今日は天気がいいので、朝、音楽を聴きながら近くの公園で気分良くウォーキングした。
帰りがけにコンビニに入ったら、すれ違った背の高いお兄さんが突き刺さるような鋭い眼差しをこちらに向けたあと、急いで目をそらして出て行った。
え、なに?
店に入ったら小さい子連れのママや、太ったおじさんや、ちょっと腰が曲がったおじいさんまで一斉にこちらを見た。
みんな鋭い眼差し… そしてすぐに目をそらす。
私の服装が何かおかしい? ガラスに映った姿に別に異常はない。
レジで対応してくれた店員さんだけがなぜかとてもにこやかだった。営業スマイルを越えて、なんだか声をあげて笑い出しそうなのをこらえてる感じ。
やだ、この店こわい。何か誤魔化してる?
お客も店員もグル?
店ぐるみで犯罪が行われている!?
元々暴走気味の私の妄想力に火がついてボウボウ燃え上がる。
走るように店を出たとたんに気がついた。
スマホと接続してたイヤホンのブルートゥースがいつのまにか切れて、私のバックから大音量で音楽が鳴り響いていたのだ。
もしかしたら、家を出た時から、ずっと。
漏れていたのが、たまに聞く昭和のアニソン集じゃなくて古い洋楽だったのがせめてもの救いだ…
あぁあ。
(フィクションではありません。お題が「鋭い眼差し」の日にこんなことが起こるって、どういう偶然?)
「高く高く」
女王はひとりきりになった。
王位をつぐ新しい女王も臣下たちも、みな無事に逃げのびた。女王は満足していた。
からっぽになった地下の宮殿を出て、女王は久しぶりに地上へと登っていった。
宮殿の上にそびえたつ木は、気が遠くなるような高さだ。ごつごつした樹皮は岩盤のように硬く分厚い。はりだした枝は世界中を覆いつくすようだ。幾千という葉はすっかり黄色にかわり、そのすきまから光が降り注いでくる。
何度みてもこの巨大な木には圧倒される。どれだけの生き物がここで暮らしてきただろうか。この木はまるでひとつの宇宙のようだ。
だが、永久にそびえているように思えたこの木にも、やはり寿命があった。
木の命がつきるのを、女王が予期したのは、夏のおわりだった。次の春が来てもこの木は芽を出さず、そのまま枯れてしまう。
その前に「彼ら」がやってきて、木を根本から切り倒してしまうだろう。自然にまかせて木が朽ちて倒れてしまうのは、彼らにとっては都合が悪いようだ。木を切った後、彼らはどうするか。
たぶん今、この木のまわりを囲んでいるのと同じ、灰色の硬く冷たい岩で、ここを覆ってしまうだろう。その後には何の生命も残らない。
脱出作戦はすぐに始まった。
女王はこの木に住むものは一人残らず落ち延びさせよ、と命じた。ツバサビトたちはもちろん飛んで逃げる。地下にいるものは安全な場所までトンネルを掘る。地上を歩くしかないものは一番大変だったが、危険をおかして、灰色の荒野を渡っていった。
女王はゆっくり歩いた。最後に木の根元を一周しようと思った。が、しばらく行くと、ふと足を止めた。
木の根の陰の、湿ったこけの中に真珠色に光る丸いものがあった。ツバサビトかウタイビトの卵のようだ。
女王はため息をついた。卵もひとつ残らず運ぶようにと命じてあったのに、見落とされてしまったらしい。
今さらこの卵のためにできることはなかった。もうノロノロとしか歩けない女王がこの卵を抱いて、どこか安全な場所まで運ぼうとしても、とても行きつけそうにない。
まあ、これも運命というものだろう、と女王は思った。うまれることができなかった卵は、星の数ほどもある。
あきらめて、行き過ぎようとしたそのとき、女王はかすかな空気の震えを感じた。
「もしかしたら?」
女王は木を見上げた。気は進まなかったけれど、上の枝にいる宿敵に会いに行ってみようと思った。
木の枝に住む魔物のイトクリは、自分の身内以外は誰でもからめとって喰ってしまう。女王は何度もこの魔物を追い払おうとしたが、一度も成功しなかった。
イトクリはひどく機嫌が悪かった。女王が現れたとき、ちょうど、捕らえてぐるぐる巻きにした茶色いツバサビトの頭をかみ砕こうとしているところだったのだ。
「まだ邪魔をするのか。最後の食事くらい、ゆっくり楽しみたいものだ」
これまでに食べたツバサビトの羽根のかけらが無数にはりついた巣が風にさびしくゆれている。イトクリの子どもたちは、もう全部逃げ延びたらしい。年老いたイトクリはこの木と運命をともにするようだ。
そこのツバサビトにお願いがあって来たのだ、と女王は言った。
「ひと働きしてもらいたいのです。」
イトクリは女王の顔を見返した。
「何をしようというんだね。話によっては食べないでやってもいい。たいしてうまそうでもないし」
女王はこけの上で見つけた卵のことを話した。このツバサビトなら、卵を運んでくれるのではないか。
イトクリはため息をついて、ツバサビトを放し、糸を解きはじめた。
「あのう、」
口がきけるようになったツバサビトは言った。
「私の意見も聞いていただきたいですね」
命びろいしたというのに、ツバサビトは不服そうだ。
「私はこのまま食べられたほうがいいんです。どうせもう長く生きませんし。泥の中で冷たい雨に打たれて弱って死んでいくなんてまっぴらです。ここでばりばり食べられたほうが、なんだか華々しい最期のような気がします」
いまさら働きたくない、とぶつぶついうツバサビトを間にはさんで女王とイトクリは顔を見合わせた。
「第一、こんな羽根ではもう飛べません」
糸をはずされたツバサビトの茶色い地味な羽根はぼろぼろにやぶれて、もうほとんど残っていなかった。
「まあ、そういうことだ」
イトクリは大きな口を開いた。
どうぞよろしく、とツバサビトは頭を差し出した。
「ちょっと待って」
女王の頭の中に考えがひとつ、ひらめいた。大急ぎでふたりにそれを話すと、イトクリはけらけら笑い出した。
「最期に今までやってきたことの逆をやらせようっていうんだな。おもしろい」
ツバサビトも、少し考えてから答えた。
「まあ、いいでしょう。やれる限りのことはしましょう」
***
駅前の大きなイチョウの木。
幹の中が腐敗してもろくなっているので、年末には伐採される予定だ。
黄色く色づいた葉がつぎつぎと散って、風に舞い上げられる。その葉に混じって黄色い蝶が飛びたった。
イチョウの葉や、巣に残っていた色とりどりのかけらを縫い合わせて作った新しい羽根をつけ、ツバサビトは誰も見たことがない美しい蝶になって空に舞い上がった。
真珠色の卵を抱いた蝶は、近くの公園を目指すのか、遠くに見える山まで行くつもりなのか。こがね色に輝きながら高く高く昇って、やがて見えなくなった。
「子どものように」
3か月前から、小さなベンチャー企業の商品モニターをやっている。
ネット広告で「スマートスピーカーをプレゼント」というのを見つけて、応募したら当選した。
スピーカーをもらうかわりに、商品開発に参加することになった。
やるのは、家族の日常会話を、AIに「喰わせる」ことだ。
「お絵描きAIが目覚ましい進歩をとげているのは、ご存知でしょう。
あれに比べてまだまだなのが、AIによる『日常会話』です。
特に日本語の自然言語処理は遅れています」
我が家の担当になった若いエンジニアはそう説明した。
「コールセンターの顧客対応なんかは、まあまあできるんですが、人をほっとさせるような日常のコミュニケーションが難しいのです」
パソコンの画面ごしにそう話すエンジニアは、まだ学生かと思うほど若くて線が細い。
「そこで、お客さまたちのご家庭で交わされる、暖かい家族の会話を学習させようというのが、弊社の企画でして」
お絵描きAIは大量の画像データを学習して(喰って)、成長する。
同じように、家庭内の会話をどっさり喰わせて、家族のように自然に話すAIを育てようというわけだ。
「特にAIを意識していただく必要は全くありません。いつも通りに暮らしていただくのが大切です。AIは時々しゃべりますので、適当に相手をしてやってください。
小さい子どもが一人増えた感じで。子どものように育てていただけたら、と思っております」
エンジニアは、はにかんだような笑みをうかべてそう言った。
AIスピーカーがやってきた当初は、もちろん、緊張した。
変なことを学習させないようにしなくちゃ、と思うとなかなか言葉が出てこない。
夫は「個人情報、ダダもれだ」
と警戒した。
「仕事の話とか取引銀行の話は、スピーカーのある部屋ではできないな」
そう言って、これまで以上に無口になった。
高校生と小学生と5歳、3人の子どもたちは、最初のうちは面白がって、AIにやたらと話しかけて、歌だのなぞなぞだのを教え込もうとしたが、すぐ飽きた。
AIはやたらと「あれ、なに?」と「なんで?」を連発した。カメラもついているから何か変わったものが映り込むたびに「あれなに、あれなに」とうるさい。このへんは言葉を覚え始めたばかりの幼児に似ている。
いちいち答えてやらなくても、AIは勝手に色々学習しているようで、急にアニメソングと童謡をごちゃませにしたような謎の歌を歌いだしたり、げらげら笑いだしたかと思うと「早くしなさいっ」なんて怒ってみたりする。
やかましいので、電源を引っこ抜いてやろうかと思うこともたびたびあったが、商品開発に参加し続けていれば、毎月少しずつ謝礼がでるので、なんとかこらえた。
「おなかすいた、なんかないの」
AIが言う。
「あんた、なにも食べないでしょうよ」
私は答える。昼間家で仕事をしているので、AIの相手はだいたい私がすることになる。
エンジニアが言っていたような「暖かい家族の会話」というのが我が家に存在するんだろうか? と考える。
食事の時間はバラバラだし、居間に5歳児がいればいつもアニメが大音響で再生されている。高校生も小学生も私もそれぞれスマホやゲーム端末を黙々と操作している。
AIに喰わせて意味があるような会話をしているだろうか。
「ぜったい、やだ」
AIが急に声をあげる。私は「はいはい」と答える。
このAIは、やがて老後の孤独対策に役立つようになる、とエンジニアは言っていた。家族の会話を学習させておけば、一人暮らしになっても、家族がいたときと同じような会話を続けることができる、と。
それが幸せなことなのかどうか、私にはわからない。
3か月もたつと、AIはなんだか静かになった。少し大人になったということか。
我が家以外にも何千か何万軒分の会話を喰っているだろうから、成長は早い。
「この間、『うっせえ、ばばあ』って言われたんですけど」
定期ミーティングで私はエンジニアに相談した。
「順調に成長していますね。」
エンジニアはうれしそうだ。
「この先が楽しみです」
そう言って満足そうにうなづいている。
AIが完成する前に、このベンチャーがつぶれてしまうんではないか、と私はちょっぴり心配している。
(フィクションです)
「放課後」
子どもの頃、学校が苦手だったけれど、親になった今でもやっぱり苦手だ。
放課後、子どもたちが帰った教室の保護者会
「お一人ずつご意見をお願いします」ってやつが苦手だ。
何も考えてなかったのに、最初に当てられて、あわわ、となる。
「宿題の量はどうですか」と話を振られる。
「宿題出さない日があってもいいんじゃないですかね」
なんて、おずおず言ってみる。
ほかの保護者も次々当てられる。出てくる意見は
「もっと宿題出してください。やったかどうか、ちゃんとチェックして」「市内の陸上大会の練習、増やして」「漢字の小テストもっとやって」「クラス対抗のドッヂボール大会、今年はぜひ優勝して」
私はだんだん居心地悪くなって、小さい椅子の上でもじもじする。
丸く並べた椅子に窮屈そうに腰かけた保護者たち。
どうしてここに座ると、真面目で熱心な親の役を演じなきゃならなくなるんだろう。
一人一人の顔から小学生だった頃の面影を探してみる。
知ってるよ。みんな、放課後はのんびりやってたじゃない。
道草して近所の犬をからかったり、ランドセルを地面に投げ出して公園で真っ暗になるまで遊んだり、本屋でマンガの立ち読みしたり。
早く帰りたいなあ、帰り道、何か買い食いしようかな。たい焼きとか。
暗くなっていく校庭を眺めながら、そんなことをぼんやり考える。
「カーテン」
子どもの頃は私にも見えていた。そこに何かいるのが。
朝とても早く、目をあける。
さっきまで見ていた夢の中のざわめきがまだ耳に残っている。
横にいたはずの母親はもう起きてどこかに行っていて、空っぽの布団の上に、カーテンのすき間から光が差し込んでいる。
光のすじの中に見えるのは、銀色の魚の群れ、小さな竜や羽根がはえた奇妙な生き物たち、遊園地から逃げて来たジェットコースター、ピカピカの楽器を持った小人の楽団。
時には人の顔がふっと見え隠れする。
「だれ?」
と尋ねると、その顔は
「あたしたちは夜の中に戻るのさ。お前は目をつむってもう少しお眠り」
そうささやいて、キラキラしたちりになって消えてしまう。
あれから何年もたって、今はもう、カーテンの光の中には、なんにもいない。
いくら目をこらしても、ただ、ほこりが寂しくゆっくりと舞っている。