水白

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10/2/2024, 7:34:23 AM

たそがれ。
黄昏、誰そ彼、たそかれ。
夕暮れで影が深くなって相手の顔が見えず、誰そ彼と尋ねる時間であったからという。

時代は経て、文明がどんなに進んでも、人工物の明かりがなければ、夕日だけが爛々と輝く。
空は分厚い橙色に侵食されて、見渡しの良い畦道との境界線が夕に染まっていく。
誰そ彼とは、きっと今のような時に使われたのだろう。

だってほら、先ほどまで人気の無い道を歩いていたのに、じりじりと輪郭が焼ける夕焼けのまんなかに、いつの間にか影がいた。
そこにいることはわかるのに、その表面は、服装は、顔は、表情は、薄い真っ黒で何も見えない。

「■■」
影は何か言った。
水の中で聞く音のように上手く聞き取れない。
違う、聞き取ってはいけないのだ。
そんなことはわかっている。
でも。
その表面も服装も顔も表情もわからないのに、その姿形だけで、誰なのかわかってしまった。
それだけでもわかる大切だった人。
否、今でも大切で、だけどもう二度と会えない、はずのひと。

「■■」
その影は、姿形だけなのかもしれない。
本当は邪悪なモノなのかもしれない。
ただの幻なのかもしれない。
でも、彼が誰なのかわからないなら、正解が無いのなら。

「会いたかった」
「■■■」
「ずっと、もう一度だけでも、あいたかった」
「■■■■」
「でも、いい」
「■■」
「もういいんだ」
「■■」
「もう大丈夫だから」
「……■■■」

「もう、いいよ」

溺れた音は聞こえなくなった。
影に背を向けて歩き出す。
見上げた空には、藍色のベールがかかり始めていた。
自分の隣まで薄く伸びていた影の影は、蜃気楼のように揺らいで、消えた。

夕方が明ける。


【たそがれ】

9/12/2024, 2:30:50 PM

気付いた時には、手遅れだった。

早死してしまった弟の代わりに当主として、男として育てられた。
偽りだらけの私が彼に出会ったのは学舎で。
唯一、心から信じられる人になった。
友として、仲間として、同性としての絆だったはずなのに、いつの間にか私だけが違う感情を握りしめていた。

偽っているのだから、同じ想いを返してもらえるわけがない。
わかっているのに、かわいいと言ってもらいたい、好きだと思ってもらいたい、と女の私が顔を出す。
彼しか好きになったことがないから、これが本当の恋かはわからない。
でも、本気の恋だった。

それなのに。
彼は私の妹の許嫁となり、私は彼がずっと夢見ていた地位に就くこととなった。

こんな見事な不協和音はあるだろうか。
これまでもなかなかに壮絶な人生を歩んでいると思っていたが、神様は私を憎き恋敵だとでも思っているのか。

「あーあ」

神様なんていない。
もし本当にいたら、ズタボロにしてやる。



【本気の恋】

9/12/2024, 9:35:51 AM

「くるくませんせー、何見てんの?」
ソファに座ってスマホとにらめっこしながら唸っていた椋は、後ろから自分を呼ぶ声に顔を上げる。

「あーゆじくん、おかえりぃ」
「ただいま!」
陽気な挨拶に、輝く笑顔。元気で大変よろしい。
可愛い生徒を前に、さも先生らしいことを思って頷いていると、ふたたび悠仁が尋ねてくる。
「先生なんか唸ってたけど、どうしたん?」
「あぁ、なんてことないよぉ?来年のカレンダーが続々と出始めたからどれ買おうかなーって悩んでただけ」
振り返ったまま端末画面を近付けて見せると、悠仁はソファの背に腕を乗せて乗り出す形で覗き込んでくる。

「へー…カレンダーっていっぱい売ってんだね!
俺カレンダーって買ったことないかも。家もじーちゃんがどっかでもらってきたやつ使ってたし」
「そぉなの、そういう人けっこー多いんだよねぇ!
買ってたとしても100均で済ませたりとか、そもそもスマホのスケジュールで十分って言う人もいるけどぉ、お金出すとやっぱかわいさと凝りようが段違いなんだよお?」
画面をスクロールしながら多種多様なカレンダーを見せていくと、虎のデザインの物が目に入り、椋はひらめく。
「そーだ!ゆじくん来年のカレンダーなんか買ってあげるよ!百聞は一見にしかずってね!」
画面から椋へと視線を移して、まばたき一つ。
悠仁はへらっと笑う。
「や、俺はいいよ、使わなくてもったいねえってなりそうだし」
いい笑顔だけど、先程のような輝きがない。椋にはお見通しだった。
この拒否は、遠慮でも、無精でカレンダーを使用しないということでもない。
来年のカレンダーを使い切るまでの未来を見据えていないからだ。
それでも。
「それでもいいよ。ぼくが来年をプレゼントしてあげる」
「…え」
「置物になってもいいから!未来を飾っておくのも悪くないって、ね?」
「来曲先生…」
悠仁はへにゃりと眉を下げたが、それでいい。
ここでくらい素直に顔を作らないでいたらいい。

「さぁ、どれがいいかなぁ〜?ゆじくんが選ばないならぼくがセレクトしちゃうよお?このかわいい虎柄のとかー、日めくりもいいかな!毎日1問問題解かなきゃいけないの!もしくはこのゴージャス過ぎて使いづらいやつとかぁ」
「わあー待って!それは俺の部屋には重荷すぎるって!」

椋だって誰だって、このカレンダーをめくる頃、自分がどうなっているかなんてわからない。
でも、そんなのはどうでもいい。
今日の次に明日があるのを文章化されたら、明日だって生きられる気がしてくるのだ。



【カレンダー】

9/11/2024, 3:47:43 AM

「あの駅の近くの中華料理屋さん、つぶれちゃうんだって」
ここからは到底見えない店を見ているかのように、窓の外を眺めながら椋が言った。

「中華料理…というと、全体的に味が薄い、あの?」
「そうそう、中華料理なのに味が薄いビミョーなあのお店」
微妙に貶すことで、お互いの認識を擦り合わせる。
「担任くんはぁ貴重な味の薄い中華が食べられるって贔屓にしてたけどねえ」
初耳の情報だが、いかにも胃が弱そうな担任ならありそうだ、と七海は納得する。
「一回しか行ったことないし、別に残念に思う気持ちはあんまりないんだけどお、」
椋は手持ち無沙汰にボールペンを回す。
「なんだろこの気持ち…ちょっとだけさみしいような、喪失感…っていうとおおげさかなぁ?」
寂しい、と言うわりには怪訝な顔の椋が少しだけ面白い。
たしかに、七海も一度だけしか来店したことのない店なのに、いざ無くなると聞くと、少しだけ胸がざわついた。
きっと明日には忘れる、なんてことない喪失感。

「なんでだと思う?」
「さぁ」
「一緒に考えてよぉ」
椋はわからない感情は明確化したがる癖がある。
七海だっていちいち考えたことのない感情について適当に考えてみた。
「そうですね…店が潰れる、ということは、誰かの何かが終わってしまうから、でしょうか」
「えぇーぼくが顔も覚えてない店長さんのことなんて考えて心動くと思う?」
「動かないでしょうね」
「だよねぇ」
「来曲の情緒がそんなに育ってるとは思えないので却下します」
「あれぼくちょっと悪口言われてる?」
正直、七海ですらそこまで考えていない、ただの後付けだ。
そもそも感情なんて説明が付くものではないと七海は思っているが、椋の情緒教育のため、もう少し頭を使って言語化する。
「自分の世界の一部が無くなるから、ですかね」
「世界?」
「毎日近くを通っても、視界に入っていても意識しない、大切でもない生活圏の一部。でも確実に自分を形作る環境の一部であるでしょう。
そこが欠けるとなれば、少しの喪失くらい感じるのかもしれないんじゃないですか」
ふむ、と顎に手を当てる椋。
「なるほどぉ……普段意識してない足の小指をたんすにぶつけると超痛い!みたいなぁ?」
「一気にアホっぽくなりましたが、まぁそんな感じです」
「あーまたななくんが暴言吐いたぁ!」
ぶーぶーと言い続けるものの、ようやく納得したらしい。
表情が晴れやかになって、続けて、目が輝いた。
「そぉだ!はーくんが帰ってきたら、担任くんも誘ってあの中華屋さん行こうよぉ!せっかくなら、思い出作ってちゃんとした喪失感にしてあげよ!」
「ちゃんとした喪失感ってなんですか」
でも、身近なのに何も知らずに消えていってしまうのも少しの物悲しさがある。それこそが他愛もない喪失感の正体なのかもしれない。
そんな風に思った七海は、最後の晩餐は青椒肉絲か酢豚か、次の難題に頭を切り替えた。



【喪失感】

9/10/2024, 9:07:15 AM

「に…げて…」
俺が辿り着いた時、彼女はその化け物に取り込まれそうになっていた。
万が一、切り離せたとしても、周りに広がる赤の多さを見る限り、助からない。
こんな時なのに、そんな冷静な判断ができるのは幸か不幸か。
どうしたら、どうしたらいい。
彼女を失いたくない。俺の唯一。
彼女がいない世界なんて何の価値もない。

「…そうか、」
それなら俺が消えればいい。
壮絶な人生を歩んできた彼女には、幸せを知ってもらいたい。
もちろんそれだけ、なんて聖人のようなことを言う気はない。
なによりも、俺が彼女を一番に想うように、彼女にも俺を一番に思ってほしいのだ。
だから、俺の命を使って、彼女をこの世界に留める。
彼女のためにこの命を使えば、きっと彼女は俺を一生忘れられない。
世界に一人だけの、世界に一つだけの存在になれるだろう?

だから俺は何の躊躇いもなく、彼女を呪った。



【世界に一つだけ】

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