よっぽど面白い事を思いついたに違いない。
主に私が困る感じの。
嫌な予感がする。
「ニコニコ動画の関係者を呼びましょう」
「!?」
私は耳を疑う。
今なんて言った?
「ニコニコ動画やってる会社の幹部を呼んで、お祭りをするの。
名案でしょう?」
『ありえない』。
そうは言い切れないほど、沙都子の家は大金持ちだ。
良く知らないけど、いろんな所にも影響力があるだろう。
どこまで本気化は分からないが、私を困らせるためなら、何でもやるタイプである。
ここで食い止めないと!
「待って、今忙しい時期だから、呼んだら迷惑になるよ」
「大丈夫よ、可能な限り向こうに配慮するわ。
私も仕事の邪魔なんてしたくないもの……」
「私にも配慮して。
そんな大事になったら困るよ」
「そこでの挨拶任せたわよ。
お祭り女さん」
「聞いてないし」
「ちょっと待っててね、お父様にお願いして来るから」
「ダメー」
◆
結果から言えば、ニコニコ動画復活祭は開催されなかった
私がアタフタした様子を見て、沙都子は満足したらしい。
これ以上ないくらいの笑顔であった。
『冗談よ』とは言っていたが、私の様子が面白くなければ、絶対に呼んだだろう。
沙都子はそう言うやつだ。
それはともかく――
「もー機嫌直してよ」
「うるさい、金持ちバカ」
「ほら私が悪かったから。
謝るから、ね」
私は拗ねていた。
一応、沙都子のために頑張ったと言うのにこの仕打ち。
それを冗談で済まされては、私の気分はよろしくない。
さすがにやりすぎたと思ったのか、沙都子が必死に謝ってくる。
けれど、実は私はもう怒ってなかったりする。
すねたのは本当だけど、その時の珍しく沙都子慌てた様子がなんだかおもしろく、どうでも良くなったのだ。
「ほら機嫌直して。
百合子の好きなお菓子用意したから」
「つーん」
「仕方ない。
私だけで食べるわ」
「あ、私も食べる!」
こうして私たちの夏の一日は過ぎてく。
賑やかで平和な一日。
私たちの日常は、いつだってお祭り騒ぎだ。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
「とりあえず生」
「俺も」
「ヘイ、喜んで!」
ここは神様居酒屋。
神様が集い、酒を飲み交わす場場所である。
時に互いを労い、時に情報共有し、時にただ酒を飲み交わす。
神様の仕事も楽ではない。
神様も人間と同じように、飲みニケーションへと赴くのである。
今日も二人の神様が居酒屋へきて、酒を飲み交わしていた。
活発な神様と、大人しそうな神様。
性格が正反対の二人は、神様養成学校を卒業した同期。
仲の良い二人は、しばしば居酒屋で酒を飲み交わしていた。
「プハア。
仕事終わりの生は最高だぜ!」
「ゴクゴク……
ウマい……」
ジョッキに注がれたビールを飲み干す二人。
神様と言うのは無類の酒好きである。
どれくらい好きかと言えば、管理する人間界に、捧げものとしてお神酒を要求するくらいである。
人間に質のいい酒を造らせ、それを飲む。
それは神様にとって至福の時だった。
だが大人しい方の神様は、浮かない顔をしていた。
「なんだよ、元気ねえな。
うまくいってないのか?」
「うん……」
大人しい神様は、泣きながら友神に語り始めた。
「最近、僕が管理している世界、信仰が薄くなっているんだ」
「あー、最近そう言うトコ多いらしいな。
お前のとこもそうなのか……」
「うん……
最初は良かった。
神様神様って言って、僕を崇めてくれたのに……
貢物もくれてさ
でも、最近じゃあ、神なんていないって言うんだよ」
「そりゃ大変だな」
「人間どもが勝手に願い事してくるのがウザいと思った事もあるよ。
貢物したから、雨を降らせろとかさ
けど今みたいに無視されると、無茶を言われる時が一番やりがいがあったと思うよ。
なあ、どうしたらいいと思う?」
「うーん」
大人しい神様の悩みに、活発な神様は考えます。
酒のせいでうまく頭が回りませんでしたが、活発な神様は妙案を思いつきました。
「簡単な方法がある。
ガツンと言えばいいのさ」
「というと?」
「はっきり言うぞ。
お前、舐められれるんだよ。
人間どもにきちんと力の差を見せつけないとダメだ。
アイツらバカだからな」
「でも、いい人ばかりなんだ」
「分かってる。分かってるよ。
けどさ、実際にはお前のこと舐めてるわけ。
お前優しすぎるから、恐くないんだよ。
けど神様は、畏怖されてなんぼだ。
ほら、もう一杯飲んだら行くぞ」
「どこへ?」
「お前の管理する世界にだよ。
そうだ。
今の内に、人間界に行ったら時の計画を考えようぜ……」
◆
人間界。
神が住まうと言われる神聖な場所で、天変地異が巻き起こっていた。
人間たちは恐れおののき、神職たちが必死に祝詞を唱え、怒りを鎮めようとしていた。
誰もが世界の終わりを覚悟したとき、神様が舞い降りてきて、こう言った。
「お前たちの傲慢な物言いには、あきれ果てた。
よって天罰を加えることにした。
もう我慢ならん」
人間たちは、神様が怒り狂っているのを見て、知らず知らずのうちに増長していたことに気づいた。
だが後悔先に立たず。
目の前の神はもはや止められず、人々は世界の終わりは近いと絶望する。
そんな中、勇気ある一人の若者が前に出て、神に許しを乞い始めた。
「申し訳ありません、神様。
我々は心を入れ替えます。
どうぞお許しください」
何の変哲もない、謝罪の言葉。
だが、きっと心からの言葉なのだろう。
男は土下座していた。
しかし神様は、信用できないとぎろりと睨みつける。
「言葉ならどうとでも言える」
「いいえ、今度こそ心を入れ替えます。
なにとぞご容赦を」
「神様、ご容赦を」
「お許しください」
男の言葉に続き、その場にいた人間すべてが、土下座する。
神様はその光景に満足し、怒りの矛を収める事にした。
「よかろう。
今回はコレで許してやる。
だが本当に許してほしければ、態度で示せ。
捧げものや酒を欠かすなよ」
「はは、これからは御神酒を欠かさないようにします。
ところで神様、酒の種類に希望はありますでしょうか?」
男の言葉に、神様は少しだけ考え、そしてこう言った。
「とりあえず生で」
誰かのためになるならば
仕事というのは、基本的には誰かのためにするもの。
自分が誰かのために働き、その誰かも誰かのために働き、その誰かも誰かのために働いている……
そしていつしか、誰かが自分のために働いてくれるのだ。
そうやって社会は廻っている。
●
しかし、必要だが誰もやりたがらない仕事がある。
そんな仕事は、必然的に人は集まらない。
普通は派遣会社に頼むが、それでも集まらない事がある
そんな時、お呼びがかかるのが、俺達探偵だ
というわけで、俺は助手を伴って、公園の掃除をしていた。
前日花火大会が有り、とんでもなくゴミで散らかっている。
広い範囲を人海戦術で行うため、たくさんの人間が集められた。
派遣会社にも声をかけたらしいが、人が十分集まらなかったらしく、俺達に依頼が来たということだ。
最初は、『この暑い中やりたくない』と思って、やんわりと断った。
しかし猫の手も借りたい状況だったらしい。
依頼料を奮発してくれるとのことで、快く引き受けた次第である。
そんな理由も有って、俺は勤労精神を発揮し、朝からゴミ拾いに勤しんでいた。
ところが……
「先生、これ探偵の仕事ですか?」
刺々しく俺に文句を言うのは助手だ。
コイツも依頼金に目がくらみ、付いてきたクチである。
買いたい物があり、金が必要なのだそうだ。
けれど思ったより暑くやる気が出ないのか、朝からブツブツ愚痴を言っていた。
それでもちゃんとゴミを拾うあたり、助手はマジメである。
「これ、便利屋の仕事ですよね。
探偵の仕事じゃない」
「仕事に貴賎はない。
誰かのためになるならば、法と倫理に触れない限り何でもするのが、探偵というものさ」
「そうかもしれませんが……」
頭ではわかっているけど、感情が理解できない。
そういった顔だ。
若いなあ。
「先生、私は難事件とか解決したくて探偵事務所に入ったんです
もっと探偵らしいことしましょうよ」
「そうは言ってもな。
ウチみたいな木っ端探偵事務所に難事件を依頼する人間なんていないよ。
せいぜい浮気調査くらいさ」
「……他の事務所に移ろうかなあ」
「やめて!
報酬上乗せするから!」
助手には主に事務仕事を任せているのだ。
もし助手がいなくなったら、地獄の事務仕事を俺がしないといけなくなる。
それは避けたい。
助手がその気になる前に、話を変えよう。
「それにしても拾っても拾ってもゴミが無くならない……
祭りの後とはいえ、これだけ散らかるのも凄いな」
「ゴミを捨てる人は何を考えているんでしょう?
むしろゴミを捨てる人間を攫って処分すれば、コスパがいいのでは?」
「物騒なことを言うのはやめなさい……
ん?」
俺達の進行方向から、缶が転がる音が聞こえる。
音の方向に目線を向けると、チャラチャラした男がベンチに座って缶ビールを飲んでいた。
しばらく見ていると、チャラ男はビールを飲み干し、空になったビール缶を投げ捨てる。
「あんにゃろー。
私たちがゴミ拾いしてる前で、ポイ捨てだと!?
ゆ゛る゛さ゛ん゛」
「待て、ステイ、ステイだ。
殴りかかろうとするな」
「止めないでください。
仕事を増やすやつは殺す」
「落ち着けっての」
「ああん」
チャラい男が騒ぎに気づいたのか、こっちを見る。
「あー、ゴミ拾いご苦労っす。
てことでホイ」
チャラ男は、新しく飲み干した缶ビールを投げ捨てる。
「ついでに回収しけよ。
ゴミ拾いなんだから」
俺達は唖然とした。
酔っているとはいえ、常識ある人間の行為ではない。
一瞬自分の中に怒りが巻き起こるが、なんとか抑える。
ここで激昂しても、なんの儲けにもならないからだ。
俺、そう思って受け流すが、助手は違ったらしい。
「舐めやがって」
助手が一歩前に踏み出す。
この暑さのせいで、怒りのリミッターが壊れたよいだ。
いつものクールな助手よ、戻ってきてくれ。
「あの野郎、社会のゴミとして回収してやる」
「やめろ、酔っ払いの言うことを真に受けんな」
「ああ、ゴミだって言うなよ。
傷つくだろ
クレームつけるぞ、ガハハ」
「お前もいらんこと言うな」
チャラ男の言葉に、助手が更にヒートアップする。
「先生、あいつを許すって言うのですか。
情けは人の為ならず。
ここでブチのめしたほうが、世のため人のためになります」
「やめろって言ってるだろ」
「はっ、ゴミ拾いサボんなよ。
そうだ、動画撮ってやろ」
そう言って、新たに飲み干した缶ビールを投げ捨てる。
スマホを操作するのに邪魔なのだろう。
しかし、チャラ男はスマホを取り出すことができなかった。
「君、ちょっといいかな」
「なんだよ、今いいところなんだよ」
「ほらこっち向いて」
「しつこいぞ、殺してやろ……うか?」
チャラ男が振り返った先、そこにはお巡りさんがいた。
パトロール中の警察官が騒ぎを聞きつけて来たのだろう。
正直助かった。
「スイマセン、お巡りさん。
さっきの『殺す』っていうの冗談で……へへ」
「ああ、分かっているよ。
気にしてはないさ」
酔って常識を失ったチャラ男も、さすがに警察官に逆らってはいけないことは覚えているらしい。
啖呵も、勢いがなくなっている。
対してお巡りさんは、よくあることなのか、チャラ男の暴言にも笑顔だった。
助手とは大違いだ。
「じゃ、じゃあ俺は忙しいのでコレで……」
「待ちなさい」
チャラ男が立ち去ろうとするが、警察官はそれを制止する。
「あの、なんスカ」
「君、これ読める?」
その場にいた全員が、警察官が指差す先をみる。
そしてそこにあったのは『ポイ捨て禁止』の看板。
『五年以下の懲役もしくは1千万の罰金が課されます』と書かれている。
再び一同が、警察官の方を見ると、警察官は満面の笑みを浮かべていた。
「話は署で聞こうか」
あれよあれよと言う間に、パトカーに詰め込まれるチャラ男。
見事な職人芸に、俺達は見ているだけしか出来なかった。
「では本管はこれで失礼します。
お仕事頑張ってください」
そしてあっと言う間に去っていくパトカー。
これから、チャラ男は警察官に執拗な取り調べを受けるのだろう……
それを想像すると俺は……
ざまあみろと、清々しい気分になる。
俺がいい気分でいると助手が口を開いた。
「警察官に転職しようかな。
犯人ボコれそう」
「やめなさい
ほら、ゴミ拾い続けるぞ」
「はーい」
ゴミ拾いを再開しようとした、まさにその時。
「あの」
後ろから声をかけられる。
助手と一緒に振り向くと、そこには幼い男の子がいた。
「ゴミ拾い、お疲れ様です」
「え、うん。どういたしまして?」
「手を出して」
男の子の言葉を不思議に思いつつ、俺たちは手を出す。
「これどーぞ」
男の子が、俺達の手の上に飴を置く。
「公園をキレイにしてくれてありがとう。
お仕事頑張ってください」
そう言って男の子は、母親と思わしき女性に走り、そのまま一緒に立ち去った。
「褒められちゃいましたね」
「ああ」
「人類があの子みたいだったら良かったのに」
「全くだ」
「そしてチャラ男は滅べ」
「全くだ」
助手と少し笑い合った後、もらった飴を口に含み、ゴミ拾いを再開する。
「それじゃ、張り切ってお仕事しますか」
●
仕事というのは、基本的には誰かのためにするもの。
自分が誰かのために働き、その誰かも誰かのために働き、その誰かも誰かのために働いている……
そしていつしか、男の子が俺達に飴をくれるのだ。
飴を貰った俺達は、再び誰かのために働く
そうやって社会は廻っている。