隠された手紙
古びた机の引き出しに、
黄ばんだ封筒が一つ。
滲むインクで書かれた言葉。
「話をしたい。」
まるで昨日のことのように、
その声が脳裏をよぎる。
忘れた筈の罪、消えぬ影。
崩れ落ちた未来。
封じ込めた声が、
夜の隙間から滲み出す。
握り締める拳に、
爪が食い込む。
捨ててしまえば、
楽になれるのか。
…だが、出来はしない。
隠された手紙。
それは、過去の闇からの刃。
朽ちる事のない鋭い痛み。
震える手で封を戻し、
静かに引き出しを閉じる。
二度と開かぬように。
…それでも、
耳元で囁く声は、
消えてはくれなかった。
バイバイ
君の瞳は、
深い哀しみを湛えて、
戻らぬ彼の影を、
只、待ち続けてた。
独り、佇む君の横顔に、
私は静かに近づいた。
孤独の海に沈む君へ、
微かな明かりとなれるならと、
そっと、温もりの腕を広げた。
例え、偽りの恋でも、
それで、良かった。
…君の、孤独な心の隙間や、
虚しさを埋めるなら。
…私の、失われた恋の未練が、
柔らかな嘘で包み隠せるなら。
やがて、私達は
淡い夢にすがるように
儚い恋に身を委ねた。
けれど、
君は彼を待ち続け、
やがて、私の温もりを手放した。
君が選ぶ道が、
彼の隣へと続くなら。
君にとっての真実ならば。
私は微笑んで、君を見送るね。
――バイバイ
〜〜〜〜〜
旅の途中
荒れ果てた道を、
ただ独り歩く。
冷たい風が頬を裂き、
足元に揺れる影だけが、
黙って寄り添ってくれる。
夢の中で、
お前の背中を追いかけても、
伸ばした手は虚空を掴み、
お前は闇へと溶けていく。
呼びかける声は、
乾いた砂のように、
指の隙間をすり抜けていく。
焼け焦げた空に沈む月。
形のない焦燥だけが、
夜に取り残される。
解けた記憶の糸を、
何度、手繰っても、
お前の温もりには届かない。
もしも——
あの日に戻れたなら。
今もお前の隣で、
その名を呼べただろうか?
だが夜は何も語らず、
風の啼き声だけが、
胸を締め付ける。
あの日——
お前は逝き、
俺だけが生き残った。
後悔を背負いながらも、
それでも俺は、歩き出す。
滲んだ夢を抱えたまま。
そう——
まだ果たされない約束を胸に、
俺は今も…旅の途中だから。
まだ知らない君
久しぶりに会った君は、
時の流れの魔法にかけられた様に、
すっかり大人になって、
穏やかな笑顔を湛えてた。
俺の記憶の中の君は、
小さな虫に悲鳴を上げたり、
怖い話に涙を滲ませたりする、
幼さの残る子供だったのに。
久しぶりに会った君は、
知らない人とも自然に話し、
慣れた手付きで料理を作り、
そして──驚く程、綺麗になっていた。
眩しく成長した君を前に、
記憶の奥に眠っていた、
想いが疼き出したんだ。
あの頃のように、
君の隣に居たい…って。
ねぇ、
俺に、もっと教えてくれないかな。
まだ知らない君のことを。
そして、
君にも、知って欲しいんだ。
まだ知らない俺のことを。
日陰
日陰の恋なんて、
するものじゃない。
人はそう言います。
それでも私は、
日陰の恋に溺れました。
どんなに苦しくても、
それは自業自得。
そんなことは、最初から、
分かっていた筈なのに。
貴方にとって、
私は仮初の恋人。
満たされない心を埋めるだけの、
只の抱き枕。
それでもいいと、
思っていました。
貴方が孤独を感じる夜に、
私を必要としてくれるなら。
貴方は優しくて、暖かくて――
そして、残酷で。
貴方の腕の中は、
苦悩を忘れさせてくれる、
魅惑のトランキライザー。
けれど、貴方に触れる度に、
心が、身体が、
貴方の全てを求めてしまう。
貴方の心も、身体も、
恋人という立場も――
全部、私のものにしたいと、
強く願うようになっていました。
気付けば、私の心は、
醜悪な黒に囚われ、
闇に堕ちていました。
そして私は、日陰から、
貴方の想い人の背中に、
憎悪を向け、
貴方の心から、
あの人を消してくれないか、と、
悪魔にさえ祈るのです。
帽子かぶって
帽子を目深に被ります。
身を切る寒風を、
避けるように、
凍える空気の中、足早に。
でも、本当は。
木枯らしよりも、
ずっとずっと冷たい、
鋭い刃物のような、
人の冷ややかな視線から、
私を隠す為。
人の悪意ある視線は、
余所者の私を、
無遠慮に射抜き、
深く突き刺さります。
その冷たさに、
心は、静かに沈むのです。
富める者と貧しい者。
相容れぬ存在が、
この大きな街の裏で交差し、
軋轢を生み、争いを生み、
人と人は傷つけ合います。
虚栄の豊かさの影には、
痛みが潜んでいるのです。
だから私は、
深く帽子を被り、
人目を避けるように、
街を歩きます。
『帽子かぶって』
遠い夏の日の、
母の優しい声が、
耳に響きます。
幼いあの頃、
日差しを避けてくれた帽子は、
今や、人の敵意を防ぐ兜。
冷たい視線を躱し、
静かに心を守る、盾なのです。