『泣かないよ』
泣かないよ、こんなことで。
泣いてもいいか、こんなとこで。
涙には自浄作用があるらしい、なんて話がある。
嘘か誠かは知らない。
一人の少女が両手を骨折した。
彼女はピアニストで、翌日に大事なコンテストが控えているばかりだった。
可哀想、泣いてもいいのよ。という声に、彼女は言った。
「泣かないよ、こんなことで。人生にトラブルは付き物だわ。泣いている暇があるなら、次のコンテストに何の曲を弾くか考えなくっちゃ!」
一人の男が宝くじに当たった。十億だった。
彼は就職に失敗し掛け持ちバイトのフリーターで生活する極貧の、しかし真面目で優しい男だった。
彼には大学生からの彼女が居た。もう十年の付き合いになる。
宝くじに当たった男は、彼女にプロポーズしようと、ずっと昔に彼女が好きだと言っていたハイブランドの指輪と、彼女が好きな花の花束を持って、初めてのデートの場所に待ち合わせた。
彼女は男と一緒だった。
少しチャラそうな、軽薄な笑みがよく似合う男だった。
アタシ、この人と結婚するから、アンタとは結婚しないわ。
彼女がそう言った。固まる男に、チャラ男が言った。
良いサイフにされちゃってたねぇ~可哀想、お兄さん。
ケラケラと男を笑いながら、二人は去っていく。
男は一人、カップルがイチャイチャする花畑の中で、呆然と空を見上げていた。
もうただシンプルに泣きたかった。こんなカップルが周りに居る中にも関わらず。
泣かない少女と、泣きたい男は、そのときちょうど同じ場所に居た。
二人の目が合う。
これは、そんな二人が出会って、何かが始まるお話。
……続かないよ!!
おわり!!!
『怖がり』
俺の妹は怖がりだった。
……いつからだろう、妹が俺の後ろから俺の前に立つようになったのは。
最期に見た、俺に笑いかける妹の死に姿が目に焼き付いて離れそうになかった。
○○○
俺は王子、第一王子だ。もうすぐ王になる。
この国には、俺と妹しか王の子どもが居ない。
俺と妹は、とても仲の良い兄妹だ。
「兄さま! みて! ダンゴムシ!!」
「おお、そうだな」
「ねぇ! このダンゴムシを育てて馬の代わりにしましょうよ!!」
「ははは……え、マジで言ってる? 嘘じゃなくて?」
ちなみに、このダンゴムシはマジで大きくなった。
たぶん眼とかたくさん生えてきて赤とか青とかになるやつの幼体だったんだと思う、マジで。別に海は腐らなかったけど。
閑話休題。
「ねぇ、兄さま。どうして人前に出ないといけないの。ずっと二人でお城の中でシロツメクサの冠を作って暮らしましょうよ」
「……ごめんな」
妹は、怖がりだった。
……いや、知っていたのだ。人間の恐ろしさを。俺以上に。
妹はきっと、俺よりずっと聡明だった、だったから、
「ねぇ兄さま。あたし決めたわ、騎士になる」
「……は? いや、お前はね、女の子なの、分かる?」
「だって兄さまを守る信頼できる人なんて居ないじゃない」
「——それは」
「だからあたしがなるの。あたししか居ないのよ、兄さま」
○○○
「兄さ、ま、いき、てる?」
「あ、ああ、おま、お前、お前は……」
「よかっ……た」
俺の頬に妹の手が添えられる。
あついほどに熱の高い体温が急激に冷めていくのを感じる。
ぬるり、と俺の頬が赤の血しぶきに彩られた。
「…………」
笑ったまま、妹は、死んだ。
俺を守って……俺という王を、兄である王を守って、死んだ。
強く、唇を噛み締めた。
それしか出来なかった。
泣くことも、ありがとうと笑うことも。
兄なのに妹を守れずに悔しいと嘆くことも。
なにも、何も……出来なかった。
○○○
「貴方様がご無事で何よりでした。とても素晴らしい兄妹愛ですな!」
……誰もが妹の死を喜んだ。
俺を庇った名誉ある死だと、喜んだ。
俺は、またもや何も、言えなかった。
○○○
一人になってしまった庭で、シロツメクサの冠を編む。
そして、そっと墓石にかけてやった。
何も言わず、何も言えず。
泣きも笑いもせず、じっと見つめた。
「また来る」
そんな俺の姿を、あの怖がりの妹が、墓石の裏に隠れて見守っていてくれる、そんな気がした。
……俺ももう、怖がってばかりじゃいられないんだ。
立派な王にならないと。
お前が自慢できるような、そんな兄でいたいから。
怖がりの俺は、覚悟を決めて一歩前へ踏み出した。
おわり
『安らかな瞳』
「杏仁豆腐ってぇ、マジ安らかな瞳してると思わん?」
「…………は?」
俺はギャルの幼馴染に対して、心の中でツッコんだ。
——豆腐に目なんて、ねぇよ。と。
○○○
「卵豆腐はぁ、王子様みたいな優しげタレ目でぇ」
「ふんふん」
「絹豆腐はぁ、涼やかな大和撫子風のスっとしたキレ長の瞳」
「ほー」
「で、木綿豆腐はぁ、昔ながらの頑固親父のガチガチ系」
「お、おう……そうか」
「分かるっしょー?」
「いや、全然分からんが??」
マジで才能なぁいー、ウケるー!
と腹を抱えて笑うギャルに、俺は引き攣った顔で笑いを返した。
……笑いたいのは、俺の方なんだが?? と。
昔から、幼馴染は浮世離れしていた。
まるで自分とは違う世界が見えているみたいに。
「あっほら、宇宙人が来たよ」
「あーはいはい」
いや、流石に宇宙人は嘘だろ。
そんな軽い気持ちで流した事を、俺は明日後悔する。
○○○
「おはようございます、隣に引っ越してきました。杏仁豆腐星人のアン・ニンドです」
翌日、杏仁豆腐の頭部を持った宇宙人が、家の隣に引っ越し挨拶に来たからだ。
「これ、つまらないものですが……どうぞ」
そう言って渡された杏仁豆腐。
そっと視線をあげると、目が合った。
——とても、安らかな瞳をしていた。
「は、はは……ご丁寧に、どうも」
たぶん俺の笑顔は、人生最大にひきつっていただろう。
おわり
『もっと知りたい』
君の事がもっと知りたい、ただそれだけだった。
どんな花が好きなのだろう。
どんな動物が好きなのだろう。
どんな物を食べているのだろう。
知りたい、知りたい、知りたい。
君の事なら、どんどん詳しくなっていった。
朝起きたときに寝癖が右寄りに出来ること。
実はグリンピースが苦手なこと。
駅でいつもお婆さんに席を譲ってること。
女子の集まりで恋話したときに恥ずかしそうに頬を染めること。
全部、全部、全部。
僕は君の事を知ってるよ。
「でも、これは知らなかったでしょう?」
暗転。
そして次に目覚めたとき、そこは知らない天井だった。
「ーー」
あれ、ここは?
そういったつもりが、くぐもったうめき声しか出なかった。
不安になって体を起こそうとするも動かない。
そこで気がつく。
今、自分は見知らぬ部屋で、硬い机のような物の上で口ごと拘束されて動けなくされているのだ、と。
一気にパニックになりながら、足と手を必死に動かし暴れようとするが、拘束が固く全くビクともしない。
血の気が引いて真っ青になる中、クスリと音が聞こえた。
……あの子の笑い声だ。
チラリとそちらを見ると、あの子が僕の方を向いて微笑んでいた。
…………何故?
「ねぇ、好きな人のことって、もっと知りたいって思わない?」
頬を染めて、まるで初心な乙女のように近づいてくる彼女。
だけど僕は、ますます顔を蒼くして必死にもがく。
……彼女が大きな刃物を片手に持っていたからだ。
「あなたの内臓の色は、どんな色をしているのかしら」
『私、もっと知りたいわ』
その言葉と共に激痛が僕の身に走り、意識が暗転した。
最期に思ったことは、ただ一つ。
好奇心は猫を殺す。
あぁ、好きだからといって、何でも知ろうとした罰なのだ。
もし次に来世があったとしたら、次は絶対に好きな人のストーカーなんてしない。
——僕は心に固くそう誓った。
おわり
『平穏な日常』
平穏な日常とやらは、砂糖菓子のように崩れさった。
脆く儚く、刹那の甘さを残して……それはやってきた。
——塩の塊で出来た塩星人の侵略である。
○○○
ことの始まりは、こんなだった。
食べたケーキに塩が混じっている。
砂糖と塩の入れ間違い、か?
だが、それが国中、いや世界中で一斉に起こったらどうだろう。
そう、そして発覚したのだ。
この世のすべての砂糖が、塩に変わっている異変に。
この異変の理由の特定は、難しかった。
なんせ前兆は無かったし、世界規模。しかも、意味が分からない。
神の怒りだとか、人間の味覚が進化したとか、大規模の愉快犯的なテロでは? とか色々言われ……最終的に、辿り着いたのは塩星人の発見である。
塩星人。
それは、塩に混じった、極々小さな生命体である。
……正直、見た目は塩と大差ない。
だが、彼は塩と違い、砂糖を塩にしてしまうという厄介な特性を持っていた。意図しているわけでなく、人間が呼吸をして酸素を二酸化炭素にして吐き出すような無意識の特性らしい。
しかも、喋るのだ。この塩星人は。
人間よりも優秀な頭脳を持った彼らは、喋っている我らの言語を理解し、我らと同じ言語で話し出した。
曰く、生まれ育った故郷が隕石により消滅したため、新しい終の住処を探し求めて地球に辿り着いた、らしい。
『ただ、平穏な日常をおくりたいのです』
そう訴えてきた彼らの発言は切に迫るものがあった。
が、甘い物を求める者の声も、また切に迫るものがあった。
『甘い物が無いと死んでしまう……ムリ』
平穏な日常をかけた、お互いに譲れないもの。
あわや、一触即発の戦争か。
そんなときに一人の主婦が解決法を編み出した。
「塩と砂糖を2メートル離しておけば、砂糖は塩に変わらないわ」
SNSで100万バズったその投稿により、世界は平和になった。
我々は、両者とも平穏な日常を取り戻したのだ。
——平穏な日常のなんと有り難いことよ。
『マヨネーズが全部ケチャップになってる』
そんなコメントを見るまでは。
おわり