猫宮さと

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7/21/2024, 12:14:12 AM

《私の名前》
私は、自分の名前が好きではなかった。
何より、両親が嫌いだった。

自分本位で酔うと暴力的になり、家族を省みることもなかった父親。
そんな父親を疎み、その不満を私に毎日ぶつける母親。

この両親から渡された物だと考えると、自分の名前もこれっぽっちも好きにはなれなかった。

==========

今にも降り出しそうな曇天をガラス越しに見上げぼんやりしていると、気が滅入る。
やっぱり低気圧のせいかな、身体も怠い。嫌な記憶も蘇る。
ソファの背もたれに身を任せ、ふうっと息を吐く。

重なる黒雲につられて気持ちも落ちるけれど、何とか気分を変えなくちゃ。
重みを取り払おうと思わず頭を振る。

すると、背後から柔らかな低温で私の名前を呼ぶ声が。

とくん。胸に暖かいものが降り積もる。

「どうしましたか? 具合でも悪いのですか?」

振り向けば、体調を気遣ってくれる彼がまた、私の名前を呼ぶ。
壊れ物を扱うかのように、優しく大事そうに、私の名前を口にしてくれる。

とくん。また、胸がふんわり暖かい。

今までずっと、こんな事なかった。
名前を呼ばれて、とても嬉しくて、泣きたくなるなんて。

胸に降り積もった暖かさで溶けていく、昔の嫌な記憶と思い。
解けていく、私の硬くなった心。

心配を掛けまいと涙を堪えて、笑って何ともないよと彼の名前を呼び返す。
彼は雨上がりの日差しのように穏やかに笑み返しながら、私の隣に腰掛けた。

あなたが呼んでくれる私の名前だけは、一生大事な宝物。

7/20/2024, 1:40:03 AM

《視線の先には》
私はあの日、空の上で彼の命を救おうと身を投げ出し、逆に彼に命を救われた。
そして、闇の印とされていたほぼ白かった髪は銀に、同じく赤紫の瞳は青紫に変わった。
結果、彼からの闇の者としての疑いは完全に晴れて、今に至る。

それでもお互いの習慣みたいになったので、私は今も彼に伴って出勤先である本部へ来ている。

今は、昼休み。
食堂で昼食を食べ終わり、彼が食後のお茶を持ってきてくれるために席を離れていた時だった。

「失礼します。これ、読んでもらえますか?」

脇からそっと声を掛けられたのでそちらを向くと、ダークブラウンの髪の若い男性兵士が二つに折ったメモを私の目の前に置き、お辞儀をしていた。
不意を突かれたのと相手の態度が丁寧だったのもあって、私はついメモを受け取っていた。
「はい、分かりました。」

すると若い兵士はパッと顔を上げて喜んだと思えば、また深々と頭を下げて、

「ありがとうございます。それでは失礼します。」

とまた丁寧なお辞儀をして、足早に立ち去っていった。
何があったか分からないままメモを見ると、そこにはちゃんと揃えて書こうという努力が見られる文字でこう書かれていた。

『今日15時に、誰にも知らせずにこちらの場所へ来てください。
 決して危害を加えるつもりはありません。伝えたいことがあります。』

その下には、軍の所属と氏名。たぶん、さっきの人の物。
伝えたいこと…心当たりはないけど、何かあったのかな。
とりあえずメモをポケットに入れて、紅茶とデザートを持ってきてくれた彼にお礼を言った。
その時、背後の食堂出入り口の辺りから男の人達のちょっとした歓声が聞こえてきた。


15時前、私は彼にちょっと出てくる事を伝えて所定の場所に向かった。
来てみれば、ほぼ人通りのない建物の裏手。袋小路みたいなところ。
その壁際にさっきの手紙の主、ダークブラウンの髪の若い兵士が背筋を伸ばして立って、こちらを見ていた。

「すみません、お待たせしました。何のお話でしょうか?」
待たせてしまったお詫びも含めて挨拶をすると、兵士は更に姿勢を正し、ぴしっと敬礼をした。
「いえ、こちらこそご足労いただきまして申し訳ありません!」
食堂の時は声を潜めていたのだろう、その時とは全く違うキリリとした発音で挨拶が返ってきた。

「話は、ですね…。」

が、本題に入ろうとした途端に兵士は口籠った。
その表情は、かなりの緊張に包まれてて、目元も赤い。

え、私もしかして何かやらかしちゃったのかな?
つられて私も緊張してしまう。

「はい…。」

そして暫しの沈黙。
どんな内容が来るのかのハラハラもあり、気まずい空気。
その空気を取り除くかのように、兵士は一つ大きく息を吸って、切り出した。

「先にお詫びします。
 あなたのご迷惑になるだろうとも、あの方の意に背くだろうことも理解しております。」

深呼吸で気まずい空気を取り去った若い兵士は、ハキハキと口にする。
その表情は先ほどとは打って変わって、緊張は解けていないが決意にも溢れていた。

私の迷惑? 彼の意に背く?

出だしの深刻さに真剣に耳を傾ける。
その言葉は、先へと続いた。

「それでも、言わせてください。

 私は、あなたが、好、……っ!!」

す? 何?
そこまで続いた言葉が、急に途切れる。
その瞬間、兵士の顔が真っ青になり、今にも震えだしそうな目でこちらを見ている。

私? どうかしたの?
緊張と兵士の豹変に驚いて言葉も出せずに、私は思わず自分の顔を指差した。
ところが、兵士は目を逸らすことなくぶるぶると顔を横に振る。

なら視線は私の後ろか、と振り向けば。

そこには、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……という効果音を背負っていそうな迫力の彼が、無表情で立っていた。

「「……ひっ!!!!」」

口から飛び出るのを何とか押さえた悲鳴が、知らず兵士とユニゾンする。

たたた、確かにこれは震える!
でも何これ意味分かんない!!

「そこの君。」
地の底を這うような彼の声が響く。

「はっ、はい!!!!」

若い兵士は彼の声に圧倒され、ダークブラウンの髪を逆立てん勢いで姿勢を伸ばし最敬礼をした。
私も同じく圧倒され、呼ばれてもいないのに背筋がびくんと伸びた。

「現在、我が国の軍は前皇帝の侵略や弾圧行為もあり、国内外共に厳しい目で見られている状況だ。
 そんな時にこのような人気のない場所に女性を呼び出し二人きりになるなど、あらぬ誤解を受けかねない行動を取らないように。」

あ、そうだ。
3年前に邪神復活を先導していた前皇帝は、自国の下級労働者を弾圧し、他国への侵略を進めていた。
帝都の住民や上流階級は優遇されていたからむしろ現状に不満を示す人もまだ多いけど、国内の他の地域や他の国の人々は今もかなりの割合が帝国に忌避感を持っている。
私も考えなしだったな。反省しなきゃ。

しょんぼりしてる私の横で、胸を反らし空を見上げるような体勢になっている若い兵士が叫ぶように答えた。

「仰るとおりです!大変申し訳ありませんでした!!」

それを見た彼は一息の間の後、
「理解出来ればいい。持ち場に戻りなさい。」
と、兵士に指示を出した。

「承知しました!それでは失礼させていただきます!」

若い兵士は再度最敬礼を取ると、私にも頭を下げた後に一目散に兵士休憩室へ向けて走り去っていった。
その後姿を彼と二人で見送っていたけど、彼が大きく息を吐いたかのように肩を一度動かすと、くるりと私の方へ振り向いた。

怒られる!
完全に私が悪いと分かっているけど、さっきの彼の迫力に圧倒されていた私は、思わずぎゅっと目を瞑る。

「ご、ごめんなさ…」

まずは考えなしに動いたことの反省の意を示そうと謝罪を口に出した瞬間、目の前から声がした。

「本当に、心配を掛けないでください…。」

さっきとはまるで違う、不安が漏れ出たような、勢いのない声。
その声に誘われたかのように、私はおずおずと目を開いた。

するとそこには、腰をかがめ、私に目線を合わせている彼の顔。
眦を下げ、不安そうな瞳には私がはっきりと映っている。

その視線に絡め取られて動けないまま、再度私は謝罪する。

「はい、ごめんなさい。」

謝罪は聞き届けられ、彼の表情は緩く解けた。

「…何もなければ、それでいいです。」

受け入れてくれた返事の声も、緩く柔らかに解けて、いつもの彼に戻っていた。
そんな彼を見てホッとした私も全身の強張りが抜け、表情も緩む。

「それでは、戻りましょうか。」
彼はいつもの笑顔で私の手を取り、歩き出した。
私もその手を握り返して、一緒に歩き出した。

7/18/2024, 10:23:19 PM

《私だけ》
それは、とても繊細で美しい薔薇だった。

「今日は留守を預かってもらってありがとうございます。これはお土産です。」
急の呼び出しで出払っていた彼が、帰ってくると同時に箱を差し出した。

「え! 返って申し訳ないです、こちらこそありがとうございます!」
彼が隣にいない。そんな日はこちらに来てからほぼなかったので日中はかなり寂しかったけれど、まさかプレゼントをくれるなんて思わなかった。
凄く嬉しい!
正直この場で物凄く飛び跳ねたい気持ちを何とか抑えて、普通にお礼をした。

丁寧にラッピングされた箱。色使いもセンスがあって、落ち着いてるのに可愛らしい。
もう箱から素敵だな、なんて見惚れていると、彼がリビングへと私を促した。

「崩れるといけませんから、あちらのテーブルで開けましょう。」

崩れる? 何だろう?
不思議に思いつつも彼に促されるままリビングに入り、そっとテーブルに箱を置く。

お言葉に甘えてするりとサテンのリボンを解いて包みを取り、そっと蓋を開ける。

するとそこには、つやつやとした輝きを放つ真紅と青の薔薇が二輪、大きく咲き誇っていた。

「うわぁ…き、綺麗…。」

私は驚いて、薔薇に見入った。
茎のない薔薇にも関わらず、その色はあまりにも鮮やかでまるでたった今花開いたよう。
プリザーブドフラワー…はあり得ないか。
あ、これって…。

「もしかして、飴細工?」

「ああ、分かりましたか? とても綺麗だったので、店頭で僕も思わず見入ってしまったのですよ。」

答えた彼の顔が、私の隣に来る。
ふわり、微かに香るシトラス。

鼻を擽る爽やかさに胸がキュッとなるのを静めつつ、私は頷いた。

「分かります。本当に本物そっくりで、ずっと見ていたくなりますよね。」

隣に目を向けると平静を絶対に保てなくなると、私は薔薇を見つめてそう言った。
でも、それを抜きにしても本当に素敵な薔薇で、ずっと見ていたくなるくらいに見事な細工だった。

こうして並んで同じ物を見て、同じように綺麗と感じる。
そんな静かな時間も宝物のように思えて、じっと薔薇を見つめる。

鮮やかな赤。今、隣にいる彼の色。
深い青。澄み切った真夏の空の色。

二輪の薔薇、か。確か…。

と記憶を手繰っていると、隣でかさり、と音が。

「あと、これなのですが…。お店の方が付けて下さったものですが。」

と差し出してきたのは、これまた丁寧な包みの、真っ赤な薔薇が一輪。

初めて、彼から花をもらった。
しかも、赤い薔薇の花。

いいの? お店のおまけでも、これ、私が受け取っていいの?

急に飛び込んできた身に余る幸福に狼狽え言葉を失っていると、す、と彼が私の手元へ薔薇を持ってきた。

「あ…ありがとう…ございます…。」

カチコチになりながら受け取った薔薇の花。
照れ隠しに香りを楽しむふりをして顔を隠すように鼻に近づければ、赤の向こうには柔らかな彼の微笑み。

「…何故でしょう。公務での花束贈呈と違って不思議と緊張しました。」

顔を更に緩める彼が、実はこういうのは初めてで、と呟いた。

彼の耳まで届いてしまうのでは、というくらい鳴り響く鼓動。
薔薇の紅につられて、染まる頬。

私だけが受け取った、薔薇の花。
赤が二輪、青が一輪。合わせて、三輪。

喜びもひとしお。飴よりも甘い幸福にくらりと酔いしれながらも、まだまだ贅沢な自分がひっそりと顔を出す。

その意味も、本当に私だけのものになればいいな、なんて。




6月25日《繊細な花》の続きです。

赤「愛情」「告白」
青「奇跡」「神の祝福」
1本「あなたしかいない」
2本 「この世界は二人だけ」
3本 「愛しています」「告白」

7/18/2024, 8:04:54 AM

《遠い日の記憶》
ある日の事。幼い僕に、乳母が語りかけた。

「坊っちゃん、あなたは誰かを助ける心を持つ優しい人になってくださいましね。
 ただ、残念ながら優しいだけでは誰かを救う事は出来ません。誰かを救うには、それ相応の力が必要です。
 力は使い方を誤れば人を傷付ける凶器になりますが、正しく扱えば人を守る強靭な盾となります。」

その表情は真剣で、周りの空気もピンと張り詰めていた。
普段は和やかで優しい乳母だけに、その話がとても大事なものだと僕は幼いながらに悟った。

「ですから、心得て下さい。決して、力の使い方を誤らないと。
 それがどんな力であれ、です。」

乳母は揺らがぬ眼差しでその意思を確認するように僕を見つめた。

「うん…はい、わかりました。」

僕もそれに倣い、丁寧に返事を返した。
すると鋭い空気から一転、いつもの包み込むような笑顔に変わった乳母が言ってくれた。

「安心しました。坊っちゃんなら、きっと正しく力を扱って下さいますね。」


今はもう遠い昔。父上が亡くなられて少しの事だった。
齢の離れた兄姉は既に軍への道が決まっていた。
苛烈な兄姉を見て思うところがあったのか、いや、あの人の性格だろう。
普段は優しかったが、要所で厳しく必要な事を言い聞かせられていた。

確かに、力なき正義は何もないも同然だった。
非人道的な軍の作戦に反対しボイコットをしたが、結果は僕が左遷されたのみ。
あの作戦は、実行に移されてしまった。
僕に力があれば、作戦を停止出来たかもしれない。
あの村…乳母の故郷を救えたかもしれない。

そのように、意味のないたらればに頭を支配される事がある。
大抵、何かに打ちのめされた時だ。

そして、同時に逡巡することもある。
僕は、果たして力を正しく使えているのだろうか。

以前は、強力な銃。
闇の眷属を掻い潜り、邪神を倒すのに必要だった。

今は、強大な権力。
闇の眷属よりの被害も大きい、我が国を蘇らせる為。

僕は、今持てるこの力に相応しいのだろうか。
暗闇が頭に帳を降ろし、思わず立ち止まりそうになる。
そんな時は、乳母の言葉を思い返す。

「きっと正しく力を扱って下さいますね。」

そう。乳母は、僕を信じてくれた。
この言葉が、暗闇を晴らす一条の光となる。

相応しくないなら、相応しくなる努力をするまで。
国の安寧の為なら、厭わず邁進しよう。
瞼の裏の明るい未来を実現する為に。

7/16/2024, 12:54:44 PM

《空を見上げて心に浮かんだこと》
どこかのひろいそうげんを、『ふしぎないきもの』がテクテクたびをしておりました。
うまれこきょうのもりからはじめてそとにでた『ふしぎないきもの』。
みるものきくものぜんぶがはじめてばかりで、まいにちがたのしい。

くさのあいだをフワリとはしるかぜのなか、『ふしぎないきもの』はそらをみあげていました。
もりのきのあいだからみえるおそらもいいけれど、
そうげんのおそらは、てをひろげてもかかえきれない、おおきなあお。
きれいだな。すてきだな。

いつかともだちみんなとあつまって、あおいおそらをおよぐんだ。
たくさんのひとがすんでいるおおきなだいちと、ひろいうみをながめるんだ。

あれ?
『ふしぎないきもの』はかんがえました。

うみ、ってなんだろう。

このせかいは、おそらにうかんでる、ひろいだいちのうえにある。
たびをしながら、おそわったんだ。
『ふしぎないきもの』は、えらいでしょうと、むねをはりました。

だいちは、そらにうかぶもの。くもは、てのとどくだいちにうかぶもの。
でも、ぼくのこころにうかんだのは。

ぼくは、しろいくものそばをみんなといっしょにとんでいる。
でも、みどりのだいちはずっとずっとしたにある。
そのだいちのまわりを、たくさん、たくさんのあおいみずが、かこんでた。
おそらのような、きれいなあおだった。

どうして、こんなことがおもいうかんだのかな。

『ふしぎないきもの』はあたまをひねってかんがえましたが、
どうしてなのかは、おもいうかびませんでした。

それでも、こころにうかんだけしきがとてもきれいだったので、
『ふしぎないきもの』はこれまたワクワクしながら、たびをつづけるのでした。

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