Kotori

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「高く高く」

女王はひとりきりになった。
王位をつぐ新しい女王も臣下たちも、みな無事に逃げのびた。女王は満足していた。

からっぽになった地下の宮殿を出て、女王は久しぶりに地上へと登っていった。
宮殿の上にそびえたつ木は、気が遠くなるような高さだ。ごつごつした樹皮は岩盤のように硬く分厚い。はりだした枝は世界中を覆いつくすようだ。幾千という葉はすっかり黄色にかわり、そのすきまから光が降り注いでくる。

何度みてもこの巨大な木には圧倒される。どれだけの生き物がここで暮らしてきただろうか。この木はまるでひとつの宇宙のようだ。

だが、永久にそびえているように思えたこの木にも、やはり寿命があった。
木の命がつきるのを、女王が予期したのは、夏のおわりだった。次の春が来てもこの木は芽を出さず、そのまま枯れてしまう。
その前に「彼ら」がやってきて、木を根本から切り倒してしまうだろう。自然にまかせて木が朽ちて倒れてしまうのは、彼らにとっては都合が悪いようだ。木を切った後、彼らはどうするか。
たぶん今、この木のまわりを囲んでいるのと同じ、灰色の硬く冷たい岩で、ここを覆ってしまうだろう。その後には何の生命も残らない。

脱出作戦はすぐに始まった。
女王はこの木に住むものは一人残らず落ち延びさせよ、と命じた。ツバサビトたちはもちろん飛んで逃げる。地下にいるものは安全な場所までトンネルを掘る。地上を歩くしかないものは一番大変だったが、危険をおかして、灰色の荒野を渡っていった。

女王はゆっくり歩いた。最後に木の根元を一周しようと思った。が、しばらく行くと、ふと足を止めた。
木の根の陰の、湿ったこけの中に真珠色に光る丸いものがあった。ツバサビトかウタイビトの卵のようだ。
女王はため息をついた。卵もひとつ残らず運ぶようにと命じてあったのに、見落とされてしまったらしい。

今さらこの卵のためにできることはなかった。もうノロノロとしか歩けない女王がこの卵を抱いて、どこか安全な場所まで運ぼうとしても、とても行きつけそうにない。
まあ、これも運命というものだろう、と女王は思った。うまれることができなかった卵は、星の数ほどもある。
あきらめて、行き過ぎようとしたそのとき、女王はかすかな空気の震えを感じた。
「もしかしたら?」
女王は木を見上げた。気は進まなかったけれど、上の枝にいる宿敵に会いに行ってみようと思った。

木の枝に住む魔物のイトクリは、自分の身内以外は誰でもからめとって喰ってしまう。女王は何度もこの魔物を追い払おうとしたが、一度も成功しなかった。

イトクリはひどく機嫌が悪かった。女王が現れたとき、ちょうど、捕らえてぐるぐる巻きにした茶色いツバサビトの頭をかみ砕こうとしているところだったのだ。
「まだ邪魔をするのか。最後の食事くらい、ゆっくり楽しみたいものだ」
これまでに食べたツバサビトの羽根のかけらが無数にはりついた巣が風にさびしくゆれている。イトクリの子どもたちは、もう全部逃げ延びたらしい。年老いたイトクリはこの木と運命をともにするようだ。

そこのツバサビトにお願いがあって来たのだ、と女王は言った。
「ひと働きしてもらいたいのです。」
イトクリは女王の顔を見返した。
「何をしようというんだね。話によっては食べないでやってもいい。たいしてうまそうでもないし」
女王はこけの上で見つけた卵のことを話した。このツバサビトなら、卵を運んでくれるのではないか。
イトクリはため息をついて、ツバサビトを放し、糸を解きはじめた。

「あのう、」
口がきけるようになったツバサビトは言った。
「私の意見も聞いていただきたいですね」
命びろいしたというのに、ツバサビトは不服そうだ。
「私はこのまま食べられたほうがいいんです。どうせもう長く生きませんし。泥の中で冷たい雨に打たれて弱って死んでいくなんてまっぴらです。ここでばりばり食べられたほうが、なんだか華々しい最期のような気がします」
いまさら働きたくない、とぶつぶついうツバサビトを間にはさんで女王とイトクリは顔を見合わせた。
「第一、こんな羽根ではもう飛べません」
糸をはずされたツバサビトの茶色い地味な羽根はぼろぼろにやぶれて、もうほとんど残っていなかった。

「まあ、そういうことだ」
イトクリは大きな口を開いた。
どうぞよろしく、とツバサビトは頭を差し出した。
「ちょっと待って」
女王の頭の中に考えがひとつ、ひらめいた。大急ぎでふたりにそれを話すと、イトクリはけらけら笑い出した。
「最期に今までやってきたことの逆をやらせようっていうんだな。おもしろい」
ツバサビトも、少し考えてから答えた。
「まあ、いいでしょう。やれる限りのことはしましょう」

***
駅前の大きなイチョウの木。
幹の中が腐敗してもろくなっているので、年末には伐採される予定だ。
黄色く色づいた葉がつぎつぎと散って、風に舞い上げられる。その葉に混じって黄色い蝶が飛びたった。

イチョウの葉や、巣に残っていた色とりどりのかけらを縫い合わせて作った新しい羽根をつけ、ツバサビトは誰も見たことがない美しい蝶になって空に舞い上がった。
真珠色の卵を抱いた蝶は、近くの公園を目指すのか、遠くに見える山まで行くつもりなのか。こがね色に輝きながら高く高く昇って、やがて見えなくなった。

10/15/2022, 3:31:38 AM