たそがれ。
黄昏、誰そ彼、たそかれ。
夕暮れで影が深くなって相手の顔が見えず、誰そ彼と尋ねる時間であったからという。
時代は経て、文明がどんなに進んでも、人工物の明かりがなければ、夕日だけが爛々と輝く。
空は分厚い橙色に侵食されて、見渡しの良い畦道との境界線が夕に染まっていく。
誰そ彼とは、きっと今のような時に使われたのだろう。
だってほら、先ほどまで人気の無い道を歩いていたのに、じりじりと輪郭が焼ける夕焼けのまんなかに、いつの間にか影がいた。
そこにいることはわかるのに、その表面は、服装は、顔は、表情は、薄い真っ黒で何も見えない。
「■■」
影は何か言った。
水の中で聞く音のように上手く聞き取れない。
違う、聞き取ってはいけないのだ。
そんなことはわかっている。
でも。
その表面も服装も顔も表情もわからないのに、その姿形だけで、誰なのかわかってしまった。
それだけでもわかる大切だった人。
否、今でも大切で、だけどもう二度と会えない、はずのひと。
「■■」
その影は、姿形だけなのかもしれない。
本当は邪悪なモノなのかもしれない。
ただの幻なのかもしれない。
でも、彼が誰なのかわからないなら、正解が無いのなら。
「会いたかった」
「■■■」
「ずっと、もう一度だけでも、あいたかった」
「■■■■」
「でも、いい」
「■■」
「もういいんだ」
「■■」
「もう大丈夫だから」
「……■■■」
「もう、いいよ」
溺れた音は聞こえなくなった。
影に背を向けて歩き出す。
見上げた空には、藍色のベールがかかり始めていた。
自分の隣まで薄く伸びていた影の影は、蜃気楼のように揺らいで、消えた。
夕方が明ける。
【たそがれ】
10/2/2024, 7:34:23 AM