猫宮さと

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《心の健康》

ある休みの昼下がり。
私と彼は、喫茶店でこの時期限定の白桃のタルトを食べていた。

サクサクに焼かれたショートクラスト生地の上に甘さ控え目のカスタードクリーム。そこにぷるっぷるに実った白桃が隙間なく乗せられて、艶出しのゼリーが塗られた上にはちょこんとミントの葉。
きつね色、黄色、薄ピンク、緑色と、目に入る色だけでも美味しそうなそれは、一口頬張ると新鮮なバターと小麦粉のサクッとした食感に卵とミルクの風味豊かな蕩けるクリーム、ジューシーな桃の爽やかな果汁と香りが口中に広がって。

おいしーい!

最高に幸せな気分でタルトを噛みしめる。
二人でこんな美味しい物が味わえるとか、もう幸せ過ぎる。
そのままちらりと目の前に座る彼を見れば、彼はリラックスした様子でアイスブラックティーを飲んでいる。
よかった。私が食べたいと言ったからここに来たから、私だけが楽しんでいたらどうしようかと思ったけれど、少なくとも寛いでくれているみたい。

ホッとしたところで、ふと思った事を口にした。
もちろん、タルトを飲み込んでから。

「あの、以前一人の時はどんな風にお休みを過ごしてたんですか?」

私は、セットで頼んだアイスオレンジティーを口に含んだ。バターと卵の風味に、オレンジの酸味と紅茶の仄かな苦みがよく合う。白桃の甘みも際立たせてくれる。

彼は口にしていたアイスティーをテーブルに置いて視線を下に向け、しばし考える。
スラリとしたラインの顎に、長い指を軽く握った手を添える。その拍子に、顔の横で切り揃えられた髪がサラリと揺れる。ほんの少しだけ開いている唇も形が綺麗で。

「そうですね。溜まった書類の整理や周辺諸国のマナーや文化の勉強、後は鈍らないように自宅で出来る基礎訓練といったところでしょうか。」

あ、あれ?
私、確かに今お休みについて聞いたよね?

「えっと…お休み、ですか?」

念の為聞き直すと、視線を私の方に向けられ、しれっとした様子で即答される。

「はい。慣れない国政を任せられた事もあったので、余暇も時間を上手に使おうと励んでましたね。」


休 み と は 一 体 。


うん。貴方を甘く見てました。
ある程度予想はしてたけれど、これは完全なるワーカーホリック。
私は、遠い目で虚空を見つめた。

それでなくとも真面目な彼は、幼い頃から家族に疎まれてた事もあって、休むのが習慣付いていないのかもしれない。気が休まらない環境で育つと、暗い思考に陥らないように色々詰め込みがちになるんだよね。
だから貴方の使う技には、無意識で鬱屈を晴らさんばかりの殴打の連続とかあったのよね。
分かってた。分かってたつもりだったけど。

ん?
じゃあ、今は?

以前もそんな風に休みも時間目一杯使っていたのに、今みたいに私の都合に時間使って大丈夫なの?
ストレス発散、出来てるの?

今更ながら気が付いた状況に、血の気が引く。
まさかこの分は今日の睡眠時間を削って、なんて状況じゃないよね?
ストレスも酷い事になってしまうかも。

私は、オレンジティーをことりとテーブルに置く。
申し訳なくて、視線をそのグラスの氷から外せなかった。

「ごめんなさい、もしかして足りない時間を割かせてしまいましたか…?」

正直、疲れている。もっと有意義に時間を使いたい。
頭に浮かんだ返ってくるであろう答えに怯えながら、聞いてみた。

すると、テーブルの向こうから溜め息が聞こえてきた。
私は、びくりと肩に力が入った。

「謝ることはありませんよ。最近はむしろ、時間が余っているくらいですから。」

「はえ?」

驚いて、勢いで顔を上げる。返事を噛んでしまった。恥ずかしい。
グラスの氷を見つめていた視線を彼に向ければ、くつくつと笑う彼の明るい表情。

「以前に比べて上手く気分転換が出来ているのか、最近はやたらと仕事が捗るんですよ。」

そう言って、彼は自分のフォークから白桃のタルトを一口含んだ。
端が上がった唇の中からは、サクサクとリズミカルな音が。
そして、こくりと動く喉仏。

「うん、美味しい。貴女の食べている顔から美味しいだろうとは思っていましたが。」

ふわりと微笑む彼の、ストレートな感想。
うわ、さっきの食べてる時の顔、そんな風に見られてたの?
なんかそう言われちゃうと、凄く恥ずかしいんですけど。

「ですから、むしろ色々な所に誘って僕の世界を広げてください。貴女と出掛けるのは、存外心地好い。」

返ってきたのは、予想外に嬉し過ぎる言葉に心に刺さる笑顔だった。
私、ほんの少しでも貴方の助けになってたんだ。

考えていた結果と真逆の感情で埋め尽くされて全く思考の回らなくなった頭では、声も出す事が出来ない。それなのに、頬の熱は一瞬で全身に回る。
熱を誤魔化すために冷たいオレンジティーのグラスを手に取って、私は必死に何度も頷いた。

8/13/2024, 10:36:23 PM