《自転車に乗って》
私は今、彼の漕ぐ自転車の後部に乗り、下り坂で思い切り風を切りながら。
『…………ひっ!』
……声にならない悲鳴を上げています。
事の始まりは、帝都の過去の技術を改めて見聞し体験しようという研究の一環。
輸送機器の中でも少人数用乗物担当の人達が、今普通に使われている宙に浮かんで走るタイプの乗物以前の物を復刻させてみようという事で、資料に残されていた自転車を数台作り上げたそう。
エンジンが付いていないとは言っても乗り物なので、当然正確に作ることが求められる。そこはさすが帝都の技術者。完璧だった。
ここまでなら、おお凄い、の一言ですむんだけど。
その担当の人達が嬉しそうに彼の元へやってきて、
「二人乗りも含めて安全性のテストは済んでおりますので、是非お試し下さい!」
なんて嬉しそうに試作品を持って来たのが、私の運の尽き。
機械文明が一番発達してる帝都で生まれ育った彼は、人力で動く乗り物にはさほど縁がなかった。
帝都は彼が生まれる直前くらいに機械技術の頂点を極め、乗り物はただの電動ならともかく地面から10センチほど浮いて走るタイプが主流。
比べて他国は逆に機械がほぼ導入されていないから、大使として赴任していた時はリヤカーなどの単純な作りの車両は見ていた彼。
そのせいか、人力の自転車という試作品に興味津津で。
「なるほど、ここがハンドル部分で、これを握るとブレーキが働くわけですね。」
などと技術担当の人達から説明を受けながら、彼は走行練習を熱心にしていた。
最初のうちこそバランス取りや速度の調整に苦心していたけれど、そこはさすが軍人として戦ってきた人。
持ち前の体幹のよさもあって、15分も経てばスイスイと乗りこなすようになっていた。
その時の様子は、まさに喜色満面。
幼い頃から家族に虐げられて、軍人として育てられてきたからかな。
大掛かりな軍用機や飛空船に仕事などで乗る機会はあっても、純粋に乗り物に乗って楽しむことはなかったんだろうな。
普段は真面目で堅実な彼が、時折スピードを上げたりしながら、笑い声さえ聞こえてくるくらい楽しそうで。
大人になってからでも、彼がこんな風に無邪気に楽しめて本当によかった。
私も嬉しくて頬を緩ませながら様子を見ていたら。
「そうだ。僕が漕ぎますから、後ろに乗ってみませんか?」
と、それはもう無邪気な笑顔で。
これを断れる私ではありません。ええ。
気が付けば即座に快諾し、スカートを巻き込まないようにしながら彼の座る座席の後ろに腰掛けておりました。
「ちゃんと掴まっていてくださいね。」
と言われたので、軽く彼の腰に手を回す。
う、初めてでドキドキする。
「では、行きますよ。」
そう言った彼は、ペダルに掛けた足に体重を乗せゆったりと発車した。
ふわ、と体重が移動する。
あわてて前に自分の体重を移動させる。
緩い上り坂もあるからか、ゆったりと走っていく車体。
緩やかに揺れる彼の背中。
少しだけ彼の背中を掠めた頬が、熱くなる。
身体の横をすり抜ける風が、少しずつ速くなっていく。
ドキドキしながらも重心の移動に気を付けていると、前から弾むような声が掛かった。
「バランスとか大丈夫ですか?」
ああ、凄く楽しそう。幸せだな。そう噛み締めながら、
「はい、大丈夫です!」
と答えたら、ふふ、と笑い声。
「ああ、ここから下り坂ですね。少し速度が上がりますのでしっかり掴まっていてください。」
え? はい?
坂道?
前が見えていない私は気が付かなかった。
今までは、緩やかだけど確かに上り坂だった。
上った先には、当然下り坂があるわけで。
彼は座席に腰を落ち着けると、ペダルから足を離した。
ここで、一つ。
私、実は絶叫マシン系が大の苦手でして。
そんな物があるわけがないこの環境。今までそんな話に私が触れているはずもなく。
重力に任せて下っていく、二人乗りの自転車。
そして冒頭のとおり、私は声なき悲鳴を上げることに。
い…いやーー!!
ちょ、ちょっと! ホント速過ぎるスピード落としてーー!!
多分、時速としては30キロ行ってるかどうか。
それでも、怖いものは怖いのよダメなのよ!!
恐怖に煽られて、無我夢中で彼の背中に力一杯しがみつく。
急に力を入れたからか、その背中からびくりと動きが伝わってきた。
何で驚いてるの。驚いてるのこっちだから!
ちょっと今はごめん必死過ぎて構っていられない!
坂道を下る速度と重力に耐えかねて、強く目を瞑って彼の背中にしがみつき続ける。
何も考えられなくなった頃、気が付けば乗っていた自転車はその動きを止めていた。
座りながら、とりあえず地面に足を着く。
自転車を漕いでいるのは私ではないにも関わらず、私の息はもう絶え絶えで。
心臓は、これ以上ないほどバクバク跳ねている。
言葉を悪く言えば、跳ね散らかすという表現がしっくり来るくらい。
こんな精神に来る思いは、どれくらいぶりだろう…。
私がそのままの体勢で呆然としていると、彼が申し訳なさげに話しかけてくる。
「あー…すみません。調子に乗り過ぎてしまいました。大丈夫でしたか?」
さすがに、ちょっとこれは。
「…あんまりだいじょばないです…。」
いつもは慎重に行動する貴方が!
子供か!
ジェンダー恐れず言わせてもらいます!
初めての乗り物を前にすると!
男は皆!
子供になるのか!
目を瞑ったまましがみついた腕に力を込めると、寄りかかったところと回した手からドクンドクンと早くて強い音が。
あれ? そういえば私がしがみついてたのは…?
目を開いて冷静になると、自分の行動のとんでもなさに仰天した。
慌てて身体を起こし彼から手を離そうとしたけれど、それは大きな手に包みこまれて叶わなかった。
「…本当にすみませんでした…。」
その囁くような声音は、しょんぼりしたから?
それとも…。
「…いいです…。」
どちらにしても、こう答えるしかなかった。
あなたには話せていないけれど、あなたの辛い過去も知っているから。
こんな行動も、いいです、と。
8/14/2024, 10:44:44 PM