猫宮さと

Open App
8/14/2024, 10:44:44 PM

《自転車に乗って》

私は今、彼の漕ぐ自転車の後部に乗り、下り坂で思い切り風を切りながら。

『…………ひっ!』

……声にならない悲鳴を上げています。


事の始まりは、帝都の過去の技術を改めて見聞し体験しようという研究の一環。
輸送機器の中でも少人数用乗物担当の人達が、今普通に使われている宙に浮かんで走るタイプの乗物以前の物を復刻させてみようという事で、資料に残されていた自転車を数台作り上げたそう。
エンジンが付いていないとは言っても乗り物なので、当然正確に作ることが求められる。そこはさすが帝都の技術者。完璧だった。

ここまでなら、おお凄い、の一言ですむんだけど。
その担当の人達が嬉しそうに彼の元へやってきて、

「二人乗りも含めて安全性のテストは済んでおりますので、是非お試し下さい!」

なんて嬉しそうに試作品を持って来たのが、私の運の尽き。

機械文明が一番発達してる帝都で生まれ育った彼は、人力で動く乗り物にはさほど縁がなかった。
帝都は彼が生まれる直前くらいに機械技術の頂点を極め、乗り物はただの電動ならともかく地面から10センチほど浮いて走るタイプが主流。
比べて他国は逆に機械がほぼ導入されていないから、大使として赴任していた時はリヤカーなどの単純な作りの車両は見ていた彼。
そのせいか、人力の自転車という試作品に興味津津で。

「なるほど、ここがハンドル部分で、これを握るとブレーキが働くわけですね。」

などと技術担当の人達から説明を受けながら、彼は走行練習を熱心にしていた。
最初のうちこそバランス取りや速度の調整に苦心していたけれど、そこはさすが軍人として戦ってきた人。
持ち前の体幹のよさもあって、15分も経てばスイスイと乗りこなすようになっていた。

その時の様子は、まさに喜色満面。
幼い頃から家族に虐げられて、軍人として育てられてきたからかな。
大掛かりな軍用機や飛空船に仕事などで乗る機会はあっても、純粋に乗り物に乗って楽しむことはなかったんだろうな。
普段は真面目で堅実な彼が、時折スピードを上げたりしながら、笑い声さえ聞こえてくるくらい楽しそうで。

大人になってからでも、彼がこんな風に無邪気に楽しめて本当によかった。

私も嬉しくて頬を緩ませながら様子を見ていたら。

「そうだ。僕が漕ぎますから、後ろに乗ってみませんか?」

と、それはもう無邪気な笑顔で。

これを断れる私ではありません。ええ。
気が付けば即座に快諾し、スカートを巻き込まないようにしながら彼の座る座席の後ろに腰掛けておりました。

「ちゃんと掴まっていてくださいね。」

と言われたので、軽く彼の腰に手を回す。
う、初めてでドキドキする。

「では、行きますよ。」

そう言った彼は、ペダルに掛けた足に体重を乗せゆったりと発車した。

ふわ、と体重が移動する。
あわてて前に自分の体重を移動させる。
緩い上り坂もあるからか、ゆったりと走っていく車体。
緩やかに揺れる彼の背中。
少しだけ彼の背中を掠めた頬が、熱くなる。
身体の横をすり抜ける風が、少しずつ速くなっていく。
ドキドキしながらも重心の移動に気を付けていると、前から弾むような声が掛かった。

「バランスとか大丈夫ですか?」

ああ、凄く楽しそう。幸せだな。そう噛み締めながら、

「はい、大丈夫です!」

と答えたら、ふふ、と笑い声。

「ああ、ここから下り坂ですね。少し速度が上がりますのでしっかり掴まっていてください。」

え? はい?
坂道?

前が見えていない私は気が付かなかった。
今までは、緩やかだけど確かに上り坂だった。
上った先には、当然下り坂があるわけで。

彼は座席に腰を落ち着けると、ペダルから足を離した。

ここで、一つ。
私、実は絶叫マシン系が大の苦手でして。
そんな物があるわけがないこの環境。今までそんな話に私が触れているはずもなく。

重力に任せて下っていく、二人乗りの自転車。

そして冒頭のとおり、私は声なき悲鳴を上げることに。


い…いやーー!!
ちょ、ちょっと! ホント速過ぎるスピード落としてーー!!

多分、時速としては30キロ行ってるかどうか。
それでも、怖いものは怖いのよダメなのよ!!

恐怖に煽られて、無我夢中で彼の背中に力一杯しがみつく。
急に力を入れたからか、その背中からびくりと動きが伝わってきた。
何で驚いてるの。驚いてるのこっちだから!
ちょっと今はごめん必死過ぎて構っていられない!

坂道を下る速度と重力に耐えかねて、強く目を瞑って彼の背中にしがみつき続ける。
何も考えられなくなった頃、気が付けば乗っていた自転車はその動きを止めていた。

座りながら、とりあえず地面に足を着く。
自転車を漕いでいるのは私ではないにも関わらず、私の息はもう絶え絶えで。
心臓は、これ以上ないほどバクバク跳ねている。
言葉を悪く言えば、跳ね散らかすという表現がしっくり来るくらい。
こんな精神に来る思いは、どれくらいぶりだろう…。

私がそのままの体勢で呆然としていると、彼が申し訳なさげに話しかけてくる。

「あー…すみません。調子に乗り過ぎてしまいました。大丈夫でしたか?」

さすがに、ちょっとこれは。

「…あんまりだいじょばないです…。」

いつもは慎重に行動する貴方が!

子供か!
ジェンダー恐れず言わせてもらいます!
初めての乗り物を前にすると!
男は皆!
子供になるのか!

目を瞑ったまましがみついた腕に力を込めると、寄りかかったところと回した手からドクンドクンと早くて強い音が。
あれ? そういえば私がしがみついてたのは…?

目を開いて冷静になると、自分の行動のとんでもなさに仰天した。
慌てて身体を起こし彼から手を離そうとしたけれど、それは大きな手に包みこまれて叶わなかった。

「…本当にすみませんでした…。」

その囁くような声音は、しょんぼりしたから?
それとも…。

「…いいです…。」

どちらにしても、こう答えるしかなかった。
あなたには話せていないけれど、あなたの辛い過去も知っているから。
こんな行動も、いいです、と。

8/13/2024, 10:36:23 PM

《心の健康》

ある休みの昼下がり。
私と彼は、喫茶店でこの時期限定の白桃のタルトを食べていた。

サクサクに焼かれたショートクラスト生地の上に甘さ控え目のカスタードクリーム。そこにぷるっぷるに実った白桃が隙間なく乗せられて、艶出しのゼリーが塗られた上にはちょこんとミントの葉。
きつね色、黄色、薄ピンク、緑色と、目に入る色だけでも美味しそうなそれは、一口頬張ると新鮮なバターと小麦粉のサクッとした食感に卵とミルクの風味豊かな蕩けるクリーム、ジューシーな桃の爽やかな果汁と香りが口中に広がって。

おいしーい!

最高に幸せな気分でタルトを噛みしめる。
二人でこんな美味しい物が味わえるとか、もう幸せ過ぎる。
そのままちらりと目の前に座る彼を見れば、彼はリラックスした様子でアイスブラックティーを飲んでいる。
よかった。私が食べたいと言ったからここに来たから、私だけが楽しんでいたらどうしようかと思ったけれど、少なくとも寛いでくれているみたい。

ホッとしたところで、ふと思った事を口にした。
もちろん、タルトを飲み込んでから。

「あの、以前一人の時はどんな風にお休みを過ごしてたんですか?」

私は、セットで頼んだアイスオレンジティーを口に含んだ。バターと卵の風味に、オレンジの酸味と紅茶の仄かな苦みがよく合う。白桃の甘みも際立たせてくれる。

彼は口にしていたアイスティーをテーブルに置いて視線を下に向け、しばし考える。
スラリとしたラインの顎に、長い指を軽く握った手を添える。その拍子に、顔の横で切り揃えられた髪がサラリと揺れる。ほんの少しだけ開いている唇も形が綺麗で。

「そうですね。溜まった書類の整理や周辺諸国のマナーや文化の勉強、後は鈍らないように自宅で出来る基礎訓練といったところでしょうか。」

あ、あれ?
私、確かに今お休みについて聞いたよね?

「えっと…お休み、ですか?」

念の為聞き直すと、視線を私の方に向けられ、しれっとした様子で即答される。

「はい。慣れない国政を任せられた事もあったので、余暇も時間を上手に使おうと励んでましたね。」


休 み と は 一 体 。


うん。貴方を甘く見てました。
ある程度予想はしてたけれど、これは完全なるワーカーホリック。
私は、遠い目で虚空を見つめた。

それでなくとも真面目な彼は、幼い頃から家族に疎まれてた事もあって、休むのが習慣付いていないのかもしれない。気が休まらない環境で育つと、暗い思考に陥らないように色々詰め込みがちになるんだよね。
だから貴方の使う技には、無意識で鬱屈を晴らさんばかりの殴打の連続とかあったのよね。
分かってた。分かってたつもりだったけど。

ん?
じゃあ、今は?

以前もそんな風に休みも時間目一杯使っていたのに、今みたいに私の都合に時間使って大丈夫なの?
ストレス発散、出来てるの?

今更ながら気が付いた状況に、血の気が引く。
まさかこの分は今日の睡眠時間を削って、なんて状況じゃないよね?
ストレスも酷い事になってしまうかも。

私は、オレンジティーをことりとテーブルに置く。
申し訳なくて、視線をそのグラスの氷から外せなかった。

「ごめんなさい、もしかして足りない時間を割かせてしまいましたか…?」

正直、疲れている。もっと有意義に時間を使いたい。
頭に浮かんだ返ってくるであろう答えに怯えながら、聞いてみた。

すると、テーブルの向こうから溜め息が聞こえてきた。
私は、びくりと肩に力が入った。

「謝ることはありませんよ。最近はむしろ、時間が余っているくらいですから。」

「はえ?」

驚いて、勢いで顔を上げる。返事を噛んでしまった。恥ずかしい。
グラスの氷を見つめていた視線を彼に向ければ、くつくつと笑う彼の明るい表情。

「以前に比べて上手く気分転換が出来ているのか、最近はやたらと仕事が捗るんですよ。」

そう言って、彼は自分のフォークから白桃のタルトを一口含んだ。
端が上がった唇の中からは、サクサクとリズミカルな音が。
そして、こくりと動く喉仏。

「うん、美味しい。貴女の食べている顔から美味しいだろうとは思っていましたが。」

ふわりと微笑む彼の、ストレートな感想。
うわ、さっきの食べてる時の顔、そんな風に見られてたの?
なんかそう言われちゃうと、凄く恥ずかしいんですけど。

「ですから、むしろ色々な所に誘って僕の世界を広げてください。貴女と出掛けるのは、存外心地好い。」

返ってきたのは、予想外に嬉し過ぎる言葉に心に刺さる笑顔だった。
私、ほんの少しでも貴方の助けになってたんだ。

考えていた結果と真逆の感情で埋め尽くされて全く思考の回らなくなった頭では、声も出す事が出来ない。それなのに、頬の熱は一瞬で全身に回る。
熱を誤魔化すために冷たいオレンジティーのグラスを手に取って、私は必死に何度も頷いた。

8/12/2024, 11:32:52 PM

《君の奏でる音楽》

涼風にさざめく草木
少し緩くなった窓からの日差し
真剣な顔で机に向かう貴方
長い指がめくる紙
滑らかに紙の上を走るペン
微かに届く緩やかな吐息
貴方の音を余さず聞き取りたくて
私は静かに目を瞑った
貴方の紡ぐ音に私の奥から響く想いが重なって
忘れられない音楽になった


僕の悲しみに涙し
僕への理不尽に怒り
僕の幸運を喜ぶその人は
あちこちに視線を踊らせ
楽しそうに声を上げて笑い
跳ねるように駆けて行く
数多の行動は時に僕を驚かせるけれど
それはまるで狂詩曲のようで
いつも僕に笑顔を運んでくれる
疑念は徐々に小さく
心の温もりは大きくなっていく
その急速な変化に気付いて望んだ
二人で歌う終わりのない歌を

8/12/2024, 3:19:01 AM

《麦わら帽子》

夏の晴れた空の下。
一面のグラジオラスが色とりどりの花を連ならせ、その緑の葉を勝者の剣の如く天へと掲げている。

そこに見える、麦わら帽子。
ブリムは広く、強過ぎる日差しから持ち主である少女の華奢な肩をも守っている。
麦わら帽子の下から伸びる豊かな白銀の髪は、細い腰に届かんばかりの長さでふわふわと風に踊る。

少女は片手に桃色のグラジオラスの束を抱え、もう片方の手は風に煽られぬよう麦わら帽子に手を添え、薄黄色のチェック柄のワンピースを風に揺らめかせながら濃い青の空を眺めていた。

真正面から、風が吹き抜ける。

ブリムの広い麦わら帽子はその風をまともに受け、空高く飛び立たんばかり。
ふわり、浮いた帽子に少女は慌てて手を伸ばす。

しかし、帽子は飛ぶことは叶わなかった。
後ろからそっと上から添えられた温もりに、その飛行は遮られる。

ハッと少女が振り向けば、そこには少女の麦わら帽子に手を添えた赤髪の青年が、優しい笑みを湛えていた。

目を合わせた少女もまた満面の笑みで答え、青年にそっと桃色のグラジオラスを手渡した。



桃色のグラジオラスの花言葉「たゆまぬ努力」「ひたむきな愛」「満足」

8/11/2024, 4:58:38 AM

《終点》

運命とは時に些細な切っ掛けから流れを変え、思わぬところへ世界を辿り着かせる。

それは、ほんの少し昔のこと。
ある美しい若者は、恋をしていた。
相手は、若者の上役。仕事はよく出来、人を見る目があり平和を愛し、何より美しいものが大好きだった。
二人は想いを通わせて、若者は職務中も上役の傍に置かれ、その仕事の補佐をしていた。

上役は、平和のために国の頂に立ちたいと願っていた。
若者は、そんな愛する上役の役に立ちたいと誠心誠意尽くした。
上役の必要を先読みし、環境を心地好く整える。その部下も手厚く遇し、上役の頼みが叶えられるよう手助けをする。
そして上役が心に住まう伝説の不思議な存在と対話するなら、その場を離れ静かに集中出来る環境を保つ。

若者は、心の底から上役を愛し、信じていた。
その絆は遠い未来、互いの命が果てるまで穏やかに続くものと。

ところが、それは突然終わりを告げた。
気持ちのすれ違い、などではなかった。

上役が自らの野望を遂げ国を掌握しようかというその時、若者に言い放ったのだ。

お前は、もう用済みだ。
これから醜く老いてゆくだけのお前を、傍に置いておくつもりはない、と。

そう。上役の全てが嘘だったのだ。

他者を思いやり、平和を愛する心も。
伝説の不思議な存在が心にいることも。

若者を、心から愛しているということも。

全てが嘘で塗り固められていた。

若者の想いは踏み躙られ、粉々に砕け散った。
上役への愛が全てであった若者の心は、ぽっかりと空洞が開いた。
希望の光一つない、漆黒の空洞が。
何故こんなことになったのか。何がいけなかったのか。
自分が若く老いぬ身であれば、捨てられることはなかったのか。
自分は今、何処へ向かえばいいのか。
漆黒の中では、その答えを探す事すら叶わなかった。

後に上役はある者らに討ち取られ、悪しきとは言え国はその頂に立つ者を失った。
その時、若者に声が掛かった。

次の皇帝はあなたしかいない、と。

若者は、思った。
自分を嘲笑ったかの人が求めてやまなかった全てを、この手に納めよう。
そう。若く老いぬ美しささえも。
そのためなら、どんな手段も厭わない。
己の辿り着くべき先は、ここにあったのだ。

若者の心の漆黒は、闇に見出された。
古の封印より自らの復活を企てる、悍ましい闇に。
長きに渡る孤独と苦痛を晴らさんとする、闇に染まりし悲しき神々の意思に。

その少し未来となった今。
その皇帝も、肥大した自らの闇と共に葬られた。
少女は、祈る。
その魂に、救いがありますように。
闇が晴れ、自らの行いを正しく省みることで真に報われ、次の幸福な生へと辿り着けますように。

Next