《星空》
太陽が地の下へと姿を隠し、引き換えに明星が輝き、空は葵を経て青藍に変わる。
明星の光を合図に青藍にぽつりぽつりと光が灯る。
夜半にもなれば、天は天鵞絨に砕いた金剛石を散りばめたかのような輝きに満たされる。
細かな輝きは身を寄せ合い、乳白色の河となり天頂を穏やかに流れていく。
金銀の煌きを放つ赤紫の瞳の少女は、天へとその両手を伸ばす。
己が瞳の輝きと同じものを掬い取るかのように。
少女の白銀の髪が、天頂の河のように風に流れ揺らめく。
木々は囁き応えるように、緑の葉をさやさやと鳴らした。
その望みは何れに向かうか。
その願いは何処にあるか。
星々も瞬き語りかける。
泣いても良い。己が想いを捨てるなかれ。
今はその小さな想いを育む時。
彼の人の孤独。
彼の者の悔恨。
彼の方々の慈愛。
その想いが強ければ、何れ全てに手が届く。
想いは紅き弧を描き螺旋となり、全てを繋ぐ。
その時少女の指先で、星が一粒大きく煌めいた。
《神様だけが知っている》
時は大詰めを迎えた。
追う形になっていた私は苦労して策を弄し、ここに来てもう手を伸ばせば敵の背を掴める所まで追い付いた。
さあ、あともう少し。
賽は投げられた。結果は、神様だけが知っている。
「まずいぞ、これ追い付かれるんじゃねぇか?」
「畜生、逃げ切れると思ったのに…。」
ふふ。ここが勝負どころ。
本気で行くからね!
気合を入れて、私は右手を振り翳した。
「5か6!5か6来て!!」
放たれた賽は、たくさんのマスが描かれた盤上をころころと転がる。
私は彼の外交に伴って訪れた国の城で、休憩中の近衛兵達とボードゲームをしていた。
ゲーム中の所持金とゴールの順位を合わせて競うボードゲームで、勝てば高級チーズをゲット出来る。
所持金は貯めた。あとは1位でゴールすれば完全に私の勝ち。
「来るな!来るんじゃねぇ!」
「1だ!1出ろ!!」
一緒に遊んでる兵士達もヒートアップしてる。
ここの国王様は勇猛かつ温和な賢王で知られているけれど、それでも兵士の仕事はストレスが溜まるらしく、外交をする彼に帯同したとは言え何もする事のない私は時間潰しとちょっとした交流を兼ねて兵士達のストレス解消に付き合っていた。
普段とは違う相手とボードゲームがしたいというのは物凄くよく分かる。相手によって盛り上がりの反応とか違うもんね。
賽は動きを緩め、一点でくるくる回り始める。
これもしかして5か6出るんじゃない?
「やった!上がれそう!!」
私は嬉しい興奮で大はしゃぎ。
片や相手の兵士達は敗北が濃厚になり、野太い悲鳴を上げる。
賽が止まりそうになり、場が最高潮に盛り上がったその時。
バン!!!!と大きな音を立てて詰め所の扉が開かれた。
そこにいたのは、和やかな笑顔で私達を見る国王様と、切羽詰まった怒り顔で肩を震わせている彼だった。
「何をしているのですか貴方達はーーーー!!!!」
彼はそう叫ぶや室内に乗り込んできて、ボードゲームの盤を回る賽ごと放るようにひっくり返した。
「「「あああああああああ!!!!」」」
ええええ!勝ちそうだったのにーー!!
勝敗は、まさかの勝負付かず。
勝負の女神様もこんな結果になるとは思わなかっただろうな。
「まあ良いではないか。兵士達の憂さを晴らすのに協力してくれたのだろう?」
穏やかなお声で国王様は仰ってくださったけれど。
「陛下、そういう問題ではございませんので。」
彼はバッサリと斬って捨てた。二国の仲良きことは美しき哉。
ああ、チーズ食べたかったな…。
「いいですか?貴女はあちこち出歩き過ぎないように。慣れぬ土地なんですから。
ましてや兵士の詰め所など、女性兵士がいるとは限らないんですからホイホイ入って行くとは何事ですか。」
その後客室に引き戻された私は、彼からこってりお説教をされる羽目になりました。
《この道の先に》
「うーん、確かここを曲がって…。」
私は以前見掛けた雑貨屋さんに行こうとしていた。
その時は時間がなかったのでちらりと覗くだけだったけど、素敵なデザインのペンやノートが並んでいて、次は絶対にここに行くんだと決めていた。
のだけれど。
行けども行けどもお店の姿は見えず。
あれ、おかしいな。あの日は暑かったし幻でも見てたかな?
そもそも帝都は実際に歩いてみると、同じような建物が並んでいるので迷いやすい。
上から見るならともかく、どこで曲がればよいかが物凄く分かり辛い。
まずい。そろそろ疲れてきた。せめて知ってる場所に出ないと。
夏の太陽も元気な中、きっとこの先に!と当たりを付けて曲がってみる。
…うわー、行き止まり。
しかし、そこにはローブを羽織り深くフードを被ったお婆さんが布を掛けたテーブルに水晶玉を置き、椅子に腰掛けていた。
その身に纏う空気はどこかじっとりしていて、油断ならない雰囲気が漂っていた。
「おや、こんにちはお嬢さん。」
お婆さんは値踏みするような視線でこちらを見たと思えば、掠れた声で挨拶をした。
「…こんにちは…。」
私は緊張を走らせながら挨拶を返した。
こういう手合いは相手をせずに離れるのが一番なんだけど、何故か身体は逃げられない、逃げちゃいけないと反応する。
それにしてもどこかで見たようなそうでないような…と逡巡する。不思議な感覚だ。
「おやおや、そんなに固くならんでいいよ。危害を加えるつもりはない。」
お婆さんは一言言うと、水晶玉に両手を翳した。
すると水晶の中にはどろりとした闇が現れたと思えば、その闇を包み込むように赤い花弁が渦を巻き始めた。
この花弁…!
気付いた私に、お婆さんは面白い物を見たと言わんばかりに私に語りかける。
「ほっほほ。ほうほう。そなたは二つの存在の間で揺れ動いてるね。
こちらの自分が何者か知るところではないだろうが、いずれそなたの心がどちらの存在となるか導いてくれるだろうて。
そなたはそなたの望む先へ行きなされ。そなたの想いが全ての鍵だからね。」
二つの存在?それは、もしかして…。
思い当たる事があった私は、お婆さんにそれを聞こうとした。
「ねぇ、それって…!」
が、その質問が完成する前にテーブルの水晶玉が激しい光を放ち、私は眩んだ目を庇うように腕を当て顔を背けた。
一瞬後に目を開ければ、そこは彼の家へと続く私の知った道だった。
ローブのお婆さんもいない。さっきの袋小路は何だったのだろうか。
あのじっとりと逃げられないような空気も霧散したが、心には重苦しい物が残った。
やはり二つの存在とは、私の持つ白に近い銀髪と赤紫の瞳に関係があるのだろうか。
彼に闇の者だと断じられた、この色に。
私の想いが、全ての鍵。
その想いとは一体何で、どこへ向かうものだろう。
そんな身の置きどころのない思いに駆られ自分の身体を抱きしめていると、無性に彼の顔が見たくなった。
《日差し》
夏の刺すような日差しは、人の心を開放的にさせる。
いや、開放的と言うよりは暑さで思考力が鈍るのか。
さすがに砂漠で肌を晒すような事はないが、帝都は普通の夏の気温なので皆薄着になっていく。
暖められ過ぎた身体に少しでも風の爽やかさを受けようと、出来る限り肌を出す。
女性も最近は襟ぐりを大きく開く服が流行り始めた。一時期はその影響で、男の部下達が浮足立って困らされたものだ。
僕はローブ・デコルテを見慣れているので違和感などは無く、その心境が今ひとつ理解出来ていない。いちいちそれに反応していたら切りが無い。
そう思っていたのだが。
彼女が心惹かれ足を止められていたショーウィンドウのワンピースを見た瞬間、時が止まったような気がした。
色は清楚な薄青でスカート部分も膝下まで隠れる長さではあるが、デコルテと肩を大きく出した大胆なデザイン。
デコルテと肩から下は胸下の高さまで薄手のフリルで覆われているが、その分細い腰が強調されている。
女性らしさが存分に引き出される可愛らしいデザインだと分かる。
が、僕の口から出た感想は自分でも意図しないものだった。
「ほう…これはこれは…。」
このワンピースを彼女が纏っている図を想像した時、僕の中で何かが弾けようとしていた。
これを着てほしくはない。
いや、似合うと思う。
色合いも彼女の淡い色彩にマッチしているし、デザインも彼女のスタイルを引き立てつつ清楚なイメージを崩さない。
むしろ似合い過ぎるから困るのだ。
困る?いや何故だ?
肩とデコルテか?
そうか、多分そうだ。
夏の日差しはいっそ暴力的だ。そんなに肌を晒していたら彼女の肌が傷んでしまう。
そうだ、僕が困る理由はきっとこれだ。
平常心、平常心を保つんだ。
僕は心の中でそう唱え続け、いつもの態度を崩さないよう必死に努めた。
ところが僕は思わず、そのワンピースを欲しがる彼女に紫外線と気温差の恐ろしさを捲し立ててしまった。
気が付けば、議会の討論でもここまでは勢い付けないだろうという調子で。
しまった。やってしまった。
僕は良くも悪くも昂るとつい理屈っぽくなってしまう。彼女に引かれていないだろうか。
これ以上驚かせてはいけないと、これまた僕は平常心に努める。
普通に笑えているだろうか。
しかし、そんな僕の葛藤を全く意に介した様子無く彼女は呟いた。
「でも凄く可愛いんだよね。今度の外出の時に着たいな。」
…それは次の休暇に入れている約束の事だろうか。
僕との外出の際に、自分のお気に入りの服を着たいと願う。
もしかして彼女は僕が考えてる以上に共に出掛ける事を喜んでくれているのだろうか。
本当に、貴女にはいつもしてやられてしまう。
僕の心をかき回し、いつもは奥に潜む感情を引っ張り出す。
そして、何故かそれがとても心地好い。
弾けそうだった気は緩み、つい苦笑を浮かべてしまう。
そうだ、ショールを着ければ肩を晒す事もないか。
かき回された心を必死に隠しながら提案すれば、頬を染めて喜ぶ彼女と視線が絡み合う。
その眼差しに、心が見透かされてしまうのではないか。
ギュッと啼いた心臓を合図に、僕は慌てて顔を逸らし、彼女の手を取り店内へと誘った。
・
・
・
先日6月28日《夏》の別視点です。
《窓越しに見えるのは》
早くに目が覚めて、カーテン越しに外を見た。
空は宵闇の黒から薄紅へ色を変え。
少しだけ顔を出した朝日が、あなたの守る黄金色の街並みをだんだんと輝かせていく。
街はまだ眠っているのか、昼に建物を覆う煙はまだ静かで。
夜明けが過ぎれば、黄金色の機械達が煙を噴いて動き出す。
そこには、たくさんの人々が生きている。
悩み、苦しみ、悲しみ、笑っている。
完全な復興はまだ先だけど、きっと彼はやり遂げる。
ガラスの向こうで輝きを増す街並みは、そんな明るい未来を切り取ったかのようだった。