星明かり
此処に来て随分経ちました
星がとてもきれいです
星は実際 空にあいた穴で
あなたのいる美しい場所から光が漏れて
私に見えているのだと
いつも思っています
きっと 地下鉄の通風口のように
地に穴が空いているのでしょう
いつか 満月の夜に
お月さまの向こうから銀の糸が垂れてきて
私を連れて行ってくれるのだと
信じて ずっと待っています
またね!
子どもの頃から、幾度も見る夢がある。黒っぽくて何処か靄がかかったような人が自分の頭を撫でて、「またね」と云う。目が覚めるとそこは病院で、自分は何やら死にかけていたらしいことを知る。そんなことが度々あった。
「今日こそ迎えに来たよ」
「行かなきゃいけないの?」
「…そうだね」
目の前で、父と母が僕の手を握っている。何か呼びかけているのだが、僕には聞き取れない。これでさよならなんだろうか。
「…何処に行くの?」
「次の場所。大丈夫、みんなそこへ行くんだよ」
「パパもママも来る?」
「必ず来るよ」
「…あなたについて行って大丈夫なの?」
「僕は案内役だから、ぜひ信じて欲しいんだけどな」
「だって、なんか死神みたいな格好なんだもの」
「…君たちがお葬式で着る色にしてるんだけど、何か変?」
「すごく言いにくいんだけど、マンガやアニメによく出てくるカッコつけた敵っぽい」
全身黒ずくめで、パパが「とっくり」と呼んでいるセーターと同色のボトム。僕はまだ子どもだけど、ついて行ってはいけない気がする。
「これじゃ駄目かな? 場所も宗教も選ばなくていいかと」
「カンコンソーサイは背広でってパパが言ってた」
「…担当者に相談してみる」
両親はまだ僕に呼びかけている。
「これで一旦最後だから、思い残したことがあったら伝えてあげてほしい」
「…ありがとうって。それから、」
またね!
願いが1つ叶うならば
《おほしさまの じかんです》
そう書かれたスケッチブックを掲げて、わが家のちっちゃな幽霊が入ってきた。
そう言えば今日は、年に数度の流星群の日である。前に話したのを覚えていて、知らせに来てくれたらしい。
「そうだね、よし、見に行こうか」
かれは両手を上げて喜んでくれた。シーツを頭からすっぽり被っていても、喜怒哀楽は結構伝わるものである。
訊けば、流れ星を見たことはまだないと云う。
「願い事をしなきゃね」
《?》
「『流れ星』と呼ばれるものは、細い光が尾を引いて流れていくんだけど、その光が消えるまでに願い事をすると叶う、って言われてるんだよ。ちなみに、とっても速いです」
《!》
僕だけ服を着込んで、望遠鏡も持って。
庭先にシートを広げて、椅子とたっぷりの毛布を出して、かれをしっかりとくるむ。子どもはただただ、暖かくしてやりたい。たとえその子がもう生きていないとしても。
《!!!》
「見えた? 願い事はできたかな」
かれは下を向いてしまった。
「光ってから書くと間に合わないかもしれないね…書いておいて掲げるのはどうかな?」
かれが書き上げた願い事は、
《 ゆ っ く り ! 》
気持ちはよく分かる。だが。
「…えっとね、残念だけど、お星さまにはゆっくりできない事情があるんだよ」
《 ⁈ 》
流れ星のメカニズムについて、宇宙を漂う塵が云々〜、とつい語ってしまった。なるべく噛み砕いて伝えたつもりだが、大丈夫だろうか。
「そんな訳で、お星さまは頑張ってもあんまりゆっくり動けません。だから、ほかの願い事があったら、書いてみてほしいな」
二つほど星が流れたあとに見ると、かれはこう書いていた。
《このおうちに ずっといたいです》
かれがこういうことを書くたびに、僕はたまらない気分になる。
この子は僕がまだ子どもだった頃、この先にある家に閉じ込められていた。そして身体的、精神的、性的なあらゆる虐待を受けて、誰からも探されることなく生涯を終えた。
この子と知り合ってから、自分なりにその事件のことを調べてみた。この辺りでは知らぬ者のない、連続児童殺害事件である。本当に恥ずかしいのだが、あまりのおぞましさに途中で調べるのをやめてしまった。僕は卑怯者だ。
それでも、一つだけ強く思っていることがある。僕はこれまで、「目に見えないものは病原菌しか信じない」で生きてきた。でももし天国だとかそういうものがあるのなら、この子は真っ先にそこへ行くべきだ。
だから、もし願いが一つだけ叶うなら、どうかこの子に幸せになってほしい。
「君は居たいだけうちに居ていいし、どこでも行きたい処へ行っていいんだよ」
《 こ の お う ち 》
「…分かった。じゃあ、此処で君がしてみたいこととか、なりたいものはあるかな? せっかくだから願ってみよう」
一呼吸置いて盗み見ると、かれはこう書いていた。
《まほうつかいに なりたいです》
これは難しい。
翌日、町まで出て書店に寄った。
児童書のコーナーで『まほうつかいになる方法』なる絵本を見つける。素晴らしい。
どうやら、まずは杖が必要らしい。本を買って帰り、かれに見せた。
「どんな杖がほしいかな」
《すごいまりょくがある つえがほしいです》
「君はとっても素敵な子だから、きっと手に入るよ」
大人とは、平気で嘘をつける人間のことでもある。
「…詳しそうな人に相談してみようか」
次の日、僕たちは町に出かけて、玩具屋のご主人を訪ねた。電池式のキラキラ光る杖(先端に大きな星がついている)は、かれの心をとらえたらしい。
「これは魔法使いを目指すひとのためのものでね、いきなり魔法が使えるとは限らない。それでもいいかな」
かれはすっかりご機嫌である。
それ以来、夕食後になるとかれはお気に入りのクマのぬいぐるみに向けて杖を振っている。どんな魔法であれ、道は遠そうだ。
ところが、転機は意外と速く訪れた。
ある日の夕方、望遠鏡を外に出していると子どもの声がする。七歳くらいの女の子で、父親とハイキングに来てはぐれたと云う。
毛布にくるんで椅子に座らせ、まずは警察に…と思ったところへ、名前を呼びながら父親が駆け寄ってきた。懐中電灯を出して彼らの車まで送って行くと、その女の子はこう言った。
「歩いてたらすごく古いお家があって、何だか暗くて怖かったの。そしたらお星さまがきらきら光って動いてるのが見えて、着いて来たらおじさんがいた」
「きっと、親切な魔法使いが君を助けたんだね」
町に泊まる予定だという二人と別れてわが家へ戻ると、かれはまたクマに向かって杖を振っていた。
「おめでとう。君は今日、すごいまほうつかいになりました」
《?》
「あの女の子ね、お父さんに会えてすごく喜んでたよ」
かれはひとしきり両手を挙げて喜んだあと、
《あそこは わるいばしょです》
と書いた。
「うん、あの子が辛い思いをしなくて良かった。君は魔法を使ったんだよ」
かれは僕にぎゅっと抱きついてきて、《しあわせ》と書いてくれた。
結論。かれの願い事は叶い、僕の願い事も叶った。
一つだけ問題があるとすれば、最近かれが「さいきょうのつえ」に興味を示し始めたため、わが家の付近では時折、夕方に小枝が浮遊する怪奇現象が目撃されるようになったことである。
question
土曜の午後に家を出たら、すべてが
?
に変わっていた。
人の顔、看板の文字、コーヒーショップのメニューの写真に至るまで、何の情報も読み取れない。
カフェに入ってみると、人の発する言葉も理解できなくなっていた。
店員の声の高低と仕草を頼りに「一人」と示し、メニューの記憶を頼りにドリアとコーヒーを頼んだ(なぜか、自分の声は聞き取れた)。
ドリアは何やらどぎつい色の「?」が盛られていて、何の味もしなかった。コーヒーは芥子粒のように小さな「?」で満たされていて、飲んでみると液体だったがやはり味はしなかった。
失礼ながら以前も「美味しい」とまでは思っていなかったのだが、何だろう、本当に何の味もしない。
観たかったリバイバル上映の映画は今まで通りにちゃんと見えたし字幕も読めたが、いつもほど楽しめなかった。
週末ごとに行っているバーには、怖くて行けなかった。
週が明けて、恐る恐る会社に行った。同僚も上司も全く見分けがつかない。ただ、幸運なことに「仕事上必要な指示」だけは聞き取れた。声は別人、というより人とは思えなかったが。
人の顔も分からず、本も読めず、音楽も聴こえない。味も香りも分からない。ただ、元々親しんでいたものや、本当に必要なものは分かるらしい。
週末、バーに行ってみた。
「ラヴィアンローズを」
ショートグラスに並々と注がれた、きめ細やかな「?」を見て、一気に呑み干して帰った。
三週間後、思い立ってまたバーに行った。「?」はともかく、店長とは会話できていたらしいことを思い出したのだ。
「お久しぶりです」
いつもの、店長の声だった。
「ラヴィアンローズをお願いします」
「かしこまりました」
準備しながら、しばらく来ないので心配していた、少し元気がないようだが云々と店長(見た目は「?」の塊)が言い出したところでドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「一人です」
久しぶりに聞く、知らない人の声だった。
「では、こちらのお席へどうぞ」
彼は僕の横に座った。今日は割と混んでいる。
シェーカーを振る軽快な音がして、目の前にグラスが置かれた。久しぶりに見る、綺麗な赤だった。
「綺麗ですね。…ぼくも何か、赤い色のショートをお願いします」
店長は「コープス・リバイバー」を勧め、作って出した。
僕は時計を見るふりをして、彼を盗み見た。
彼は人間の姿をしていた。
その後のことはよく覚えていない。泣いたか、すごく呑んだか、その両方かだ。
最近、僕たちはよくあのバーで偶然一緒になる。そしてたまたま隣に座る。最後には赤いカクテルを呑み、「また」と言ってそれぞれの家に帰る。
「?」はまだ消えてはいないが、少しずつ減ってきている。
ところで最近、彼の頭の上に「answer」と見える気がするのだが、これは僕が都合よく期待していることと関係しているのだろうか。
その質問は、まだ怖くてできない。
やさしくしないで
「折り入ってご相談が」
「何? 結婚生活? それとも人間の感情とやらについて?」
「その両方です」
「死ぬほど聞きたくないけど一応聞くから、見張りだけ気合い入れて頼む」
コイツは俺たち二人の上司と結婚している。内容によっては上司に撃たれそうだし、そもそも何かものすごくしょうもないことだという予感がする。
「今朝出がけに、あまり優しくしないでほしいと言われたのですが、どう振る舞えば良いのでしょうか。そもそも優しさとは何かを全く理解できていないことに気付きました」
「理解しなくていいから、お前なりに大事にしてやんな」
相手の嫌がることはせず、足りてないっぽいものを用意し、心の中の密かな望みを頑張って推測し、それを何とか叶える。それくらいの適当な感じでOK。うん、俺もこの当直があけたら甘いもん買って帰るわ。ウチの妻も今日は夜勤でな。お互い頑張ろう。
「適当な感じで」
「多分だけど、そうしてくれるからお前と一緒になったんだろ」
「ですが、それを嫌がっているという事実が」
「あの人の私生活は全く知らんけど、色々辛かった人が急に幸せになると不安になるってことはあるらしい。失くすのが怖いんだろうな。おおかた、前にロクでもない男に引っかかった記憶が…とかじゃねえの」
「…悪い男ならいました。いえ、います」
聞いてはいけない感じの話が来た。頼むから真顔になるな。
「お前は知らんだろうけど、お前と結婚してホントにあの人落ち着いたのよ。だから『人間とは〜』とか考えずに、お前んちの普通にするのが一番だと思う」
「分かりました、ひとまずいつも通りにします」
狙っていた容疑者は現れなかったが、帰りがけに常連らしきゴロツキが若い店員に絡み出した。色々と法律的に真っ黒なセリフが聞こえてくる。
我が同僚はそのテーブルにスッと近づき、注意をひこうとして拳でテーブルを(コイツ基準で)軽く叩いた。ちなみにコイツは法律上は人間なのだが、「人間が造った存在」である。その気になれば素手で石壁をぶち抜ける。
テーブルはブチ壊れ、震えるゴロツキは俺が引き取った。ヤツは必ず弁償しますと店主に必死に頭を下げている。
「責任を持って弁償させますので、どうかこちらへご連絡をお願いします。ついでになんですが、最近こんな男が来店したことは…」
ゴロツキはその若くて細っこい男の店員にしつこく言い寄っていたらしい。上司だったら撃っていたかもしれない。店主にはむしろ感謝され、弁償の約束をきっちりして店を後にした。
「この馬鹿片付けたら終わりそうだな」
「今日はありがとうございました」
「ああ、とりあえずウチ帰ったらいつも通りにしとけや」
再び出勤。上司(見た目は若くて細っこい)がやる気のない顔で始末書を書いている。書き慣れているからか、速い。訊くなら今である。
「プライバシーの侵害してもいいすか」
「質問によるね」
「旦那は優しいですか」
「…普通」
「どんな感じに」
「いつもの当直明けと同じ。ジャスミンの花束を買ってきてくれて、一緒にごはん食べて、一緒にお風呂に入った。あ、あとクッキーも作ってくれた。大きめのチョコチップクッキーで、三枚食べようとしたら叱られた。ちなみにこの質問の意図は?」
「突然正気に戻らないでください。円満な結婚生活の参考にと思って」
「君のところは順調?」
「まあ普通っす」少なくとも俺は幸せだ。
「私は何でこんなに優しくしてくれるのかなっていつも思いながら生きてるんだけど、もうこの子(※身長六フィート六インチ)は優しさだけでできてるから、それをとったら彼じゃなくなるなと思って、積極的に享受していくことにした」
「いっすね」
「ところで、折り入って相談があるんだけど」
「何すか」
「最高の配偶者を得たけど自分がクズで何も返せそうにない場合、君ならどうする? どうすればいいの?」
「クッキーを二枚までにすれば全部解決っすね。無理そうなら、向こうの要望をなるべく受け入れてください」
「いつも『そのままでいてください』って言うんだよ」
「じゃあもうそのままでいいんで、三枚食おうとして叱られててください」
「そうする。ありがとう」
幸せそうだ。俺ももっと幸せになろうっと。