「あの駅の近くの中華料理屋さん、つぶれちゃうんだって」
ここからは到底見えない店を見ているかのように、窓の外を眺めながら椋が言った。
「中華料理…というと、全体的に味が薄い、あの?」
「そうそう、中華料理なのに味が薄いビミョーなあのお店」
微妙に貶すことで、お互いの認識を擦り合わせる。
「担任くんはぁ貴重な味の薄い中華が食べられるって贔屓にしてたけどねえ」
初耳の情報だが、いかにも胃が弱そうな担任ならありそうだ、と七海は納得する。
「一回しか行ったことないし、別に残念に思う気持ちはあんまりないんだけどお、」
椋は手持ち無沙汰にボールペンを回す。
「なんだろこの気持ち…ちょっとだけさみしいような、喪失感…っていうとおおげさかなぁ?」
寂しい、と言うわりには怪訝な顔の椋が少しだけ面白い。
たしかに、七海も一度だけしか来店したことのない店なのに、いざ無くなると聞くと、少しだけ胸がざわついた。
きっと明日には忘れる、なんてことない喪失感。
「なんでだと思う?」
「さぁ」
「一緒に考えてよぉ」
椋はわからない感情は明確化したがる癖がある。
七海だっていちいち考えたことのない感情について適当に考えてみた。
「そうですね…店が潰れる、ということは、誰かの何かが終わってしまうから、でしょうか」
「えぇーぼくが顔も覚えてない店長さんのことなんて考えて心動くと思う?」
「動かないでしょうね」
「だよねぇ」
「来曲の情緒がそんなに育ってるとは思えないので却下します」
「あれぼくちょっと悪口言われてる?」
正直、七海ですらそこまで考えていない、ただの後付けだ。
そもそも感情なんて説明が付くものではないと七海は思っているが、椋の情緒教育のため、もう少し頭を使って言語化する。
「自分の世界の一部が無くなるから、ですかね」
「世界?」
「毎日近くを通っても、視界に入っていても意識しない、大切でもない生活圏の一部。でも確実に自分を形作る環境の一部であるでしょう。
そこが欠けるとなれば、少しの喪失くらい感じるのかもしれないんじゃないですか」
ふむ、と顎に手を当てる椋。
「なるほどぉ……普段意識してない足の小指をたんすにぶつけると超痛い!みたいなぁ?」
「一気にアホっぽくなりましたが、まぁそんな感じです」
「あーまたななくんが暴言吐いたぁ!」
ぶーぶーと言い続けるものの、ようやく納得したらしい。
表情が晴れやかになって、続けて、目が輝いた。
「そぉだ!はーくんが帰ってきたら、担任くんも誘ってあの中華屋さん行こうよぉ!せっかくなら、思い出作ってちゃんとした喪失感にしてあげよ!」
「ちゃんとした喪失感ってなんですか」
でも、身近なのに何も知らずに消えていってしまうのも少しの物悲しさがある。それこそが他愛もない喪失感の正体なのかもしれない。
そんな風に思った七海は、最後の晩餐は青椒肉絲か酢豚か、次の難題に頭を切り替えた。
【喪失感】
9/11/2024, 3:47:43 AM