「子どものように」
3か月前から、小さなベンチャー企業の商品モニターをやっている。
ネット広告で「スマートスピーカーをプレゼント」というのを見つけて、応募したら当選した。
スピーカーをもらうかわりに、商品開発に参加することになった。
やるのは、家族の日常会話を、AIに「喰わせる」ことだ。
「お絵描きAIが目覚ましい進歩をとげているのは、ご存知でしょう。
あれに比べてまだまだなのが、AIによる『日常会話』です。
特に日本語の自然言語処理は遅れています」
我が家の担当になった若いエンジニアはそう説明した。
「コールセンターの顧客対応なんかは、まあまあできるんですが、人をほっとさせるような日常のコミュニケーションが難しいのです」
パソコンの画面ごしにそう話すエンジニアは、まだ学生かと思うほど若くて線が細い。
「そこで、お客さまたちのご家庭で交わされる、暖かい家族の会話を学習させようというのが、弊社の企画でして」
お絵描きAIは大量の画像データを学習して(喰って)、成長する。
同じように、家庭内の会話をどっさり喰わせて、家族のように自然に話すAIを育てようというわけだ。
「特にAIを意識していただく必要は全くありません。いつも通りに暮らしていただくのが大切です。AIは時々しゃべりますので、適当に相手をしてやってください。
小さい子どもが一人増えた感じで。子どものように育てていただけたら、と思っております」
エンジニアは、はにかんだような笑みをうかべてそう言った。
AIスピーカーがやってきた当初は、もちろん、緊張した。
変なことを学習させないようにしなくちゃ、と思うとなかなか言葉が出てこない。
夫は「個人情報、ダダもれだ」
と警戒した。
「仕事の話とか取引銀行の話は、スピーカーのある部屋ではできないな」
そう言って、これまで以上に無口になった。
高校生と小学生と5歳、3人の子どもたちは、最初のうちは面白がって、AIにやたらと話しかけて、歌だのなぞなぞだのを教え込もうとしたが、すぐ飽きた。
AIはやたらと「あれ、なに?」と「なんで?」を連発した。カメラもついているから何か変わったものが映り込むたびに「あれなに、あれなに」とうるさい。このへんは言葉を覚え始めたばかりの幼児に似ている。
いちいち答えてやらなくても、AIは勝手に色々学習しているようで、急にアニメソングと童謡をごちゃませにしたような謎の歌を歌いだしたり、げらげら笑いだしたかと思うと「早くしなさいっ」なんて怒ってみたりする。
やかましいので、電源を引っこ抜いてやろうかと思うこともたびたびあったが、商品開発に参加し続けていれば、毎月少しずつ謝礼がでるので、なんとかこらえた。
「おなかすいた、なんかないの」
AIが言う。
「あんた、なにも食べないでしょうよ」
私は答える。昼間家で仕事をしているので、AIの相手はだいたい私がすることになる。
エンジニアが言っていたような「暖かい家族の会話」というのが我が家に存在するんだろうか? と考える。
食事の時間はバラバラだし、居間に5歳児がいればいつもアニメが大音響で再生されている。高校生も小学生も私もそれぞれスマホやゲーム端末を黙々と操作している。
AIに喰わせて意味があるような会話をしているだろうか。
「ぜったい、やだ」
AIが急に声をあげる。私は「はいはい」と答える。
このAIは、やがて老後の孤独対策に役立つようになる、とエンジニアは言っていた。家族の会話を学習させておけば、一人暮らしになっても、家族がいたときと同じような会話を続けることができる、と。
それが幸せなことなのかどうか、私にはわからない。
3か月もたつと、AIはなんだか静かになった。少し大人になったということか。
我が家以外にも何千か何万軒分の会話を喰っているだろうから、成長は早い。
「この間、『うっせえ、ばばあ』って言われたんですけど」
定期ミーティングで私はエンジニアに相談した。
「順調に成長していますね。」
エンジニアはうれしそうだ。
「この先が楽しみです」
そう言って満足そうにうなづいている。
AIが完成する前に、このベンチャーがつぶれてしまうんではないか、と私はちょっぴり心配している。
(フィクションです)
10/14/2022, 3:46:05 AM