君の背中を追って
「出たら駄目です。今度脱走したら階段壊しますよ」
やだ。そしたら地下室から出られなくなっちゃう。
「いい子でね」
やだやだ、一緒に連れてって。ニンゲンの意地悪。
「夜には帰ります。それじゃあ」
さみしい。それに心配。外は危険でいっぱいなのだ。か弱いニンゲンを守ってあげないと。
「何をしてるんです」
なぜまたばれた。そしていつの間に後ろに。ばれないよう、密かに追ってきたはずなのに。
「理由は三つ。この暑さのなか長袖の外套に手袋。外見年齢に対して堅苦しい服装。とどめは帽子に色眼鏡。外に出て何分経ちましたか?」
五分。嘘です、十四分です。
「十四…こっちへ」
ぐいぐい連行されつつ周りのニンゲンを観察する。確かに、誰も帽子をかぶってない。でもニンゲンって僕たちより目が悪いんだよね、やっぱりこの光の所為じゃないかな。眼鏡いらないのかな。
「らっしゃーい」
玄関ドアに大きなベル。僕の地下室のドアにもついてる。そしてどうやら、ニンゲンとはベルが鳴ると飛んでくるものらしい。
「すみません警察の者です、ちょっと緊急で」
「あどうも…地下室すか?」
「あるんですか」
「葡萄酒置場すけど、ご案内します」
ひんやり。酒瓶が山程、それから小卓と椅子が二つ、とっても清潔。うん。僕たち二人にぴったり。うんうん。
「じゃあ、日没後に迎えに来ます」
やだー。
「此処に入れてもらえて幸いでした。うちから十四分、まっすぐ帰れたとして十四分。合わせて二十八分ですね」
それくらい分かるもん。
「もうじき正午です。この時間帯に貴方が外に居られるのは三十分まで。三十から二十八を引くと?」
…二分です。
「その間に何かあったら貴方は死にます。俺は八つ裂きで済むかどうか」
やだやだごめんなさい。待ってます。
「お腹は空いてませんか? 大丈夫? じゃあ、仕事に戻ります。あのすみません、飲み物は飲めるので、何か出してやっていただければ…あ、お酒はまだ無理です」
「お茶かミルクすかね。あ、苺のシロップなんてのもありますよ」
いちご牛乳、おいしい。血より美味しいかもしれない。血はテキゴウシャ、つまり彼からしか貰えない。これに切り替えたら、今よりは嫌われないかな。でも捨てられちゃうかもしれない。そしたら此処に住もうかな。さみしい。お部屋に戻りたい。
「失礼しまっす。お迎えっすよー」
!
「今日は本当にありがとうございました」
「いいえー。ウチもツレがご同類なんで慣れてんです。夜はツレがやってまして、お子さま連れでも安心な店ですんで是非またお二人でー」
「ありがとうございます。…じゃあ帰りましょうか」
お子さまですと。僕は君たちよりずっと年上、七十二歳なのですぞ。
「年上だし寿命も長いでしょうが、我々に換算したらかなり若いですよね。俺に置き換えると今いくつですか?」
十七。
「俺は嘘が嫌いです」
歩くの速い。背中広い。待って待って。
「もう一度訊きます」
…十二歳。
「本当に? 七歳じゃなく?」
ちょっと失礼だと思うのです。僕だってすぐに君くらい大きくなって、あんなお店でお酒をのむようになるんです。
「…だいぶ先になりそうですね。そのためにも早く帰って、栄養を摂りましょうか」
それから彼は、自分が僕より間違いなく先に死んでしまうこと、ずっと一緒にはいられないこと、だからなるべく危ないことをしてほしくないと思っていること、などをとつとつと話した。知ってる。そう、知ってる。
斜め後ろから彼の袖口をつかんでいたら、彼は手を繋いでくれた。大きくてあったかい。
頭の中に、君の背中を追っていく小さな僕が見える。追い抜いて、早く年をとれたらいいのに。
手放す勇気
あったらこんなことにはなっていない。
星明かり
此処に来て随分経ちました
星がとてもきれいです
星は実際 空にあいた穴で
あなたのいる美しい場所から光が漏れて
私に見えているのだと
いつも思っています
きっと 地下鉄の通風口のように
地に穴が空いているのでしょう
いつか 満月の夜に
お月さまの向こうから銀の糸が垂れてきて
私を連れて行ってくれるのだと
信じて ずっと待っています
またね!
子どもの頃から、幾度も見る夢がある。黒っぽくて何処か靄がかかったような人が自分の頭を撫でて、「またね」と云う。目が覚めるとそこは病院で、自分は何やら死にかけていたらしいことを知る。そんなことが度々あった。
「今日こそ迎えに来たよ」
「行かなきゃいけないの?」
「…そうだね」
目の前で、父と母が僕の手を握っている。何か呼びかけているのだが、僕には聞き取れない。これでさよならなんだろうか。
「…何処に行くの?」
「次の場所。大丈夫、みんなそこへ行くんだよ」
「パパもママも来る?」
「必ず来るよ」
「…あなたについて行って大丈夫なの?」
「僕は案内役だから、ぜひ信じて欲しいんだけどな」
「だって、なんか死神みたいな格好なんだもの」
「…君たちがお葬式で着る色にしてるんだけど、何か変?」
「すごく言いにくいんだけど、マンガやアニメによく出てくるカッコつけた敵っぽい」
全身黒ずくめで、パパが「とっくり」と呼んでいるセーターと同色のボトム。僕はまだ子どもだけど、ついて行ってはいけない気がする。
「これじゃ駄目かな? 場所も宗教も選ばなくていいかと」
「カンコンソーサイは背広でってパパが言ってた」
「…担当者に相談してみる」
両親はまだ僕に呼びかけている。
「これで一旦最後だから、思い残したことがあったら伝えてあげてほしい」
「…ありがとうって。それから、」
またね!
願いが1つ叶うならば
《おほしさまの じかんです》
そう書かれたスケッチブックを掲げて、わが家のちっちゃな幽霊が入ってきた。
そう言えば今日は、年に数度の流星群の日である。前に話したのを覚えていて、知らせに来てくれたらしい。
「そうだね、よし、見に行こうか」
かれは両手を上げて喜んでくれた。シーツを頭からすっぽり被っていても、喜怒哀楽は結構伝わるものである。
訊けば、流れ星を見たことはまだないと云う。
「願い事をしなきゃね」
《?》
「『流れ星』と呼ばれるものは、細い光が尾を引いて流れていくんだけど、その光が消えるまでに願い事をすると叶う、って言われてるんだよ。ちなみに、とっても速いです」
《!》
僕だけ服を着込んで、望遠鏡も持って。
庭先にシートを広げて、椅子とたっぷりの毛布を出して、かれをしっかりとくるむ。子どもはただただ、暖かくしてやりたい。たとえその子がもう生きていないとしても。
《!!!》
「見えた? 願い事はできたかな」
かれは下を向いてしまった。
「光ってから書くと間に合わないかもしれないね…書いておいて掲げるのはどうかな?」
かれが書き上げた願い事は、
《 ゆ っ く り ! 》
気持ちはよく分かる。だが。
「…えっとね、残念だけど、お星さまにはゆっくりできない事情があるんだよ」
《 ⁈ 》
流れ星のメカニズムについて、宇宙を漂う塵が云々〜、とつい語ってしまった。なるべく噛み砕いて伝えたつもりだが、大丈夫だろうか。
「そんな訳で、お星さまは頑張ってもあんまりゆっくり動けません。だから、ほかの願い事があったら、書いてみてほしいな」
二つほど星が流れたあとに見ると、かれはこう書いていた。
《このおうちに ずっといたいです》
かれがこういうことを書くたびに、僕はたまらない気分になる。
この子は僕がまだ子どもだった頃、この先にある家に閉じ込められていた。そして身体的、精神的、性的なあらゆる虐待を受けて、誰からも探されることなく生涯を終えた。
この子と知り合ってから、自分なりにその事件のことを調べてみた。この辺りでは知らぬ者のない、連続児童殺害事件である。本当に恥ずかしいのだが、あまりのおぞましさに途中で調べるのをやめてしまった。僕は卑怯者だ。
それでも、一つだけ強く思っていることがある。僕はこれまで、「目に見えないものは病原菌しか信じない」で生きてきた。でももし天国だとかそういうものがあるのなら、この子は真っ先にそこへ行くべきだ。
だから、もし願いが一つだけ叶うなら、どうかこの子に幸せになってほしい。
「君は居たいだけうちに居ていいし、どこでも行きたい処へ行っていいんだよ」
《 こ の お う ち 》
「…分かった。じゃあ、此処で君がしてみたいこととか、なりたいものはあるかな? せっかくだから願ってみよう」
一呼吸置いて盗み見ると、かれはこう書いていた。
《まほうつかいに なりたいです》
これは難しい。
翌日、町まで出て書店に寄った。
児童書のコーナーで『まほうつかいになる方法』なる絵本を見つける。素晴らしい。
どうやら、まずは杖が必要らしい。本を買って帰り、かれに見せた。
「どんな杖がほしいかな」
《すごいまりょくがある つえがほしいです》
「君はとっても素敵な子だから、きっと手に入るよ」
大人とは、平気で嘘をつける人間のことでもある。
「…詳しそうな人に相談してみようか」
次の日、僕たちは町に出かけて、玩具屋のご主人を訪ねた。電池式のキラキラ光る杖(先端に大きな星がついている)は、かれの心をとらえたらしい。
「これは魔法使いを目指すひとのためのものでね、いきなり魔法が使えるとは限らない。それでもいいかな」
かれはすっかりご機嫌である。
それ以来、夕食後になるとかれはお気に入りのクマのぬいぐるみに向けて杖を振っている。どんな魔法であれ、道は遠そうだ。
ところが、転機は意外と速く訪れた。
ある日の夕方、望遠鏡を外に出していると子どもの声がする。七歳くらいの女の子で、父親とハイキングに来てはぐれたと云う。
毛布にくるんで椅子に座らせ、まずは警察に…と思ったところへ、名前を呼びながら父親が駆け寄ってきた。懐中電灯を出して彼らの車まで送って行くと、その女の子はこう言った。
「歩いてたらすごく古いお家があって、何だか暗くて怖かったの。そしたらお星さまがきらきら光って動いてるのが見えて、着いて来たらおじさんがいた」
「きっと、親切な魔法使いが君を助けたんだね」
町に泊まる予定だという二人と別れてわが家へ戻ると、かれはまたクマに向かって杖を振っていた。
「おめでとう。君は今日、すごいまほうつかいになりました」
《?》
「あの女の子ね、お父さんに会えてすごく喜んでたよ」
かれはひとしきり両手を挙げて喜んだあと、
《あそこは わるいばしょです》
と書いた。
「うん、あの子が辛い思いをしなくて良かった。君は魔法を使ったんだよ」
かれは僕にぎゅっと抱きついてきて、《しあわせ》と書いてくれた。
結論。かれの願い事は叶い、僕の願い事も叶った。
一つだけ問題があるとすれば、最近かれが「さいきょうのつえ」に興味を示し始めたため、わが家の付近では時折、夕方に小枝が浮遊する怪奇現象が目撃されるようになったことである。