まだ知らない君
久しぶりに会った君は、
時の流れの魔法にかけられた様に、
すっかり大人になって、
穏やかな笑顔を湛えてた。
俺の記憶の中の君は、
小さな虫に悲鳴を上げたり、
怖い話に涙を滲ませたりする、
幼さの残る子供だったのに。
久しぶりに会った君は、
知らない人とも自然に話し、
慣れた手付きで料理を作り、
そして──驚く程、綺麗になっていた。
眩しく成長した君を前に、
記憶の奥に眠っていた、
想いが疼き出したんだ。
あの頃のように、
君の隣に居たい…って。
ねぇ、
俺に、もっと教えてくれないかな。
まだ知らない君のことを。
そして、
君にも、知って欲しいんだ。
まだ知らない俺のことを。
日陰
日陰の恋なんて、
するものじゃない。
人はそう言います。
それでも私は、
日陰の恋に溺れました。
どんなに苦しくても、
それは自業自得。
そんなことは、最初から、
分かっていた筈なのに。
貴方にとって、
私は仮初の恋人。
満たされない心を埋めるだけの、
只の抱き枕。
それでもいいと、
思っていました。
貴方が孤独を感じる夜に、
私を必要としてくれるなら。
貴方は優しくて、暖かくて――
そして、残酷で。
貴方の腕の中は、
苦悩を忘れさせてくれる、
魅惑のトランキライザー。
けれど、貴方に触れる度に、
心が、身体が、
貴方の全てを求めてしまう。
貴方の心も、身体も、
恋人という立場も――
全部、私のものにしたいと、
強く願うようになっていました。
気付けば、私の心は、
醜悪な黒に囚われ、
闇に堕ちていました。
そして私は、日陰から、
貴方の想い人の背中に、
憎悪を向け、
貴方の心から、
あの人を消してくれないか、と、
悪魔にさえ祈るのです。
帽子かぶって
帽子を目深に被ります。
身を切る寒風を、
避けるように、
凍える空気の中、足早に。
でも、本当は。
木枯らしよりも、
ずっとずっと冷たい、
鋭い刃物のような、
人の冷ややかな視線から、
私を隠す為。
人の悪意ある視線は、
余所者の私を、
無遠慮に射抜き、
深く突き刺さります。
その冷たさに、
心は、静かに沈むのです。
富める者と貧しい者。
相容れぬ存在が、
この大きな街の裏で交差し、
軋轢を生み、争いを生み、
人と人は傷つけ合います。
虚栄の豊かさの影には、
痛みが潜んでいるのです。
だから私は、
深く帽子を被り、
人目を避けるように、
街を歩きます。
『帽子かぶって』
遠い夏の日の、
母の優しい声が、
耳に響きます。
幼いあの頃、
日差しを避けてくれた帽子は、
今や、人の敵意を防ぐ兜。
冷たい視線を躱し、
静かに心を守る、盾なのです。
小さな勇気
ずっとずっと。
俺は、君を見ていた。
君には気付かれないように、
…そっと。
君と俺は親友。
それで満足だって、
自分に嘘を吐き続けて。
俺は君の隣で、
友達として、笑ってる。
君が誰かに微笑むたび、
俺の心には、
小さな波紋が広がって、
静かな湖面に、
小石を落としたみたいに、
心が騒つくんだ。
本当は君の視線を、
独り占めしたいんだ、って。
そんな想いを、押し殺し、
密かに唇を噛み締める。
俺の中の、小さな勇気を、
砂漠で砂金を求める様に、
一粒ずつ掻き集めて、
君に、この想いを伝えたい。
俺の身勝手だと、
分かっているけれど、
君の一番になりたい、って。
でも。
そんな、小さな勇気も、
君の、凛とした笑顔の前では、
繊細な氷の彫刻の様に、
儚く砕けて、溶けてしまうんだ。
わぁ!
人の憎悪が黒く渦巻く、
この世の中で、
必死に生きてきて。
柔らかな心は、
石のように冷たく固まり、
感情の泉は、
枯れた井戸のように涸れ果て。
私は、今日も、
まるで人形のように、
何も映さぬ冷めた眼で、
世間を見つめます。
春の色鮮やかな花々にも、
夏の蒼い空に浮かぶ白い雲にも、
秋の紅く染まる木々にも、
冬の粉雪舞う街の景色にも、
最早、心は微塵も震えず、
ただ 日々を生きるのみ。
貴方の様に、
わぁ!
…だなんて、
ときめきに心を弾ませ、
素直に喜ぶことが出来たなら、
どれほど、幸せでしょうか。
どうか貴方は。
この黒く醜い、
悪意溢れる世界に、
その輝く瞳と柔らかな心を、
奪われることのないように。
煌めく満天の星の美しさに、
眼を輝かせている、
貴方の背中を見つめ、
私はそっと祈るのです。