梅雨
皆であなたを連れて帰ってきて
誰かが庭の花を一枝切って枕元に活けた
白くて上品な花だった
翌朝 花は落ちていた
あなたが死んだということを
なぜかその時理解した
お葬式も四十九日も
何故かその日だけは晴れていた
あなたの命日を
いつもはっきり思い出せない
ただ夏椿を見るたびに
梅雨時にあなたがいなくなったこと
それだけいつも思い出す
終わりなき旅
物語る、とはずっと旅を続けているようなものなのだろうと思っていた。
それができなかった自分のための覚書:
◯あなたはうっすら憧れたものにはなっていない。それだけの衝動がなかったからだ。
だがあなたはまだ物語が好きで、誰かの物語を世に出す手伝いをしている。仕事はやりがいがあり、あなたは適度に幸福である。
◯誰もがずっと描き続けられる訳ではない。現にあなたが大好きなジュブナイルSFの作者は、あなたの知る限り他に作品を書いていない。
でもそこにはおそらく、その人の書きたかった全てがあった。ずっと未知の場所を旅し続ける必要はない。読み返せば大切な物語はそこにあり、あなたは何度でも旅に出られる。
◯仕事をしていて気づいたことの幾つか。優れた語り手は、あなたにないこんなものを持っている。
・圧倒的な個性や斬新な世界観:多少の矛盾すら吹き飛ばしてしまう。
・(上と矛盾するが)自分が何を書いたか、ちゃんと覚えている能力:自分の世界の法則や時間軸、このキャラクターは何をしようとしていて、何が好きか、誰にどんな台詞を言ったか。それをしっかりと覚えていれば、人物の行動や展開は無理のない、パズルのピースがぴったりはまったような印象を与えるものになる。
・「推敲する能力」:「彼女はまるで◯◯のような××色の髪と△△のような◻︎◻︎色の瞳の持ち主で肌はまるで〜〜産の⚫️⚫️のよう云々」と、外見上の特徴を一気に並べ立てない(※ジャンル上必要である場合を除く)。無駄な描写と繰り返し(「何だって⁈」と私は大声で叫んだ、のような文において、誰が喋っているか自明な場合の『と私は〜』にあたる部分)は思い切って削り、「印象づけたいもの」を描写する。
◯あなたがここに何かを書き込んでいるのは日記や独り言や、昔書いてみたかったものの断片を吐き出してすっきりしてみたかったからである。案の定、日記とポエムとストーリーのない何か(おそらく世間では黒歴史と呼ばれるもの)が積み上がりつつあるが、今のところ一つだけ書いて良かったものがあった。24時間以内の短い旅だったが、それを吐き出せただけで、あなたは前より少し幸せである。
終わりなき旅を続けるすべての方へ。あなたの旅が良きものでありますように。
いつの日か原稿を介してお会いすることがあるかもしれません。私は良い書き手ではないけれど、仕事はちゃんとしているのでその時はどうかよろしくお願いします。
半袖
「何で着替えたよ」
「半袖は駄目でした」
「何で? ボロすぎた?」
「そのシャツで行くなら、あなたの査定をゼロにすると」
「何で⁈」
マーマイトとケチャップの染みが複数、煙草の灰で空いた穴が二つ。コイツはあのボロシャツの持ち主である自分より5インチ背が高い。幅では負けていないから大丈夫かと思ったが、かなり「見せつける服」になってしまったのは否めない。
「…もしかして大胸筋?」
ちょっと刺激が強過ぎたかもしれない。場末のパブに偵察に行くのだから、なるべく労働者っぽく見せたかったのだが。
ダメ出しをして来た我等が上司は捜査能力は一流、社会性はゼロで、「血統書つきの野良猫」と呼ばれている。華奢な身体とお人形さんみたいな顔の持ち主だが、浮いた話はとんと聞かない。意外にオクテなのでは、と専らの評判だが、査定ゼロが怖くて誰も訊けない。
「上腕三頭筋を出すなと」
「どこよそれ」
「上腕の外側、この辺りですね。ドレスシャツをまくるのも駄目と言われました」
「俺らの肘から下に隠すべき部位ってあんの?」
「腕橈骨筋を出すなと」
その筋が出ている辺りですね、とこちらの腕を指して教えてくれた。
「あの人やる気ある? 私情とか職権濫用とか何かそういう」
「二番目の被害者はきちんと背広を着込んでいて、労働者階級にしては小綺麗だった。彼の遺体が一番ひどい状態だったので、『覆われていること』に何か特殊な思い入れがあるのかも知れない。とりあえず背広で行って、怪しげな者がいたら可能な限り監視・追跡、最低でも顔を覚えて帰るようにとのことです」
「お前になんかあったら俺の査定はゼロだな」
「自分は皆さんより頑丈に製造されていますのでご安心ください」
むしろあのシャツの持ち主が自分だとバレていることの方が怖い。
まあ、人生はこんなものである。
事件が絶え間なく起き、全てではないものの犯人を捕まえていく。
そのうちにごく何気ない調子で、あいつの所有権が国家から個人に移ったというアナウンスがあった。人間にしか見えないモノの運命が大きく変わった訳だが、あいつ自身の態度は全く変わらなかった。それでも自分を含めた周囲の連中の意識-コイツは俺たちを助ける係、という依存心には、あまり変わった様子はなかった。
その頃には我等が上司はシャツのボタンを全て留め、きちんとタイを締めるようになっていた。「野良猫」から「ブロフェルドの膝にいるやつ」くらいになった気がする。
「もうちょっとシュッとした猫だよな」
猫好きの何人かが、シャムだの何とかブルーだのと盛り上がっていた。
「どしたよ」
コイツが思い詰めた顔をするのは珍しい。特に最近ちょっと、いやかなりいい背広を着るようになってからは尚更だ。
「法令遵守上の問題について、折り入ってご相談が」
「俺でわかるような話?」
新しい所有者が非道とか? いやいや。
「あの、自分は最近ある方と一緒に住んでいるんですが」
「一応初めて聞いたけど何となく分かってたわ」
「その、割と急に話が決まったんです。話が出た夜から住み始めたんですが、着替えがですね」
「ないよな」
「あったんです」
「?」
「今着ているものを含めて外出着が一ダース、室内着と寝間着が合わせて一ダースほどありました」
「用意いいな」
「それなんです。その、自分が住み始めた晩にすでにそこにあった訳です。それが全部、あつらえたと思われるものだったんです」
「え、何が問題?」
「その、その人は元々自分の個人情報にアクセスできる立場の方で」
「…だろうな」
「最近初めて知ったんですが、服を仕立てるにはかなり時間が必要ですよね」
「らしいな」やったことはないが。
「つまり一緒に暮らすかどうかという提案がなされるずっと前に、それらの服は注文されていたと思われます」
「うん」
「それは何というか…業務上どうしても必要なこととは言えないのではと」
「でお前としては、そのお方が職務上知り得た秘密を使ってお前の素敵な服を仕立てちゃったのはちょっと問題じゃないかと思ってて、それをどこぞに相談するべきか悩んでると」
「仰るとおりです」
「…今日うちに帰ってその人の顔をじーっと見て、穴があくくらい見て、それでも『これは不正だ!』って言葉が浮かんだら相談窓口に言え。何かどうでも良くなったら放置。以上。他には? 何かひどい目に遭ってない? 騙されてない?」
「いえ、全く」
「ホントに? 半袖着てキレられたりしてない?」
「基本は背広ですし、寝間着は下しか着ないので、半袖は特に必要ないですね」
「…今の話は聞かなかったことに」
「その、法令遵守上の問題なんですが」
「なんも問題ない。いいからその報告書書いたらすぐ帰れ」
「はい。安心しました。ありがとうございます」
上司の「だいじなひと」が寝る時何を着ているか、というのは知らない方がいいことのような気がする。久しぶりに「査定ゼロ」という言葉が頭に浮かんだ。
天国と地獄
うろ覚えの覚書。
今まで読んだ中で最も美しい天国
『奇蹟の輝き』の常夏の国。
偉大な学者や芸術家は研究や創作に勤しみ、勤勉で善良な人々が講堂で学者たちの講義を聴いている。
彼らがとった講義録は、生きている者たちにインスピレーションを与える。
私の大切な人はアインシュタインと湯川秀樹しか信じない人だった。だから今はきっと彼らの講義を聴いているだろうし、ホーキング博士が予想よりずいぶん早く来てしまったことに驚いていると思う。
今まで読んだ中で最も印象的な地獄
『ヴァテック』の地獄。
そこでは愛し合っていた者たちですら互いを憎むようになり、心臓を焼かれる苦痛を堪えながらさまよい続ける。
救いを求める声も、誰かに差し伸べられる手もなく、ただ永遠の沈黙だけがある。
地獄の方は、「他者への無関心」という点からすると、自分もその住人なのではと思う時がある。
月に願いを
太陽の下で生きる者は「昼の子供」である。彼らは地に満ちている。
「夜の子供」は彼らと似ているが、幾つかの点で明確に異なる。
彼らは昼の光を浴びられない。そして生物、特に昼の子供たちの血液を摂る必要がある。
長命だが繁殖力は低く、昼の文明の発展とともに食糧(昼の子供が想像するよりは少量である)は入手しづらくなりつつある。
彼らはごく小さな集団で地下に潜み、「自分だけのモノ」との出会いを夢みている。特別に相性のよい昼の子の血液は、彼らの慢性的に続く飢えと渇きを満たし、血を交わした昼の子は長命を得るという。
一人の夜の子が、満月の夜によくある願いごとをした。
「どうか僕だけの人が見つかりますように」
彼は昼の世界では大地主の身分であり、住む土地には野生動物が多く棲んでいる。食事にはさほど困っていなかった。ただ、とても寂しかった。
国立公園のすぐ近く、個人の所有地内に小さな廃坑がある。
時刻が夕暮れ時で運が良ければ、見学もできる。
小さな坑内には、あなたが先程国立公園で見て来たあの鉱石、世界中でもここでしか採れないという青い石がここかしこに煌めいており、夜空を嵌め込んで作ったモザイク画を思わせる。
だがかつて鉱山だった頃に落盤事故があったとかで、それほど奥へは行かれない。
管理人は真昼の空のように青い目をした青年で、穏やかで若々しい。
彼は夕暮れ時になると現れて、迷い込んで来た者にはお茶や軽食を振る舞い、足を捻った者には応急処置をしてやり、近くの町まで連れて行く。居心地のいい宿や美しい場所も教えてくれる。
廃坑の近くには小さな洞窟らしきものがある。入口からは屋根付きの通路が延びており、彼の住むこぢんまりした家の一部と繋がっている。よく見ると、「住居の一部につき見学不可」という、よく磨かれた立札が出ている。
家の側には、よく手入れされた墓がある。
すぐそばには、簡素だが上品な領主館が建っている。持ち主はこの一帯の地主らしいが、姿を見た者はいない。
管理人は、この館の持ち主に雇われているらしい。だが、自分が管理しているのはこの鉱山と農場だけだ、という。
この管理人は自分の遠縁にあたる人である。
ずっと昔、なぜあの洞窟のそばに住んでるの? と聞いたところ、こんな話をしてくれた。
十歳の時、まだ鉱山が動いてた頃だ。あの廃坑で落盤事故にあった。
親父はそこの監督みたいなものだった。ある日息子に職場を見せていたら、そこで事故が起きて死んでしまった。
俺はあらゆる意味で一人になった。つまり、社会的にも独りぼっちになり、無名の小さな鉱山に閉じ込められ、そのことを誰かに伝える術もない。
どれくらいの時間一人でいたのかはわからない。ただ親父の左手の指先だけが見えていて、そこを両手で掘り返そうとしたのは覚えてる。
指が痛くてたまらなくなったところで、一旦ライトを消した。とても疲れてた。
「残念」「残念」
「潰れてしまった。この子じゃ足りない」
何か罅割れた、気味の悪い声が聞こえて目が覚めた。
目の前に誰かがいた。でも真っ暗だからわからない。
「君、大丈夫?」
俺と同じ、子供の声だった。
「…誰?」
すると辺りの青い石が、星空みたいに光りだした。
自分と同じくらいの子が膝まずいていた。髪は黒くて、見たこともないほど綺麗な顔をしている。
「痛い?」
頷きながら、この子はどこから来たんだろうと思った。彼はそう、古い映画みたいに恭しく俺の両手をとると、いきなり指先を口に含んだ。
汚れてるよ、と言おうとしたが、痛みが消えたのに驚いて言葉が出てこなかった。
少し、間があった。
「その人は君の仲間?」
彼は俺の凭れている瓦礫を差した。
父だと伝えると、
「…ごめんね、今の僕には出してあげられない」
そりゃあ無理だろう。
「君一体どこから来たの?」
「すぐ隣から。僕ずっとここに住んでるんだよ」
それから数日、彼は俺の世話をしてくれた。食べ物は林檎、飲み物は何か薬草茶みたいなもの。用を足す場所もちゃんとあり、使うといつの間にかきれいになっていた。彼は身体中の傷に薬らしきものを塗ってくれ、清潔にしてくれた。
それで少なくとも、発狂せずに済んだ-突然父親という存在が消え失せて、しかもその亡骸がすぐ側にあるというのは、子供が経験しなくていいことのはずだ。彼が現実の存在かどうかはどうでもよかった。
彼は外の話を聞きたがった。特に昼の光について。確かに昼は太陽が出ていて、どこもかしこも明るい。でも、昼でも月は結構見えるよ、と伝えると、何故だかちょっと寂しそうな顔をした。
何日か経つと、何だかひどく眠くなってきた。するとまた、夢うつつにあの変な声が聞こえた。
「早く早く」
「死んでしまう、もったいない」
「貴方も死ぬ、我々のように」
「この子でいいから」
目が覚めると彼はやっぱり側にいて、外に出たいかと訊いてきた。
出たいけど無理だと思う、何だかとても眠くて身体が重い、と言った。
「僕のところに来てくれたら、君はずっとゆっくり眠っていられる。でもやっぱり帰りたいなら、君だけなら何とか出してあげられると思う」
帰れるなら帰りたい。父さんに何があったか知らせないといけないから。
そう言うと、彼は綺麗な顔をくしゃっと歪め、僕が連れて行ってあげる、と言った。
「大事な人なんだね」
父と一緒に埋もれてしまった鉱内の地図では、あそこは行き止まりのはずだった。だが彼は俺をおぶって地図にはなかった、細い通路に入ってゆく。青い石がきらきらしていた。
俺は眠くてたまらなかった。彼のところで「ずっとゆっくり眠って」いれば良かったと思った。全身が変に熱っぽくて、震えているのがわかった。ふいに、彼が立ち止まった。
「…昼の光」
そこは細い、本当に細い坑道の出口だった。あと十段ほど登れば、父と通った道へ出る。階段の先には柵があり、隙間から空が見えていた。
「登れそう?」
俺は首を振った。
「帰りたい?」
それには頷いた。
「あのね、僕あそこには行けないんだ。だから、だから、許して」
そう言うなり、彼は俺をそっとおろし、思い切り抱きしめた。思いのほか強い力だった。首筋にちくりと痛みが走り、疲れとだるさが吸い取られるように軽くなった。
また強い眠気-今度はとても快いものが襲ってきて、俺は目を閉じた。夢の中で、彼は何かを繰り返し言っていた。
翌朝、落盤跡(親父の死んだ場所よりずっと手前でも起きていた)の処理に来ていた仲間たちが、古びた「立ち入り禁止」の柵の中で倒れてる俺を見つけた。彼らは一週間近く、親父を探してくれていた。
俺は親父がもっと奥で事故に遭ったこと、亡くなったのは間違いないこと、自分は奇跡的に無傷だったこと、食糧と水を多めに持っていたこと、無我夢中で歩いていたらここにいたことなどを並べ立てた。本当なのは最初の二つだけだ。あの子のことは、誰も信じないと思って言わなかった。あの先は間違いなく行き止まりで、俺のいた坑道の先を知ってる者は誰もいない、そうみんなが言ったからね。みんな親父を悼んでくれて、俺に優しくしてくれた。
俺は独りになったけど、遠縁にあたる人が引き取ってくれた。きみのお祖父さんの従兄弟だよ。引き取られてすぐアメリカに移民して、十年くらい向こうにいた。
夜になると、よく埋もれたままの親父とあの子のことを思い出した。鉱山の中の夜の光も。
いつかあそこへ戻れますように、あの子が何であれ、もう一度会えますように。月の綺麗な夜には必ずそう願った。
願いごと? みんな叶ったよ。
ある満月の夜、俺はここに戻ってきて、幸せを見つけた。それはあの洞窟に詰まってる。ただ、幸せの中にはきちんと覆いをかけて守らないといけないものがある。この家はそのために作ったんだよ。
一人の夜の子が、満月の夜にいつもの願いごとをしていた。
「どうかあの子が戻って来てくれますように」
洞窟の入口に腰掛けて月を見上げる。彼は今でもずっと寂しかった。
旅姿の青年が目の前に立った。
ここらで見たことがないほど背が高くて、がっしりしている。だが目は真っ青で、あの時僅かに見えた昼の光と同じ色をしていた。
二人の住む奇妙な家は、決して日の差さない安全な屋根に覆われ、昼のようにあたたかく明るい灯りで溢れている。夜の子は少し天井が低いことを気にしているが、昼の子は気にならないらしい。
二人は満ち足りて、幸せに暮らしている。彼らが月を見上げるのは、ただ「綺麗だね」と言って微笑み合う時だけである。