宮沢 碧

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9/13/2024, 10:28:01 PM

2024/09/14

『めざめ』

宮沢 碧

 『車を運転する時は、薄暮に気をつけるように』

 教習所でそう習ったのは一五年前だっけ。まさに夕闇の始まりを俺は東京から大阪に向けて、東名高速を駆け抜けていた。

 はたちの夏休み、友達ととった運転免許を俺は今日も使って生きている。その友達はもう連絡はとっていない。付き合う人が減る。変わる。生きる空間が異なっていくから自然とそうなる。大人になるとはそういうものだ。毎日誰かと話していてもそこらを歩いている見知らぬ赤の他人と同等或いは毛が生えた位の浅さだったりする。たとえば近所の人、会社の人。自分がきちんとした関係を作ってこなかったせいも幾らかある。

 そのことについて、今ほど思い詰めて考えることはなかった。

 トラックの長距離運転手を始めた。会社を退職したから。人と協力してプロジェクトを進める仕事には疲れてしまった。家庭は持っていない。他人というものをどうしてもうまく信じきることができなかった。寄りかかったら倒れてしまうもの、寄りかかったら消えてしまうもの、寄りかかられても重いもの。初手の恋愛で、伸ばした手を拒絶された日から僕は全然立ち直れていなかった。

 傷を舐めるという趣味もなかったから、数少ない友達に打ち明けて相談することもしなかった。昔のように学校で毎日会わなくなった分、たまに会う時やたまに連絡を取り合う時には強い俺、安定した大人でありたいと小さくも高いプライドがあるからだ。それを崩したら最後、きっと一片のカケラも残さずに俺という存在が砕け飛んでしまう。でも大人になってからの恋愛の躓きは壮大で、ぽっかり空いた穴の埋め方がわからない。昔読んだ仕事の啓発本に問題は書き出せという文言があったと思い出してペンをとってみたものの、言葉を書きつけてしまえば現実を書きつけさせられているようで、一文字も、一筆たりと文に書き留める気になれず。拗れに拗れた。どうしようもないから空箱に墓と書いて、蓋を閉じることで過去を無理やり閉じようとした。

 箱が閉じようと、心の傷は塞がりはしない。ならば忙殺されてしまえと飛び込んだのが運転手の仕事だった。求人の中で1番最初に目に飛び込んできた掲載だったから。なり手が少ないこともあり、すんなりその会社に入り、長距離ドライバーになった。車の運転は嫌いじゃない。むしろ好きだ。そしてこの仕事ならば一人で完結させることが出来た。まさにうってつけだった。

 しかし大きなミスがあった。運転する間、俺は一人で、その恋愛の痛みと孤独を反芻をせざるを得なかったのだ。暗くなれば考え事をしたくなるのが人の性だ。アンニュイな夕暮れを迎えれば、夜景を見れば思い出が走馬灯。眠気覚ましに聞くラジオから恋愛の歌が流れない日はない。満開のラブソングを聴いてもいたたまれず、バラードが流れれば同じ心境にずっぷりとハマって、悩みは深くなるばかり。

 人はどうやってこの傷みを乗り越えているんだ!と、無線で繋がる同エリアを走るオヤジ運転手たちのよもやま話を聞きながら、子供や妻の話をする連中の古傷を思ったりした。いや、古傷なんてないのかもしれないとさえ思った。初手の恋愛が遅すぎた。何も知らなければ、鉄棒から落ちてもまた鉄棒を握ることができる。でも、大人になってからじゃ遅い。最悪首の骨を折って死ぬこともある、不随になることもある。とか。色々知りすぎている。

 こんな時に自分の弱いところを一緒に慰め合って、笑い合える人を一人でも作っておくべきだった。苦しい苦しいと思いながら、自ら作った鉄壁の矜持の壁に挟まれて、誰一人として腹の中を見せられる相手がいないことを悔やんだ。そして同時に腸を見せる勇気がない小さな自分を恨めしいと思った。自分は涼しい大人だと言わんばかりに世の中を泳いだ罰か。

 辛気臭さに、辟易して窓を開けた。重低音のタイヤの音と、ごおぉという風が入る。それから、定期的に眠気覚しで入れられた溝が鳴らすゴトンゴトンという音だけ。それ以外は本当に静かな夜だ。無機質な世界だ。今夜は月もなかった。定期的につけられたオレンジ色の灯だけが道路を照らす。暗闇に真っ直ぐに連なる電灯が指し示すこの道をまっすぐ行け。それしかわからない。

 涙が溢れそうになった。いや、俺の目からは確かに涙がぼろぼろと溢れた。この気持ちを認めなければ強くなれない。俺はそう思った。サンバイザーを下ろして、中のミラーを見た。中の男は泣いていた。情けない、それが俺だ。俺はグスとしゃくりあげた。目に焼き付けて、サンバイザーを戻す。

 ふと、そこにさしていた免許証が目に入った。はたちの夏にとったゴールド免許だ。

 「薄暮には気をつけるように。そして夜明けにも気をつけるように」

 俺は教習所の教官の言葉を思い出した。薄闇は、見えにくいから気をつけなさい。夜明けは眠気に気をつけなさい。そして、夜明けの暗さに気をつけなさい。それは人生の教訓だと言っていた。
 その時は意味がわからなかった。今ならわかる。ああ、これは夜明けだ。俺は人生の第三幕を感じた。子供が一幕、就職して二幕、そして、俺はまた人生の転機を歩いているのだ。

「夜明け前が一番暗いというから」
 もう顔の記憶も朧げな、教官の言葉が俺の口から溢れた。

 オレンジの電灯が真っ直ぐ道を照らす。



テーマ:夜明け前

6/23/2024, 2:20:48 PM

2024/06/22


『毛染めの話』
宮沢 碧

※動物に対して、虐待表現ともとれる表現があります。でも、そういうつもりではありません。どうぞあしからずお願い致します。



「あのさー、変えたい」
「なにを」

 コーラのペットボトルに蓋をしながら真純が言った。

「ペット?」
「……はぁ。好きなの選べばいいでしょう?だからゼロカロのものやめておきなよって言ったのに。パァンタグレープでよければ私の残りあげるけど」

 イチはゼロカロリーの炭酸飲料を指さしてから自分の残りのペットボトルを真純に差し出した。

 優等生のイチは、席替えで隣になってからというもの、校則ギリギリの茶髪に染めた真澄から放課後共に過ごすことを最近のブームのように感じられていた。一方的に机を寄せてきては、塾までの間、放課後本を読むイチに話かけるのだ。イチも不思議とそれを受け入れていた。人のペースを乱す、そんな魅力が真純にはあった。不思議と愛される素養というか。

 そんな真純は今日はいつになく真剣な顔をしている。

「違うよ。チャチャ。ペットの色を変えたいの」
「はぁ?なにを言ってるのよ」
 
 思わずイチは本から視線を外して真純を見る。真純は片方だけ頬杖をつきながら、イチと目を合わせる。

「うん……」
「うん、じゃないわ。……だいたいチャチャって毛の色から名前とったよね?」
「うん! 覚えてくれてたんだ!うれしい!」
「そうじゃなくて。それが一体なぜ突然どうしたのよ」

 好きな色で部屋をコーデしていると犬の色まで変えたくなった。そういうことらしい。

「好きな色に染めたいっていうか、愛してるからこそ染めたいっていうか。愛を込めてるんだよ」

 イチは本を閉じた。

「極論だけど、毛染めしたら?ペットサロンでやってくれると思うわ」
「その手があったかぁ!さすが!おすすめのところある?あんまり負担がない感じの」

 相談した甲斐があったらしく、真純はハーフアップにした髪を揺らしながらとても頷いて、すぐさま左手に持っている端末で調べ始めようとする。

「人間と同じでもしかしたらそういうところもあるかもしれないわね。調べてもいいけれどひとつ言ってもいい?」

 一呼吸置くことで真純の視線を集めるとイチはゆっくり口を開いて言った。

「チャチャが話せたらこういうと思うわ。ご主人、それらエゴというものです」
「えっ、なんでエゴ!?」
「そ。彼氏に髪の毛の好みがピンクだから、ピンクに染める為に最高級の美容院予約しておいたって言われるようなものよ。真純はどう?」
「あたしはうれしいかも」

 イチは思わず目を見開く。瞠った目を元に戻してからなんだか真純らしいなと笑った。

「そうだったわ。あなたはそういうタイプだったわね。でもね、私はそう言われたら急に目が醒めると思う」


 今度は真純が驚く番だった。真純は頬杖をついていた手を机に下ろした。

「なんで?」
「自分でいる意味がないから」

 イチの口からは自分が思った以上に冷たく、力のこもった声が出ていた。

「なんで?」
 
 真純は心から不思議そうだ。

「そういう人は他のところも色々変えたくなる、そしたら私というアイデンティティが消えていく気がする。自分が望んでするならいいけれど、自分が否定されていくのが嫌なのかもしれない」
「そうなんだ。……あたしは、好きな人の好みになれるならどんどん自分を変えたいかも」

 真純には真純の考えがある。ふっと自分に返ったようにイチは目元を緩めて目の前の友に対して口調を和らげてみせた。

「好みの違いだと思う。チャチャに聞いてみたらどう? 答えてくれるかわからないけれど」
「そっか!写真撮って上から塗ってみたらっぽいのわかるよね。ピンクにした毛のチャチャと今のままのチャチャ。どっちの写真も見せて自分で選んでもらお!」
「個人的には、反対だから。毛染めの話。そのまま好きと愛の話に似てる。この本、貸してあげるわ。あなたには難しいと思うけれど、読んでから決めても遅くないと思う」

 イチは真純に一言だけ言葉をつぐんで、自分が読んでいた本を手渡した。

「ありのままの私を愛してあげてほしい」

 そう言いたいのは誰にだったのか。イチは『もう行くわ』と帰る支度を始めた。

お題 好きな色

6/21/2024, 6:59:48 PM

2024/06/21

『私は私の為に花を買うよ』

宮沢 碧


 珈琲は飲まなくなった。自分のために丁寧に入れるのは無精な私には無理。でも慣らされた舌とは不思議でインスタントではもう違和感を覚えて飲めない。

 スクランブルエッグは甘めに出来る。そこに海外製のでっぷりした濃いケチャップをかけるのがお気に入り、最高。ウインナーだって忘れない。ぺろっとフィルムをめくってスライスチーズを乗せれば至高。鶏レバーのパテもお皿に添える。

 でも不思議。

 昨日の夕飯の残り物が増えていくの。洋風にしたはずの朝ごはんに昨日の切り干し大根を添えざるを得なくなる。昨日炊いたご飯を温める。冷蔵庫の鮭は昨日の朝焼いた。どんどん残っていくの。作るのをやめたらいいのかもしれないけれど、何か新しいものを作らないではいられない。

 あなたの不在に耐えられない。

 閉めたままの窓からカーテン越しの朝日がテーブルに差し込む。やさしく亜麻色に光る木のテーブル。

 さすがにお皿を用意したりも、ランチマットを敷いたりもしない。

 いないことを理解しているから好きな味付けにしているくせに、食欲が落ちてる自分に気づかない。1人だとわかっているのに、なぜか少し多めに作ってしまう。

 前向きな心と後ろ向きな心が振れ幅の大きい振り子のよう。

 人はそれを依存というけれど、そういうものじゃないの、大体の関係って。馴染めば溶け合って、いない事に不自然さを感じて。

 相手のためにごはんを作る。相手がいるところを心にすこし作ってあげる。

 相手にしてあげられるのに、私は私の為に珈琲を淹れることができない。

 自分を甘やかしてあげることができたら。あなたのためを私のために変えたら。心のささくれを壁のようにパテで埋めて傷を治すの。私はレバーパテを口に運ぶ。

 ああ、そうだ、花を買おう。

 私は思いつく。

 私が眺めるためだけの花。

 私のために花を買ってあげられる人になる。

 珈琲を自分のために入れてあげられる人になるために。

 あなたがいたから自分を愛し直す。あなたが私ががっかりしない未来のために。


お題 あなたがいたから



5/23/2024, 11:35:12 AM

2024/05/22

『ぽつり』

                     宮沢 碧



「また明日ね!」

 夕暮れ時の路地裏で、別れ際のはしゃぎ声を聞いて、買い出しのメモから目を離す。

 『また明日』、小さい頃こそ何気なく言っていた言葉だけれども、最近は口にしないなと常子は思った。

 家族としか話していないから。フリーランスになってから、一緒に働く人もいない。明日必ず会う人などいないのだ。

 メモから離した目が走り去っていく子供たちを映す。どこかの家から漂う出汁の匂いが切ない。突然、世界で1人になってしまった気がした。手にしたメモの品を待つ年老いた母が待っていてくれるとわかっているのに。

『また明日』

 明日が来るかもわからないというのに、明日が来る前提の話な上に、必ず会うつもりであるという贅沢な言葉である。

 今夜、無理矢理、母宛に使ってみようか。いいや、私はそろそろそういう風に声をかけられる友なり同僚なり相手を作るべきなのか。気にかけない程当たり前だったことだったのに気づいてしまうと喪失感がある。


 常子の足元を独りで悠々と猫が行く。

 (そうだ。大の大人がこんなところに立ち尽くしては……)

 猫に倣って常子は再び歩き出す。猫を軽く追い越して、すれ違いざまに声をかける。

「お前たちは強いね」

 猫は1人でも生きるし、群れても生きていく。猫の世界にも明日と言う概念はあるのだろうか。


当たり前のことはふと気づくととても贅沢なことなのだ。今は、今ある目の前のことを大切にしていこう。いずれまた、縁があれば「また明日!」と言う日も来る、常子は思った。


 再び歩き出した足元で薄紫の綿のワンピースが風に揺れた。まもなく一番星が灯る。



お題 また明日

1/3/2024, 10:45:09 AM

2024/01/03


『ボケと梅の花』

                     宮沢 碧



 新春の神社、緋色の花がカップルを見守っていた。

「なんだった?」

 少しばかり、口角が上がったのを見届けて翔太はみちるに声をかける。

「中吉だった。」

 覗き込めるようにみちるが御神籤を広げて見せると、一方で翔太はテストでも見せるかのように摘んで自分の分を広げる。

「いいね、俺、吉」
「いいじゃん。そんなに変わりないよ。」

 小首を傾げて笑ったらみちるの頭の耳当てがずれてしまった。赤い小さな花のような耳当てをそっと直してあげると、御神籤をポケットにしまってそのまま翔太はポケットから両手を出さずにくるりと本殿を背に歩き始める。

「行こっか。」

 大学に上がって、それでも離れずになんとか付き合えて半年が経とうとしている2人である。ジャリッジャリッと白い玉砂利を踏む音をさせながら、みちるを振り返らずに翔太は少し大きめの声で言う。

「今年旅行行こっか。」
「突然なに。」
「今年の俺の抱負。」

 すごく大人の男の声がした。

 でも振り返って見せた翔太の顔が思った以上に子供っぽくて、みちるは笑い出してしまう。

「いい子にしてたら叶えてあげるね。」
「叶えてもらえる自信があるね!今年の抱負は?」

 みちるは頑として首を振る。

「言わないよ。言ったら願い事叶わないって言うじゃん。」
「?」

 翔太の眉間に皺が寄る。この突拍子のない話はどこから来たのか。脳の皺から答えをかき出す。

「…叶わないっていうのはお願いごとだろ。」
「うっわ、間違えた!恥ずかしい。忘れて、忘れろー!」

 梅か木瓜か。寒枝を彩る花にじわじわと春がほころんでいる。



お題 今年の抱負


昨年中はどうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
平和に楽しく、昇竜のようにお互い活躍いたしましょう。
皆様と素晴らしい縁が広がりますように。
世を鑑みて、控えめに新年のご挨拶とさせていただきます。

宮沢 碧

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