『月に願いを』
「キャー」
草木すら眠る夜の時間、悲鳴が響き渡る。
しかし不幸なことに、ここは灯りが月しかない寂れたシャッター街。
もはや、人が住んでいるかどうかすら怪しく、誰も助けに来ないと思われた。
だが、上げられた悲鳴に颯爽と現れる人影があった。
「乙女の悲鳴は聞き逃さない。
ガクランムーン、ただいま参上。
月に代わってお願いよ」
悲鳴を聞いて駆けつけた人影――ガンランムーンが口上を述べる。
ガクランムーンは歳は40半ばほどの男性で、名前の由来になっているであろう学ランを着ていた。
しかしサイズが合っていないのか、学ランは男の体格に対して非常に小さく、見る者をドン引きさせる格好であった。
だがガクランムーンは、そんなことなど些事だと言わんばかりに、地面に座り込んでいる人物に笑いかける。
「お嬢さん、私が来たからにはもう安心です。
あなたを困らせる悪い奴は、お願いしてどこかに行ってもらいます。
その後、一緒に月に願いをかけませんか――
おや?、お嬢さんはどこに?」
「すまんが悲鳴を上げたのは俺だ」
声を発したのは女性ではなく、男であった。
そしてその男は、しりもちをついてガクランムーンを見上げていた。
風貌も、子供が泣くほどの強面で、どちらかといえば犯罪者顔であった。
「いえ、さっきの声はどう聞いても女性でしたよ」
ガクランムーンは、訝しみながら男性を見る
状況的に男の言うことに間違いはなさそうだったが、どうしても目の前の男が上げた悲鳴だとは信じられなかったのだ。
「だからスマンって。
俺、悲鳴を上げる時やたら甲高くなるんだよ。
虫が大の苦手でな、くっつかれて叫んじまった」
「虫ねえ」
ガクランムーンは、つまらなさそうに大きくため息をつく。
「ま、いいでしょう。
困っている女性がいなかったことをヨシとしましょう……
ではサラバ」
「ちょっと待て」
「なんです?
私は、忙しいんです」
ガクランムーンは、不愉快そうに男を見る。
「助けてくれよ」
「あなた男でしょう。
虫くらい一人でなんとかしてください」
「虫嫌いなんだよ」
「私も嫌いです」
「一緒に月に願いごとしてやるから!」
「それ、女性限定なんですよね」
「最低だな、お前。
くそ、自分でやるしかないか」
男は目をつむって、虫を払いのける。
見えてないので、払っている場所は見当違いであったが、最終的に振り払うことが出来た。
「終わりましたね、サラ―」
「待て!」
「……なんです?」
ガクランムーンは、またしても男に呼び止められる。
何度も呼び止められたガクランムーンの顔には怒りが滲んでいた。
「さっきは虫でそれどころじゃなかったが、お前にどうしても言いたいことがある」
「……はあ、さっさと言ってください。
私、忙しいんですよ」
渋々といった風に、ガクラン仮面は男に体を向ける。
「確認だが、お前、最近ここらへんに出没するガクランムーンで間違いないな?」
「そうです、最初に名乗ったでしょう」
「そうか」
男は、ガクランムーンの言葉にうなずき、大きく息を吸う。
「何が『ガクランムーン』だよ、この野郎!
『セーラームーン』のパクリじゃなねぇか!」」
「パクリじゃない、インスピレーション!」
「その結果がパンパンの学ランか、出直せ!」
「学生時代に着てた思い出の学ランなんですよ」
「卒業したら着ないんだよ!」
「心はあの頃のままだからセーフ」
「きもい」
「ぐは」
ガクランムーンは、シンプルだが辛辣な男の言葉にダメージを受け、ゆっくりと膝をつく。
恰好から想像つかないが、ガクランムーンは繊細なのだ。
「あなた、言っていい事と悪い事があるの知らないんですか?」
「お前みたいな変質者は言われて当然だろ。
そんな格好で恥ずかしくないのか?」
「慣れたら意外とそうでもないんですよね」
「嘘だろ……」
今度は男が呆れから溜息を吐く。
それを見たガクランムーンは、いらただしそうに吐き捨てる。
「そ、そういうあなたこそいつまで座っているんですか?
恥ずかしくないんですか」
「腰が抜けたんだよ。 助けてくれ」
「嫌ですよ!」
「あとな、さっき気づいたんだが、お前臭うぞ。
風呂入ってるか?」
「もう嫌だ」
ガクランムーンは絶叫する。
「これ以上ここにいられるか!」
ガクランムーンは、男の悪口から逃げるため、踵を返す。
「ほう、逃げるか……
俺の悪口から逃げられるかもしれないが……
他のやつから逃げられるかな?」
その言葉を合図に、物陰からたくさんの人間が出てくる。
全員警察官だった。
警察官たちは、逃げ道をふさぐように近づいてくる。
「警察!? ば、ばかな、著作権は問題ないはずだぞ」
「違うわ! やっぱりお前もパクリだと思ってんじゃねえか!」
男――私服警察官は思わずツッコむ
その後我に返った男は、コホンと咳払いしガクランムーンに自身の罪を告げる。
「お前、助けた女性に付きまとったろ。
セクハラで被害届け出てるぞ」
「すいません、反省します。
警察だけは勘弁を!」
「だめだ。
そればっかりは、月に願い事しても通らんよ」
「雨、やまないなあ……」
コンビニの中、外を見てひとり呟く。
学校から帰る途中、腹が急に痛くなったので、トイレを借りようとコンビニに入ったのだが、トイレから出てビックリ、外は土砂降りであった。
俺はため息を吐きながら、スマホを取り出し、天気予報を見る。
予報によれば、30分くらいで止むらしい。
季節外れの夕立のようだ。
だけど一つ問題がある。
傘を持ってないのだ。
最近の天気は晴れ続きで完全に油断し、折りたたみ傘すら用意していない。
傘を買って帰るべきか、このまま雨宿りするか……
懐事情が厳しい事もあり、なかなか悩ましい問題だ。
と窓の外を見ていると、向こうから走ってくる人影が見えた。
スカートなので女子校生のようだ。
彼女は、カバンを傘代わりにして走ってくる。
だが雨の勢いが強いということもあり、遠目からでもびしょぬれだった。
彼女も災難な事だ。
それにしても、あの女子校生、どこかで見たような……
クラスの女子だろうか?
そんな取り留めのない事を考えている間に、彼女はコンビニの入り口までやってくる。
「セーフ」
入ってくるなり、見当違いなことを叫ぶ女子校生。
『どこがセーフだ』
どう見てもアウトでなので思わずツッコみそうになるが、寸でのところで言葉が止まる。
なぜならコンビニに走り込んできたのは、妹の百合子だったのだ。
愛すべき、可愛い妹である。
だが、この場で百合子と出くわしたくなかった。
見つかったら面倒なことになるので、店の奥に逃げ込む。
もし百合子に見つかればどうなるか……
百合子は『お兄ちゃん大好きっこ』だ。
きっと抱き着いてくるだろう。
びしょびしょのままで……
そして俺も濡れる。
誰も幸せにならない。
一応、誤解の無いように言うが、自分は自他ともに認めるシスコンだ。
普段なら抱き着かれるののは、なんの問題ない。
むしろ抱き着いてこなければ、こちらから抱き着く所存である。
誤解無きように。
だが、いくらんでもびしょぬれの百合子に抱き着くわけにはいかない。
自分の愛はそんなものだったのかと少しショックを受けるが、緊急事態だと自身に言い聞かせる。
そんな葛藤をしつつ、百合子の動向を見守る。
はたから見れば不審者だろうが、背に腹は抱えられないのだ。
運よく濡れることが無かったので、抱き着かれるのは御免こうむりたい。
百合子が歩くたび、『グショ、グショ』と水音がする。
靴の中までビショビショのようだ。
音を聞くだけでも気持ち悪くなってくるのに、当の百合子は全く全く気にせず、お菓子の陳列棚を眺めていた。
……この前太ったと言って騒いでいたのに、また食うのか?
まあ、それは本人の勝手か。
「新作新作、チョコレート。 甘いぞ甘いぞ、チョコレート♪」
突然お菓子の前で、謎の歌を歌い始める妹。
周りの客も、何事かと妹を見ている。
他人の振りをしているとはいえ、ちょっと恥ずかしいな、これ。
妹を陰から観察していると、急に百合子が顔を上げた。
「あ……」
と間抜けな声を出して、こちらに目線を向ける。
気づかれたか?
「トイレ、トイレ」
トイレだったらしい。
俺に気づくことなく、トイレに入っていく妹。
どうやら、少しの間猶予ができたようだ。
百合子がトイレに行っている間、スマホを取り出し、もう一度天気予報を見る。
まだ雨は止まないのか?
スマホを素早く操作し、もう一度天気予報を見る。
天気予報を見れば、あと40分くらい……
え、長くなってる……
正直これ以上この場にいることはできない。
さすがにこれ以上誤魔化すのも厳しい。
こうなっては仕方がない。
予定外の出費だが、傘を買うことにしよう。
俺は入口の横に置いてある傘を手に取り、レジの列に並ぶ。
が、突然背中がぐっしょりと濡れる、嫌な感触を感じる。
ゆっくりと振り返ると、そこには百合子がいた。
「お兄ちゃん、おっす」
「……おっす、お前トイレどうした?」
「へ、見てたの? 今使用中だった」
「そっか……
でも、さすがに濡れたままで抱き着いてほしくなかったかな」
「ゴメン、お兄ちゃん見たら抑えきれなくなって……」
「ははは。 百合子らしい」
俺はなんとか愛想笑いをする。
今笑えてるよね、俺。
百合子は俺の持った傘に目線を向ける。
「傘買うんだ?」
「ああ」
「じゃあ、相合傘しようよ」
「そうだな」
多分相合傘で密着すると、また濡れることになるだろう。
だけど、俺は濡れてしまった……
もうどうにでもなれだ。
「お会計どうぞ」
レジの店員から声を掛けられる。
「じゃあ、兄ちゃんは傘買うから入口で待っててくれ」
「分かった」
そう言いながら百合子は、レジ横に置いてあるチロルチョコを、俺の前に置く。
「これもお願いします」
用事は済んだとばかりに離れる百合子。
相変わらずの手癖の悪さである。
店員は困ったような顔でこちらを見ていた。
俺にはいつもの事だが、店員にとってはトラブルみたいなものだろう。
「えっと、どうしますか?」
一緒に買うのか?と聞いている店員。
ならば答えは決まっている。
「買います」
会計を済ませて入り口に向かうと、百合子はスマホを見ていた。
百合子は俺に気づいて顔を上げる。
「雨やむの一時間後だって。
お兄ちゃんがいて助かったよ」
「そうか、ほら」
「ありがとう」
チロルチョコを渡すと、百合子は嬉しそうに笑う。
この笑顔を見れば、背中が濡らしたかいもあったと思う。
……濡れないに越したことは無いけどな。
「じゃあ、帰るか」
「うん」
降り止まない雨の中、俺たちは仲良く相合傘で帰る。
百合子は隣で『あめふり』の鼻歌を歌いながら、ご機嫌に歩くのだった。
『あの頃の私へ』
高校へ進学する際、長く伸ばした髪をバッサリ切った。
誰も知り合いのいない高校へ心機一転、高校デビューというやつだ。
知り合いなんていないから、本当は髪を切る必要なんてないんだけど、こういうのは気持ちが大事だからね。
『あの頃の私よ、さようなら』みたいな……
マア、ある種の儀式だ。
中学校時代の私は、いつも教室の隅で一人うじうじていた典型的な陰キャだった。
高校生になった私は違う。
誰とでも話が出来る陽キャに、華麗にクラスチェンジ。
目指せ友達百人。
のはずだったのに、友達百人どころか、一人も出来ず。
もともと話すことが苦手だった私に、ちょっと気合を入れたくらいで、話がうまくなるわけがない。
コミュ障の私には、どだい陽キャは無理な話だったのだ……
今日も一人寂しく、お弁当タイム。
陽の気に満ちた教室を出て、校舎の隅にあるベンチを目指す。
今から行く場所は、この時間ちょうど影になって日が当たらず、風通しも良くて居心地がいいのだ。
それに他の場所からは見えにくいことも高評価。
こういう陰気臭い場所を好むのは、やはり私が陰キャだからか?
ちょっと憂鬱になりつつ、行く途中の自販機でお茶を買う。
そして意気揚々とベンチに向かえば、なんと先客がいた。
お互い、予想しなかった出会いに、お見合い状態になる。
どちらも硬直し、何も言わない時間が過ぎる。
なんて言うべきか考え居ると、先客の彼女が口を開く。
「そこ座って下さい」
「あ、ありがとう」
彼女の勧めるまま、私はベンチの反対側の端に座る。
出鼻を挫かれたが、やることは変わらない。
あとは飯を食うだけである。
風が優しく頬を撫でる。
今日はもう一人いるが、やはりここはいい場所だ。
弁当を食べる前に、自販機で買ったお茶を口にする。
予定外の会話で喉乾いたんだよね。
くう、冷えたお茶が身に染みていく。
「あの……」
お茶を飲んでいると、声を掛けられる。
私はお茶を口に含んでいるので、顔を向けるだけにする。
「上村さんだよね」
「!」
なんで私の名前を?
知り合いか?
一瞬クラスメイトかと思ったが、見覚えが無い。
クラスメイトの名前は一致していないが、これだけは断言できる。
ネクタイの色を見る限り、同学年であるみたいだが……
「私、中島です」
中島、中島……
駄目だ。
全く思い出せない。
自分の事を、一方的に知られていることに、少し恐怖を感じる。
この子、いったい何者?
「上村さんに前から聞きたいことがあって」
私が悩んでいる間も、中島さんの話は続く。
ほとんど初対面だと思うけど、そんな相手に聞きたい事ってなんだろう
私は動揺する心を落ち着かせるため、もう一度お茶を口に含む。
「なんで髪切ったの?」
「ブフッ」
あまりにも予想外の質問に、私は口に含んでいたお茶を噴き出す。
入学前の私を知ってる!?
この子いったい何者?
「上村さん、髪長かったよね。 肩まで伸ばしてた」
「うん……」
「似合ってたのに、なんで切ったの」
「えっと、飽きたから、かな」
さすがに高校デビューとは言えぬ。
詮索されたくないので、こちらからも質問する。
「えっと、ゴメン、中島さん。
どこかで会った?
全く思い出せないんだけど……」
と私が聞くと、中島さんの顔が赤くなっていく。
やっぱ忘れられてたらショックだよなあ。
「ゴメンね、私記憶力悪くて」
「えっと、違うの。
話すのがこれが初めてだから、知らなくても仕方ないの」
「どういう事?」
「私、上村さんのファンで……」
「ファン?」
ファンだって。
私にファンがいたとは初耳だ。
「中学校の時、上村さんの体育の時の姿を見て、カッコいいなあって思てって」
『中学の時』というからには同中か。
それにしても、体育の授業ね。
私は自慢じゃないが、運動神経は良い。
体育の授業では、割と頼りにされていた。
クラブにも入ろうかと思ったけど断念した。
コミュ障の私に、チームプレイが出来るとは思えなかったのだ。
「体育の時の上村さん、本当にカッコよくて。
他の運動部の子と、対等に渡り合って、みんなでカッコいいって噂してましたもん。
多分私以外にもファン居ますよ」
なん、だと。
恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになった感情を抱く。
てっきり私の事を、体育の時に調子に乗るオタク野郎と思っているとばかり。
あの頃の自分に教えてあげたい。
そうすれば陽キャの仲間入り――は無理だな、うん。
「それでですね。 卓球やりませんか?」
「え、なんで?」
話の流れを無視して、いきなりぶっこんで来た。
なんでそうなる?
「私、卓球部なの」
「ああ、それで……」
なるほど、私の運動神経を見込んで勧誘か……
普通なら『めんどくさい』で断るのだけど。さっき褒められてしまったので、結構まんざらでもない。
「でも私素人だよ。大丈夫なの?」
「大丈夫。 部員は私も含め、高校からの人間しかいないからね」
「……それ、別の意味で大丈夫なの?」
まあ、経験者がいないなら、練習もきつくなく、楽しくやれるかもしれない。
それに友達百人計画は、まだ完全に諦めたわけではないのだ。
「うん、分かった。いいよ」
「それでね。 私とペアを組みませんか?」
「いやいやいや」
この子、ファンって言ってたけど、距離の詰め方えぐいな。
もしやがガチ勢というやつか
「あの、卓球のこと知らんけど、もう少し様子を見て決めるもんでは?」
「大丈夫、みんな下手すぎて誰と組んでも一緒なの」
「とんでもないトコだな……」
早まったかなと、少し後悔する。
「そんな感じなので、上村さんならすぐレギュラーですよ」
「分かったよ。
ま、楽しくやるさ」
◆
そんな安請け合いをした後、私たちはペアを組み、練習を積みかさね、そしてインターハイで優勝しました。
高校を卒業した後も、大学に入った後も卓球で大活躍……
今ではプロの卓球の選手になりました。
もしあの頃の私へ言っても、絶対に信じないんだろうな。
今でも夢じゃないかと疑ってるもん。
本当、人生って分からんね。
『逃れられない』
「トドメだ」
俺は持っていた剣で、魔王の心臓を貫く。
致命傷だ。
だが――
「ククク」
死の縁にあるというのに、魔王は不敵に笑っていた。
「何がおかしい」
「我も魔王。 簡単には死なん……」
「まさか!」
「お前に呪いをかけた。
やがて『死の運命』が貴様の元にやってくるだろう」
「『死の運命』?」
「貴様は、『死の運命』からは逃れられない」
「どういう意味だ」
「……」
その言葉を最後に、魔王は何も話さなくなった。
どうやらこと切れたようだ。
折れは魔王から剣を引き抜き、街へと向かう
死の運命からは逃れられない。
帰りの道中、魔王の言葉がいつまでも、頭の中でこだましていた
◆
魔王城を後にして、街に帰還する。
目についた兵士に、俺が魔王を討伐したことを話すと、報告を聞いた兵士は、慌てて兵舎へ走っていた。
あとは、勝手にやってくれるだろう。
報告も済んだので、酒を飲むことにした。
テーブルに座り、注文した酒を待つ間、魔王の言葉を考える。
『死の運命』とは言っていたが、今のところ体には異常がない。
ただの嫌がらせなのか?
だがもし、『死の運命』とやらが本当だったら?
俺はその運命から逃れられるのだろうか?
そう思ったところで、背中に突然悪寒が走る。
『来る』
理屈ではなく、本能で感じる。
俺は気配のした、酒場の入り口を凝視する。
すると、入り口の扉は大きく開かれた。
そこにいたのは、姿こそ人間だが強い死の気配を纏った存在――まさに『死の運命』であった。
『死の気配』は、酒場の入り口から、まっすぐ俺を見る。
俺は視線を感じ、心の底から恐怖を感じる。
対峙して分かる。
アレには勝てない。
魔王より強いからではない。
単純に、俺を死に追いやるためだけの現象なのだ。
それ以外には何もできないがゆえに、俺からは太刀打ちできない。
そういうものだ。
短い間にらみ合って、ついに『死の運命』が口を開いた。
「勇者は貴様か」
『死の運命』は俺を睨みつける。
「人違いだ」
無駄だろうが否定してみる。
時間稼ぎにしかならないだろうが、逃げきれるだろうか?
頭の中で逃げる段取りを考えていたが、意外な乱入者によって中断される
「勇者はいるか?」
入って来たのは、街の兵士だった。
『死の運命』も意表を突かれたようで、黙って事態の推移を見ている。
「ああ、いるぞ。 なんの用だ」
俺は答えながらも、起死回生のアイディアを思いつく。
そうだ、この兵士たちに『死の運命』の相手をしてもらおう。
素晴らしい計画は、
しかし兵士によって崩される。
「勇者ケン、貴様を処刑する」
「は?」
酒場に兵士がなだれ込んでくる。
裏口からも、兵士が入ってきた。
どうやら逃がすつもりはないらしい。
「処刑? どういう意味だ」
「ふん、しらばっくれおって。
魔王を討伐したなど嘘であろう?」
「何?」
「魔王と結託し、王国を支配するつもりであろう。
だが、その野望は露に消えると知れ」
「なるほど、話は読めた」
どうやらここで俺を亡き者とし、魔王討伐の手柄を独り占め、といったところだろう。
いかにも小物が考えそうなことだ。
魔王に勝てない軍が、魔王に勝った勇者に勝てると、本気で思っているのだろうか?
だが、さすがに分が悪いと言わざるを得ない。
この酒場は机など障害物も多く、関係のない一般客も多い。
俺は勇者という立場上一般人には手を出せないが、向こうはここにいる人間の被害など気にしないだろう。
いざとなれば皆殺しにして、全て俺が殺したことにするくらいはしそうだ。
やりづらい事は間違いない。
そして有利な条件のもと、数で押し切る……
姑息だが、悪くない作戦だ。
さてどうするか……
頭の中で打開策を考える。
「大人しく殺されるなら、苦しませずに死なせてやる。
だが抵抗するときは――」
「ちょっと待て」
兵士の言葉に、待ったをかける者がいた。
『死の運命』である。
「そいつの命は俺がもらう。 部外者はすっこんでろ」
「何を言って……
さては勇者の仲間だな、一緒に殺して――」
リーダー格の男は最後まで言葉が言うことなく、吹っ飛ばされる。
「聞いてなかったか? 『俺が』勇者を殺す」
予想外の事態に、その場にいた全員が呆気にとられる。
そしてようやく事態の異常さに気づいた別の兵士が声を上げる。
「殺せ、皆殺――」
だがその兵士も、最後まで言葉を言うことなく吹き飛ばされる。
「埒が明かんな。
おい勇者、手を貸せ」
「何?」
「お前を殺すのには、こいつらが邪魔だ」
「……お前は、俺の死の望んでいるのではないか?」
俺の質問に『死の運命』は鼻で笑う。
「何を言っている。貴様を殺すのは俺だ」
「なるほど、シンプルでいい」
『死の運命』の言葉に思わず笑みがこぼれる。
「貴様ら、王国に楯突――」
俺の近くで吠える兵士を殴り飛ばす。
「いいだろう、お前の提案に乗る。全部後回しだ」
俺の返答に『死の運命』はニヤリとした。
「ではとっとと雑魚を片づけるとしよう」
「腕がなるぜ」
自分を殺そうって言う相手に、背中を預けることになるとは。
運命とは奇妙なものである。
そうして俺たちは、襲いかかってくる兵士たちをどんどん叩き伏せるのであった。
◆
「片付いたか」
「そうだな」
見渡す限り、兵士は全て寝転がっている。
一般人に怪我人がいるようにも見えない。
机やいすは壊されてしまったが、そこは軍に弁償してもらうことにしよう。
しかし、本題はここから。
本当は逃げ出したかったのだが、数が予想以上に多くそれどころではなかった。
今からでも全力で逃げるべきか?
だが、それの懸念は、ほかならぬ『死の運命』によって杞憂となる。
「ふむ、今日は興が乗らんな。 帰るとしよう」
「は?」
何言ってるんだコイツ。
俺を殺しに来たんじゃないのか?
『死の運命』は俺の心を見透かしたように言葉を続ける。
「今の貴様は万全ではあるまい。
魔王とこの雑魚どもの連戦。疲弊していることだろう」
「そうだが……
だから、なんだ?」
「貴様の力が回復したときにまた来る。
全力の貴様を倒さねば意味が無いからな」
『死の運命』は酒場の入り口に向かい、そして酒場の入り口まで進んだところで、こちらに振り返った。
「だが覚えておけ。 貴様は『死の運命』から逃れられないとな」
そうい言い残し酒場の外へ出ていった。
『死の運命』の気配も遠ざかっていく。
安堵のあまり、その場にへたり込む。
助かった、のか……
しかし、アイツはまた来ると言った。
普通に考えればそれまでの命……
だが俺は死ぬつもりはない。
たとえ卑怯と言われようと、ありとあらゆる手段を使って生き残ってやる。
逃れられぬ運命?
それがどうした?
「逃げて見せるよ。 運命に抗うのが人間だからな」
『また明日』
友人同士が使う、ありふれた別れの言葉。
私は律儀な人間なので、そういった挨拶は欠かさない。
よく遊ぶ友人の沙都子にも、別れる際にはいつも言っていた。
二日前までは……
それはなぜか?
もう友達じゃないからだ。
きっかけは昨日の事。
沙都子とテストの点数勝負をして無様に負けた私は、バンジージャンプをすることになったのだ。
罰ゲームがバンジージャンプなのはいい。
高いところがダメだけど、罰ゲームだから仕方がない。
だけど散々脅かした挙句、まだ決心していない私を高いところから突き落としたのだ。
高い場所で子鹿のように震える私を、悪魔の様に、突き落としたのだ。
「沙都子! いきなり突き落とすのはやり過ぎ! 謝ってよ!」
「何よ、百合子。 あなたがちんたらしてるから、背中を押してあげただけじゃない!」
「余計なお世話だっての! ほら、謝まって!」
「なんで、私が謝るのよ!」
「あーやーまーれー!」
「うーるーさーいー!」
「分からずや!」
「頑固者!」
「デブ!」
「チビ!」
そんな感じで口げんかがヒートアップし、長年にわたる友情は終わりを告げたのである。
◆
絶交したとはいえ、同じ学校の同じクラスメイト。
学校では普通に顔を合わす。
もちろん、会話は無い
だけど私も鬼じゃない。
謝ってくるなら、昨日の事は水に流してもいい。
沙都子は友達が少ないから、きっと仲直りしたいに違いないのだ。
だけど、いつまで待っても謝りに来ることはなかった。
私の事は、どうでもいいと言うのか!
薄情者め。
◆
学校が終わり、家路につく。
いつもは駆け足で帰る道を、今日だけはゆっくりと歩く。
HRの時に気づいたのだ。
もしかしたら、校内は人が多いから謝れまれなかったのでは、と。
だから私は気を利かせ、沙都子が簡単に追いつけるよう、ゆっくりと帰るのだ。
まるで仲直りしたいかのように聞こえるかもしれないが、それは違う。
これは私の沙都子に対する優しさなのだ。
決して私が仲直りしたいわけじゃない。
勇気が出ない沙都子のためを思ているだでなのだ。
そうしてゆっくーりと歩き、何事もなく家に着く。
……沙都子の頑固者め!
◆
私は、自分の部屋に入った瞬間、カバンを投げ捨てる。
なんで頑固者の沙都子の事で、こんなに悩まないといけないのか。
本当にイライラする。
荒ぶる心を落ち着かせようと、趣味のゲームの準備をする。
なんだけど、どうにも気分が乗らない。
自分の一部でもあるゲームがしたくないと思う日が来るとは……
それもこれもすべて沙都子のせいだ。
「沙都子のバカヤロー」
「聞き捨てならないわね」
私以外いないはずのはずの部屋で、沙都子の声が聞こえる。
イライラしすぎて幻聴が聞こえるようになったか!?
声のした方を見ると呆れた顔の沙都子がいた。
うわ、本当にいた……
なんでいるんだ?
「なんでここに……」
「それは私のセリフ。ここ私の部屋よ」
「えっ」
沙都子に言われて周りを見れば、勝手知ったる他人の部屋。
どうやら私は、無意識のうちに沙都子の部屋に来てしまったらしい
「普通に入ってきて、何をするつもりなのかと思えば……
あなた、ここに入り浸りすぎて、ここを自分の部屋だと思っているのかしら?」
「私物を置くくらいだしね」と沙都子は付け足す。
反論できない。
本当に自分の部屋だと思って寛ごうとしていたのだから……
自分の部屋だと思っていたら、沙都子の部屋だった。
何を言っているか、分からねーと思うが(コピペ略)
そして沙都子との間に気まずい空気が流れる。
私と沙都子は絶交したのだ。
だけど今の私を、事情を知らない人が見れば「友達の家に遊びに行ってゲームをしている」以外の何物でもない。
不服ながら、まさにその通りである。
とんだ道化だ。
だが絶交は絶交。
だから私のするべき行動は――
「だから私の部屋でゲームしないでよ」
知らない、知らない。
沙都子の言うことは聞こえない。
だって絶交してるんだもん。
「はあ」
沙都子が大きなため息をつく。
「私が私が大人になるしかないわね……
百合子、昨日はいきなり突き落として悪かったわ。
悪ふざけが過ぎた」
「ゴメンさない」と沙都子が頭を下げて謝ってくる。
まさか本当に謝られるとは思わなかったので、少し挙動不審になる。
深呼吸をして、謝らまられたら言おうと思っていたことを口にする。
「こっちこそゴメン。
ちょっと意地になってた」
私も沙都子に頭を下げる。
「また友達になってください」
私が手を差し出すと、沙都子は恥ずかしそうに私の手を握る。
これで仲直りだ。
「ああ、ついでにもう一つ、謝って欲しいことあるんだけど」
仲直りも済んだし、心置きなくゲームをしようと思ったところで、沙都子が口を開く。
「何さ、沙都子。 私は悪い事なんてしてな――」
「さっきカバン投げたでしょ」
カバン?
そういえば、投げたような投げなかったような……
「そのカバンがね、机に当たった衝撃で置いてあったコップが落ちたの」
と、沙都子は床を指さす。
恐る恐る床を見ると、そこには紅茶らしき液体と、粉々になったカップの破片が散らばっていた。
「謝まって、もらえるわよね」
「ごめんない。わざとじゃないんです」
「それは知ってるけど……
無意識に物を壊すなんて、もはや才能ね
その才覚を活かして、将来の仕事に解体業者はどう?
きっと頼りにされると思うわ」
相変わらずのキレキレの毒舌で、私をいじめる。
いや、壊した私が悪いんだけどさ。
「えっと弁償を――」
「別にいいわ」
「えっ」
「それで昨日の事、チャラって事で」
私の恐怖体験が、コップと同価値かあ……
安いのか高いのか分からん。
お金無いから助かるけどさ。
「私の用事は済んだことだし、出ていってもらおうかしら」
「ちょっと待って、許してもらった流れだよね」
「これから家族で外にディナーに行くの」
ああ、そういう事ね。
それにしても、話の振り方に悪意を感じる。
ぜんぜん許してないじゃんか。
「大丈夫だよ。 ゲームして留守番するから」
「ダメに決まっているでしょう。
なんで家の主がいないのに、他人が留守番するのよ。
ほら、早く帰り支度しなさい」
「えー、来たばっかりなのに――
あ、背中を押すのはやめて。
ちょっとトラウマなの」
そうして私はむりやりカバンを持たされ、玄関まで送られる。
「じゃあ、寄り道しちゃだめよ。 まっすぐ帰るのよ」
「お母さんみたいな事、言わないでよ」
「以前、本当に迷子になって、助けを求めたのは誰かしら」
「まっすぐ帰ります」
「百合子」
「まだ何かあるの」
「また明日」
言われたことが分からず一瞬固まるも、すぐに再起動する。
私は沙都子から、別れの挨拶を言われたのだ。
そういえば、沙都子から言われたのは初めてかもしれない。
そして、昨日言ってないことも思い出し、気持ちを込めて別れの挨拶を言う。
「また明日」
二日分の別れと、二日分の再会を願って。