猫宮さと

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8/30/2024, 4:41:03 AM

《言葉はいらない、ただ・・・》

夜、ふと目を覚ました私は、自分が何故か真っ白い猫になっている事に気付いた。
鏡で見ると、毛色と瞳は自分の色そのまま。白毛で赤紫の瞳の猫がそこに映っていた。

『うわ…猫になってる…これ、どうしよう…』

この真夜中に彼に迷惑が掛からないよう何とか悲鳴を堪えてはみたけれど、その声も猫の威嚇音そのもので人語での会話は到底不可能っぽい。

ぼんやりとした記憶を辿ると、夢現の中で聞こえた声が蘇る。

あなたの本当の望みに気付けた時、元の姿を取り戻せるでしょう。

それは、地の底から響くような低い声で。いったい、何がどうしてこうなったんだろう。
とにかく、私の本当の望みを見つけるしか戻る手立てはないみたい。
本当の望み…彼とこうして一緒にいられる事で満足してるのに、どうやって見つければいいのか。
見つからなかったら、ずっと…このまま?
人間に戻れないままで彼と一緒に暮らすの? いや、暮らしていけるの?

どうしよう。分からない。怖い。

私はどうしようもない不安に襲われながら庭を走り、彼のいる部屋へ向かった。
とにかく今は、彼の顔が見たい。自分の姿が猫に変わった不安でただ一杯になった私は、その事しか考えられなくなっていた。

彼の寝室の手前にある書斎の窓からは、明かりが漏れている。
まだお仕事してるんだ。こんな夜遅くまで。
いつも帝国の為に頑張っている彼を思うと、猫の姿でも涙が出そうになる。

書斎の窓に近付き見上げると、風を通すためか開け放たれている。
この位の高さなら、間違いなく飛び乗れる。
せーの! と心の中の掛け声を合図にジャンプする。庭を走っているうちに身体を使うのに慣れたのか、想像以上にスムーズに飛び乗ることができた。

窓枠に着地して部屋の中を見ると、ちょうど書類を書き終えたのか、机に向かっている彼がペンを置いたところだった。
昼間は本部の執務室でその様子を見てるけど、真夜中まで根を詰めているなんて。身体を壊さないでほしいな。

ここに来た目的すら忘れて見入っていると、椅子に座ったまま窓を向いた彼と目が合った。
窓の外から差し込む月の光に照らされた彼の顔はとても綺麗で、私は我を忘れて見惚れていた。
彼の顔が見れた。よかった。本当に、よかった。

私は、思わず彼の名を呟いた。
それでもその音は思った形にはならず、口から出たのは小さな猫の声。
その自分の声で何故必死になってここに来たのかを思い出した私は、窓枠から飛び降りて彼の足元に向かった。

彼は、そんな私の様子を椅子に座ったまま黙って見つめていた。
そうして彼の手前に辿り着き、床に腰を下ろしてふと気が付いた。
そうだ。そもそもこの部屋に動物…猫が入り込んで大丈夫だったのかな。

自分の身体の異常に気を取られて考えていなかった。もしかしたら、今もう彼に迷惑を掛けてしまったかもしれない。

『ごめんなさい…。』

当然ながら口には出せないその言葉を、それでも伝えたいと口にする。
気が付いた事実に落ち込み、うなだれてしまう。
どうして後先考えずに動いてしまったんだろう。もっと彼の事をよく考えていれば、こんな軽率な事はしなかったのに。

すると、頭の上から彼の優しい声がした。

「いいよ。おいで。」

いつも話し掛けてくれる時の口調とは違う、砕けた言葉遣い。
そこに、逆に彼の優しさを感じた。相手を気遣わせまいとする、彼の優しさを。
見上げれば、彼は柔らかく微笑みながら私に手を差し出してくれている。

いい…のかな。
私は、少し緊張しながら彼の手に近付き、指先にほんの少し額を付けた。
それだけでも、ちょっと不安が溶け出した。

彼の指先の暖かさにホッとしていると、それが不意に離される。
その温もりを名残惜しむ暇もなく、その手は私の首筋に周り優しく背中を撫でられる。

嬉しい。あったかいな。
その喜びの大きさに驚いたけれど、それを上回る嬉しさと撫でてくれる手の暖かさに、私の不安はどんどんかき消されていく。
嬉しくて、嬉しくて。猫である私の喉からは、意識せずともゴロゴロと喜びの証の音が鳴る。

背中を撫でる彼の大きな手にうっとりしていると、突然私の身体が宙に浮く。
彼が私の前足脇から両手を入れて持ち上げたのだ。
突然の事にびっくりはしたけれど、彼は絶対に乱暴な事はしない。
それを知っている私は、彼のなすがままに身体の力を抜いていた。

彼の優しい顔に、私の身体が近付いて行く。
そして私はすとんと彼の膝に降ろされ、またさっきと同じように首筋から背中に掛けて撫でられた。

私は彼の膝に座り、その身を任せていた。
彼は何度も猫の私の背をを撫でながら、柔らかい蕩けるような笑みを浮かべてる。
猫に変わってしまった不安は、もうどこにもなくなった。
話せなくともあなたの笑顔で、掌で心はこんなにも満たされる。
ここが私の、一番安らげるところ。
こんな風に、言葉はなくてもいいから心を通わせていたいな。

目を閉じてそんな幸せを噛み締めていたら、額にふにっと暖かい感触が。
ハッとして目を開くと、視界は彼の頬で埋まっている。
彼が、私の額に頬を寄せたんだ。

微かに見える彼の横顔は、猫の温もりを堪能しているのか心底嬉しそうで、心なしか頬も上気してるみたい。
よかった。あなたも嬉しそうで。
私は溢れ出る想いを伝えようと、彼の頬に何度も顔を擦り寄せる。
あなたが喜んでくれると、私も嬉しい。
高鳴る喉の音。気持ちが伝わるといいな。

すると、ふと彼が真正面から私の目を真っ直ぐ見つめてきた。
その瞳は包み込むように暖かく、ひたすらに真摯な光を灯していた。

「僕は、あなたが愛おしい。あなたと一緒に暮らしてみたい。」

私は、ハッとした。

言葉はなくていい。そんな事をさっきまでは思っていた。
でも。それでも、やっぱり。
元の姿で、その言葉が聞きたい。

あなたが私といることで、大きな喜びを感じてほしい。
そして、それを言葉にしてほしい。

やっぱり私は、とんだ贅沢者だ。
あなたから闇の者と疑いを掛けられてる今の私には、決して手が届かないもの。
それでもその両方が、私の欲しいもの。

私は、彼の瞳を見つめ返した。
心臓が破けそうなくらい、鳴り響いてる。
でも、この姿だから。許してね。

私は彼の頬に一度だけ額を擦り付けて。
そして、猫の舌でその頬を舐めた。
ざらつく部分はなるべく触れないように、そっと。

『…ごめんね。』

私は猫の声でそう呟くと、その手に捕まらないうちにサッと彼の膝から降りて窓へと走った。

「あ…!」

背後で、彼の声がした。
びっくりさせちゃったかな。ほっぺたにあんなことしちゃって…。

窓に飛び乗り、腰を降ろして振り向き彼を見る。
月の光に照らされた彼は追いすがるように私を見つめ、私を撫でていた手をこちらに伸ばしてくれていた。

その想いを、受け取りたい。
けれど、ごめんなさい。猫の姿じゃダメなんだ。
それは、私の本当の望みじゃないから。

身体の奥で、激しい脈動を感じる。
本能で感じる。元の身体に戻れるのだと。

愛おしいと言ってくれて、ありがとう。
その言葉を胸にしまって、これからも咲ってあなたの隣に立っていたいから。
だから。

『また、明日!』

私は最後に彼に告げ、書斎の窓から庭へ駆け出した。
彼に見咎められないよう、身を隠しながら自分の寝室へ走る。
慌てて寝室の窓から部屋に戻れば、その瞬間に身体は元に戻っていた。

それがあなたの望みですか。精々叶うとよいですね。

窓の外、月の光で白く輝く庭。その地の下から声なき声が低く響いたような気がした。

8/29/2024, 8:26:56 AM

《突然の君の訪問。》

夜も更け、白い月が頭上に満ちて光を放っている。
僕が持ち帰った本日分の書類の整理を終えて、眠りに就こうかという時だった。
日中の暑い空気を逃がすために開け放していた窓に、一匹の白猫が佇んでいた。

猫特有のしなやかな身体を包む毛並みは美しく、月の光を浴びて白銀に輝いている。
背後の窓の外に広がる夜の闇とのコントラストが映えて、とても幻想的だ。
丸く大きな瞳は不思議な赤紫色で、それがこの猫のこの世ならざるもののような雰囲気を醸し出している。
瞳孔は夜の逆光の為か丸く、そこに怯えの様子は全く見られない。
その瞳は何かを訴えかけるように、じっと僕を見つめていた。

白猫は小さく鳴くと音もなく床に降り立ち、椅子に腰掛ける僕の足元に近付いて来る。
室内に見知らぬ動物が入り込んだが、どうしてか僕はそれを止める気にはなれなかった。

白猫は僕の顔を見ながら手前まで来ると、その場に立ち止まり座り込んだ。
そしてまた一声小さく鳴くと、その視線を床に落として俯いた。

その姿は、まるで謝罪をしているように見えた。
すみません、ごめんなさい、と。
白猫は、何も悪さを働いていないのに。

「いいよ。おいで。」
僕は椅子に掛けたまま、手を差し出した。
すると白猫はハッと僕の顔を見上げた後、おずおずと歩み寄り差し出した手の指先に額をそっと触れさせた。

僕の部屋を突然訪れ、僕に怯えている様子は全く感じられないのに、その行動は妙に気弱なところがある。
この白猫の行動はどこかチグハグだが、とても身近な暖かさを感じる。

以前彼女が庭で猫を撫でていた様を思い浮かべ、それに倣うように白猫の首筋から背中に沿って手を滑らせる。
白猫は一瞬赤紫の目を見開くと、その後は目を細めて気持ち良さそうに喉を鳴らし始めた。
ずいぶんと無抵抗で、人懐っこく暖かい。
完全に僕の手を信じ切っている。

僕は試しに、白猫の両脇に手を添えてその身を持ち上げる。
その目は驚きに満ちていたが、細身の身体はだらりと無抵抗のまま僕の手により床から離された。
持ち上げた小さな白猫を自分の膝に乗せる。
そしてまた首から背中を撫でると、その喉から再びゴロゴロと音が鳴り出した。

白猫の全身から漂う僕への安心感と信頼感は、僕の心の奥まで優しく染み渡る。
僕は、その優しさにつられて目を瞑り白猫に頬を寄せた。そして、小さな額に頬を触れさせる。
一瞬だけ喉の音が弱まったが、白猫は更に大きく喉を鳴らせながら僕の頬にその額を、ヒゲの映えた口元を何度も擦り寄せてくれた。
それは本当に暖かく柔らかく、すらりと伸びたヒゲが擦れる感触が少しこそばゆく、それすらも心をどんどん暖めていった。

ああ、これが愛おしいという気持ちなのだな。

率直にそう感じた僕は、目を開いて白猫を見つめ呟いた。

「僕は、あなたが愛おしい。あなたと一緒に暮らしてみたい。」

すると白猫は喉を鳴らすのを止め、しばし僕の瞳をじっと見つめ返したかと思うと一度だけ僕の頬に顔を擦り寄せ、小さくざらついた舌で頬を舐めた。
そして切なげにその口から鳴き声を漏らすと、素早く僕の膝から降りて窓へと駆けて行った。

「あ…!」

僕は、白猫を怯えさせてしまったのだろうか。
何か気を悪くする事をしてしまったのだろうか。

僕は先程まで白猫を撫でていた手を伸ばし、その背中に追い付こうとした。
白猫はその僕の意思に応えるかのように開いた窓の縁に立ち止まり、腰を落ち着けこちらを向いた。

その姿は、現れた時とまるで同じ。
宵闇を背にし月影を受け佇む姿は、白銀に煌めいて美しく。
赤紫の瞳は、切なげに僕の姿を捕らえていて。
微かにその頭が横に振られたかに見えた。

不意に、その白猫に今は眠っているであろう彼女の姿が重なった。
ごめんなさい、と淋しげに謝る彼女の姿が。
ありがとう、とそれでも微笑む彼女の顔が。

僕がそれに心を囚われて身動きが取れずにいた瞬間、白猫は高く声を上げると窓の外へと姿を消した。

気を取り直し窓辺に駆け寄るも、既にあの白猫の姿は無く、そこには庭の草木が白い月の光を受けながら風にそよいでいるだけだった。

8/28/2024, 5:49:18 AM

《雨に佇む》

僕が買い物帰りに急な通り雨に降られ軒下に佇んでいると、屋根の裏側に小鳥が二羽止まっているのが目に入った。

彼らも雨宿りなのだろうか。その丸くて小さな身体を互いに寄せ合って時折囀る様は、非常に仲睦まじく見える。
この二羽は、番なのだろうか。

鳥も生き物としては雨に比較的強いと言えど、飛び辛く餌を確保し辛い状況はなるべく避けたい事態だろう。
こんな辛い時でも共にある相手に恵まれているのは、彼らにとっては本当に幸いだろう。

雨は、少し小降りになってきた。
降り止んだら、急いで帰ろう。彼女の待つ、僕の家へ。

8/27/2024, 1:30:27 AM

《私の日記帳》

窓の外は太陽が雲で覆われて、薄暗くなり始めてきた。
私は手持ち無沙汰になった状態で、ぼんやりと外を眺めていた。

あっちに置いてきた物は、どうなってるんだろう。
いつも読んでいた本。毎日起動させていたゲーム機。

ああ、こういう時の定番って、日記帳だなぁ。
行方不明になる直前の内容が、事件の核心に触れている。
事件に繋がる描写だったり、人外に変貌していく様子が記されてたり。

まあ、私の日記は大抵三日坊主で終わってたんですけどね。
何回かチャレンジはしてたけれど。

…だからこそ、見られると恥ずかしいんだよね。
『こいつ続かないのに何冊も日記帳買って、懲りない奴だな。』
とか絶対思われてる。

それに日常の事はネットで呟いてたから、むしろそっちの方が見られたら恥ずかしいかも。
本名を使わずHNで登録してた分、本音がダダ漏れだったり。
うん。そっちの方が羞恥心で死ねる。

空は本格的に雲に覆われて、窓からはパタパタと夏の名残の雨の音。

今こうして彼の傍にいることに、後悔は全くない。
けれど、置いてきたものに心残りはほんの少しだけある。

8/26/2024, 2:57:19 AM

《向かい合わせ》

今日は空も青く、明るい日の光で空気は強く温められているが穏やかな風が吹き、比較的爽やかな日だ。

自宅の僕の書斎から見えるいつもの木の根元に、彼女が座っている。寄りかかって昼寝をしているようだ。
そよ風に煽られさわさわとそよぐ木の葉と共に、彼女の透けるような白銀の髪も揺らぐ。
木陰で眠るその表情は、とても安らかだ。

すると、どこからか赤茶の縞の猫が優雅に歩いてきた。
猫は木に近付くと、それが当たり前であるかのように彼女の膝に乗り、正面から向かい合わせる体勢で腰を降ろした。
ずいぶんと人に慣れている猫だ。どこかの飼い猫なのだろうか。

その時ほんの少し彼女の頭がぴくりと動いたが、その瞼は下りたまま。
猫は、そんな彼女の顔に自分の顔を近付け、彼女の口元を小さな舌でぺろりと一舐めした。

猫の舌は、ざらついた構造をしている。
おそらくその為だろう。彼女はゆるりと瞼を半分程上げ目の前の猫に気が付くと、嬉しそうに柔らかく微笑んで猫の首筋を撫で始めた。

するり、するりと彼女の白い手が、赤茶縞の毛の上を何度も滑る。
猫も心地好さそうに目を細めると、彼女の頬に額を擦り寄せた。
彼女の表情は更に笑み崩れ、赤茶の後頭部から背中までを念入りに撫でていた。

その様子は、とても緩やかで優しくて、穏やかだ。
ふわり吹き抜ける風も、柔らかな空気を運び込むかのようだ。

ずっと見ていたくなる。そんな光景の筈なのに。
今は彼女の首元に顔を寄せ、身体を持たれかけている猫にどうしても意識が向く。
すると、心の奥に微かに擡げている想いに気付く。

あの空気に、共に包まれたい。

その想いは、あの猫と彼女の穏やかな佇まいから来る物か。
それとも、もっと違うところから来る物か。

何れは、自分の心と真剣に向き合って答えを見つける事になりそうだ。

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