とあるアパートのとある部屋で、男が机に向かって勉強をしていた。
彼はレベルの高い大学に入学するため、アパートの一室を借り勉強に励んでいるのだ。
お金を出してくれる親に感謝しつつ、絶対に恩返しすることを誓う。
いい大学に入って、いい会社に入る。
それが男の目標であった。
そしてある日の事。
いつものように男が勉強に励んでいると、ふと背後から視線を感じた。
後ろを振り返ってもなにも無く、あるのはボロい壁だけ……。
男は壁を少しの間見つめた後、机に戻って勉強を再開する。
その間も男は視線を背中に感じているにも関わらず、さらに集中を深め問題集を解き進めていく。
この視線の正体は何か?
それは二体の幽霊である。
この部屋に住みつく幽霊たちが彼を見ているのだ。
だが男に向ける彼らの視線は怨嗟に満ちたものではなく、諦めと感心が入り混じった複雑なものであった。
男に霊感があまりなく、自分たちの姿に驚いてくれない……というのもある。
それ以上に、幽霊たちは男の根性に驚嘆していたのだ。
「今日も反応薄いっすね、センパイ」
チャラそうなコウハイ幽霊がセンパイ幽霊に声をかける。
「ああ、そうだな」
特に感情を込めずに、センパイ幽霊は短く答える。
「あの、もう一度確認なんすけど、あの男はオレたちに気づいてるっすよね」
「それは間違いない。あの男は確実に俺たちに気づいている。霊感が無いゆえに、視線しか感じないようだが……」
「おかしいすよね。普通逃げるっすよね、幽霊なんていたら……
オレ幽霊になったばかりだから分かんねえすけど、こういう事ってあるんですか?」
コウハイ幽霊の疑問に、センパイ幽霊は少し考えた後答えた。
「そうだな、俺は色々な人間を見てきた。
俺たちの存在に気づいた奴の反応は様々で、泣き叫ぶヤツ、霊媒師を呼ぶヤツ、逃げないヤツや無視するヤツもいた。
だが、この男のようなヤツは初めてだよ。気づいたうえで、俺たちを利用する……そんなヤツはな……」
センパイ幽霊はため息とともに吐き捨てる。
「やっぱり、そうすよね。この男がおかしいんですよね」
「ああ、そうだ。この男がおかしい。
誰もいないと、勉強をサボってしまう。
しかし誰かに見つめられると途端にサボれなくなる。
だからこうして見られてる方が都合がいいというのは、さすがに……」
「ですよねえ」
二体の幽霊はため息を吐きながら、男を眺めていた。
その幽霊たちの視線の先で、男はより一層集中を深めていた。
今日も今日とて、幽霊たちの背中に視線を受けて、男は勉学に励む。
時折、幽霊のため息を感じながら、粛々と問題集を解き進めるのであった
彼を見た瞬間、私は心を奪われた。
彼の姿に私は膝から崩れ落ち、気づけば涙を流していた。
『怪盗ラグドール』。
先輩たちはそう呼んでいた。
彼を見た者は全て虜にしてしまうと言うので、そう呼ばれているらしい。
彼は一歩、また一歩と私に歩み寄ってくる。
事の発端は、クラブ紹介の集まりの事である。
一年生としてこの学校に入った私は、先輩方から熱烈な勧誘を受け、文芸部に入ることになった。
この学校は部活は絶対に入らないといけない。
あんまり部活に出たくない私は、手ごろな部活と思われる文芸部を選んだ。
なんせ本を読むか、やっても読書感想文を書くくらいだ。
まあ、文化祭は忙しいかもだけど、きっと楽なはず
その時私はそう思っていた。
そうして入った文芸部。
部員は二人、新入部員は私一人。
計三人の、ゆるゆる文科系部活。
勝った!
先輩に睨まれない程度に部活をさぼろう。
その決意を悟られぬよう、先輩たちの前で軽く自己紹介を行う。
そして『軽く本でも読むか』と意気込んで、部室にある本棚に視線を移した時の事である。
「まだ紹介していない部員がいるんだ」
そう部長は言った。
その言葉に私は目を瞬《しばたた》かせる。
「え?でも部員は三人ですよね」
すると部長と副部長は、にんまりと、まるで悪魔のような笑みを浮かべた。
「うん、三人さ。でも名誉部員がいるんだ」
「名誉部員?」
なんだそれ?
とため口で聞きそうになるのを堪える。
「付いてきたまえ」
そう言って先輩たちは部室から出ていく。
『名誉部員の所へ行くのだろうか?』『ていうか文芸部なのに、本読まんのかい』と思いつつ、先輩たちの後ろを付いて行く。
そして部室から出ていった先は、なんと校舎裏で合った。
『さぼろうとした魂胆がバレて制裁か!?』と本気でビビる。
そして先輩二人はニコニコと笑顔で私を見ていた。
その顔やめて、私の心はガラス製なのよ。
「では名誉部員を紹介しよう」
部長がそう言うと同時に、草陰から物音が聞こえた
そして出てきたのは――
「ニャア」
猫だった。
可愛いらしい猫。
その愛くるしい姿で、私の心を一瞬で掴んだ。
「フフフ、『怪盗ラグドール』私たちはそう呼んでる」
「ラグ……ドール?」
「そうこの子の品種ね。とてもおとなしいの。抱っこしてあげて、喜ぶから」
トテトテと歩いてきた『怪盗ラグドール』を腕に抱く。
嫌がる様子もなく、彼は大人しく抱かれた。
「その子、この裏にある家で飼われいるみたいなの。
散歩の時間みたいで、この時間はいつもいるのよ」
「そう、なんですか」
「フフフ、新入部員の仕事はね、この子の遊び相手をすること。毎日ね。
この子に逆らっちゃだめよ。だって名誉部員なのだから」
「分かりました」
私は抱いた彼を撫でながら宣言する。
「喜んで、彼の遊び相手を努めさせていただきます」
「うむ、よろしい」
部長は満足したように頷く。
部活をサボる?
誰だ、そんなこと言ったのは!
この子と遊ぶ以上に大事なことなんてない
と決意を新たにしていると、先輩二人が近づき、彼をなで始めた。
怪盗ラグドールは満足そうに目を細める。
その猫撫の手つきは熟練の技そのもの。
コヤツ出来る
「じゃ下校時間が来るまで遊ぼうか」
「はい!」
私の心は彼の物。
誠心誠意つくすことにしよう
そうして私達は、『怪盗ラグドール』の気が済むまでずっと遊んだのであった。
……あれ、結局部活どうするんだ?
ま、いっか。
「よくぞ、参った勇者よ」
王の大きな声が響き渡る。
ここは玉座の間、王が来客に会うための場所である。
そして王の前でひざまずく若者こそ、王の客であり、勇者の子孫である。
だが若者は、王の客とみなすにはみすぼらしい格好であった。
この服は、若者が用意できる一番良い服ではあったが、明らかに場違いだった。
だがそんな若者にも、王は笑顔で迎え入れた。
もっとも内心ではどう思っているかは分からない。
というのも王以外の側近や大臣、衛兵に至るまで、全員が冷たい表情をしていたからだ。
何かを達観したかのような、冷たい表情だった。
若者はこの場の雰囲気に圧倒され、委縮していた。
「顔をあげよ」
「はい、陛下」
王の声で、若者はうつむいた顔を上げ、緊張した面持ちで王を見る。
「今我が国は未曽有《みぞう》の危機に瀕しておるのは知っておるな?
魔王が復活し、奴が率いる魔王軍が我が国を攻めておるからだ」
「はい、存じております。陛下」
「うむ、そこでおぬしを呼んだのは他でもない。
その魔王を退治してもらいたいのだ」
その言葉に若者は表情をこわばらせる。
「もちろん、我が国の軍隊を動員し、魔王を抹殺したいのは山々であるが、魔王軍の対応で手がいっぱいなのだ……
なので、わが軍が魔王軍を抑えている間、お主に魔王を倒してもらいたい」
「不躾ながら……私にはやり切る自信がありません」
「うむ、分かっておる。もちろん、魔王の討伐をするための援助をしよう。
これ、例の物を持て」
王が手を叩くと、奥の扉から箱を持った男が若者に歩み寄る。
「これが国からの援助じゃ。
今は戦時下のため、渡せるものは少ないが、受け取るがいい」
「ありがとうございます。陛下」
若者は王に礼を述べ、渡された箱の中身を空ける。
若者は箱を覗いた瞬間、目をカッと見開き、信じられないような目で王を見た。
「陛下、これは……」
「うむ、50Gじゃ。少ないが、これを元手に魔王を倒してくれ」
その言葉を聞いた若者は逡巡した後、王をまっすぐ見て尋ね。
「恐れながら陛下。さすがにこれでは足りません。お金をもっと下さるか、強力な武器か防具をください」
若者の不遜ともいえる言葉に対し、王は気にした様子もなくことなく答える。
「お主の言いたいことは分かる。
だが先ほど言ったように我が国は戦時下。
お主に渡せるものはそれぐらいしかないのだよ」
「ですが――」
「残念ながら、これ以上は渡せない。
これ以上を望んでも、ないものねだりというヤツじゃ」
王の答えを聞いた若者は迷った表情になり、何かを言いたげな様子だったが、結局何も言わなかった。
「ありがとうございます、陛下。必ずや魔王を倒して見せます」
「うむ、期待しておるぞ」
勇者は恭しく礼をし、玉座の間から退室する。
若者がいなくなった瞬間、王を除く全員が一様に落胆した
誰も言葉を発しなかったが、心中で誰もが「今日も駄目だったか」「そりゃそうだよな」「ケチすぎる」と思っていた。
そう、この場の誰もが確信していた。
あんな端金では、誰も魔王の討伐には赴かないと……
王は一人、先ほどの笑顔とはうって変わり、怒りの表情だった
「ふうむ、アレは期待できんな。
全く最近の若者は……
たとえ50Gでも国を救って見せるという気概のあるものはいないのだろうか?」
王のそばで控えていた大臣が『王様』と声をかける。
王が振り向くと、大臣は困り果てた顔で、諫めるように言葉を続ける。
「さすがにもっとお金を出しませんと……
それは、ないものねだりと言う物です」
教室に来てから最初にするのは、和也の席を見ること。
別にアイツのことが、好きだからという訳じゃない。
なぜならアイツの隣が私の席だから。
そして自分の席ではなくあいつを探すのは、髪が少し派手なので目印にちょうどいいから。
だから何も変なこともない自然な事。
アイツの事を見つけて少し体が熱くなるのは、自分の席を見つけられた安心感からなのだ。
彼の頭を目印にして、自分の席に向かう途中、不意にアイツと目が合う。
驚いて心臓が跳ね上がった私の事なんて気付かず、『おはよう』と挨拶してくる。
私は極めて冷静に『おはよう』と返す。
すこし、声が変だったかもしれないけれど、仕方がない。
だって私は朝が弱い。
アイツも知ってる事で、変に思われることはない
そして始まる朝の会話。
毎朝の恒例行事。
和也とは、趣味が合うので話が楽しいのだ。
一日で最も楽しい時間。
でも間違いが起こることはない
私達はただの友人同士で、これからもずっと変わることはない。
アイツと話すようになったのは最近のこと
先月の席替えの時、席が隣同士になったのだ。
今まで接点が無く、名前すら怪しいクラスメイトだったけど、話してみると以外に話は弾んだ。
共通の趣味から、1㎜も理解していない物理の話まで。
不思議と話しやすく、何を話しても盛り上がった。
それ以来、機会があればよく話している。
あまりに気持ちよく話せるので、ふとした時にアイツを探すようになった。
でもアイツは異性として好きじゃないし、自分のタイプからもかけ離れている。
友人としては好ましく思っている。
仲のいい友人、それだけ。
それにアイツには彼女がいる。
仮に私がアイツの事が好きでも迷惑なだけ。
だから、私のこの感情は『好き』じゃないのだ。
教室に来てから最初にするのは、和也の席を見ること。
アイツの事なんか好きじゃないのに、気づけばアイツのことを探してる。
でも勘違いしちゃだめだ。
だってこれは叶わない恋なんだから。
退屈な小学校の授業がおわり、俺は祐樹と二人一緒に帰っていた。
いつものようにくだらない事を話しながら、家に向かって歩く。
「『ところにより』ってわけわかんねーよな、祐樹」
「突然、何さ?」
「朝の天気予報見ててさ。
『本日のお天気は曇り、ところにより雨』みたいなこと言ってさ。」
「ああ。そういう事ね。康太も変なところ気にするね」
「母ちゃんが言ってたんだよ。TV局の責任逃れだって――どうした?」
祐樹が急にソワソワし始め、周りを気にし始めた。
「他の人がいると困るから」
困る?何に困るんだろう?
「……うん、いないね。
じゃあ、教えてあげる。
それは、符牒《ふちょう》なんだよ」
突然、祐樹が難しい言葉を使う。
頭がいいからなのか、俺が知らない言葉を使うことがよくある。
「フチョウ……って何?暗号?」
「うーん、まあ暗号みたいなものかな。
例えば、警察物で言ったら『犯人』のことを『ホシ』。
『被害者』の事を『ガイシャ』って言ってみたり。
これは有名なヤツだけど、普通の人には分かんない符牒を使って、仲間で会話するんだ」
「全部理解したわ。で、なんで符牒使うの?」
「分かってないじゃんか……簡単に言えば会話の中身を知られないためだね」
「知られないため?」
「うん、困るから」
また困る。なんでだろう。
「じゃあさ、今朝の天気予報の、フチョウだっけ?あれどういう意味」
「言ってもいいけど、皆には内緒だよ」
「分かってる。俺と祐樹だけの約束」
「じゃあ、指切りげんまんね」
あまりに慎重な祐樹に少し戸惑いつつも、指切りげんまんをする。
コホン、と祐樹は咳払いする。
「天気予報の『ところにより雨』っていうのはね……
『雨が降っている場所から、あの世に行けますよ』って意味」
「はい?」
まったく意味が分からない。
「あはは、全く分からないって顔をしてる」
「そりゃそうだよ。急にあの世って言われても」
そういうと、祐樹はニヤリと笑った。
「本当だって、死んだ人たちはそこから来て、そこに帰るんだよ」
「その死んだ人、何しに来てるんだよ」
「友達と遊ぶため?」
「おい、急に適当かよ。絶対嘘だろ」
「あ、バレた?」
「途中まで信じかけたのに、急に雑になったぞ」
「ゴメンゴメン」
祐樹は笑いながら謝ってくる。
と、ふいに祐樹は立ち止まった。
「あ、僕はこっちだから」
祐樹は脇道を指さす。
「え?お前の家って、もうちょい先だったろ」
「ううん、こっちで合ってる」
引っ越したのか?
そう言おうとして、言葉が出てこなかった。
祐樹の指を差している脇道にだけ、雨が降っていたからだ。
雲が出ていないのに雨粒が落ちて、道路が黒く塗れている。
「えっと、そっち雨降ってるぞ」
「うん、《《雨が降ってるから》》こっちなんだ」
言うべきか迷った上での言葉も、あっさりと答えが返ってくる。
「バイバイ、またね」
「ああ」
祐樹は何事もなかったかの様に、手を大きく振りながら雨の中を歩いていく。
と、ふと急に祐樹の姿が消える。
隠れる場所なんて無いのに、どこにも祐樹の姿は無かった。
急に涙が出てきた。
なんで忘れていたんだろう。
祐樹はもう死んでいるのに。
一年前のこの日、暴走する車に轢かれて死んだアイツ。
『友だちと遊ぶため?』
祐樹はそう言った。
俺に会いに来てくれたのか……
俺は今はいない友に思いながら、雨に濡れた道路を見つめたのだった