「助手よ、透明眼鏡がついに完成したぞ」
「……おめでとうございます」
「ついに男の夢が叶うんだぞ、もっと嬉しそうにせんか」
ここはとある研究所。
ハカセはその脂ぎった手で、俺の手を取り喜びを表現する。
だが博士とは対照的に、俺の心は深く沈んでいた。
博士の手が、ぬめぬめしていたからだけではない。
「なかなか面白かったぞ。
たまには他人のリクエストを聞いてみるのも悪くない」
「ソウデスカ」
「助手よ、貴様のリクエストを聞いて、作ってやったのだぞ。
なんだその腑抜けた顔は!」
確かに俺は、博士に透明眼鏡を作って欲しいと言った。
だが、俺が欲しかったものはそれじゃない。
俺が欲しかったもの、それは『服が』透明になる眼鏡だ。
それなのに、なんで――
「これはノーベル賞者だよ、助手よ。
自分を透明にする眼鏡なんて作れるのは儂くらいだ」
なんで『自分』が透明になる眼鏡なんだよ。
服じゃなくて、自分が透明になってどうする。
くそ、さすがに直接言うのをためらい、オブラートに包んだのが間違いだったか。
「助手よ、不満か?」
「はあ、思っていたのと違いまして……
どの辺りが男の夢なのでしょうか?」
「何?」
博士の目が険しくなる。
「貴様、それでも男か!」
「昨今の社会情勢にあたり、その発言は差別に当たる恐れが――」
「うるさいわ」
つばが飛ぶほど、怒鳴られる。
「でもこういうのはちゃんと言っておかないと」
「ち、貴様は減らず口ばかり叩く」
博士は、これ見よがしにおおきなため息をつく。
もったいぶりやがって、偉そうに……
「では改めて、博士の言う男の夢とは何でしょうか?」
「男の夢――それは光学迷彩。
ロマンだろうが」
「そっちかあ」
確かに、光学迷彩は、男の夢といえば夢だろうが……
でも俺が叶えたい夢とは、違うんだよなあ。
「それでは助手よ。動作テストしてくれ」
「テストしてないのですか?」
「爆発でもしたら危険だろう?」
「……いやです」
「貴様は我がままばっかりだな。
仕方がない、自分でやる」
博士は心底不満そうに眼鏡を装着する。
爆発しては大変なので、博士から距離を取り、すぐに逃げられるようにドアの近くに立つ。
「貴様というやつは……
まあいい、それでは、スイッチオン!」
博士の掛け声とともに、博士の姿は透明に――ならなかった。
「失敗だ」
博士はショックのあまりうなだれる。
「博士、元気を出してください」
「……助手よ、励ますふりをするな。
顔に『ざまあみろ』と書いてあるぞ」
おっとばれちゃった。
「それにしても、何も起こらないとはね……
何も成果が無いとなれば、予算がさらに少なくなるな」
「それは大変ですね」
「他人事ではないぞ、助手よ。
お前の給料もそこから出ているんだぞ」
「うわ、勘弁して下さ―― あれ?」
「どうした?」
俺はふと違和感を感じる。
何かがおかしい。
違和感の正体、それは――
「博士、なんか清潔になってません?」
「何?」
博士は自分の白衣を見て唸る。
「ううむ、確かに白衣が綺麗になったような気がする……」
そう、博士は白衣を洗わない主義なのでいつも汚いのだが、なぜか今は綺麗になっている。
しかも、博士の脂ぎった手は、サラサラだ。
さらに驚くべきことに、博士のうるさい顔がどこか爽やかだ。
これは、まさか!
「博士、分かりました」
「何、この現象の正体は何だね?」
「透明眼鏡の効果です。
原理は分かりませんが、使った人間を透明にするんじゃなくて、透明感のある人間にするんです」
「そうなのかい?」
なんとなく、博士の言動も爽やかだ。
「しかし、なんの役にも立たない。
透明ではなく透明感などと……
やはり失敗だ」
「いえ、博士、それは違います」
博士は、いい匂いと共に俺に振り向く。
本当にどうなっているんだ?
「透明感を欲しがる人はたくさんいます。
なんせモテますからね」
「君の言うことには、少しも透明感が無いね。
分かりやすくていいけども。
いいだろう、これを売ることにしよう」
そうして、透明眼鏡ならぬ、透明感眼鏡は発売された。
全国の売り場で売り切れが続出した。
未曽有の大ヒットであり、発明者の博士には、莫大なお金が入った。
「くははは。 金が使いきれんほどあるぞ」
「博士、金を貸してほしいって人が……」
「いいだろう。 儂を楽しませろ」
「取材の依頼です」
「いいだろう。儂の偉大さを存分にアピールすると良い」
「博士、俺の功績もありますよね」
「助手もついてこい。 我々の業績を世界に伝えるのだ」
何も透明にしないと思われた透明眼鏡。
だがそれは、最低限の体面を透明にし、二人の人間性の汚さを世の中に知らしめたのであった。
『理想のあなた』
―将来大人になった時、あなたはどんな大人になりたいと思いますか?
―10年後を想像して、理想のあなたを書きましょう
ここは、とある小学校。
生活の授業で、『理想のあなた』というお題で、作文が出されました。
クラスの子どもたちは、思い思いの未来の自分を書きます。
頼りがいのある大人、料理のうまい大人、力持ちの大人、力の強い大人、クールな大人、いろんな言葉が話せる大人、かめかめ波を撃てる大人などなど。
非常にバラエティに富んでいました。
そのクラスに一人、ひねくれた小学生がいました。
名前を、鈴木 太郎といいます。
太郎は悩みました。
というのも、太郎は神様の生まれ変わり……
目標は『たくさんの人から信仰を集める偉大な神様』です。
普段いい加減な彼ですが、それだけは譲れません。
ですが、馬鹿正直に書いてしまっては、先生から呼び出しを受けるのは確実……
なんとか誤魔化すことを考えて、考えて、考えて……
『そうだ、今マイブームで見ているスーパー戦隊の主人公の事を書けばいいんだ』と思いつきます。
これならば先生に眉を顰《ひそ》められても、怒られることは無いでしょう。
なぜなら、漫画や小説の主人公やヒーローに憧れるのは、決して不自然ではないからです。
書くべきことが決まれば話は早い。
太郎はどんどん書き込んでいきます。
『どんなときにも挫けず』、『強い敵を前にしても怯まない』。
『みんなから頼りにされ』、『仲間と力を合わせて戦う』。
『どんな危機に直面しても潜り抜け』、『絶体絶命でも諦めない』。
ヒーローの主人公を思い浮かべながら、原稿用紙を埋めていきます。
『モテたい』と書きたかったのですが、やめました。
なんとなく、いろんな人に怒られそうな気がしたからです。
そして、ある程度書き終わった、その時でした。
「タロちゃん、タロちゃん」
そう言って声をかけてくる女の子がいました。
隣の席の女の子、名前を佐々木 雫といいます。
雫は、見た目がギャルだけど、それ以外は優等生の女の子です。
太郎はこの女の子が苦手でした。
太郎にとって、彼女のスキンシップは過剰なのです。
太郎は、異性に免疫がありませんでした。
「ねえ、なんて書いた?
書いた紙、見せあいっこしよ」
雫が、太郎に要件を伝えます。
そこで太郎は気づきました。
『この紙を見せるのは、実は恥ずかしい事では?』と……
というのも、確かに嘘を書いたとはいえ『もし自分が人間ならば、こういう大人になりたい』と思って書いたのです。
自分の奥底にある部分を見られるようで、見せたくなくなりました。
無難なキャラの事を書けば良かったと後悔しますが、そんな時間はありません。
「見せない」
太郎は、とっさに腕で紙を隠します。
「ふーん、そういうことするんだ」
雫は不機嫌そうな顔で、太郎を睨みます。
しかし、それも一瞬の事、雫はイタズラを思いついた顔をします。
そして雫が何かを言おうとしたとき、太郎の後ろに目線を向けます。
「あ……」
それだけ言って、雫の目線は太郎の背中の向こうのまま。
何かあるのか気になった太郎は振り返りますが――
「隙あり」
太郎が油断した隙に、雫は目にも止まらない速さで、太郎の原稿用紙をひったくります。
太郎は急いで視線を戻しますが、雫はすでに太郎の原稿用紙を読んでいました。
「ふーん、タロちゃんって、こういう大人になりたいんだ。
でも、これってスーパー戦隊、だっけ…… でいたよね?」
「悪いかよ」
「いいんじゃない? 応援するよ」
雫は、満足した顔で、太郎に原稿用紙を渡します。
太郎は、バカにされなくて安堵しました。
「じゃあ、これ」
「なにこれ」
「私の『理想のあなた』。 見せあいっこするって言ったでしょ」
「それは、お前が勝手に言っただけだろ」
「読まないの?」
「……読む」
正直あまり興味はありませんでしたが、自分だけ読まれたのは不公平だと思い、読むことにしました。
太郎は神様ですが、年相応に子供っぽいところがあるのです。
受け取った雫の原稿用紙に目を通します。
『どんなときにも挫けず』、『強い敵を前にしても怯まない』。
『みんなから頼りにされ』、『仲間と力を合わせて戦う』。
『どんな危機に直面しても潜り抜け』、『絶体絶命でも諦めない』。
太郎は読んだ内容を、自分の中で咀嚼し、じっくりと考えた上で感想を言います。
「雫って、プリキュアに憧れているの?」
「悪い?」
「いいんじゃないか? 応援するよ」
それが太郎の素直な気持ちでした。
ヒーロー、いいじゃないか!
太郎は親近感を覚え、気分が上がります。
太郎は、趣味ではないが、ヒーローとして尊敬しているのです。
「タロちゃん、私たちはヒーローを目指すよ」
「うっしゃ、やるぜ」
妙に昂った二人は、周りの視線も気にせず盛り上がるのでした。
そして、会話を聞いていた他のクラスメイト達は、二人のことを『子供だな』、と見つめていました。
クラスメイトたちは、すでにプリキュアやヒーローを卒業していたからです。
彼らにとって、二人は未だにヒーローを夢見る子供でした。
もう大人なんだから、現実を見てないと馬鹿にする子供もいました。
ですが、そんな小さな大人たちを、先生は『子供だな』を眺めていました。
なぜなら二人も他の子たちも、言葉こそ違えど似たようなものだからです。
警察官だったり、料理人だったり、消防士だったり……
どれも、みんなから頼られるヒーローです。
いつの時代も、『理想のあなた』はヒーローなんだな……
かつて『教師というヒーロー』を目指した先生は、子供たちをほほえましく眺めるのでした。
『突然の別れ』
こんばんは。
私、須藤霧子。
どこにでもいる、一期一会な女子高生!
そんな私には秘密がある。
それは私は転生者であると言う事。
とある事がきっかけで、ここがゲームの世界だと気づいたの。
オタクの夢であるゲーム転生をして、私大勝利――
という訳にもいかなかったりする……
だってこのゲーム、バグゲーとしても有名で、ゲーマーの間では知らない人間はいないわ。
今朝だって遅刻しそうだったから、壁すり抜けバグを利用してなんとか間に合わせたりね。
意味が分からない?
そうね、私もよく分からないわ。
けど、このゲーム。
バグさえ乗り越えれば、千年に一つの名作と言われるほど面白いの(私調べ)
それで生前の私のは何度もプレイしたから、なんでも知っている。
イベントも起こるバグも全部。
攻略サイトも隅から隅まで見た。
このゲームで知らないことは無い――
と思っていたんだけど、今日事件が起きて…
◆
「えー、突然だが、鈴木が転校することになった。
みんなと勉強するのは、今日で最後になる」
朝のホームルームで、突然の知らせクラスメイトがざわめく。
鈴木が転校するだって!?
あまりに突然すぎてクラスメイトにとって青天の霹靂。
ゲームを知り尽くした私にとっても同様だ。
だってそうでしょう。
その鈴木とやら、誰も知らないのである。
私も、知らない。
鈴木が不登校とかそういうわけではない。
このクラスに鈴木なんて奴はいなんだから。
どうやら新手のバグみたいだ。
バグ報告掲示板でも、そんなの聞いたことない。
まだ誰も知らないバグがあるとは、このゲームは奥が深いな。
「鈴木、別れの挨拶しろ。
前に出てこい」
呼ばれたが、誰も反応しない。
そりゃそうだ。
だって鈴木なんて生徒、いないんだもの。
だから誰も出てくるはずがないんだけど、誰も名乗り出ない状況に教師はいらだち始めた。
「鈴木、何をボケっとしている。
早く出てこい」
教師は眉間にしわを寄せながら一点を見つめる。
その目線の先にいるのは――
私?
「えっと、私?」
「そうだ。お前意外に誰がいる?」
「私、須藤です」
「そうだな。 早く出てこい」
「はあ……」
めんどくさいと思いつつ、私は教室の前に出る。
クラスメイト達が、私を見ながら「あいつ、鈴木だったのか」とひそひそしている。
だから私は鈴木じゃねえ、須藤だ。
「ほら鈴木、別れの挨拶をしろ」
「私、須藤です」
「いいからお前、挨拶しろ。
お前転校するんだろ」
「しませんけど」
おかしい。
転校する予定なんてないのに、なんで転校するのか。
流石の私も、クラスメイトとの突然の別れに、動揺を隠せない。
「えーっと、クラスメイトの皆。
なんか今日転校するらしい「鈴木」です――先生、かぶせないでください」
この教師、どうあっても私を鈴木に仕立て上げたいらしい。
「えっと、皆とは入学してから一か月しか、一緒にいませんでしたが、たくさんの楽しい思い出が……あったかな?
もう少しみんなと仲良くしていれば良かったと思いました
皆との突然の別れには驚きましたが、これからも――」
「じゃあ、挨拶すんだな。 教室出ていいぞ」
「終わってません」
お別れの挨拶すらさせないのかよ、この教師。
というか、今日の授業受けさせない気か。
「ほら皆も、今日でお別れのすど――鈴木に別れの拍手」
「ちょっと待ってください。
今、須藤って言いましたよね」
「いいや?」
ムカつく顔でとぼける教師。
殴りてえ。
クラスメイトも何が何やら分からない様子で、拍手し始める。
やめろ、拍手しなくていい。
それにしても、この教師、なんでここまで私を転校させたいのか……
私の抗議の目に気づいたのか、教師が一言。
「校長には逆らえなくてな。悪く思うなよ」
校長が諸悪の根源かよ。
ここの校長、質の悪いバグを連発するんだよね……
しかも設定でも、自分の気分次第でバンバン生徒を停学や退学させる、教師の風上にも置けないやつだ。
つまり今回は、私もあいつの気分で転校させられると、そういうことか!
私がいろいろ考えている間に、教師に背中を押され、追い出されるように教室を出る。
なし崩しだったが、これでこのクラスとはさよならか。
一か月という短い間とはいえ、お別れとなると感慨深いものがあるな。
こんなことになるなら、もっとクラスメイトと仲良くすれば良かったよ。
後悔ばかり押し寄せる。
でも別れがあれば出会いもある。
私は教室を出た足で、そのまま踵を返し、何食わぬ顔で教室に入る。
「転校してきた須藤です。よろしくお願いします」
私は、さくっと挨拶し、自分の席に座る。
「そろったな、じゃあ授業を始める」
担任の教師はも、何事も無かったかのように授業を始める。
この世界では、このくらいの事は、日常茶飯事なのだ。
だから、どんなトラブルに巻き込まれようと、自分の場所は自分で作らなければいけない。
この世界では、ふてぶてしくなければやっていけないのだ。
PS
翌日、学校の校長が行方不明になった。
それを受けて、先生方は大騒ぎをしている――ふりをしていた。
校長は、教師陣からも嫌われていたらしい。
おそらく、形だけ捜索をして打ち切るだろう
どこに行ったかというと、私がバグを駆使し、校庭のそばにある悪趣味な銅像になったのだ。
これからは、教師らしく生徒たちを見守ってくれるだろう。
これで変なバグとはさようなら――できることを願うばかりである。
公園の池いる鯉にエサを投げる。
何度目かもわからない恋の終わりには、いつもここに来てエサをやっているのだ。
悩みなんてなさそうな鯉を見ていると、なんとなく安心してしまう。
彼らは彼らなりに悩みがあるのだろうけども、やっぱりこうしてエサを貰う様子を見る限りは、悩みなんてありそうには見えない。
「はあ」
彼には一目ぼれだった。
たまたま道をすれ違った、名前すら知らない他人……
一方的にこちらが認識しているだけの片思い。
声をかける勇気もなくうじうじしていたら、いつの間にか彼に恋人が出来ていた。
彼が女性と仲良さそうに腕を組んでいる姿を見た時は、持っていたカバンを落としてしまった。
そのカバンを拾ってくれた彼との会話が、最初で最後の会話。
始まる前に終わる恋物語。
私の恋はいつもこんな感じだ。
友人に言わせれば、鯉に恋――いや恋に恋するしているだけだそうだ。
いっそ鯉に恋すればすべては解決するのだろうか。
でも私泳げないんだよなあ……
と、脳内漫才をやっても気分が晴れない。
いつもなら気分が変わるのだけど……
しかたない、追いエサをしよう。
池の近くに餌の無人販売所があるのだ。
だが珍しい事に、無人販売所でエサを買っている人がいた。
驚いて固まっていると、向こうがこちらに気づく。
顔を見れば、私好みのイケメンだった。
一瞬で心が奪われる。
一目ぼれだった。
「こんにちは」
わお、声もイケメン。
ますます、私好みだ。
「貴女も鯉にエサをあげてたんですね?」
「はい」
「僕も鯉にエサをあげていいですか?」
「どうぞ」
せっかくイケメンが声をかけてくれたと言うのに、ろくに返事もできない……
自分の口下手が憎い。
そんな私の葛藤も知らず、彼は池の鯉にエサをやり始めた。
私は他に何もせず、ぼんやりしたまま彼の横顔を見る。
鯉にエサをやるのも様になるイケメン。
あまりのイケメンぶりに輝いて見える。
が、その横顔はどこかアンニュイだ。
私の目線に気づいたのか、イケメンがこちらに振り返る。
「やはり分かりますか?」
「え?」
「実は、ついさっき恋人に振られまして……」
なんだって。
こんなイケメンを振るなんて、相手は何考えているんだ。
「僕、よく振られるんですよね……
気迫が無いからって……
それで振られたときは、いつもここにきて鯉にエサをやるんです」
寂しそうに笑う彼。
そんな彼を見て、私の口から勝手に言葉が出てくる。
「同じです」
「え?」
「私もさきほど失恋しまして、ここに鯉にエサをやりに来たんです」
「そう、だったんですか」
こうして男性と話すのは何年ぶりだろうか……
もしかしたら私の恋は、今度こそ進展するかもしれない。
「その、奇遇ですね」
「はい、奇遇です」
「……」
「……」
だが会話はそこで途切れる。
当然だ。
彼とは初対面で、なにも共通の話題が無いのだから。
そして会話の無いまま別れて、ずっとそのまま。
二度と会うこともなく、私の恋は終わりを迎えるだろう。
さよなら、私の恋物語……
「あの」
「はい?」
油断していたので、声を掛けられて変な声を出す。
まさか、私の邪な心を読んだか?
「一緒に鯉にエサをやりませんか?」
彼の、私に向けられた言葉に意表を突かれる。
まさか、デートに誘われたのか?
もちろんOK――いや、すぐに受け入れても軽い女だとみられるのでは……
私が答えに悩んで何も言わない事を、聞こえなかったと勘違いした彼は、もう一度言葉を紡ぐ。
「同じ失恋したもの同士、一緒に鯉にエサをやりましょう」
まっすぐ私をみる彼。
もう尻軽だと思われてもいい。
ここで言わないと、何も始まらないのだ。
「喜んで」
こうして私たちは、二人並んで池の鯉にエサをやる事になった。
相変わらず会話は無いけど、ここまでやったんだ。
連絡先くらいは聞いてみせよう。
この恋、きっと成就してみせる。
何度目かもわからない私の恋物語は、ようやく本当の意味で始まる。
切っ掛けを作った池の鯉には感謝しないけないな。
そう思って鯉を見るが、相変わらず何も考えていない顔をして、エサに食らいついているのだった。
闇夜の中に動く赤い影。
その影を捉えようとして成功した人間はいない。
影の正体は果たして何者か?
赤い影、それはサンタクロースである。
サンタは、クリスマスしか働かないと思われているが、大いなる誤解である。
クリスマスの日以外は、子供たちの事を調べているのだ。
そして、クリスマスの日に何をプレゼントするか決めるためである。
彼は赤服のスパイである。
そして、今日の調査のターゲットは、竹内 純也。
10歳、小学4年生。
事前調査によると、彼はゲーム機を望んでいる。
だがサンタは悩んでいた
彼にゲーム機を与えていいものかと……
というのも、彼は最近真夜中にどこかに出かけているのである。
夜中に親に黙って、一人で出歩く。
言い逃れの無い『悪い事』である。
サンタは良い子にプレゼントを配る。
しかし、彼はどうだ。
誰が見ても悪い子だろう。
しかし、とも思う。
家から出る純也の目には、何か決意のようなものが宿っていた。
サンタは判断を一旦保留とし、後を付けて真相を確かめることにした。
純也は、灯りも持たず、人目を避けるよう暗い道を選んで進んでいく。
だが進む道に迷いが無い事から、目的地は決まっているようだ。
月明かりだけのくらい夜道、サンタは足音を立てず、純也のすぐ後ろを歩いていた。
何かあってもすぐに助けられるようにである。
しばらく歩いてたどり着いたのは、周りを柵で囲まれた空き地。
看板には大きく『立ち入り禁止』と書いてある。
月の弱い灯りだけでも読むことができたが、純也は看板には気にも留めず、広場の中に入っていく。
サンタも周りを確認し、誰も見ていないことを確認してから後に続く。
広場の奥の方の物置小屋の後ろに純也は入っていく。
サンタは気づかれないように、後ろから覗く。
そこでサンタは見た。
純也が子猫に食べ物を与えているのを……
その猫は衰弱していた。
どうやら、生まれつき足が悪い子猫のため、こうして世話をしているようだ。
夜中なのは、入ってはいけない場所に入るところを見られないためであろう。
サンタは、純也が悪い子ではないことを知り安心する
しかし、夜中出歩くのは悪い事であり、危険でもある。
サンタはどうすべきなのか悩んだ。
そうこうするうちに、子猫は食べ物を食べて、眠ってしまった。
それを見た純也は、空き地から出て、来た道を戻っていく。
サンタも来た時と同じように、純也を見守りながら後ろを歩く。
無事に家に入るのを確認し、サンタは考える。
純也は弱っている猫に食べ物を与えるという、とてもいいことをしている。
しかし純也は再び夜中に出歩くだろう。
それは悪い事だし、何より危険だ。
二度と夜に出歩かないようにするにはどうしたらいいだろうか?
それに、この行為が猫にとって良い事かも疑問であり、いつまでも続ける事も不可能であもあろう。
サンタは悩み抜いた末、ある決断を下す。
彼に必要なものは、ゲーム機ではない、と。
◆
翌日、夕方。
純也は通っている塾から帰ってきた
「ただいま」
「純也、おかえりなさい」
「お腹減ったから、何かたべるも――あ!」
純也は家の中で帰るや否や、驚きの声を上げる。
当然だ。
自分が毎晩食べ物を与えていた猫が、家でくつろいでいたのだから。
「お母さん、この猫どうしたの?」
「お昼に知り合いが来てね。
『弱ってる猫を拾ったんだけど、家じゃ飼えないからもらってくれませんか?』、ってうちに来たの……
あんた猫飼いたいって言ってたでしょ」
「うん」
「ちゃんと世話しなさいよ」
「分かった。約束する」
純也は心の底から喜ぶ。
「ところで……」
母親の声が一段と低くなる。
「聞いたわよ、あなた夜中に出歩いたんだって?」
「ごめんなさい!」
◆
遠くから家の様子を見ていたサンタは、この結果に満足した。
これならば、純也は夜中に出歩くこともないだろう。
そして彼のクリスマスプレゼントも決まった。
猫のおやつや、おもちゃを持っていくことにしよう。
彼に必要なのは、ゲーム機では無い。
猫と触れ合う時間なのだ
サンタは、手帳を取り出し『竹内 純也』のページに、『猫グッズ』と書く。
これで調査完了である。
彼らの様子を眺めている間に、日は暮れて周りは暗くなっていた。
サンタはちょうどいいと、次の調査を始めることにする。
夜はサンタの時間なのだ。
次の調査予定の子供のページを開く。
住所をしっかりと確かめて、子供の家に向かう。
次の子供は何をプレゼントすれば喜ぶだろうか?
そんなことを考えながら、サンタは夜の闇に消えていくのだった。