汀月透子

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〈きらめく街並み〉

【sideA】
 塾を出た瞬間、冷気が頬を刺した。
 はあ、と息を吐くと白く曇って、ようやく冬休みに入った実感がわく。
 駅前に歩いていくと、ビルの壁面や街路樹に、きらめく電飾が流れるように輝いていた。
 あ、クリスマスか──。
 問題集とプリントの山に埋もれて、すっかり忘れていた。

 立ち止まって見上げていると、後ろから声がかかった。

「岡島?」

 振り返ると、島内豪がマフラーを直しながら立っていた。野球部のスタジャンに、少し帽子の癖のついた髪。練習帰りなのだと思った。

「塾? おつかれ」
「うん。島内は?」
「俺も今帰り。イルミネーションすげーよな」

 そう言って、彼は私の隣に並んだ。自然と同じ方向に歩き出す。
 駅前広場は人でにぎわっているのに、隣にいる島内の気配がひときわ大きく感じられた。

「進路、もう決めた?」
 と、彼が聞いてくる。

「……まだ迷ってる。
 理系に行きたい気持ちはあるんだけど、研究職って就職につながるのかとか……
 考え出すとよくわかんなくなって」

「だよなー。
 俺も野球だけじゃダメだし、志望校ちゃんと考えないとって思ってる」

 島内はポケットに手を入れたまま、ふうっと息を吐いた。

「まださ、十七年しか生きてないのに、未来まで考えろって無茶だよな」
「ほんとそれ。
 だけど……やりたいことはあるんだよね。
 実験とか研究とか。好きなんだけど、それで食べていけるのかなって」

 言いながら、胸の奥がじんわり重くなった。誰に相談しても、明快な答えなんて出てこない。

 すると島内が少し笑って、私を覗き込んだ。

「でもさ。
 岡島が白衣着て実験してる未来、俺は普通に想像できるけどな。
 授業でもいつも熱心だし」
「……え?」

 不意打ちみたいな言葉で、視界が一瞬だけ明るくなる。
 顔が熱くなった。イルミネーションの色が頬に映っているだけだ、と自分に言い聞かせる。

(そんなふうに思ってたの……?)
 心拍数が上がる。

 やがて、バスターミナルに着いた。私の乗るバスがすでに停車している。

「じゃあ、また来年な」
 島内はそう言うと、当然のように右手を差し出してきた。
 私は驚いて一瞬固まった。

「え、なに?」
「……あ、いや。
 試合のあと、相手校と握手するじゃん。癖でつい」

 彼は照れ臭そうに頭をかいた。

 おずおずと手を差し出し、手袋越しに彼の手を握る。
 がっしりした、節ばった大きな手……温もりがじんわり伝わってきた。
 ほんの数秒だったのに、心臓が跳ねる音が自分でも聞こえそうだった。

「じゃ、よいお年を」

 去っていく島内の背中を見送りながら、私はバスに乗り込んだ。

 窓際の席に座り、発車すると、イルミネーションの光が流れるように視界を横切った。
 きらめく街並みが、どういうわけかにじんで見える。
 さっき握手したときの温かさが、まだ手のひらに残っている。

(この気持ち、なんて言うんだろう)

 うまく言葉にはできない。でも、今日のことは、きっと何十年経っても覚えているだろう。
 そんな不思議な確信だけが、胸の奥で静かに燃えていた。

──

【sideB】

 クリスマスが近いことは知っていた。けれど、駅前のイルミネーションを、あんなふうにゆっくり眺めるのは久しぶりだった。
 今日の俺は、ただの寄り道のつもりだったのに──まさか、岡島に会うとは。

 塾帰りらしいバッグを肩にかけて、少しだけ疲れた顔をしていた。けれど光が反射して、頬のあたりだけはあたたかい色に見えた。
「こんなところで何してんの」と声をかけると、岡島はちょっと驚いて、すぐに笑った。それだけで胸の奥がざわざわしてくる。

 俺たちは自然に並んで歩きだした。
 彼女は理系で、授業でもずっと真面目で、質問する時の声は小さいくせに、目はすごく真剣だ。
 進路の話になった時、「学びたいことはあるけど、就職につながるか不安」と言った岡島は、いつもより弱い声だった。

「まだ十七年しか生きてないのに、未来まで考えろって無理だよな」
 自分でも、珍しくまっとうなことを言ったと思う。

 でも、言葉より先に浮かんでいたのは、あの実験室に立つ岡島の姿だった。
 理科の実験で、試験管をのぞき込んで、少しだけ眉を寄せる表情。

「岡島が白衣着て実験してる姿、想像できる。
 岡島、授業でもいつも熱心だし」
 そう言うと、彼女が一瞬だけこっちを見て、耳まで赤くした。

 ──その顔が、妙に頭に残る。

 この先どうなるとか、そんなのまだわからない。
 でも、あの時、もっと何か言ったほうがいいような気がした。
 ただ、言葉が出なかった。
 俺はいつも野球以外では不器用だ。進路のことも、実は誰より不安だ。
「野球だけじゃダメだし、志望校も考えないと」なんて言ったが、あれはほとんど自分に向けた言葉だった。

 バスターミナルに着くと、岡島が「あ、じゃあね」と言った。
 その時、反射的に腕が動いた。

「また来年」
 気づけば、手を差し出していた。

 やった瞬間に後悔した。クリスマス前の夜に、女子に突然握手ってなんだよ。

「あー……試合後の癖で、つい」
 誤魔化すように笑ったけれど、本当は違う。

 これは癖なんかじゃない。
 ただ、触れたかった。
 彼女が、離れていく前に。

 でも、岡島は驚いた顔のまま微笑んで、そっと手を出してくれた。

 手袋越しでもわかった。
 小さくて、でもまっすぐ握り返してくる手。
 その温もりに、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 バスが来て、岡島が乗り込んだ。
 窓越しに、イルミネーションが彼女の横顔を照らしていた。
 その光も、彼女が俺に向けてくれた小さな笑顔も、全部胸に焼きつく。

 バスが動き出したとき、ようやく認めざるを得なくなった。
 俺は、ずっと前から岡島のことが好きだったんだと。

 気づくのに時間かかりすぎだよな、と自分でも思う。
 でも今は、その想いが手袋越しの温もりみたいにじんわり残っている。

 また来年。
 その言葉が、こんなに楽しみになるなんて、思いもしなかった。


──────

というわけで、彼女と彼の視点で書いてみました。
野球部ぅー!笑

続くかどうかはわかりません。面白そうですけど。

12/6/2025, 8:02:36 AM