汀月透子

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12/7/2025, 8:59:12 AM

〈消えない灯り〉

 冬の朝の空気は、肺に刺さるほど冷たい。目覚ましより少し早く目が覚めたのは、今日が受験日だからだろう。布団から抜け出すと、床の冷たさが一気に足先へしみ込んでくる。台所では母が湯気の立つ味噌汁を温めていた。

「起きたの? 緊張するでしょ、あったかいの飲んで」

 お椀を受け取ると、指先がじんと熱を取り戻す。その温もりが胸にも広がった。

 ふと窓の外を見る。向かいの家の二階の部屋に、今日も小さく橙色の灯りがともっている。街はまだ夜の影を引きずっているのに、その光だけは冬の闇に浮かんでいた。

──

 僕は毎朝四時に起きる。この生活を始めて四ヶ月。最初はつらかったが、今ではすっかり体が覚えた。布団から出ると部屋の空気は冷え切っていて、暖房が効くまでの数分が一番堪える。

 静まり返った部屋で、凍えた指先をこすりながら参考書のページをめくる。その単調な時間に、ふと窓の外の灯りが目に入った。
 気づけば毎朝、向かいの家に必ず点いている。

「向かいの家って、お年寄り二人だよね?
 いつも電気ついてるんだけど」

 朝食の席で母にたずねると、卵焼きを返しながら言った。

「お年寄りなんて言ったら失礼よ。
 ご主人、市場勤めで朝が早いんですって。もう何十年も続けてるらしいわ」

 なるほど、と思った。僕が受験勉強で早起きするあいだ、向かいのおじさんは仕事へ向かう準備をしていたのだ。真冬の朝でも、何十年も。

 その日から向かいの明かりは、僕の中で特別な存在になった。つらい朝でも、灯りがともっているのを見ると不思議と背筋が伸びた。誰かが頑張っている。その事実だけで、自分も踏ん張れる気がした。

 十二月が過ぎ、一月の寒さはさらに厳しくなった。洗面所の水が痛いほど冷たい朝も、向かいの明かりは変わらずそこにあった。

──

 そして受験当日。通勤ラッシュに巻き込まれないように、早く家を出る。
 母が玄関で慌ただしく確認する。

「受験票は? 筆記用具は? お守りも持った?」
「全部あるよ」

 外に出ると、吐く息が白く立ちのぼった。

 ちょうどその時、向かいの玄関も開き、奥さんがゴミ出しに出てきた。

「あら、おはようございます」
「おはようございます」

 挨拶すると、奥さんがふわりと笑った。

「今年受験なんですってね。
 毎朝、電気がついているから、うちの主人と話してたのよ。頑張ってるねって」

 思わず目を見張った。向こうも僕の灯りを見ていたのか。

「主人ね、今朝も『そろそろ本番だな』って。
 応援してるって言ってましたよ」

 胸が熱くなる。冬の冷気より、その言葉のほうがずっと強く沁みた。

「ありがとうございます」
「行ってらっしゃい。頑張ってね」

 送り出すようなやわらかい眼差しに頭を下げ、自転車にまたがった。

 駅へ向かう途中、信号待ちの間に振り返る。薄暗い空の下、僕の家と向かいの家の灯りが並んでいた。

 電車に揺られながら窓の外を見る。明けきらない街に、ぽつぽつと明かりが灯り始める。

──消えない灯り。

 あの光は、誰かが頑張っている証だ。市場のおじさんも、受験生の僕も。きっと他の誰かも、まだ暗い朝に小さな灯りをともしている。

 そしてその光は、誰かに届く。僕が向かいの灯りに励まされたように、誰かが僕の灯りを見ていた。
 いつか自分も、そんな灯りになれたらいい。

 電車が駅に滑り込み、僕は立ち上がる。ホームに降り、凍りつく空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 さあ、行こう。
 灯りを、消さないために。

──────

真っ暗にすると眠れないので、タイマーで1時間後に消えるようにしています。
たまに、消し忘れて明け方に気づくこともあったりなんだり。
自律神経的には、ホントは良くないんですけどね。

12/6/2025, 8:02:36 AM

〈きらめく街並み〉

【sideA】
 塾を出た瞬間、冷気が頬を刺した。
 はあ、と息を吐くと白く曇って、ようやく冬休みに入った実感がわく。
 駅前に歩いていくと、ビルの壁面や街路樹に、きらめく電飾が流れるように輝いていた。
 あ、クリスマスか──。
 問題集とプリントの山に埋もれて、すっかり忘れていた。

 立ち止まって見上げていると、後ろから声がかかった。

「岡島?」

 振り返ると、島内豪がマフラーを直しながら立っていた。野球部のスタジャンに、少し帽子の癖のついた髪。練習帰りなのだと思った。

「塾? おつかれ」
「うん。島内は?」
「俺も今帰り。イルミネーションすげーよな」

 そう言って、彼は私の隣に並んだ。自然と同じ方向に歩き出す。
 駅前広場は人でにぎわっているのに、隣にいる島内の気配がひときわ大きく感じられた。

「進路、もう決めた?」
 と、彼が聞いてくる。

「……まだ迷ってる。
 理系に行きたい気持ちはあるんだけど、研究職って就職につながるのかとか……
 考え出すとよくわかんなくなって」

「だよなー。
 俺も野球だけじゃダメだし、志望校ちゃんと考えないとって思ってる」

 島内はポケットに手を入れたまま、ふうっと息を吐いた。

「まださ、十七年しか生きてないのに、未来まで考えろって無茶だよな」
「ほんとそれ。
 だけど……やりたいことはあるんだよね。
 実験とか研究とか。好きなんだけど、それで食べていけるのかなって」

 言いながら、胸の奥がじんわり重くなった。誰に相談しても、明快な答えなんて出てこない。

 すると島内が少し笑って、私を覗き込んだ。

「でもさ。
 岡島が白衣着て実験してる未来、俺は普通に想像できるけどな。
 授業でもいつも熱心だし」
「……え?」

 不意打ちみたいな言葉で、視界が一瞬だけ明るくなる。
 顔が熱くなった。イルミネーションの色が頬に映っているだけだ、と自分に言い聞かせる。

(そんなふうに思ってたの……?)
 心拍数が上がる。

 やがて、バスターミナルに着いた。私の乗るバスがすでに停車している。

「じゃあ、また来年な」
 島内はそう言うと、当然のように右手を差し出してきた。
 私は驚いて一瞬固まった。

「え、なに?」
「……あ、いや。
 試合のあと、相手校と握手するじゃん。癖でつい」

 彼は照れ臭そうに頭をかいた。

 おずおずと手を差し出し、手袋越しに彼の手を握る。
 がっしりした、節ばった大きな手……温もりがじんわり伝わってきた。
 ほんの数秒だったのに、心臓が跳ねる音が自分でも聞こえそうだった。

「じゃ、よいお年を」

 去っていく島内の背中を見送りながら、私はバスに乗り込んだ。

 窓際の席に座り、発車すると、イルミネーションの光が流れるように視界を横切った。
 きらめく街並みが、どういうわけかにじんで見える。
 さっき握手したときの温かさが、まだ手のひらに残っている。

(この気持ち、なんて言うんだろう)

 うまく言葉にはできない。でも、今日のことは、きっと何十年経っても覚えているだろう。
 そんな不思議な確信だけが、胸の奥で静かに燃えていた。

──

【sideB】

 クリスマスが近いことは知っていた。けれど、駅前のイルミネーションを、あんなふうにゆっくり眺めるのは久しぶりだった。
 今日の俺は、ただの寄り道のつもりだったのに──まさか、岡島に会うとは。

 塾帰りらしいバッグを肩にかけて、少しだけ疲れた顔をしていた。けれど光が反射して、頬のあたりだけはあたたかい色に見えた。
「こんなところで何してんの」と声をかけると、岡島はちょっと驚いて、すぐに笑った。それだけで胸の奥がざわざわしてくる。

 俺たちは自然に並んで歩きだした。
 彼女は理系で、授業でもずっと真面目で、質問する時の声は小さいくせに、目はすごく真剣だ。
 進路の話になった時、「学びたいことはあるけど、就職につながるか不安」と言った岡島は、いつもより弱い声だった。

「まだ十七年しか生きてないのに、未来まで考えろって無理だよな」
 自分でも、珍しくまっとうなことを言ったと思う。

 でも、言葉より先に浮かんでいたのは、あの実験室に立つ岡島の姿だった。
 理科の実験で、試験管をのぞき込んで、少しだけ眉を寄せる表情。

「岡島が白衣着て実験してる姿、想像できる。
 岡島、授業でもいつも熱心だし」
 そう言うと、彼女が一瞬だけこっちを見て、耳まで赤くした。

 ──その顔が、妙に頭に残る。

 この先どうなるとか、そんなのまだわからない。
 でも、あの時、もっと何か言ったほうがいいような気がした。
 ただ、言葉が出なかった。
 俺はいつも野球以外では不器用だ。進路のことも、実は誰より不安だ。
「野球だけじゃダメだし、志望校も考えないと」なんて言ったが、あれはほとんど自分に向けた言葉だった。

 バスターミナルに着くと、岡島が「あ、じゃあね」と言った。
 その時、反射的に腕が動いた。

「また来年」
 気づけば、手を差し出していた。

 やった瞬間に後悔した。クリスマス前の夜に、女子に突然握手ってなんだよ。

「あー……試合後の癖で、つい」
 誤魔化すように笑ったけれど、本当は違う。

 これは癖なんかじゃない。
 ただ、触れたかった。
 彼女が、離れていく前に。

 でも、岡島は驚いた顔のまま微笑んで、そっと手を出してくれた。

 手袋越しでもわかった。
 小さくて、でもまっすぐ握り返してくる手。
 その温もりに、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 バスが来て、岡島が乗り込んだ。
 窓越しに、イルミネーションが彼女の横顔を照らしていた。
 その光も、彼女が俺に向けてくれた小さな笑顔も、全部胸に焼きつく。

 バスが動き出したとき、ようやく認めざるを得なくなった。
 俺は、ずっと前から岡島のことが好きだったんだと。

 気づくのに時間かかりすぎだよな、と自分でも思う。
 でも今は、その想いが手袋越しの温もりみたいにじんわり残っている。

 また来年。
 その言葉が、こんなに楽しみになるなんて、思いもしなかった。


──────

というわけで、彼女と彼の視点で書いてみました。
野球部ぅー!笑

続くかどうかはわかりません。面白そうですけど。

12/4/2025, 11:42:34 PM

〈秘密の手紙〉

 小さな物音に気づいたのは、夜のニュースが始まる前だった。

 廊下を歩くと、妻が和室の隅で小さな箱を膝に置き、何やら手紙を読んでいる。
 返事らしきものを便箋に書き、封筒に入れ、そっと箱に戻す。蓋を閉じる指先は、まるで壊れものを扱うように優しかった。

「誰に返事を書いているんだ……?」

 声をかけかけて、私は口を閉じた。
 長年連れ添ってきたはずなのに、あんな表情は初めて見る。もやもやと、妙な感情が湧いた。

 その晩、妻が風呂に入ったすきに、つい小箱の前に立ってしまった。
 開けるな、と自分に言い聞かせる間もなく、指は蓋を持ち上げていた。

 中には、色あせた封筒がぎっしりと並んでいる。ひとつを取り出すと、見覚えのない丸い字が目に飛び込んだ。

『16歳の私から、40歳の私へ』

 40歳――妻が一番忙しかった頃だ。
 別の封筒を開けば、

『28歳の私から、78歳の私へ』

 今の妻に向けた手紙。
 時を越えた“自分自身”への手紙だと気づいた瞬間、便箋が急に重く感じられた。

「日記みたいなものなのか?」

 つぶやいた拍子に、封筒の束が箱の中で崩れ、ぱさりと床に散らばった。慌てて拾ったところで、背後が声がした。

「何をこそこそ見ていたんです?」

 振り返ると、湯上がりの妻が、髪をタオルで押さえながら立っていた。
 私は言葉を失った。

「い、いや……その……」
「ふうん。返事に困るということは、後ろ暗い気持ちがあったのね」

 妻は私の手から便箋を取り上げ、ため息もなく言った。

「見られて困るものじゃありませんよ。どうぞ」

 畳に腰を下ろし、一つの手紙を広げて見せる。

『16歳の私から、40歳の私へ』
『泣きたい日もあるでしょう。
 でも、あなたはちゃんと大人になっているはずです』

『28歳の私から、78歳の私へ』
『私の目標はかわいいおばあちゃんになること。目標は果たされましたか?
 あの人と仲良く暮らしていますか?』

 私は聞かずにいられなかった。

「……これは全部、お前が書いたのか」
「そうですよ。話せないことが多かったから。
 誰かに聞いてほしいのに、言ったってあなた生返事しかしなかったじゃない」

 妻の言葉に胸がちくりと痛む。

 思い返せば、確かにそうだ。
 仕事に疲れ、面倒くさがり、妻の話を半分しか聞いていなかった。

「それで、自分に手紙を書いて、返事も書いていたのか」
「はい。愚痴も、不安も、悲しさも。
 でも、うれしいこともね。愚痴ばかりじゃありませんよ」

 妻は小箱から別の封筒を取り出し、私に渡した。
 そこにはこう綴られていた。

『45歳の私へ』
『あの人が珍しく誕生日を覚えていて、ケーキを買ってきてくれた。恥ずかしそうで、かわいかった』

 顔が熱くなった。
 そんなに喜んでいたなんて、知らなかった。

「……悪かった。
 お前がつらい時、ちゃんと気づけなくて」
「もういいんです。昔のことですから」

 妻は膝の上の小箱をそっと閉じ、しばらくそれを撫でた。

「これはね、人生のアルバムみたいなものなんです」
「そうか……」

「でもね、あなた宛の手紙もあるんですよ」
「……俺に?」
「ええ。いつか読む時がくるでしょうけど、まだ見せません。
 私の最後の一通ですから」

 “最後の一通”。
 それを読む時の自分は、どんな顔をしているだろう。
 戸惑った私に、妻は柔らかく笑った。

──

 その夜、布団に入っても眠れなかった。
 妻がどれだけの思いを抱え、どれだけ私を思いやりながら生きてきたか──思い返すほど胸が痛む。

 妻が私にしてくれたことを、覚えているつもりでいて実は覚えていなかったのではないか。
 朝の味噌汁の湯気、弁当の匂い、疲れて帰った時のひと言。
 あれらは全部、妻が黙って差し出してくれた“手紙”のようなものだったのかもしれない。

 そして私は、それに返事をしたことがあっただろうか。
 ……いや、ほとんどない。

 私は起き出し、自分の机の引き出しを開けた。
 古い便箋と封筒を取り出し、しばらく見つめる。

 「……書くか。俺も」

 何を書くべきだろう?
 謝罪か、感謝か、長年言えずにいた言葉か。
 書き始めればどれも照れくさく、どこかで言い訳をしてしまいそうだ。

 そしてふと考える。
 この手紙を、どこにしまっておこうか。
 机の奥か、タンスの引き出しか。
 いや、小箱の底にそっと置いておくのもいい。

 妻がいつか見つけたとき、どんな顔をするだろう。
 胸に温かい緊張を抱えながら、私は小さく息を吸った。

──さて、何から書こうか。

 妻の寝息を聞きながら、その一行目の言葉をずっと考えている。

──────

子育てや仕事のことで悩んで眠れなかった時代、子供に向けて手紙を書いていました。
(相当昔です)
20年ぶりにそれを見つけ、がんばったねとその頃の自分を慰めて、手紙をシュレッダーに。
手紙を燃やしてお炊き上げする時代じゃないですからねぇ。

このお話の妻さんも、もっと秘めた想いはお炊き上げしてる……はず。

12/4/2025, 3:52:49 AM

〈冬の足音〉

 コンビニで弁当を手に取ったとき、ふと思った。
──家に着くまでに冷めるな、これ。

 十一月も半ば、夜の冷え込みが日ごとに増している。店を出ると、吐く息が白く染まった。
 弁当の温もりがビニール袋越しに手のひらに伝わってくるけれど、このぬるい熱はマンションまで持たないだろう。

「冬だな」

 小さくつぶやく。誰に聞かせるでもない独り言だ。

 歩きながら、ふと気づく。つい最近まで夏だったような気がするのに、もう冬の入り口だ。
 年々、季節が過ぎるスピードが速くなっている。子どもの頃は一年が途方もなく長かったのに、今じゃあっという間だ。
 それだけ年を取ったということだろう。

 四十代も半ば。独身。結婚願望があるわけでもない。いや、正確には「ない」と思い込んでいる、のかもしれない。
 けれど、この季節だけは妙に寂しさが胸に沁みる。冷たい空気が肺に入るたび、心まで冷えていくような感覚がある。

 マンションの前に着くと、一階に住んでる大家の内堀さんが玄関前で段ボール箱を持ち上げようとしていた。

「内堀さん、それ重いでしょう」

 声をかけると、内堀さんが顔を上げた。

「あら、田倉さん。ちょうどよかったわ」

 箱には「天然水 2L×6本」と印刷されている。小柄の内堀さんは七十過ぎの一人暮らし。腰が悪いと聞いている。

「俺が運びますよ」

 俺は荷物を持ち上げた。ずっしりと重い。これは無理だろう。

「ありがとうね。
 対面でお願いしてたのに、置き配にされちゃって困ってたのよ」

 内堀さんは申し訳なさそうに笑う。
 ドアを開けてくれたので、俺は玄関の上がったところまで運んだ。

「いつもと違ったところで頼んだら、あそこは置き配にされちゃうのよね。
 年寄りには重いのに」

「これからもっと寒くなりますからね。また置いてあったら声かけてください」

「ありがとうね。あ、ちょっと待ってて」

 内堀さんは奥の部屋に消え、すぐに戻ってきた。手には小さなビニール袋。

「これ、田舎の親戚が送ってくれたミカンなの。
 たくさんあるから、よかったら持っていって」

「え、いいんですか?」

「一人じゃ食べきれないのよ。
 若い人に食べてもらった方が嬉しいわ」

 断る理由もない。俺は素直に受け取った。

「ありがとうございます。じゃあ、また」

「気をつけてね。
 寒いから風邪ひかないようにね」

 内堀さんの言葉に、なぜかほっとした。

 自分の部屋に戻り、電気を点ける。
 いつもの静かなワンルーム。テーブルに弁当とミカンの袋を置いた。予想通り、弁当は冷めている。
 スマホを見ると、姉からメールが届いていた。

『最近寒くなってきたけど、ちゃんと健康管理してる?』

 思わず苦笑する。姉は昔から心配性だ。
 遠方に嫁いで、自分の家庭を持っているのに、こうして時々メールをくれる。
 返信しようとして、ふと手を止めた。

 冷めた弁当と、内堀さんからもらったミカン。姉からの心配のメール。
 一人暮らしで、結婚もしていない。友達と呼べる人間も、正直そんなにいない。
 けれど、完全に独りじゃないんだな、と思う。

 俺は弁当を電子レンジに入れ、その間にミカンを一つ剥いた。皮を剥くと、部屋に甘酸っぱい香りが広がる。一房を口に入れると、果汁が弾けた。

 冬の夜の冷たさと、ミカンの温もり。
 窓を見ると、白く曇ったガラスに外の街灯がにじんで見える。

 冬はもうすぐそこまで来ている。

──────

前に書いた「誰か」の続編?です。
健康管理、してますかねぇ。(姉視点

12/2/2025, 11:18:30 PM

〈 贈り物の中身〉

 窓の外では、みぞれまじりの雨が降っている。

 十二月に入って最初の週末。いつものカフェは、クリスマスの飾りつけで華やいでいた。
 四人がテーブルを囲むと、南月が両手をこすり合わせながら言った。

「さっむ! もうホットココア一択!」
「もう完全に冬だね」

 遥香がマフラーを外しながら微笑む。首元には、小さなペンダントが揺れていた。

「それ、新しいの?」
 晶穂が目ざとく気づく。

「あ、これ?この前の誕生日に、あの人が……」
 遥香の頬がほんのり赤くなる。どうやら例の上司と付き合い始めたらしい。

「いいなあ、プレゼント!」
 南月が身を乗り出した。

「でもさ、もらった贈り物ってどうしてる?みんな全部持ってる?」
「急にどうしたの」
 芙優が不思議そうに尋ねる。

「いやね、この前引っ越しの準備してたら、元カレからもらったものがいっぱい出てきちゃって。
 どうしようかなって」
 南月の声に、いつもの明るさとは少し違う、困惑が混じっていた。

「捨てられないの?」
 晶穂が冷静に聞く。

「それが……。アクセサリーとか、本とか、CDとか。全部に思い出があるんだよね。別れた今となっては、ちょっと複雑な思い出だけど」
「わかる」
 遥香が静かに頷いた。

「私も昔の彼からもらったマグカップ、まだ使ってる。可愛いし気に入ってるから捨てられなくて。
 でもたまに、これ使うたびに思い出すのってどうなのかなって思うことある」
「物に罪はないって考え方もあるけどね」
 晶穂がカップを両手で包みながら言った。

「でも、新しい恋をするときに、過去の贈り物が部屋にあるのって、なんとなく申し訳ない気もするよね」
「そう!それ!」
 南月が大きく頷く。

「次に誰か部屋に来たときに、"それ誰からもらったの?"とか聞かれたらどうしようって」
「聞くかなぁ、そこまでチェック入る?」
 遥香が苦笑する。

 しばらく沈黙が流れた。窓の外の雪は、少しずつ本格的になってきている。

「私ね」
 芙優がゆっくりと口を開いた。

「昔もらった手紙は、全部箱に入れて押し入れの奥にしまってある。見返すことはないけど、捨てることもできない」

「手紙かあ……」
 南月がしみじみと言う。

「最近って、手書きのものもらうことないよね。データで残るメッセージばかりで」

「そう考えると、物としての贈り物って、重みがあるのかもしれない」
 晶穂の言葉に、三人が顔を上げた。

「重み?」

「うん。形があるものは、捨てるという選択を迫られる。でもデータは、放置できる。スマホの中に思い出が眠っていても、日常では目に入らない」
「なるほど……理論派」
 南月がクスッと笑った。

「でもそれって、逆に言えば」
 芙優が続ける。
「形あるものは、ちゃんと向き合わないといけないってことだよね。
 持ち続けるか、手放すか」

 四人の視線が、遥香のペンダントへと自然に集まった。

「私は……このペンダント、大事にしたいと思ってる」
 うつむきながら、遥香が胸元に手を当てる。
「たとえこの恋が叶わなくても、この気持ちを持っていた自分を忘れたくないから」

「素敵」
 芙優が微笑んだ。

「でもそれって、今進行形の恋だからじゃない?」
 南月が少し寂しそうに言う。
「過去になった恋の贈り物は、どうすればいいのかな」

 晶穂がゆっくりとココアを飲み干して、言った。
「無理に答えを出さなくてもいいんじゃない?
 今は持っていて、いつか自然に手放せるときが来るかもしれない。
 大事なのは、その物に縛られないことだと思う」

「縛られない……か」
 南月が窓の外を見つめる。
「そっか。
 持ってるからって、過去に囚われてるわけじゃないもんね」

「うん。それに」
 芙優が優しく言った。
「贈り物って、物そのものより、その時の気持ちが本当の中身なんだと思う。
 箱を開けたときの驚きとか、嬉しさとか。それはもう、あなたの中にちゃんとあるから」

 南月の目が、少し潤んだ。
「そうだね。ありがとう」

 四人は温かいカップを手に、しばらく無言で冬の景色を眺めていた。

 外に出ると、雪はやんでいた。冷たい空気が頬を撫でる。

「さて、次は温泉だったわね」
 遥香が明るく言った。

「冬の温泉、楽しみ!」
 南月も元気を取り戻している。

「その前にクリスマスがあるけどね」
 晶穂が笑う。

「今年もまた、プレゼント交換する?」
「もちろん!」
 四人の声が、冬の夜に溶けていく。

 贈り物の中身は、きっと思い出そのもの。それを抱きしめるか、そっと手放すかは、それぞれの心が決めること。

 季節が巡るように、人の心も静かに変わっていく。

──────

ストーリー立てしないで会話中心になるときは、ネタに詰まってる時です(
ミステリーぽいお話とかできそうだけど、この辺で。

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